※ この話は、ジェネリック作品集60、『天子と衣玖が初々しくて。』からの続きとなっております。
人里の繁華街を歩く者達の視線が、皆一点に注がれていた。
老若男女問わず、また本人の意思とは関係無く全ての者が必ず振り返り、中には立ち止まって凝視する者さえいた。
そんな人間達の注目を一手に引き寄せているのは、二人組の女性だった。
甘味所の店先に設置された長椅子に肩を並べるようにして座るその珍客は、周りの視線以上にその手にある甘味に興味津々のようだった。
「衣玖!? これ凄く美味しいよ!?」
一口くわえただけでそのお菓子をいたく気に入った天子は、衣玖に絶賛して見せた。
「餡蜜、というんですよ。それにしてもここ数十年でこうも様変わりするとは……私の記憶にある餡蜜にはアイスクリームは付いていませんでした。」
感慨深そうに目を細める衣玖に、天子は「ほぉーなんらぁ~(そーなんだぁ~)」と餡蜜を食べながら相槌を打つ。
「でもさ……衣玖?」
「? どうされました?」
突然声を潜めた天子に、衣玖は首を傾げた。
「さっきからな~んか視線を感じるんだよね……。衣玖は気にならない?」
流石に気付いていたようで、キョロキョロと周りを見回す天子。
すると、意図的に彼女から目を逸らす人間達がちらほらといた。
それらを視界の端に捉えながらも衣玖は余裕の笑みを浮かべて見せた。
「私は気になりませんよ。慣れっこですから。」
「……衣玖は大人なんだね。」
不快な視線のその殆どが衣玖に向けられている事も、天子は気付いていた。
美しき竜宮の使いは、人里の間では最早『天女』も同義なのだ。
天子にはそれがどうしても気に食わなかった。
それは自分のものである衣玖が他人の好奇の目に晒されているという事実からくるものだ。
今も天子の耳には遠巻きに衣玖を見つめる男達の会話が聞こえていた。
「美人……だよなぁ。」
「ああ……この世のものとは思えない。」
「いやしかし……俺としては隣の娘も……あの絶壁加減がたまらない──」
(え? 私?)
自分はおまけ程度にしか見られていないと思っていた天子は、ちょっとだけ嬉しい気持ちになった。
その声の主を確かめようと天子が顔を上げたその時──
ギュルン!
(ギュルン?)
視界に入ったのは男達の姿では無く、隣にいた筈の衣玖の背中だった。
しかもその手にはなんだか物騒な物が携えられえている。
「貴方……そう、貴方です。今、私の天子を不純な目で見ましたね? そんな貴方にお知らせです。今に貴方の土手っ腹に風通しの良い風穴が──」
「ひっ……!?」
ギュルン! ギュルン!
お得意のドリルを回転させて男達の一人に迫る衣玖。
これには悪戯好きの天子でさえ度を超えた危険を感じ慌てて衣玖を引き留めに回る。
「ちょっと衣玖っ!? ストップ! ストップゥゥゥ!!」
今まさに振り下ろさんとしていたドリルを衣玖の腰に後ろから飛び付く事で止めて見せた天子。
哀れ命を狙われた男は腰を抜かし、鼻先で止まったドリルを引きつった表情で凝視していた。
「──どうして止めるのです!?」
「普通止めるよ!? ほら、衣玖っ! こっち向いて!」
今まで、衣玖によって散々説教を受けてきた天子には、正しい説教の仕方というものが身に滲みるほど備わっていた。
だからといって、教わった当人を説教する羽目になるとは流石の天子も思わなかったが。
「どうしてあんな事したの……? さっきまで涼しい顔して聞き流してたじゃない?」
まずは相手の目を見て話す事。ここで相手から目を逸らすようなら、後ろめたい気持ちがあるという事だ。
「私は……! 私は…………我慢ならなかったのです。私の事は兎も角、貴女が誰かの目に触れる事が……。ごめんなさい。」
流石に衣玖も子供では無かった。失態を犯し、その上、天子に気付かされたという二重の羞恥心にしゅんとなる衣玖。
ここで透かさず「気をつけてよね。」だとか、そんな冷静な指摘を天子が出来ていたならこの場は収まっていた事だろう。
…………しかし残念ながら天子はそこまで大人では無かった。
「わ、私の為……?」
「え……? は、はい。そうですけど?」
今更ですか? と首を傾げる衣玖にも気付かず、天子はへにゃと顔を綻ばせた。
「そっかぁ……。私の為かぁ……じゃあ仕方ないよねぇ……。」
衣玖が見せた一種の独占欲に心満たされた天子は頬に両手を当てて「いやんいやん」と腰をくねらせた。
突然目の前で痴態を披露された衣玖だったが、とりあえず冷静になってそんな彼女の言葉を脳内で吟味する。
『私の為かぁ……。じゃあ仕方ないよねぇ……。』
(仕方ない。という事は許可が下りたという事でしょうか? ならば私の取るべき行動は一つです。)
未だ一人でトリップする天子に背を向け、再びドリルを構える衣玖。
──訂正しよう。衣玖は冷静になってなどいなかった。
「へあ……?」
地べたにへたれ込む男から間の抜けた声が漏れる。釣られるように、彼を引き上げようとしていた男達も顔を上げる。
するとそこには再び悪鬼と化した衣玖の姿が──
「ダァ~イ……!」
ギュイイイン!
