船の屋根に寝転がりながら夜空を眺めるのが好きだ。
特に月のない晴れた日は最高に星がよく見える。
聖曰く、千年前と位置が変わったわねぇ、ということらしいが、私にはよくわからない。千年前とあんまり変わらないような気がする。まぁ元々学がない上に、千年前の空なんてまるで覚えちゃ居なかった私にはよくわからないというのが本音だ。
ここよりも船の見張り台のほうが高い位置にあるのだが、そこは目立つし狭いのでこうして寝転がれない。
甲板は寝ていたら一輪辺りがぜったい起こしにやってくる。こおらまたそんなところで眠って、なんて言って。
だから私は船長室の上の屋根まで登る。昔っからの定位置だ。ちょっと壁を登らなくてはいけないため、あんまり人は来ないのだ。
夜風がひゅうひゅうふいて気持ちがよかった。時折どこかでドンパチやっているであろう音がした。それが何だか心地よくて、このまま眠ってしまいそうだった。
「星が綺麗ねぇ、みなみっちゃん」
目を閉じようとしたその時に、懐かしい声がした。
コツコツと近付いてくる靴音がする。私は慌てて起き上がった。
「ひ、聖」
「なあに、どうしたのそんなに慌てて」
起き上がった私はすぐさま正座をした。落ちていた帽子をかぶりなおし、背筋を伸ばした。ちょっぴり汗をかいた。
そんな私の慌てる姿を見て、聖はぷ、と噴出した。ちょっとだけ顔が熱くなったような気がした。
「貴女は本当に変わらないのね。そんなにかしこまらなくてもいいのに」
「いや、ほらだって聖が居ますから」
「どういう意味かしら」
「あなたの前でお腹出して大口開けながら寝ていられないってことです」
「それぐらいじゃあお灸は据えないわよ」
「そういう意味じゃないです」
聖はニコニコしている。
ニコニコ、ニコニコ。いつだってそうだ。優しいときも、怒ったときも、嬉しいときも、悲しいときも、聖はニコニコしている。
鉄拳制裁しているときでさえ、聖はニコニコしているのだ。私たち門下生にとっては逆に恐怖だった。
まぁ、こういう何でもないときにそのニコニコを見ると、なんだか恥ずかしくなって目を逸らしてしまうのだが。
「寒くないの? 」
「寒いですか」
「少しだけ」
「ここはよく、風が通りますから」
そして聖がやってくると何故かかしこまってしまうのは、千年来の癖だった。聖はいつもそんなにかしこまらなくてもいいのにと言うが、私はどうしてもかしこまってしまう。私を暗くて冷たい海から救ってくれた恩がある。だから色々と頭が上がらないのだ。
「さっきね、ぬえちゃんがいたわ」
「ぬえが? どこに? 」
「私の部屋に来て言ったわ。ムラサの馬鹿って」
「……」
あいつ、聖に向かってなんつうことを、っていうか何しに来たんだ。
「後でぶん殴っておきますんで」
「あら、ぶん殴るなんて乱暴なことしちゃだめよ」
「す、すみません」
調子に乗った私を厳しく諭す聖。久々にちょっと怖いと思ってしまった。
聖がニコニコ顔でないときは、なんだか怖いのだ。
「そんなにしゅんとしないで。ぬえちゃんと遊ぶのもいいけれど怪我とかしないようね」
そんな私の頭をポンポンと撫でる。それだけで何だかホッとした。聖は怒ると怖いのだ。普段かしこまっている理由の一つがこれだったりする。
「みなみっちゃんはいい子だもののね。優しいし、気が利くし。ちょっとお転婆だけれど」
ポンポン、ポンポンとあやすように私の頭を撫でる聖。気が付いた時には側に座っていた。
すぐ隣に聖が居る、そう思った瞬間に顔が赤くなるのがわかった。
「そ、そんなことないですよ。気が利くっていうなら一輪とかの方が利きますし。ぬえには優しくないですし」
「あらあらそうかしら」
「そうです、いっつも殴ってばかりいます」
「それはいけないわね」
「すみません、今度から自重します」
気恥ずかしくなってつい失言をしてしまった。ちょっと声のトーンが低い聖が怖かった。
けれどまたポンポンと私の頭を撫でるので、それで本当に怒っていないんだと思って安心した。
聖の長い髪が風でなびくのが見える。
ちらりと横を見てみると、聖はずっと遠いところを見ていた。
気付かれないようにそっと目を逸らす。
目が合うとそれだけで絶対顔が赤くなるだろうから。
「けれど、よかった。みんな元気そうで。みんな、あんまり変わっていなくて」
聖が、口を開いた。
「そうですか」
「そうよ。真面目な一輪におっちょこちょいな星。頑固な雲山に、」
「いたずらっ子の私、ですか」
