――7月11日
今日は天気が良かったので、お嬢様と一緒に湖へ遊びに行った。
水辺に木製のテーブルと椅子を置き、湖上で遊んでいた妖精を招いて、小さなお茶会を開催した。
茶菓子を雑に食い散らかす妖精の顔を見つめながら、お嬢様は静かに微笑んでいた。
「お前は……変わらないでいてくれるのね」
そう言うお嬢様の笑顔に、かつての明るさは一片も見えなかった。
――7月12日
私は驚きで言葉を無くした。
掃除の為にお嬢様の部屋へ訪れてみると、お嬢様が自らの手首を喰い千切っていたのだ。
ぶちゅーっと間抜けな音を発てながら、噴水の様に宙を舞う血。血。血。
真っ白な絨毯をその鮮血で染め上げながら、お嬢様は静かに泣いていた。
涙を流しながら、泣き疲れた子供の様に無言で立ち尽くしていた。
洗ったばかりのメイド服が血に汚れるのも気にしないで、私はその肩を抱いた。
昔と変わらない、その小さな小さな肩を。
昔と変わらない、精一杯の優しい笑顔で。
――7月13日
久しぶりに太陽が顔を出したこの日。突然、屋敷の中からお嬢様が消えた。
息を切らして湖へ向かうと、そこには一着のドレスが落ちていた。
何かの煤で汚れたその桃色のドレスは……間違いなく私の見慣れた※※※※※※※※※
※※嘘だ※※嘘だ嘘だウソだ嘘だ嘘だ嘘だ※※※
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――7月13日
屋敷にお嬢様がいない。どうしたんだろう。
あの人の気紛れには慣れっこだけれど、今日は陽射しが強いから心配だ。
明日になっても帰って来ない様なら、探しに出てみようと思う。
全く……困った800才様だ。
――7月13日
昼食を部屋へ持っていくと、お嬢様の姿が消えていた。
また、いつもの放浪癖だろうか。
全く……従者泣かせのお嬢様である。
――7月13日
お嬢様が消えた。どうしたんだろう。
――7月13日
お嬢様が居なくなってしまっ※※おかしい※※※※
――7月13日
お嬢様が※※※※※ ※ ※※※
――7月13日
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――7月13日
何も無かった。
――7月13日
――7月13日
――7月13日
――7月13日
――※※※※※
――7月13日
どうして私はお嬢様を救えなかったのだろう。
どうして300年以上一緒にいたのに、あの時お嬢様の変化に気付けなかったのだろう。
私はお嬢様の一番の理解者であった筈なのに。
どうして。何故。
私は心からお嬢様を愛していたのに。
どうして。どうして。どうして。どうして! どうして――
どうして、時は戻らないのだろう。
――7月30日。
屋敷の庭に、お嬢様のお墓を作ってあげた。
門番の隣は嫌だろうから、この屋敷の頭脳と妹様に挟まれる形で。
十字の墓石を建てて、沢山の花を植えた。お嬢様の大好きだった赤色の薔薇で、お墓の周りを一杯にした。
ポンポン。
そんな作業をしていると、誰かが私の肩を叩く感触がした。
昔お嬢様がよくやっていた様に、「一緒に遊びなさい」と命令された気がした。
大丈夫ですよ、お嬢様。私は……もうすぐ貴方を抱きしめにいきますから。
――8月6日
静かになった屋敷の書斎。以前お嬢様が好んでしていた様に、その部屋のロッキングチェアに深く腰掛けて、私は古いアルバムを開いた。
その中は――止まった時で満たされていた。まだ幸せだったあの頃で満たされていた。
ポタリポタリ。
涙が頬から落ちた。涙が零れて止まらなくなった。
子供の様に大きな声を上げて、私はただただ泣き続けた。
今は亡き大切な主人を想い、泣き続けた。
お嬢様、大好きです。頼りないメイドで……ごめんなさい。
――8月13日
私は――なくのを止めた。
◆
「あたいったらザ・ストロングェストね!」
「お、置いてかないでよぉ~」
風の様に早く空を抜けていく氷の妖精を、緑色の髪をした大妖精が追い掛ける。
日々成長を重ねる氷精の力は、今や幻想郷でも指折りものである。
別に本気を出していなくとも、ちょっと力の強い妖精程度が追い付ける訳が無い。
「ん?」
湖に向かっていたはずが、突然進行方向を変え、無人の寂れた屋敷の庭へ降り立つ氷精。
大妖精が大慌てでその背中を追いかけると、庭に並んだ沢山のお墓を前にして、彼女は無言で立ち尽くしていた。
いつになく真剣な顔で、ただ墓石を見つめていた。
「ねぇ、このお墓の人達って……」
「大ちゃんはちょっとここで待ってて」
音もなくその場から消え去り、音もなく氷精は帰ってきた。
その手中にあるのは、煤の様なもので汚れたメイド服と銀のナイフ。
桃色のお墓の前で行儀悪く豪快に座り込み、氷精はその墓石へメイド服を強く巻き付けた。
そして手にしたナイフを地面に差し込み、二度、大きな拍手を響かせた。
「一人仲間外れはかわいそうでしょ? このバカ吸血鬼」
そう氷精が言い終えた途端。ナイフの銀色に亀裂が入り、刃は粉々に砕け散った。
地面へと降りかかっていく、キラキラと光る銀色の破片。
その様子はまるで、たくさんの涙が地面へ落ちていく様で……
こうして――1つの運命(じかん))が終わりを告げた。