ひと目会ったときに、相手との相性が分かってしまうことがある。なんの根拠も論拠もないそれは、なぜだか正解であることが多い。
その時の勇儀とて確証があったわけではない。いわば鬼の勘みたいなものだった。
橋姫と初めてまともに顔を合わせたのは、名前しか知らない地霊殿の主に招かれたときだった。
通された客間で勇儀は橋姫とふたり大きめのソファの端と端に座り、名前も訊かぬうちから問うた。
「おまえ、嘘を吐くのか」
橋姫は怪訝そうに眉を寄せた。
「そりゃあ吐くわよ」
さも当然のことのように答えた、彼女のことを勇儀はほとんど知らない。知っているのは橋姫は勇儀と同じ鬼であることと、なのに嘘吐きだということだけ。
緑色の瞳は勇儀を見ない。
「あんたは嘘、吐かないの?」
「当たり前だろう。私は鬼だ」
でも、おまえも鬼だ。
そんな思考が聞こえたか知らないが、橋姫は細くため息を吐いた。物憂げに、あるいは何も考えていないように、虚空を見つめている横顔に意味もなく腹が立った。
「おまえは、なんで嘘を吐くんだ」
「さぁね」
鬼は嘘を嫌う。勇儀は加えて曖昧を嫌う。
竹を割ったような性格で慕われやすく自身も懐こい勇儀だけれど、傍らの橋姫とは合わないようだった。
嘘を吐くからではない。たとえ彼女が嘘など吐かずとも、ここにいる鬼が勇儀で橋姫が彼女である限り、自分たちが仲良く手を取り合って機嫌良く笑いあうことができるとは勇儀には到底思えないのだ。
「私はおまえが嫌いだ」
素直すぎる言葉は本心を隠そうとしないからだ。
勇儀は不機嫌を前面に押し出した表情で言い、言われた橋姫は、しかし特に気分を害した様子もない。特に表情を変えることもなく答えた。
「あら。私はあんた好きよ」
「嘘だろう」
「ええ、もちろん」
しれっと言い放つ橋姫に勇儀は苛立った。鬼のくせに、どうしてそんなにも平気な顔で嘘を吐く。
もうひとつ、勇儀がこんなにも不愉快な思いをしているというのに、橋姫の姿のなんと泰然としたことか。そんな自己中心的な考え方を自分がすることに、勇儀は驚き、やはり苛立った。今度は自らにである。
地霊殿の主はまだ来ない。
「……別にさ、」
橋姫がはじめて自分から口を開いた。勇儀は無言で先をうながした。
「あんたが鬼でも私のこと嫌いでも、どうでもいいけど。ちょっとは肩の力抜いて不機嫌隠したら?」
「なんで私がそんなこと、」
「扉の陰」
勇儀の言葉を遮った橋姫の視線の先には、なるほど小さな少女のかたちをとった烏が怯えた瞳で勇儀を見上げている。
ばつが悪くなって、勇儀は謝罪の言葉を口にした。罪のない烏に向けた言葉だったから、当然橋姫は反応しなかった。代わりに烏にむけて言った。
「欲しいなら持っていきなさい」
橋姫が押しやったのは茶請けの焼き菓子だった。先ほど猫が紅茶とともに持ってきたそれが欲しかったらしい。
烏の少女はぱっと顔を輝かせて、けれど部屋に入って来ようとはしない。おずおずと橋姫と勇儀の顔を交互にうかがった。
「……ここで食べていってもいい? おりんにだまって来ちゃったんだ。ほんとはお昼寝してろって言われたんだけど」
橋姫は勇儀に確認もとらず頷いた。若干不快な気もしたが文句などないので勇儀も烏に頷いてやった。
烏は嬉しそうに橋姫と勇儀の間に座って、見ている側の頬が緩みそうな笑みで菓子をぱくついた。釣られて勇儀の表情も柔らかくなる。
「うまいかい」
「うん!」
子供は素直だ。そんな純真な姿ほど見ていて和むものは幻想郷広しといえど少ないだろう。勇儀は先ほどまでの苛立ちなど忘れて烏を観察した。
やがて菓子がすっかりなくなってしまっても、烏の少女は帰らなかった。勇儀に対する恐怖が薄れたのか、勇儀にいくつも質問を重ねてくる。
「お姉さん、名前なんていうの?」
「私はね、星熊勇儀さ」
「ゆーぎ」
「そう、勇儀」
「角、ほんもの? さわってもいい?」
「本物だよ。いいよ」
烏の少女は角を触らせてもらってご満悦で、すっかり勇儀に懐いてくれたようだった。同じように勇儀もなんでも率直に言ってくる少女をまるきり気に入った。
それから、烏はくるりと体の向きを変えてしまった。勇儀が目線を上げると同時に烏は言う。
「そっちのお姉さんは、なんていうの?」
