十六夜咲夜は完全で瀟洒な従者である。
当然生来の素質もあるだろうが、何よりも彼女自身の努力の賜物だろう。
それはまさしく、血のにじむような特訓であった。
「かしこまりました、お嬢さま」という言葉を噛まずに、それでいて早口にならずに言えるようになるまでに、どれだけの時間を費やしただろうか。
紅茶を淹れる際、腰の屈め方の完璧な角度を発見するまでに、何度鏡の前で練習しただろうか。
廊下に響く靴音から緩やかに上がる口元まで、十六夜咲夜は完全で瀟洒な従者なのである。
―――そんなある日のこと。
「お前は完璧よ、咲夜」
従者の主はちらりと視線を動かして、優しく微笑んだ。
地に沈んだ夕日の残滓を片頬に受けるその顔は幼くも艶やかで、そして儚い。
レミリアの物憂げな様子に、咲夜はいつも通りの涼やかな微笑で返す。
「恐れ入ります」
「ええ、本当に素晴らしいわ。
……でもね」
レミリアは咲夜の整った顔をしっかりと見据えた。
「たった一つ。お前には、欠点がある」
咲夜は答えない。
「それさえ直せば完全で瀟洒な従者だけど、今のままなら不完全で瀟洒な従者だわ」
レミリアはそう言ってひらひらと右手を振った。退室を促す合図だ。
美しく礼をし、時を止めようとした咲夜をレミリアは「ああ、そうそう」と引き止めた。
「ねえ、咲夜」
「何でしょうか」
「今日のおやつはプリンが良いわ」
微笑むレミリア・スカーレット。
プリン。
そんな言葉も彼女のカリスマを損なわせはしないのだ。
これが、完全ということ。
咲夜は「かしこまりました、お嬢さま」と完全で瀟洒な返事をする。
そして、消失。
咲夜はううむ、と難しい顔で考えこんでいた。
彼女の頭を悩ますのは勿論先ほどレミリアの放った言葉である。
―――欠点。そして不完全。
どちらも紅魔館のメイド長を司る者にはあるまじき単語である。
彼女は今まで数多くの壁を乗り越えてきた。また一つ欠点を直すことなんてお茶の子さいさいなのである。
しかし、今回は少しばかり勝手が違っている。
根本的な問題、彼女の唯一の欠点が何であるかということ。
それが咲夜には全く見当がつかなかったのだ。そもそもそれが分かっていたのなら、主に指摘される前に直している。
「参ったわね……」
咲夜はぽつりと零した。完全で瀟洒な従者だって弱気になることもある。しかも今は、不完全で瀟洒な従者でもあるのだから尚更だ。
何とかこの状況を打開しなくては。
数分後、彼女が打ち出したのは『他人に相談する』という何ともシンプルなアイデアだった。
しかし彼女にとっては前代未聞の初体験である。相談なんてものは、まさしく未熟な者のすることだと思っていたからだ。
今だって本当はそんなことはしたくない。だが背に腹は代えられない。
よし、と気合いを入れたところで咲夜は再び一つの問題にぶち当たる。
相談相手がいない。
したことがないのだから当然だ。
彼女はその事実にわずかに動揺する。今まで省みることもなかった対人関係だが、こうしてみるとその心細いこと。
自分のことをそれなりに知っていて、それなりに親しい相手。
霧雨魔理沙と博麗霊夢の顔が浮かんだが、外部の者に洩らすにはよろしくない内容だ。
次に浮かんだのはレミリアの顔だった。本人に尋ねてどうするとセルフツッコミ。
パチュリーとフランドールも、主人の親友と妹という関係だ。あまりにも畏れ多い。
次々と自分を慕う妖精メイド達を思い浮かべるも、直属の部下に弱みは見せたくない。それは咲夜の矜持であった。
他に誰か。誰か紅魔館にいなかったか―――。
「……あ」
いるではないか。
紅魔館と外地の境。聳え立つ鉄門の前に。
「なるほど、それでこんな所に」
「こんな所って、ここも紅魔館の一部よ。卑下する必要なんて無いわ」
「あ、いや、そんな深い意味で言ったわけでは無いんですが……」
苦笑するのはこの館の門番、紅美鈴その人である。
初めこそ驚いていたものの、美鈴は咲夜を快く迎えた。
門番とメイド長では接点は多いとは言えないが、同じレミリアに仕える従者である。
誰にでも気さくな美鈴は、咲夜相手にもあまり物怖じをしないから話しやすい。
紅魔館の者であり、咲夜の部下であり、それでいてメイドと門番という程よい距離。
これほど相談に打ってつけの相手もいない。
何故もっと早く気がつかなかったのかと、咲夜はやれやれとため息を吐いた。
「……で。その、どうかしら」
「はい?」
「だから欠点よ、欠点。何か気がついたことはない?」
「ありますよ」
