――「私の三つ目の目は、貴女の考えている事を嫌でも教えてくれるのよ」
* * *
今日は、特別な日なの。とってもとっても、大切な日。
だから私は今、珍しく一人で荒んだ廃獄を歩いている。
霧が深い、でこぼこの岩や枯木だらけの荒野をとことこ、旧都へ向かって歩を進める。じゃりじゃりとスリッパの裏に小石が当たって、なんだかとてもくすぐったい。仕方ないじゃない、今まで殆ど外に出る機会が無かったんだから。スリッパでお出掛けなんて、可笑しいわよね。ずっと昔に履いてたブーツは何処かへ行ってしまったわ。
だんだん霧が浅くなる。ふと道端に、目を留める。何か光るものが見えたのだ。
しゃがみ込んで、拾い上げる。
「・・・これは」
落ちていたのは、ダイヤモンドを象った、小さな服のボタンだった。
私はそれを落っことしてしまわないように丁寧にポケットに入れた。
――もう絶対に、落としたりなんかしないから。見失ったり、しないから。
* * *
昼前には旧都に着いた。今日も今日とて、多くの妖怪で賑わっている。
――地霊殿とは、大違いだ。
そんなことを考えて、くすり、小さく笑ってしまう。
私は目的の店に向かい、狭い路地を何度も曲がりながら歩く。旧都は元々、今よりずっと大きな都市だった。それが、地獄のスリム化で縮小され、こんな裏路地が沢山できてしまった。おかげで歩きにくいこと山の如しだ。
四半刻ほどのんびり歩いて、到着。
暗く狭い路地裏にひっそりと構える、店と呼ぶには疑問符が付くようなぼろぼろのレンガ造りの建物だった。しかし私は何度も来ているので、迷わず店内へ入る。
からんからん。錆びて変色した重々しい扉を開けると、そんな乾いた音が聞こえた。毎度来るたびに聞こえる呼び鈴は、なぜかとても懐かしく感じられる。
「ごめんくださぁい」
控えめに挨拶をしつつ、奥へ進む。カウンターには、やっぱり毎度同じように、店主が安楽椅子をぎいぎい軋ませながら座っている。
仏頂面で、静かに本を読んでいる彼女に、私は話し掛ける。
「こんにちは、幽香さん。お久しぶりですね」
微笑みながら挨拶すると、店長――風見幽香は顔を上げて私の瞳を覗き込む。そうして、ふっと少しだけ頬を緩めた。
「あら。あなたが来るなんて、もうそんな季節かしら」
そう言った彼女の横顔は、ほんの少し影が差していた。
「今年は何にする?」
幽香は立ち上がり、カウンターの奥に入りながら言う。
「・・・薔薇を、お願いします」
私は店内を歩き回りながら言う。
ショーケースを覗いていると、小さな花瓶を見つけた。挿してある花は、これまた小さな、薔薇だった。
紅い紅い、薔薇。
「色は?何色が良い?去年はなんだったっけ」
彼女はカウンターから顔だけ出して言う。
「去年は鈴蘭です。花言葉は、――」
「「――意識しない美しさ」」
二人の声が重なる。
昨年鈴蘭の花言葉を聞いたとき、私は彼女に似合うと確信した。・・・実を言うと今年も鈴蘭にしようかと思っていた。しかし同じ花ばかりでは彼女も飽きてしまうだろうと考え直し、彼女が生前好きだった薔薇を選ぶことにした。
「・・・あの、紅い薔薇の花言葉は何ですか?」
目の前の小さな薔薇に手を触れて、聞いた。
「『死ぬほど恋い焦がれています』」
幽香がこちらへやって来て、言った。
小さな紅い薔薇は、窓から吹き抜ける春の風を受けて、これまた小さな花びらを、ひらひらはためかせていた。
いつまでも。
* * *
私は貴女のために、何をしてあげられたでしょうか。
私は貴女のために、何かしてあげられたでしょうか。
小さな小さな命でした。
でも私にとっては、どうしようもなく大きな、大切な、たったひとつの命だったのです。
心を読む妖怪は、見透かされると恐れられ、見暴かれると虐げられ、それでも猶、数え切れない心たちを、見たくもない心たちを、どうにもならぬと見せられてきた。
だのに何故、どうして、たったひとりの可愛い可愛い肉親の、不安な孤独な心の傍に、私は居てあげることが出来なかったのですか?
どうしてあの子の苦しみを、共に味わわせてくださらかったのですか?
――ねえこいし。私は駄目なお姉ちゃんだよね。
* * *
私は帰り道、道端に小石が落ちているのを見つけた。
なんの変哲もない、どこにでもあるような石ころだった。
私はそれを拾い上げ、丁寧にポケットに入れると、歩き出した。
* * *
地霊殿の一室。
窓は開いて、白いカーテンが春の風を受けて靡いている。
ベッドの傍、小さなテーブルの上に、小さな花瓶があった。
花瓶には、小さな紅い薔薇が挿してある。
隣には、小石が置かれていた。
薔薇は、春の陽気な風に任せて、小さな花びらを躍らせている。
「 」
ふと、誰かが何か言った気がしたが、その声を聞ける者は、もうここには、ひとりも居ない。
こういった暗い雰囲気好きです