「私?」
「うん!」
いきなり話を振られてやや驚いたふうな橋姫に、勇儀は少し(といっても角の先ほどだけ)微笑ましい気分になった。
なんだ、子供には普通の対応をするじゃないか。もっと冷たくあしらうかと思っていたのだ。
「黒谷ヤマメ」
「やまめっていうの?」
「いわない。嘘」
「え、なんで!?」
ぴくり、勇儀の頬が引きつった。
「ほんとの名前はー?」
「キスメ」
「ほんと?」
「うそ」
「えええー? ちゃんと教えておくれよう」
「わかったわかった。本当はさとり」
「うそだよ! それ、さとりさまの名前だもの」
「よく分かったじゃない。偉いわ。賢いのね」
「えへへー、ほめられたー」
橋姫があまりに嘘を繰り返すから、勇儀は拳の震えるのを隠すために腕を組まなければならなかった。
何を考えているというのだ。鬼のくせに、鬼の目の前で、疑うことを知らない子供を騙すなど。
「ね、ね、なんでお姉さんは耳がとんがってるの?」
「武器になるのよ」
「すごー!」
「嘘だけど」
「ええーっ? じゃあなんで?」
「秘密」
「ぶー、けちんぼだなぁ」
「女は秘密を着飾って美しくなるのよ」
「わー! じゃあお姉さんはまたいっこ、うつくしくなったんだね!」
「……素直ないい子ね、あんた」
烏は橋姫に頭を撫でられ上機嫌だ。けれど勇儀は橋姫が烏のことを賢いとか偉いとか思っていないことを知っている。ただ乗せやすい烏で遊んでいるだけなのだ。それなのに何も知らない少女はきれいなお姉さんに構ってもらえて喜んでいる。
勇儀は今度は奥歯を噛みしめなければならなかった。
橋姫は少女にろくなことを言わないのに、少女は勇儀と話していたときよりも楽しそうに見えて、大したことでもないのに悔しいような気になってしまう。
橋姫がなにか言うたびに少女の表情がくるくると変わる。それは不満であったり喜びであったり可愛らしい怒りであったりした。いくつかは勇儀にはとうてい引き出せない色だった。こんな嘘吐きにはできるのに、れっきとした鬼である自分にはできない。
ぐっと体の節々に力を込めた。でなければ意味もわからず叫びだしてこの部屋の隅々まで暴れ回りかねなかった。自分の中に突如産まれた感情を持て余して、勇儀はぎゅっと目を閉じる。
その時。
「……相変わらず悪趣味ですね」
静かな声に、誰よりも先に烏の少女がぴくりと反応した。慌てて振り返って「さとりさま!?」と声を上げる。橋姫はそのむこうで「今さらでしょ」などと言う。なんのことを指しているのか勇儀には分からない。
烏の反応からすると、いま扉を開けて入ってきた眠そうな少女が『さとりさま』だろう。地霊殿の主の名前だ。ということは彼女が古明地さとりか。
「その通り。あと眠そうなのは元からです」
声も発さないうちに勇儀をまっすぐ見て言うさとりに、勇儀は理解が追い付かず固まった。
「睡眠足りてるぅ?」
「やかましい。いきなりキャラを崩さないでください」
「いや退屈だったから」
「空がいたのにですか。撫で殺しますよ」
「おお、こわいこわい……本当にやりそうね、あんた。私が悪かったから両手の指動かしてこっち向けないでよ」
「さとりさまはこわくないよ!」
「ありがとうございます、空。その言葉に免じてお昼寝の件は燐に報告しないでおきましょう」
「からっぽになった焼き菓子の件は?」
「あーっ! ないしょって言ったのに!」
「ああ、あれうそ」
空と呼ばれた烏がぶぅと膨れたところで、勇儀はようやっと思い出した。古明地さとりがほとんど外出せず地霊殿に引きこもっている理由を。
地底の者はみな地上を嫌って降りてきた奴らばかりだ。だから腹の底に隠しておきたいことのひとつやふたつ(あるいはもっとたくさんの数を)持っていてもおかしくはない。さとりの能力はそんなものも全て曝け出してしまうのではなかったか。
「正解です」
さとりはいつのまにか勇儀たちの正面に座っている。そのさとりに、これまた勇儀の気付かぬうちに橋姫の膝に乗っていた空が質問を投げる。
「あ、ねーさとりさまー、あくしゅみってなんですか?」
「あまりよろしくない趣味のことです」
「だれがあくしゅみですか?」
「パルスィです」
空と勇儀は同時に首を傾げた。誰だそれは。