「そう。そうよね……え?」
「私、わかります」
満面の笑み。
あまりにもスムーズな展開に咲夜は数度瞬きをしたが、客観的に見れば明らかなことなのかもしれない。
もっと早く、誰か教えてくれれば良かったのに……。
紅魔館の面々のことだから面白がっていたのかもしれない。そう思うと少々決まりが悪いが、終わったことは仕方がない。
咲夜はそれで、と美鈴を促した。
「咲夜さん、あなたに足りないのは―――」
美鈴は深く息を吸い込んだ。
「―――ツンデレですっ!」
「……つん、でれ?」
何だか刺々しい響きである。
「初めて聞く言葉ね」
「ええ、最近幻想入りしたみたいなんです。里で大ヒットしてるんですよ」
「そうなの?」
「はい。まあ説明すると長くなるので省きますが、つまりは“普段は冷たいのにたまに優しい”……ギャップにときめくってやつです」
咲夜は首を傾げる。それが自身の欠点と繋がるようには思えなかったのだ。
そもそもメイドにはギャップもときめきも必要ないものである。
「そこなんですよ!咲夜さん、あなたの欠点はそこなんです!」
美鈴の言葉は力強かった。
「咲夜さんは完全であることにこだわり過ぎなんですよ。……昔から」
「美鈴……?」
「人間の成長は早いです。でもやっぱり、咲夜さんは私たちにとって子供みたいなものなんです」
「ええ。そう、そうでしょうね。でも私は、だから完全でありたいのに」
「知ってますよ」
美鈴の大きな手がそっと白い頬を滑る。暖かな慈愛の手だ。
久しくそんな感情を与えられることのなかった咲夜は少し戸惑ったが、結局好きにさせることにした。
「……たまに寂しくなるんですよ、私。いつもクールな咲夜さんも素敵ですけど、無理してるんじゃないかなあって思って。
だからきっと、お嬢さまも」
レミリアの儚い顔を思い出す。
咲夜は胸が熱く震えるのを感じずにはいられなかった。無理をしていたわけではない。
しかし、完全であろうとするあまり、大切なことを忘れていたのかもしれないと思う。
完全だから、不完全。
皮肉な話だが、咲夜はもうそのことに気がついたのである。
美鈴は優しく咲夜のことを見つめている。
咲夜も美鈴をしっかり見つめて、小さく頷いた。
「わかったわ。私、やってみる」
彼女の美しい白銀の髪を夜風が優雅に揺らめかせた。
「―――その、ツンデレってやつを」
そして数時間後、彼女はレミリアに訓練の成果を披露していた。
一日も経たずにマスターできたのはやはり、彼女の血の滲むような努力があった為なのであるが、今はそんな無粋な話は置いておこう。
十六夜咲夜は完全に瀟洒な従者として姿を現した。それだけ知っておけばいい。
「どうでしょうか」
慎ましく尋ねる咲夜を、レミリアは美鈴と同じ慈愛の目で見つめていた。
吸血鬼だって、自分が拾い、名付け、成長を見守ってきた従者にはそれなりの愛着を抱くのである。
「咲夜……後ろを、向いてくれるかしら?」
「かしこまりました、お嬢さま」
咲夜がくるりと半回転すると、膝上の青いスカートがふわりと膨らむ。
レミリアはそのすぐ後ろに立つと、咲夜に顔だけで振り向くように告げた。
「あのね、咲夜。私は……」
「お前のエプロンの蝶々結びが、いつも逆さまだと言いたかったんだけど」
「……あっ」
後ろ手でエプロン結ぶと上下逆になりますね。なるほど!
血のにじむような特訓とは舌を噛み切ってしまうような特訓だったというのかwww
完全で瀟洒なツンデレ。美鈴GJ! ゴフッ(吐血)
フライイングマンの ち と にく
ゆうかんなる ぺ・ヨンジュン ここにねむる
これには流石のメイド長も猛省……!
あたい知ってるよ
flyの進行形はフライイングではありませんわってさくやが言ってた!
そりゃ後ろに目があるわけないし気づくわけないわなwww
ところで美鈴って咲夜の部下なの?
美鈴が咲夜の部下かは公式じゃないから微妙だよな。
西洋じゃ門番とメイドどちらが身分が下かと言ったらメイド(メイド長)のほうがずっと下だからなー
いつもサボリまくって咲夜さんに怒られてて立場が弱そうだけど、基本的には対等な同僚ってイメージがあるからなー。
でも、お話は良かった!
イメージとしては、従者の中にも門番隊とメイド隊があって、メイド長が十六夜さんで門番長が美鈴、でも便宜上十六夜さんがその統轄役ということになっている。
みたいな…感じでは駄目でしょうか…。駄目ですね。
自然に部下にしちゃってごめんよ美鈴。ご指摘ありがとうございました!