先程よりも明らかに回転速度を上げたそれに、男達は恐怖に立ちすくんでしまった。
「ギュイイイン? ってまたぁ~!?」
この惨劇を食い止める事が出来る唯一の天人様は男達に被害が及ぶ寸でのところで我に帰り、慌てて衣玖を羽交い締めにした。
「て言うかあんた達まだ居たの!? とっと逃げなさい!!!」
「「「はっ、はいぃぃぃ!」」」
天子の怒声に突き動かされ男達は散り散りになって逃げていった。
「…………反省、してる?」
「…………はい。」
「アイスクリーム……溶けちゃった。」
「…………買い直します。」
「……よろしい♪」
漸く笑顔を取り戻してくれた天子にそっと安堵する衣玖。
その脇で天子がおおはしゃぎで店主に餡蜜のお代わりを頼んでいた。
「うん♪ やっぱり美味しい♪」
ひとさじスプーンですくって口に放り込むと、その甘さから天子は顔をうっとりとさせた。
(良かった……本当にもう許して貰えたみたいですね……あ。)
その様子をすぐ隣で見ていた衣玖が何かに気が付いた。
そんな衣玖の視線に、「なに?」と首を傾げる天子。
「ふふふ。アイスですよ。ほっぺに付いちゃってます。あっ、動かないで下さい。」
スプーンを口に咥えたまま固まる天子のほっぺには確かにアイスの跡が残っており、それを衣玖は何の気なしに指ですくってみせた。
爪を立てないように、そっと。
パク。
「……え?」
そのまま自然な流れで、衣玖は手に付いたアイスを自分の口へと運んでしまった。
これに驚いた天子はその動作を見つめたまま唖然とした。
「?……どうしました?」
突然様子の変わった天子に理由も分からず衣玖は首を傾げた。
「い、衣玖!? いきなり何するの!?」
「何って別に……天子のほっぺにアイスが付いていたのでそれを拭って……あ。」
無意識にとった己の行動を遅れて自覚した衣玖は恥ずかしさに顔を真っ赤させた。
しかし、恥ずかしかったのは天子も同じで、それ以上に真っ赤っ赤になった頬を不機嫌そうに膨らませていた。
「あっいえ! これはその……! つい昔の癖で──」
慌てて弁解を始めた衣玖だったが、更に墓穴を掘り続けている事に残念ながら全く気付いていなかった。
「昔の……癖? 何? 衣玖は私の事、まだ子供だと思ってる訳?」
口元を引きつかせる天子に、衣玖はしまったと漸く己の失言に気が付いた。
しかしここでまさか「その通りです。」なんて口が裂けても言えない……衣玖はなるべく天子を刺激しないよう、今度は慎重に言葉を選んだ。
「と、とんでもない! 私は決してそのような事は……! 天子は立派なレディに成長されました! それはもう見違える程に!」
言っていて自分でも苦しいと思う程のお世辞に、衣玖は焦燥を感じずにはいられなかった。
そう……今更何を言おうと後の祭り────かと思われたが、そっぽを向いてはいるものの、膨らませた頬を薄くピンク色に染めている天子がいた。
どうやら機嫌修復の機会はまだ完全に失われた訳ではないと察した衣玖はここぞとばかりに天子を褒めちぎる事に。
「先程だって、暴走した私を止めて下さいましたし! お恥ずかしながら、この永江衣玖、天子様を見くびっておりました! よくぞ此処まで成長されました! 私も鼻が高く思います!」
思いつく限りの世辞を並べる衣玖……こんなところで己の出世術が役に立とうとは、流石の衣玖も考えにも及ばなかったが。
それが言い終える頃には、天子の機嫌は完璧に直っており、それどころかすっかり天狗になってしまっていた。
「ま、まあねぇ。私だって何時までも子供じゃないの。衣玖もその辺分かってくれたみたいだし? 今度の事は水に流してあげるわ。」
「あ、ありがとうございます……。」
ほっと胸を撫で下ろす衣玖だったが、そこに待ったを掛けるように天子はその鼻先にぴっと指を指した。
「ただし! 次子供扱いしたら許さないんだからね?」
「は、はい……! 承知、しました。」
「差しあたってそうねぇ~……もし次やる時は──」
調子に乗った天子は、ここでちょっぴり大胆な要求をしてみようとあれこれと思案を始めた。
そんな生き生きとした天子の笑顔──それはいつもと変わらない、天子が悪戯を思い付いた時に浮かべる笑顔だった。
衣玖にとっては見慣れた笑顔だった筈なのだが……それを見た衣玖は妙な胸のざわつきを覚えた。
(立場が変わるだけで……こうも違って見えるものなのでしょうか……。)
そう……いつもと変わらない筈の天子の笑顔が衣玖の目にはどこか蠱惑的に映ったのだった。
ひょっとしたら自分は、恋人という立場に溺れているのではないか──今更ながら衣玖はそんな事を自覚した。
「──指じゃなくて……口で拭ってね?」
「…………え?」
天子の笑顔に思わず見とれていた衣玖は天子の言葉をすぐに呑み込めなかった。
「だから! ……直接口で取ってて言ってるの! ……付き合ってるんだから、それぐらい良いでしょ?」
狼狽える衣玖を突き放すようにそっぽを向きながら言う天子。
そんな彼女の横顔をガン見しながら衣玖は自分の鼓動が激しく高鳴るのを感じた。
(直接って……それってキスっ……!?)
