「髪を伸ばしたいんだ」
誰もいない寺子屋。夕日の差し込む部屋の一室で、黙々と仕事をしていた私は、思わず手を止めた。
次いで、茜色に染まる世界を物憂げに見つめるリグルの顔を、まじまじと見返してしまった。
連れの妖精たちと共に、偶に顔を出すリグルは、何故だか今日に限っては一人でやってきたようだった。
文机の前にきちんと正座する私の脇、夕暮の風の吹き込む窓の縁に腰掛けて、ぷらぷらと脚を揺らしている。
私は首を傾げた。
「何故だ?」
「みんなに笑われるんだ。短い髪に、こんな格好でしょ。なんだか、男の子みたいだってさ」
ぼやくように言うと、リグルは前髪の先を憂鬱そうにくりくりと弄る。よくわからなくて、私は頭を掻いた。
「そんなことは、ないだろう」
「慧音には……ちゃんと女の子してる奴には、わからないよ」
拗ねたように唇を尖らす。
確かに可愛らしいその仕草も、リグルがすると、まるでからかわれた幼い少年が、むくれて意地を張っているようにも見えるから不思議なものだ。
しかしそれも容姿のせいというより、さっぱりした気質によるものが大きいのではないだろうか。
口には出さずにそう思うと、私は質問を変える。
「伸ばすって、どれくらい伸ばすつもりだ。私が言うのもなんだが、長すぎても手間がかかるだけだぞ」
筆を置いて、何とはなしに自分の青みがかった髪に手を触れる。指通り良く滑る長い糸の束は、日ごろ気を遣っているだけあって、一本の枝毛もない。
教師という堅い職に身を置く私にとって、華美な服装は禁物であって、丁寧に櫛を入れた長髪は、言ってみれば精一杯のお洒落のようなものだ。
それを除けば、男言葉に近い話し方といい、むしろ私だってあまり女性らしい振る舞いをしているとは言い難い。
よもや彼女は、私を髪の長さだけで女らしいと認識しているのではなかろうか。
俄かに浮上した疑念に妙な顔をする私を尻目に、リグルはあっけらかんと言う。
「あはは。さすがに慧音までとなると、ちょっと難しいかな。そうだね」
これくらいかな、とリグルは自分の肩の少し下辺りを指す。
「どうかな?」
「どう……と言われてもな。いいんじゃないか、好きにしたら」
答えようもなく私がそう言うと、リグルは困ったように苦笑した。
「もう……なんだか投げやりだなぁ。もうちょっとくらい親身になってくれても、バチは当たらないよ?」
「うーん、いや、まあそうは言ってもな。別に、そこまで気にすることでもないんじゃないか。正直、言うほど短いわけでも」
言いながら、私は何の気なしに手を伸ばして、リグルの頬と髪の間に手をいれる。
細い髪がさらり、と抵抗なく持ち上がり、陶磁器のように白く滑らかな首筋が露になった。
「あ、わ。け、けいねっ!」
「え?」
かあっ、と。
瞬間、沸騰したようにリグルの顔が赤く染まった。
悲鳴に近い、声。
「す、すまない」
驚いた私は、慌てて手を引っ込める。
「悪かった、そんなに嫌がるとは思わなくて」
「あ、いや、えと」
私が頭を下げると、リグルはぱたぱたと手を振った。
「い、嫌とか、そういうわけじゃないけど、でも、その、あんまり突然だったから、えと」
もごもごと口の中で言葉がくぐもる。顔を伏せ、もじもじと膝をこすり合わせて、落ち着かなげに肩を竦める。
その仕草はいかにも女の子めいていて―――私は、ふいにどきりと胸を高鳴らせた。
同時に、何故か無性に沸いてくる、言いようのない罪悪感。
「本当にすまない。そうだな、考えてみればいきなり髪に触られて、いい気分がするわけはなかったな。少し考えなしだった」
「え、っと、慧音、いやそれは」
「親しき仲にも礼儀ありと言うしな。仮にも教鞭を振るう者にあるまじき、礼を失した行為だった。もうこんなことはしない。約束する」
「あのさ、慧音。だからさ」
「リグルだって、女の子だものな。なんでもない他人になんて」
「けいねっ!」
少し混乱して、次から次へと言葉を言い繕っていた私は、その迫力に息を呑んだ。
リグルは、静かな声で、言う。
「違うよ、慧音。それは、違う」
リグルは、私の手をとると、ぎゅっと握りしめた。
驚き、とっさに逃れようとする私の手を、しっかりと押さえ込んだ。
赤い顔で、しかしすごく真剣な眼差しで、私の目をまっすぐに見つめた。
「……嫌なんかじゃない。嫌なはず、ないよ、慧音。むしろ、すごく嬉しかったんだ」
ほら、とリグルは、私の手をとったまま、自身の頬にあてがった。少し熱を持った、柔らかい感触が、手のひらに収まる。
「あ……」