私がそう言うと、聖は笑って
「あらあら、よく覚えているのね」
と言った。
「そりゃあまぁ、沢山迷惑かけましたから。所構わずに水かけたり障子やぶったり。……って、それって本当に来たばっかりの頃じゃないですか」
「そうだったかしら」
「そうですよ。さすがに今となってはそんなことしません。ちゃあんと成長しましたから」
「でもぬえちゃんにはやっているんでしょ」
「あいつはいいんです。別枠です。喧嘩両成敗なんです」
「そういうものかしら」
「そういうものです」
「ふふっ」
「な、なにがおかしいんですか」
「ううん、やっぱり変わってないなぁ、って思って」
変わっていない、か。
そう言う聖はなんだかとても嬉しそうで、私はこの千年間ずっとこの人が魔界に閉じ込められていたんだ、ということを思い出した。
どんな気持ちだったんだろう、一人ぼっちで閉じ込められるというのは。
昔私が海の中に閉じ込められていたみたいに、暗くて淋しい気持ちだったのだろうか。
「そうですか」
「そうね。相変わらず貴女はここが好きだし」
「覚えていたんですか」
「だって貴女、夜になると必ずここに来るじゃない。早く寝なさいって言ったのに」
「うっ」
もっと私に力があればもっと早くに解放してあげられたのに。いいやその前に、人間たちに捕まって封印されることもなかっただろうに。
私はこの人に救われたけれど、この人は千年の間ずっと一人ぼっちだった。
そう考えると無性に悔しくなる。聖は恩人だったのに、何もできなかった自分が悔しくて仕方なくなる。
何度自分が代わりになってあげられたらと思ったことだろう。
「覚えていたわよ、ずっと。ずっとね。星がすぐに物を失くす癖も、一輪が突っ走って悪い妖怪を叩いちゃう癖も」
「……」
「それだけが、光でしたから」
そう言った聖の顔が、なんとなく淋しそうに見えた。ニコニコ顔は相変わらずだったけれど、ほんのちょっぴり悲しそうな目をしていた。
きっと。
きっと、想像もできないぐらい、暗くて淋しい思いをしたのだろう。
私には、ぬえだとか一輪だとか、地底には沢山妖怪が居たから淋しい思いをしないで済んだ。
けれど、聖はずっとあの場所で独りで居た。私がずっと暗い海の底に居たように。それよりもはるかに長い時間を、この人は独りで居たのだと思うと、本当に悲しくなった。
「心配しないで。もう大丈夫よ。だってここは明るくて楽しくて暖かい場所だもの」
「聖……」
「ごめんなさいね、心配しなくても大丈夫だから」
私の髪を撫でる聖。普段のニコニコ顔とはちょっと違うような悲しそうな顔だった。
思い出してしまったんだろうな、と思った。
そんなつもりはなかったのに。
そんな顔をさせてしまった自分が悔しかった。
どこかで弾幕がパチパチと音を鳴らした。
しばらくその音を聞いていた。
聖も私も無言だった。
聞いていたけれど、私は聖の表情に耐えられなくなった。
「ねぇ、聖」
私が今でも昔海に居た頃を思い出すように、きっと聖も忘れられないんだろう。
忘れられないどころじゃないのかもしれない。ついさっきとも言えることだ。
それも私よりもずっとずっと長い時だ。発狂してもおかしくない程だ。
けれども。
どうしても思い出してしまうかもしれないけれど。
やっぱり聖が悲しい顔をするのが許せなかった。
ずっとニコニコしていて欲しい。昔のように、ずーっとニコニコしていて欲しい。鉄拳でもお灸据えたりするときもニコニコ顔でいいから、ニコニコしていて欲しい。
だから、私は口を開いた。聖の目を見ながらこう言った。
「これからも、変わりませんよ。みんな一緒です。ずっと一緒です」
「え」
「だから、安心してください」
封印が解けたとき、私は久方ぶりに泣いた。
聖が封印されたとき以来に泣いた。
全部終わって、思わず聖へ抱きついた。そうしてもうこれでもかってぐらいわんわん泣いた。
聖はニコニコしていた。ニコニコしながら、ありがとう、みんな、って言ってくれた。
つられて私も笑った。
泣き笑いしながら思ったことは、このニコニコ顔を今度こそは守らなきゃなぁってことだった。
「昔みたいに人間が封印しにやってくることも、この郷ではありません。もしあったとしても、みんな全力で貴女を守りますから」
「みなみっちゃん……」
「大丈夫です。これからもずっと、私も、みんなも、貴女の側にずっといます」