「空が座っているお姉さんのことです。……自己紹介もしなかったのですか?」
「なんとなく……」
「お姉さん、パルスィっていうの?」
「どうだと思う?」
「んー、ほんと! だってさとりさまが言ったもん」
「正解ですよ、空」
「やったー!」
空は喜んでいるが、勇儀にはまだ腑に落ちない部分があった。悪趣味というなら、橋姫は何かをしたはずだ。空をひたすらからかっていたことか? 否、それは勇儀にとっては悪趣味だが他の種族にしてみればなんのこともないはずだ。
「さっきまで妙に重苦しい気分ではありませんでしたか?」
「え? あ、ああ。そうだった」
「今は何もないでしょう」
「ああ……そうだ」
さとりが来る直前まで勇儀が抱えていた暗い何かは今では陰もない。――まさか、とは思うが。
「ご明察です」
「えー? さとりさま、なんですか?」
「私がそこの鬼にいたずらしてたってこと」
「……おまえも鬼だろうが」
やはりこいつは好きになれない、と勇儀は再確認した。
本題に入ったのは、はしゃぎ疲れた空が橋姫の膝で眠ってしまってからだった。
さとり曰く、地獄のスリム化に伴い灼熱地獄が切り離されるという話が持ち上がったらしい。
このごろ勇儀は旧都の顔役のようなことをし、橋姫は地底と地上を繋ぐ縦穴で門番くずれのことをしていたから、灼熱地獄の管理人であるさとりは意見を貰いたいと。
「私はどちらでも構わんよ。もともとそちらと我々は住み分けがされていたから」
「そうねぇ。結局私も直接関わってるわけでないし、玩具はだいぶ減るけど特に反対はしないわよ」
さらりと問題発言の橋姫は捨て置いて、勇儀は用件がこれですっかり済んでしまったと思うと疲れが出たような気がした。仕方のないことだが橋姫と意見が合ったことも原因かもしれない。食い違ったところで結局反感を覚えるのだろうけれど。
しかし、勇儀の想像とは異なる考えを橋姫は持っているようだった。
「さとり」
「否定はしませんよ?」
「……呆れた」
理解できない勇儀を置いて橋姫はこめかみに指をあて、「あほらし」と呟いたきりソファに沈む。
疑問を込めた視線をさとりに向けても微笑みではぐらかされるので、しゃくだが橋姫になにごとか尋ねた。
「こいつ、あんたを私に会わせるためにわざわざ呼んだのよ。地獄の話は方便。その心は、全く性格の違う鬼がふたり並ぶとどうなるか気になった、ってところじゃない?」
「何を言うのですか、パルスィ。私はただ縦穴と旧都の連携を取り易いよう便宜をですね」
さとりは白々しい自己弁護をした。
そんなことのために呼ばれたのか、と勇儀は肩を落とす。
そう思うと目の前でにこやかに紅茶をすする存在が何かとても邪悪なものに見えてくる。
「鬼、今の気分をひとことで」
「……憎たらしい」
「心外ですね」
さとりはなに食わぬ顔で「それで、どうですか?」なんて聞いてくる。わざわざ訊かずとも見通しているだろうに、もしかしたらさとりは相当に性格が悪いのかもしれない。
まあそれも地底にいる以上、ある意味当たり前のことと言えないこともない、と勇儀は無理やり納得することにした。心なしか頭痛がするのは疲れのせいだろうか。無性に酒が呑みたい気分だった。
「そうですか。では用意しましょう」
さとりは立ちあがって出て行った。胡乱げな橋姫の視線をものともせずに。
「鬼。なに頼んだの」
「いや、別に……酒飲みたいって。散々な目に会ったから」
嘘吐きな鬼に会ったし、その鬼にわけのわからない術を仕掛けられたし、これは不幸だったと言っても文句は言われないだろう。酒のひとつでもかっ食らいたくなるというものだ。
橋姫は手を下ろして勇儀を見た。
「私は楽しかったわよ」
「それも嘘か」
「どうだと思う?」
橋姫の膝の上で空が器用に身じろぎをした。
なんとなくそれを眺めつつ、勇儀は今日の出来事を反芻する。確かに不愉快なことはあった。けれどそれは今日という日の全てではない。空の存在などがいい例だろう。
勇儀はぽりぽりと頬を指で掻いて、
「…………そこそこ、かな」
決して橋姫を見ようとはせず、ひたすらさとりの帰りを待った。
とっても面白かったです!
いや、本物のパルスィはどうした……!
師匠と呼ばせてください。