「ね? これだけで、私、すごくどきどきしてる」
しっとりと潤んだ、熱に浮かされたような瞳。甘えるように微笑んで、私をじっと映しこんでいる。
その目に一瞬見惚れかけ、しかし訳もなく不可思議な焦りを感じた私は、慌てて熱い手を振り解こうと力を込めた。けれども、同時にぴたりと動きを止めざるを得なかった。
懸命な少女の瞳の奥。微かに、怯えたような色を見つけてしまったからだった。
下がった眉。震える睫毛。拒絶を恐れるように、不安げに揺れる、目。
……その目は、反則だ。
私は肩から力を抜いた。はぁ、とため息を一つ。
すると、とたん安堵したように、少女は笑みを深くする。
それがなんとなく憎らしくて、そっと頬を撫でさすってやった。咽を鳴らすように、くつくつとリグルが笑う。
「くすぐったいよ」
構わずに手を動かした。リグルは、むずがるように身を捩る。首を傾け、頬を撫でる私の手に、猫みたいに顎をこすりつけた。
その仕草が可愛くて、私は思わず吹き出してしまう。
少しだけ、こそばゆくて、優しい時間。
「……なあ、リグル」
「ん?」
だから、私がさらりと彼女に尋ねたのも、きっとこの空気にあてられてのことだったのだ。
一つだけ、気になっていたことがあった。
「どうして、急に髪を伸ばそう、なんて思ったんだ?」
「……男の子っぽいのが嫌だったからって、言わなかったっけ」
「だから、それはどうしてか、ということだ。今までは、然程気にしてもいなかったじゃないか」
「……知りたい?」
私が頷くと、リグルはちょっと困ったような笑顔で、目を泳がせた。
悩むように、しかし焦らすように一声唸ると、ぽつん、と呟くように言う。
「見て欲しかったから、かな。ちゃんと女の子してる、私を」
「誰に?」
リグルは微笑んだ。私の手をとって、重ねた自分の手ごと口元まで運んでくる。
隠すように覆うと、私の手のひらに悪戯っぽく口をつけた。甘く、肉を噛む。
蕩けるような上目遣いで、囁くように言った。
「な、い、しょ」
こしょこしょと触れる唇が、ほんのちょっぴりだけ、くすぐったかった。
誰もいない寺子屋。夕日の差し込む部屋の一室で、黙々と仕事をしていた私は、思わず手を止めた。
次いで、茜色に染まる世界を物憂げに見つめるリグルの顔を、まじまじと見返してしまった。
連れの妖精たちと共に、偶に顔を出すリグルは、何故だか今日に限っては一人でやってきたようだった。
文机の前にきちんと正座する私の脇、夕暮の風の吹き込む窓の縁に腰掛けて、ぷらぷらと脚を揺らしている。
私は首を傾げた。
「何故だ?」
「みんなに笑われるんだ。短い髪に、こんな格好でしょ。なんだか、男の子みたいだってさ」
ぼやくように言うと、リグルは前髪の先を憂鬱そうにくりくりと弄る。よくわからなくて、私は頭を掻いた。
「そんなことは、ないだろう」
「慧音には……ちゃんと女の子してる奴には、わからないよ」
拗ねたように唇を尖らす。
確かに可愛らしいその仕草も、リグルがすると、まるでからかわれた幼い少年が、むくれて意地を張っているようにも見えるから不思議なものだ。
しかしそれも容姿のせいというより、さっぱりした気質によるものが大きいのではないだろうか。
口には出さずにそう思うと、私は質問を変える。
「伸ばすって、どれくらい伸ばすつもりだ。私が言うのもなんだが、長すぎても手間がかかるだけだぞ」
筆を置いて、何とはなしに自分の青みがかった髪に手を触れる。指通り良く滑る長い糸の束は、日ごろ気を遣っているだけあって、一本の枝毛もない。
教師という堅い職に身を置く私にとって、華美な服装は禁物であって、丁寧に櫛を入れた長髪は、言ってみれば精一杯のお洒落のようなものだ。
それを除けば、男言葉に近い話し方といい、むしろ私だってあまり女性らしい振る舞いをしているとは言い難い。
よもや彼女は、私を髪の長さだけで女らしいと認識しているのではなかろうか。
俄かに浮上した疑念に妙な顔をする私を尻目に、リグルはあっけらかんと言う。
「あはは。さすがに慧音までとなると、ちょっと難しいかな。そうだね」
これくらいかな、とリグルは自分の肩の少し下辺りを指す。
「どうかな?」
「どう……と言われてもな。いいんじゃないか、好きにしたら」
答えようもなく私がそう言うと、リグルは困ったように苦笑した。
「もう……なんだか投げやりだなぁ。もうちょっとくらい親身になってくれても、バチは当たらないよ?」
「うーん、いや、まあそうは言ってもな。別に、そこまで気にすることでもないんじゃないか。正直、言うほど短いわけでも」
言いながら、私は何の気なしに手を伸ばして、リグルの頬と髪の間に手をいれる。
細い髪がさらり、と抵抗なく持ち上がり、陶磁器のように白く滑らかな首筋が露になった。
「あ、わ。け、けいねっ!」
「え?」
かあっ、と。
瞬間、沸騰したようにリグルの顔が赤く染まった。
悲鳴に近い、声。
「す、すまない」
驚いた私は、慌てて手を引っ込める。
「悪かった、そんなに嫌がるとは思わなくて」
「あ、いや、えと」
私が頭を下げると、リグルはぱたぱたと手を振った。
「い、嫌とか、そういうわけじゃないけど、でも、その、あんまり突然だったから、えと」
もごもごと口の中で言葉がくぐもる。顔を伏せ、もじもじと膝をこすり合わせて、落ち着かなげに肩を竦める。
その仕草はいかにも女の子めいていて―――私は、ふいにどきりと胸を高鳴らせた。
同時に、何故か無性に沸いてくる、言いようのない罪悪感。
「本当にすまない。そうだな、考えてみればいきなり髪に触られて、いい気分がするわけはなかったな。少し考えなしだった」
「え、っと、慧音、いやそれは」
「親しき仲にも礼儀ありと言うしな。仮にも教鞭を振るう者にあるまじき、礼を失した行為だった。もうこんなことはしない。約束する」
「あのさ、慧音。だからさ」
「リグルだって、女の子だものな。なんでもない他人になんて」
「けいねっ!」
少し混乱して、次から次へと言葉を言い繕っていた私は、その迫力に息を呑んだ。
リグルは、静かな声で、言う。
「違うよ、慧音。それは、違う」
リグルは、私の手をとると、ぎゅっと握りしめた。
驚き、とっさに逃れようとする私の手を、しっかりと押さえ込んだ。
赤い顔で、しかしすごく真剣な眼差しで、私の目をまっすぐに見つめた。
「……嫌なんかじゃない。嫌なはず、ないよ、慧音。むしろ、すごく嬉しかったんだ」
ほら、とリグルは、私の手をとったまま、自身の頬にあてがった。少し熱を持った、柔らかい感触が、手のひらに収まる。
「あ……」
「ね? これだけで、私、すごくどきどきしてる」
しっとりと潤んだ、熱に浮かされたような瞳。甘えるように微笑んで、私をじっと映しこんでいる。
その目に一瞬見惚れかけ、しかし訳もなく不可思議な焦りを感じた私は、慌てて熱い手を振り解こうと力を込めた。けれども、同時にぴたりと動きを止めざるを得なかった。
懸命な少女の瞳の奥。微かに、怯えたような色を見つけてしまったからだった。
下がった眉。震える睫毛。拒絶を恐れるように、不安げに揺れる、目。
……その目は、反則だ。
私は肩から力を抜いた。はぁ、とため息を一つ。
すると、とたん安堵したように、少女は笑みを深くする。
それがなんとなく憎らしくて、そっと頬を撫でさすってやった。咽を鳴らすように、くつくつとリグルが笑う。
「くすぐったいよ」
構わずに手を動かした。リグルは、むずがるように身を捩る。首を傾け、頬を撫でる私の手に、猫みたいに顎をこすりつけた。
その仕草が可愛くて、私は思わず吹き出してしまう。
少しだけ、こそばゆくて、優しい時間。
「……なあ、リグル」
「ん?」
だから、私がさらりと彼女に尋ねたのも、きっとこの空気にあてられてのことだったのだ。
一つだけ、気になっていたことがあった。
「どうして、急に髪を伸ばそう、なんて思ったんだ?」
「……男の子っぽいのが嫌だったからって、言わなかったっけ」
「だから、それはどうしてか、ということだ。今までは、然程気にしてもいなかったじゃないか」
「……知りたい?」
私が頷くと、リグルはちょっと困ったような笑顔で、目を泳がせた。
悩むように、しかし焦らすように一声唸ると、ぽつん、と呟くように言う。
「見て欲しかったから、かな。ちゃんと女の子してる、私を」
「誰に?」
リグルは微笑んだ。私の手をとって、重ねた自分の手ごと口元まで運んでくる。
隠すように覆うと、私の手のひらに悪戯っぽく口をつけた。甘く、肉を噛む。
蕩けるような上目遣いで、囁くように言った。
「な、い、しょ」
こしょこしょと触れる唇が、ほんのちょっぴりだけ、くすぐったかった。
あの、ふと見せる乙女の感じが良いんですよね!堪らん!!!
なんて素敵で珍しいカップルだ。あなたに3段を認定しよう。(何の?)
どこのどいつだ出てこいよ
ああ、ちょっと前までの俺だ
ごめんね、今年は蚊取り線香炊かないから許して
ウドンゲッショーのリグルなんて見えない知らない。
リグルは貴方の作品がリグルだ!
続き楽しみなのは俺だけか。
砂吐くほどにまじあめぇ