地底とは暗闇の世界ではない。人の家には窓が有り、繁華街は賑わっている。
色々な人や妖怪、生けるものまた命の無いものたちが生存の為に光を作り出せば、その能の無い者らはただそれに依るのである。
その魔法的、あるいは植物、鉱物に由来する仄かな光源に照らされて、その狭い部屋の付属物達はただ陰翳を顕わにしていた。
地霊殿最高権力者、古明地さとりの部屋である。執務室兼生活の間。
雑多な書類に囲まれて掃除は行き届いていない。
取り外し可能な間仕切りの向うにはいきなり青いベッドが有るのだった。
部屋の主は椅子にじいっとして、また薄く微笑んでいる。
処理しなくてはならない案件が、随分と溜まってしまっているのにだ。
視線の先には、油絵の具の乾き具合が素人目にも真新しい、一つの肖像画が有った。
さとりの姿を描いたそれは、仄かな陰の風情など吹き飛ばす程に美しい一つの衝撃であった。
彼女はそれに見惚れていた。自分の描かれた肖像画に、時間も忘れてずうっと見惚れていた……。
誰が書いたかはさして重要ではない。写真ではなく肖像画であるという事くらいにしか意味は無い。
されど敢えて言わない理由も無いならば、……地上から攫ってきた高名な人間の画家に戯れに描かせたものだ。
出来が良ければ家に帰すと脅迫まがいで描かせたそれは地上のものとは……地底のものとは思えぬ程の輝きを自ら放っていた。
その出来あがった作品を見て地底には食客として抱えたいと言う大家が大勢居た。
しかしさとりも大層気に入ったので、キッチリと護衛を付けて地上へ送りかえした。
それ程に心を揺さぶる物であった。魂が滲み出たゆえかも知れなかった。
魂が滲むと言えば聴こえは良いものの、実際にはただ死にたくないという極めて人間的な焦燥と戦慄が書かせたものに相違無かった。
そうである筈なのに、かれはクライアントの機嫌を取る為に肖像を必要以上に美しく描く事をしなかった。
飽くまで写実的でありながら、それでも究極までに写実的であるという事は、画家の認識に忠実に対象を描くという事だ
かれにとってそれは、最大の名作を生み出す儀式でさえあった。
髪はそれぞれの繊維がふうわりとまばゆい光を纏い、細やかな煌きを全体として構成していた。
肌に至ってもそれは続いていた。少女特有の張りが偉大な生命とその可能性とを表彰した。
深い色の紫の瞳は完璧な均衡をもって、計算された明るさでまるで高価な宝石のように輝いていた。
つんと澄ましたその表情にも、今善良でない物は何も無かった。さとりの内面にいつも在る不安と諦観さえそこには描かれていた。
長いまつ毛は薄紫に彩られ。小ぶりな唇は今にもぷるりと揺れるようで蟲惑的な感さえ有った。
また服飾は何かの意味をそれぞれが持っているようでありながら、また持っていない様子とも取れて甚だ幻想的。
それは時に豪著でありながら厭らしさをまったく排除して、また何でも無い水色の布地さえも流れる中間を構成する要素として調和を保っていた。
ささやかなあの胸の膨らみは強調されすぎてもおらず、それでいてなお両の手のひらにそっと収まるような謙虚な美を失わない。
胸元に置かれた第三の眼さえもともすればグロテスクに思える程の描き込みがなされながら、絵の全体を一つの韻律に纏めてしまっていた。
どの部分が欠けてもこの完成は得られないように思われた。
何処が僅かに一ミリメートル狂っても、全く違う、天上のものではないものになってしまう気がしてならないのだった。
さとりは、心の内では画家のこれを描いていた様子を楽しく思い出していた。
自分の方をねめつけて、かれは一心に絵筆を動かしたのだ。
それで彼女は一考する。芸術的才というものはどうしてこうも人間に豊富なのであろう。
鍛錬と回顧と余暇の時間が死ぬほどに有る妖怪の方がより高い達成を生み出せそうであるのに。
妖怪である事が不死性の他に停滞も意味するのだろうか。
感受性とは短く命を燃やす時、その世界を見て死にたいという希求と、激しい火焔の赤さとから召喚されるものに他ならないのか。
表現力とは明日死ぬつもりでないと、誰かにこれを伝えなくてはならないという焦慮からでないと得られないものであったのか。
元来創作とは切迫感無しには決して始められないものであったのかもしれない。
さとりは色々と想いを巡らしたけれど、いざ自分でこれを描こうとする訳ではない。全ては詮無い事であった。
さて肖像画が新たにインテリアとしてさとりの部屋に加わった訳であるが、その象徴するものとは何であっただろうか。
例えばそれは、永遠の若さと不死性。
寿命など有って無いような大妖だ。まだそれらについて考える時ではなかった。
自分の短所と思っている事が他人には長所として認識されている事。
心を読むのが悟り妖怪のアイデンティティである。そういう客観性には飽いていた。
それでも心を揺さぶるからには、美しいばかりではなく、きっと何かの意味が有るのだと彼女には思えてならなかった。
試しに肖像画の前で同じポーズを取ってみた。