柔らかそうな天子の頬がまるで誘っているかのように見える──そんな錯覚にその場で立ち眩みを覚えた衣玖。
しかしそれではいけないと、頭を振ってもう一度、天子の横顔を見つめる。
(きっとこれは天子なりのアピールなのです……! 私は今、キスをせがまれているのです!)
勝手にテンションを上げる衣玖だったが、一方で、天子は自分の要求が子供じみていたかな、と一人落胆していた。
(そもそもほっぺにアイス付けてる時点で、子供扱いされても文句なんて言えないじゃない……。)
そう思ってしまうと天子は急に自分が恥ずかしくなった。
かぁぁぁー///
(ど、どどどどうしよう? やっぱりさっきのは無しって言っちゃう? って今更言えるわけ無いじゃん!)
(天子の頬が耳まで真っ赤に……! ああ! 待つ側も恥ずかしいのは一緒という事ですか!? ならばここは潔く……!)
ちゅ。
「………………へ?」
一瞬──
ほんの一瞬だけ、衣玖の唇が天子に触れた。
「…………///」
それっきり俯いてしまった衣玖。
そんな彼女を目を丸くして見つめる天子の手は、キスされた頬をそっと押さえていた。
「い……衣玖?」
恋人のとった謎の行動に天子は困惑するばかり。
どうすることも出来ず固まっていると、リアクションを求め衣玖がおずおずと顔を上げた。
「…………お気に……召しませんでしたか?」
お気に召すもない──と天子は思ったのだが、徐々に自分が置かれた状況を理解し始めた。
(キス、されたんだ……私。)
手で触れている頬が妙に熱いのは、行為をされた確かな証拠であるような気が天子はした。
「……ゃ──!」
自覚は羞恥心を呼び、羞恥心は更なる混乱を呼び──とっさに叫びそうになった天子だったが何とかして声を無理やり呑み込んで見せた。
それは、彼女なりの意地だった。
(子供じゃ無いんだから……! ここで取り乱してはダメ!)
「……や?」
天子が必死になって自制を働かせているところへ、衣玖が図らずも追い討ちを掛ける。
(や……は「いや!」の「や」……何て言えないわよ!)
「や──」
「や……?」
躍起になって頭の中で「や」のつく良い言葉を探す天子。
しかし衣玖に半濁され、そのうえ何故か潤んだ瞳で上目遣いに見つめられては天子の胸の鼓動は高鳴るばかり……。
(ああ! どうしてこんな事になったのよ!? 大体どうしてキスなわけ? ぜんっっっぜん、わかんない!!
大体なに? 奥手なように見せかけておいて今度は自分からって……! どうしたいわけ? 襲いたいの? それとも襲われたいの?
…………ってそういんじゃなくて、今は兎に角この場を切り抜ける言い口上をね? なんて直ぐに思いつくわけ無いじゃない!
全くせっかくの初デートだってのにどうしてこんなことに……できる事ならやり直し──)
「……天子?」
「や──り直しよ! やり直し!」
限界だった…………色々と。
頭とか自尊心とか、あと自制心とか……。
「やり直し……ですか?」
しかし言ってしまったものは仕方ない。天子は半ばヤケになってまくし立てた。
「そうよ! やり直しよ! あんなんじゃ私は満足出来ないの! もっと熱烈的で情熱的な感じが良いの! 大人である私は! 分かる!?」
「…………分かりません。」
「分からないなら特訓有るのみよ! さあ今から帰ってキスの練習よ!?」
「え…………? ええぇ!?」
こうして、天子と衣玖のキスの特訓は幕を開けたのだった。
つづく。
続きが楽しみです!
十分に甘々だったのに続くのか!! また一週間悶々として過ごさなければならないのか!!
あなたって人はなんて罪作りな人なんだ!! よし、次回は体調を万全に整えて望むとしよう!
去年糖尿の気があると検診に引っ掛ったので、これ以上の甘い話読まされたら死んでしまうという意味ですwwww
自分で甘い話書いたせいじゃねえかっていうツッコミはなしの方向でww
マジですかwwwお体だけは大事にしてくださいね。