ここには私だけじゃない。生真面目な一輪、おっちょこちょいの星。ナズーリンはなに考えているかよくわからないが、なんやかんやで私たちの側に居てくれるし、往年の船幽霊の悪霊ぶりを彷彿とさせるいたずら大好きなぬえも、きっと聖の側に居てくれることだろう。
もう一度聖が封印されそうになったその時は、いや、聖が一人ぼっちになりそうになったその時は。
今度こそずっと側にいようと思う。
それが私にできる唯一の恩返しだ。私は本当に悪いことばっかりやってきた妖怪だったし、聖に返せるものも何もない。
迷惑かもしれないし、邪魔になるかもしれない。けれどもそれでもやっぱり一緒に居たいのだ。
言い終わった私は、ああなんだかすごく恥ずかしい事を言ってしまったと思った。
聖と目を合わせているせいもあったのかもしれないが、顔がすごく熱い。
しかし一度あわせてしまった目を逸らすに逸らせずにいた。
「ありがとう。やっぱりみなみっちゃんはいい子ね」
次の瞬間私は聖の腕の中にいた。
あまりに突然の事でびっくりして何も出来なかった。
相変わらず聖の胸は母性に溢れていた。
「ひ、聖」
「貴女がいてくれてよかった、みなみっちゃん」
「そ、そんなこと」
ええと。
えっとですね。
聖、こういうのは反則技というものです。
そんなにぎゅーっとされたら私どうすればいいかわからないじゃないですか。意外と力が強くて水蜜びっくりです。
ああきっと一輪や星が見ていたら、私絶対に殺されるだろうな。私の聖になにをするんだーって。ついでに今ぜったい私の顔は真っ赤だろうな。もうリンゴやトマトってレベルじゃないぐらい。
そして聖はそんなことお構いなしなんだろう。いやまあ嬉しいんだけどさ。こういうのすっごく嬉しいんだけどさ。もう時が止まっちゃえばいいってぐらい、滅茶苦茶うれしいんだけどさ。
「よかった、もう一度会えて。すごく嬉しかった」
「わ、私もです。わぶっ」
「みなみっちゃん……」
いやあそんなにぎゅーっとされたら私期待しちゃいますよ?わかってますけどね、貴女が割と頻繁に色んな人にぎゅーっとする人だってこと。他の人にするときはそりゃあもうこの碇で海底に沈めてやろうってぐらいなテンションになりますけどね。ええ。だからまぁ、嬉しいのですが、嬉しくて仕方がないのですが。
そろそろ窒息しそうなぐらい苦しいのですが。そりゃあもう、溺れるってレベルじゃないぐらい。
「ひ、聖」
「え? あっ」
びっくりするぐらい強い力で引き離された。やっぱり聖は強かった。
私の顔は赤いを通り越して青くなっていることだろう、別の意味で。
「ごごごごめんなさい、つい」
「いいんです、嬉しいです」
「ででででも」
「私、貴女が好きですから」
「えっ」
「あっ、今多分色々錯乱しているんで大丈夫です。なんか本音が出たような気がしますけれど気にしないで下さい」
「そ、そう」
「そうです。色々間に受けても気にしないで下さい」
「……」
「平気です、治りました。私は元気です。大丈夫です。明日も元気に船を沈められそうです」
「それは駄目よ、みなみっちゃん」
「はい、承知しております」
「ならいいけれど」
今色々言ってしまったようだったが、きっと誤魔化せたはずだ。何を言ったかは覚えていない。うん、覚えていないのだ。
聖もきっと忘れてくれることだろう。忘れていないにしても、知らない振りをしよう。
空は満天の星で溢れていた。
星がキラキラ輝いて、私たちを照らしていた。
しばらく私たちは無言でその場に座っていた。
「そうね、貴女の言うとおりね。みんな居るものね」
聖が口を開く。思わずそっちのほうを見る。
さっきのように悲しそうな表情は抜けていた。代わりに菩薩様のような穏やかな笑顔だった。
見ているだけで幸せになれる笑顔。私はその笑顔が大好きだった。
「はい、そうですよ、みんな貴女の側に居ますから」
「ありがとう、みなみっちゃん」
「い、いえ私はたいしたことは」
「そんなことないわ。とても元気になったわ。ありがとう、水蜜」
「聖……」
これで、少しは返せただろうか。昔荒れ狂う海の中、他の船を暗い海の底に沈めていた私を、暖かい手で助けてくれた恩を、少しは返せただろうか。
千年経った今、ようやく私は聖の力になれたような気がした。
おわり
私も白蓮さんにぎゅーっとされたいなあ
二人のやり取りもさることながら、ちょくちょく出てくる他の命蓮寺メンバーに関する描写が、
本当に良く思っているんだなぁと読み取れて絆の深さが伝わりました。
いいなあこの人達。