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博麗神社は消し飛ばされていた。
倒壊でも全壊でもなく――跡形も無もなかった。いや、何処かしらに木片は散らばっているだろうが。それを指差して博麗神社だといわれても、首を傾げざるを得ないのは確かだろう。
そもそも戦いの開始直後から、神社は半壊した。まばたきを数回した後には軋みを上げ、圧縮され、轟音を鳴らし、紙くずのようにひしゃげた。
境内とて同じことだった。均されていた土は、見る影も無く。整然と並んでいたはずの石畳は地盤がえぐれているため、意味を成していない。
そこにはいい訳も、容赦も、なにもなかった。物言わぬ博麗神社は逃げることも出来ず、復旧という言葉が思いつかないほど蹂躙される他なかった。
つまりは、
(流石に狭すぎたか……)
砂埃の舞う荒れ果てた荒野を見渡して、藍はつぶやいた。
こうなることは予想の範疇だったが、広域の異界を創る結界を敷くには、準備期間が不足していたのだ。
性急過ぎたのは否めないが、今更自らの不平を零したところで意味はない。なんにしろ、すべては過ぎたことだ。
藍は疲れを吐き出す心地で、吐息した。
「人間を恐ろしいと思ったのは、何百年ぶりだろう」
「その割には、余裕そうじゃない。一発殴らせなさいグーで」
剣呑に言う巫女は、荒れ果てた境内の一部と化していた。
巫女服はあられもなく破れ、ところどころが狐火によって塵尻になっている。力なく仰向けに倒れ、息も絶え絶えだった。
つまりは、それが結果だった。
「はー……疲れた。もう嫌になるぐらい疲れたわ。一生分疲れたわよ」
「まだ立ち上がれるか、霊夢。出し惜しみ無く、扱えるすべての力を振舞う事は出来たか?」
見下ろしながら問えば、霊夢は半眼で睨みつけてくる。
「んなの、見りゃわかるでしょうが……」
「そうか。よどみなく喋るから、まだ行けるのかと思ったよ」
実際のところ、藍は安堵していた。彼女とて、霊夢と大差ないほどに疲れ果てていたのだから。
仰向けに倒れたいのは、藍も同じだった。
ぎりりと、歯軋りの音が聞こえた。
「これは、あんたに、愚痴を言うために決まってるでしょ!」
途切れ途切れの、巫女の怒鳴り声が響き渡る。
霊夢は痛みに顔を歪めたが、境内の惨状を見回して、構わず喚きたててくる。
「ったくもう! どうしてくれんの、本当に? あんたなんなのよこれ、境内がめちゃくちゃで、神社なんて何処にも無いし、鳥居もヘコんでるわお賽銭も少ないしでどうしてくれんのよ!」
「お賽銭ばかりは、どうしようもないな」
淡々と返す藍に、腹を立てたのだろう。
霊夢は言う。
「うっさいこの馬鹿ぎつね! 馬鹿! 馬鹿!」
巫女が大声を上げる姿を見るのは、はじめてかもしれない。
霊夢は失念しているようだが、ここは異界だ。結界の中は、幻想郷を模しただけの異なる世界。つまりは、結界が解ければそこには変わらず博麗神社がある。
それに気が付かない程度には、霊夢も取り乱しているということだろう。
バカアホ死んでしまえと罵りを受けながら、藍は真言を唱えた。更地と化した博麗神社は拭い去られ、元の光景が広がる。
途端、罵詈雑言が止んだ。巫女はしばらく呆然とした様子を見せていたが、
「あー……そっか」
悟ったのだろう、ちいさくつぶやく。
そのまま、ぐったりとしてしまった。げほげほと咳き込む。興奮から冷め、疲労と苦痛を自覚したのかもしれない。
しばらく呼吸を整えていたようだが、やがて、ぽつりと言葉する。
「……なんで負けたのかしら」
その声は、純粋な疑問しか含んでいない。
藍は霊夢を見下ろしながら、静かに訊ねた。
「どうして、勝てると思ったんだ?」
「だって、負ける理由が無いじゃない」
「勝てる理由はあったのか?」
「……そういえば、無いわね」
憑き物が落ちたような、小さな応答。
それで納得したのかは判らないが――
博麗霊夢を形作る柱のうち、何本かの柱が折れたのは確かなことだろう。
霊夢はぼんやりとした面持ちで、言葉を漏らした。
「結局さ……」
「ああ」
見上げてくる。
その瞳を、正面から受け止める。
「あんた、何がしたかったわけ? ただ、わたしをぼこぼこにすることが目的だったの? だとしたら、怒ってもいいわよね」
霊夢からすれば、それ以外の捉え方は無いだろう。当然の理屈だ。
藍はかぶりを振って、否定した。
「結果的にそうなってしまったが、そういうわけではないよ」
「じゃあなんなの。いきなりこんなことされちゃあ、たまんないわよ」
巫女の言い分はもっともでしかない。
視線を虚空にやる。問われても、藍には上手く言葉に表すことが出来るか不安だった。
もとより、理屈も何もないことなのだ。巫女風に言うのなら、直感に従ったということだろう。
しかし、それをそのまま口に出すのは、流石に躊躇われる。
藍は言葉を捜した。
「このひと月……」
「ええ」
「お前を見ていて、思ったんだ。この人間は変わらない人間だと。誰が何を言おうと、誰が何をしようと、誰と触れ合おうとも、決してお前には届かない。一時的な変化はあったとしても、お前はあらゆる干渉からはずれ、変わることのない人間だと思った」
巫女は眉をしかめた。
それが苦痛によるものなのかは、判断が出来なかったが。
「なんか、ひどい言われようね」
うなずく。
「そうだな。でも、私はそう思ったんだ。そしてそれが、強ち間違いではないとも」
「そんなことないわよ……たぶん」
言葉尻も小さく、霊夢は零す。
思い当たる節が、あるのかもしれない。
「このままではいけないと感じたのだ。すべての存在は、数え切れぬ縁により支えられている。いや、互いに支えあっているというべきだろう。生きているものも、死んでいるものも、生物でないものも。そしてお前も私も、その中の縁のひとつでしかない」
前置きをして、続ける。
「だがお前はいずれ、そのあらゆる縁からも外れるだろうと思った。そしてさびしい結末を迎えるだろうと。それがお前の能力によるものなのか、それとも性格によるものなのかは判らないが……」
巫女は黙って聞き入っている。
吐息して、藍は口開いた。
「関心を引き出すことが重要だと思った。なんでもいい、とりあえず本気になってくれさえすればよかった。そしてその中で、世界にはいろいろな色が在ることを知って欲しかった。お前は無色ではなく、自分の色があるのだと悟って欲しかった。周りを見て、自分の存在をしっかりと認識して欲しかったのだ。お前にとって大きなお世話なのは、十分承知している」
言葉に出しながら、藍は自分の言葉が巫女に伝わっているのか不安だった。そもそも、自分でさえよく判っていないのだから。
物事を理路整然と並べ立てるのが、式だというのに。その根幹さえ成り立っていない。
歯噛みして、かