むくりと起きあがった私は、室内の熱気よりも、微かな太陽光よりも、自身が横たわるベッドに違和感を覚えた。
ふわふわなのだ。もしくは、ふかふか。仮に跳ねれば飛べるんじゃなかろうか。
靄がかかった覚醒しきらない頭へと手を当て、唸るように呟く。
「ここ、どこ……?」
言いつつも、しまったと思う。
疑問を持つという事は現状を理解する上で重要だ。
しかし、言葉に出してしまうのは拙かった。が、もう遅い。
胃が引っくり返ったかのような不快感が襲ってくる。
単純な話だ。思うだけならば一回だが、口にすれば二回になる。何が。不安が、だ。
脈拍が速くなる。頭がずきずきと痛む。喉が渇く。
けれど、思考は一向に纏まらなかった。
胸に手を当て、恐る恐る首を左右に振る。
年代物の家具。
小ざっぱりとした机に置かれた厳めしい三面鏡。
誰が描いたかは覚えていないが、誰もが知っているような中世期の絵画。
改めて、思う。私はこのベッドを、この部屋を、知らない。
急激に血が引き、身じろぎをする――と、何かに触れた。
自身の冷たい指先が感じるのは、柔らかくも温かい感触。
とくんとくんと、静かに上下している。
あぁ……――私の意識は、漸く覚醒した。
とは言え、相変わらず此処が何処だかは頭に上がらない。
構わなかった。もう、此処が何処であろうが構わなかった。
彼女がいる。
相棒が横にいる。
メリーが、少し擽ったそうな寝顔を浮かべ、隣にいる。
マエリベリー・ハーンが傍にいるならば、宇佐見蓮子は、此処が何処であろうと怖くはなかった。
そう、例え、永遠に光が届かない常闇の底であろうと。
或いは身の毛もよだつ吸血鬼の居城であろうと。
ごめん、やっぱりちょっと怖い。
……んぁ?
「んぅ、……れんこぉ?」
寝起き独特の間延びした呼び声に、思考に沈みかけた私は顔をあげる。
視界に映るのは、くしゃりとしたシーツを胸元にあげた寝ぼけ顔のメリー。
シーツと同様、雪のように白い肌には、ワンポイントの小さな黒子が一つあった。鎖骨の下辺り。
置かれた現状も忘れ、私は微笑んだ。
「おはよう、メリー。今日もいいおっぱいね」
一瞬後、私は宙に弧を描き、飛んだ。逆さまに見たカーテンの奥の太陽は、あぁ、黄色い。
「痛いよぅ痛いよぅ」
「はいはい。自業自得よ」
「え、私、何か悪いことした?」
首を傾げると、きっつい突っ込みが飛んできた。目と手。
「いひゃいいひゃいいひゃい!?」
「貴女、善悪の区別もつかなくなったのかしら?」
「ここはだれ、わたしはどこ? あ、嘘! 私、蓮子! 今、貴女の目の前にいるの!」
頬を捻る手は下ろされたが、向けられる視線は変わらぬまま。
可笑しい。以前、同様の事をメリーにされた私は腰が抜けそうになったと言うのに。
『私、メリー。今、貴女の後ろにいるの。……人を待たせておいて立ち読み?』
『私はたたない。あ、そうでもないか。にぷぎぎぎぃ!?』
――うん、あん時は怖かった。
「もう、いいから、騒がないで頂戴。昨日のワインがまだ抜けてないんだから……」
「はぁ~、こりゃ、メリーさんは優雅ですのぅ。あたしゃポン酒で結構ですわぃ」
「どういうキャラ作りよ。と言うか、昨日は貴女もワインだったじゃない」
そう言えばそうだった。日本酒の喉を焼く感覚が恋しい。
「……ん? と言う事は、此処は……」
呟く私に、メリーが呆れと驚きが半々に混じった表情を向けてくる。
「蓮子、本当に此処が何処か忘れていたの?」
「うん。でも、思い出した」
「なんて記憶力……」
聞こえないふりをして、私はぽんと手を打った。
「ホテル『桃魔館』」
「You can fry!」
「オゥイェァ!」
私は今日、三度、空を舞った。二回目はさっき。一回目は、ほら、比喩表現?
仰向けに寝転がる私の顔を覗きこみ、メリーが眉根を寄せた。
「貴女、こっちに来てから下世話さが増してない?」
「私よりやらしい奴に会いに行く」
「どんなキャッチコピーよ」
やばい。ずた袋を担いだ私、凄い絵になる。気がする。
「いい? 此処は」
「『おひるねピエロ』」
「行った事ないでしょう!?」
メリーの声が荒くなった。
ちょっとやりすぎたかもしれない。
うん、やりすぎたからね、反省してるからね、馬乗りはどうかと思うの。
メリーは私の肩を掴み、がっくんがっくん揺さぶった。
「いつも私か貴女の部屋でしょう!?」
「あのー」
「ええそうね、貴女の実家にも行ったわね!」
「えとー」
「あの時は凄かった! 眠るご家族の――さっきから何よ蓮子! する!?」
するかしないかと言われたら、その、する。メリーを食わねば蓮子の名がすたる。
……じゃない。肩を揺さぶられた状況で口を開くほど私は馬鹿ではない。
つまり、先程から声を発しているのは……え、誰?
私とメリーは、同時に首を入口の方へと向けた。
「あぁ、とりあえずはご挨拶ですね。おはようございます、蓮子さん、メリーさん」
扉の先、廊下から頭を下げるのは、紅い長髪の長身の女性――‘華人娘‘紅美鈴さん。
「美鈴さん!? おはようございます」
「えと、おはようございます!」
メリーと、彼女から解放された私は、ベッドの上で正座をして頭を下げた。
返答に頷き、美鈴さんは続ける。口元には微苦笑が浮かんでいた。
「お嬢様や妹様のお客人に失礼かとは思ったんですが、その、幾つか伝えさせて頂きますね。
一つ。お二方及び当館のメイドたちは爆睡中。余り大声を出されないようお願いします。
一つ。お二人ともかなり呑まれていたので、朝食は粥に致しますね」
顔を見合わせる私たち。メリーはばつの悪い表情をしている。私も同じだろう。
「ごめんなさい。それと、ありがとうございます」
言葉までも重なった。
くすりと美鈴さんは笑い、場の空気が軽くなる。
或いは、彼女がそうさせたのかもしれない。眼前の麗妖の『力』は、そういう類だと聞いている。
「お持ち致しますね」
「あ、いえ、そこまでしてもらう訳には」
「食堂は一階でしたよね? すぐに向かいます」
こういった時、互いに引かず……と言うのは良くある話。
が、美鈴さんは容姿に比例して、大人の女性だ。
此方の申し出を快諾してくれた。
「では」――戸を閉めようとする美鈴さんだったが、ふいに悪戯気な笑みを浮かべる。
綺麗なお姉さんの、少し子どもっぽい表情。やだもう可愛い。
……思っただけだから頬を捻るのは勘弁よ、マイダーリン。
戯れる私たちに、美鈴さんは変わらずの表情を向けてくる。やっぱり大人だ。
「もう二つ、追加させて頂きますね。一つ、昨晩はお楽しみだったようで。ふふ」
「メリーが寝かせてくれませんでした」
「美鈴さんも蓮子側でしたか!?」
側ってなんだ。
「や、メリー、違う気がする。美鈴さんはきっと、美味しい所を持っていくタイプよ」
「なによその洞察力。――え、でも、どうして、その……?」
「いえいえ、簡単な推測ですわ」
鈴の音の様な声を残し、美鈴さんは戸を閉めた。
「最後の一つ。食堂へは服を着てから来てくださいね」
なるほど、簡単な推測だ。わーぉ。
兎にも角にも。
長期休みを利用して、私とメリーは幻想郷へとやってきた。
人里で出会ったレミリアとフランに誘われて、此処、紅魔館に泊めてもらっている。
昨日は昨日で楽しかったけど、きっと、今日も楽しいに違いない!
「んー! よーっし、腹が減っては何とやら、まずはお粥を頂きましょう、メリー!」
腕を伸ばし気合を入れて、私は、ウィンク一つを共に過ごす相棒に送るのだった――。
「お願い、今、そういうポーズとらないで。胸が……」
「見えてるけど揺れないでしょうって、やかましいわ!」
「言ってないでしょうに。それに、私の理性は揺さぶられたわ」
<幕>
ふわふわなのだ。もしくは、ふかふか。仮に跳ねれば飛べるんじゃなかろうか。
靄がかかった覚醒しきらない頭へと手を当て、唸るように呟く。
「ここ、どこ……?」
言いつつも、しまったと思う。
疑問を持つという事は現状を理解する上で重要だ。
しかし、言葉に出してしまうのは拙かった。が、もう遅い。
胃が引っくり返ったかのような不快感が襲ってくる。
単純な話だ。思うだけならば一回だが、口にすれば二回になる。何が。不安が、だ。
脈拍が速くなる。頭がずきずきと痛む。喉が渇く。
けれど、思考は一向に纏まらなかった。
胸に手を当て、恐る恐る首を左右に振る。
年代物の家具。
小ざっぱりとした机に置かれた厳めしい三面鏡。
誰が描いたかは覚えていないが、誰もが知っているような中世期の絵画。
改めて、思う。私はこのベッドを、この部屋を、知らない。
急激に血が引き、身じろぎをする――と、何かに触れた。
自身の冷たい指先が感じるのは、柔らかくも温かい感触。
とくんとくんと、静かに上下している。
あぁ……――私の意識は、漸く覚醒した。
とは言え、相変わらず此処が何処だかは頭に上がらない。
構わなかった。もう、此処が何処であろうが構わなかった。
彼女がいる。
相棒が横にいる。
メリーが、少し擽ったそうな寝顔を浮かべ、隣にいる。
マエリベリー・ハーンが傍にいるならば、宇佐見蓮子は、此処が何処であろうと怖くはなかった。
そう、例え、永遠に光が届かない常闇の底であろうと。
或いは身の毛もよだつ吸血鬼の居城であろうと。
ごめん、やっぱりちょっと怖い。
……んぁ?
「んぅ、……れんこぉ?」
寝起き独特の間延びした呼び声に、思考に沈みかけた私は顔をあげる。
視界に映るのは、くしゃりとしたシーツを胸元にあげた寝ぼけ顔のメリー。
シーツと同様、雪のように白い肌には、ワンポイントの小さな黒子が一つあった。鎖骨の下辺り。
置かれた現状も忘れ、私は微笑んだ。
「おはよう、メリー。今日もいいおっぱいね」
一瞬後、私は宙に弧を描き、飛んだ。逆さまに見たカーテンの奥の太陽は、あぁ、黄色い。
「痛いよぅ痛いよぅ」
「はいはい。自業自得よ」
「え、私、何か悪いことした?」
首を傾げると、きっつい突っ込みが飛んできた。目と手。
「いひゃいいひゃいいひゃい!?」
「貴女、善悪の区別もつかなくなったのかしら?」
「ここはだれ、わたしはどこ? あ、嘘! 私、蓮子! 今、貴女の目の前にいるの!」
頬を捻る手は下ろされたが、向けられる視線は変わらぬまま。
可笑しい。以前、同様の事をメリーにされた私は腰が抜けそうになったと言うのに。
『私、メリー。今、貴女の後ろにいるの。……人を待たせておいて立ち読み?』
『私はたたない。あ、そうでもないか。にぷぎぎぎぃ!?』
――うん、あん時は怖かった。
「もう、いいから、騒がないで頂戴。昨日のワインがまだ抜けてないんだから……」
「はぁ~、こりゃ、メリーさんは優雅ですのぅ。あたしゃポン酒で結構ですわぃ」
「どういうキャラ作りよ。と言うか、昨日は貴女もワインだったじゃない」
そう言えばそうだった。日本酒の喉を焼く感覚が恋しい。
「……ん? と言う事は、此処は……」
呟く私に、メリーが呆れと驚きが半々に混じった表情を向けてくる。
「蓮子、本当に此処が何処か忘れていたの?」
「うん。でも、思い出した」
「なんて記憶力……」
聞こえないふりをして、私はぽんと手を打った。
「ホテル『桃魔館』」
「You can fry!」
「オゥイェァ!」
私は今日、三度、空を舞った。二回目はさっき。一回目は、ほら、比喩表現?