すぐ絶大なる違和感に襲われる。耐え切れなくなって止めてしまった。
程無くしてその訳に気付いた。鏡ではないのだ。左右を反転して認識されてはならない。
かくの如く肖像とは日常性を描いているようで有りながら、彼女は日常にあってこの風景を絶対に目にしない。
主体は通常、自分の肉体を抽象的に認識している。
さとりの場合は多少は客観に近しいものが有っただろうが、限界が有る。
ましてや絵とは客観では無い。それは芸術家の主観に他ならない。
肖像とは画家の手にかかって更に加工を受けていたのだ。
―――嗚呼、それにしてもなんと美しいのか。
最早さとりは描かれた自分の姿に欲情すら感じていた。
これは自己愛ではない。ナルチシズムでは断じてないのだ。
自分が美しいと言っているのではなく、単純に絵画の美だけを感じていた。
今やそれを命有る客体として認識してしまうより、他には無かった。それはさとりの無意識であった。
長いまつ毛。
この少女を抱きしめてやりたいと思った。しかし自分の妄想力とは完全ではない。
少女は心の内でもすぐに崩れていってしまう。それが何とも恨めしかった。
絵とは動かぬものである。動かぬからこそ達成されたものだと言えるかもしれぬ。
動く事で必ず完璧性がどこか損なわれるであろう。動かぬものはリアクションを起こさないから完全なる客体化を期待する事はできない。
絵がその達成と完成をそのままに動き出したならばそれは怪異である。
きっと、世界で最も美しい怪異。
……そう考えれば寧ろ、これは大変魅力的であるように思われた。
試行の価値は有ろう、と。
美しすぎて動かないならば、少々の妥協は仕方ない。
まずはこの絵画の芸術性を、少し損なわしめる必要が有る。これを空想の中でする事はできない。
美しくない物を象徴化という空想で美化する事は容易だけれど、美しいものから美しくないものを連想する事ができようか。
できる事ではない。……そんな事が障害になる時が、生涯に一度でも来るとは思っていなかった。
とはいえこの絵を直接に傷つける事など論外であろう。
絵に対して斜めに鏡を立てて、その鏡を、絵が見えるように覗きこんだ。
そして同じポーズを取れば、もう肖像は自分であった。動かしやすくなる筈。
満足して頷く。それからこの前買ってきたが自分には似合わなかった黒い帽子を差し出して、ちょうど少女の頭の上に乗っているような格好にした。
思った通りに、それだけで風景の完璧性を大変に損なわせる事ができた。
惜しい事だが、これで気兼ねなく心のうちで動かす事が出来る。
さとりは空想の中で、その客体の胸の膨らみを揉みしだいてみた。ついに彼女は反応を返したのだ。
ずっと信じてたのと同じく瑞々しくも愛の込められた、何とも素晴らしい反応であった。
妄想の内で呼び名に迷って色々と試行錯誤をしたのちに、やがて愛欲の対象として、自分と異なる名前で呼ぶようになった。
客体と捉える為なれば名前を付けてしまったのは良い事であったけれど、ある側面ではそうではなかった。
驚くべきは耳を打った声。想像に違わずかわいい声で、それはなんと自分の声とは違った。
もっとずっといつまでも、このかわいい声を聞いていたいと思うようになった。
ついに彼女は絵からも分離し、何処に行くにもさとりについて来るようになった。
徐々にさとりからも離れて、好き勝手な行動をとるようになった。
楽しそうに、さとりの行った事も無い場所の様子を話すのだ。
彼女は、この客体が自分自身でない気までした。仕方がないから聞いてみる事にした。
「こいし、貴女は私なの?」
「違うわ」
嘘であった。しかしながらその一言だけで十分だった。
客体としての古明地こいしは肥大をはじめ、鏡の中からも抜け出した。
それは主体たる古明地さとりからの、偉大なる分裂でさえあった。
ここに、希望通りの怪異が誕生したのだ。
「おかえりなさい、こいし」
「ただいま、お姉ちゃん」
「今日は何処へ行ってきたの?」
「地上」
「地上!? ダメよ、怪我でもしたらどうするんです」
「それは行く前に言うセリフだわ」
「……地上じゃあどんな人と会ったの」
「姉妹二人一組の秋の神様、破壊の能力を持つ吸血鬼、正体不明の妖怪、……」
「……みんな私の知らない人ね」
一昨日くらいからさとり様はこいしこいしと言うけれど、一体そのひとは誰なのだろう。
火焔猫燐はぼんやり思った。
当然ながらそういう心の声は、何でも心を読める筈のさとりにも届かなかった。
古明地こいしはどこにいる?
これはなかなか考えてしまう……
会話無いのにスラスラ読めておもしれーよwww
ぱっと見の幻想に惑わされるなんてさとり様らしくもない。いや、らしいのか。
以下気になった点。
>少女特有の張りが偉大な生命とその可能性とを表彰した。
表象でしょうか。意味的にはこちらの方が適当かと。
掛け言葉だったりしたらごめんなさい。
>ナルチシズムでは断じてないのだ。
ナルシシズムの方が一般的でしょうか。
フロイト的に言うならナルシズム。
日本語としては間違いではないと思います。