仰向けに寝転がる私の顔を覗きこみ、メリーが眉根を寄せた。
「貴女、こっちに来てから下世話さが増してない?」
「私よりやらしい奴に会いに行く」
「どんなキャッチコピーよ」
やばい。ずた袋を担いだ私、凄い絵になる。気がする。
「いい? 此処は」
「『おひるねピエロ』」
「行った事ないでしょう!?」
メリーの声が荒くなった。
ちょっとやりすぎたかもしれない。
うん、やりすぎたからね、反省してるからね、馬乗りはどうかと思うの。
メリーは私の肩を掴み、がっくんがっくん揺さぶった。
「いつも私か貴女の部屋でしょう!?」
「あのー」
「ええそうね、貴女の実家にも行ったわね!」
「えとー」
「あの時は凄かった! 眠るご家族の――さっきから何よ蓮子! する!?」
するかしないかと言われたら、その、する。メリーを食わねば蓮子の名がすたる。
……じゃない。肩を揺さぶられた状況で口を開くほど私は馬鹿ではない。
つまり、先程から声を発しているのは……え、誰?
私とメリーは、同時に首を入口の方へと向けた。
「あぁ、とりあえずはご挨拶ですね。おはようございます、蓮子さん、メリーさん」
扉の先、廊下から頭を下げるのは、紅い長髪の長身の女性――‘華人娘‘紅美鈴さん。
「美鈴さん!? おはようございます」
「えと、おはようございます!」
メリーと、彼女から解放された私は、ベッドの上で正座をして頭を下げた。
返答に頷き、美鈴さんは続ける。口元には微苦笑が浮かんでいた。
「お嬢様や妹様のお客人に失礼かとは思ったんですが、その、幾つか伝えさせて頂きますね。
一つ。お二方及び当館のメイドたちは爆睡中。余り大声を出されないようお願いします。
一つ。お二人ともかなり呑まれていたので、朝食は粥に致しますね」
顔を見合わせる私たち。メリーはばつの悪い表情をしている。私も同じだろう。
「ごめんなさい。それと、ありがとうございます」
言葉までも重なった。
くすりと美鈴さんは笑い、場の空気が軽くなる。
或いは、彼女がそうさせたのかもしれない。眼前の麗妖の『力』は、そういう類だと聞いている。
「お持ち致しますね」
「あ、いえ、そこまでしてもらう訳には」
「食堂は一階でしたよね? すぐに向かいます」
こういった時、互いに引かず……と言うのは良くある話。
が、美鈴さんは容姿に比例して、大人の女性だ。
此方の申し出を快諾してくれた。
「では」――戸を閉めようとする美鈴さんだったが、ふいに悪戯気な笑みを浮かべる。
綺麗なお姉さんの、少し子どもっぽい表情。やだもう可愛い。
……思っただけだから頬を捻るのは勘弁よ、マイダーリン。
戯れる私たちに、美鈴さんは変わらずの表情を向けてくる。やっぱり大人だ。
「もう二つ、追加させて頂きますね。一つ、昨晩はお楽しみだったようで。ふふ」
「メリーが寝かせてくれませんでした」
「美鈴さんも蓮子側でしたか!?」
側ってなんだ。
「や、メリー、違う気がする。美鈴さんはきっと、美味しい所を持っていくタイプよ」
「なによその洞察力。――え、でも、どうして、その……?」
「いえいえ、簡単な推測ですわ」
鈴の音の様な声を残し、美鈴さんは戸を閉めた。
「最後の一つ。食堂へは服を着てから来てくださいね」
なるほど、簡単な推測だ。わーぉ。
兎にも角にも。
長期休みを利用して、私とメリーは幻想郷へとやってきた。
人里で出会ったレミリアとフランに誘われて、此処、紅魔館に泊めてもらっている。
昨日は昨日で楽しかったけど、きっと、今日も楽しいに違いない!
「んー! よーっし、腹が減っては何とやら、まずはお粥を頂きましょう、メリー!」
腕を伸ばし気合を入れて、私は、ウィンク一つを共に過ごす相棒に送るのだった――。
「お願い、今、そういうポーズとらないで。胸が……」
「見えてるけど揺れないでしょうって、やかましいわ!」
「言ってないでしょうに。それに、私の理性は揺さぶられたわ」
<幕>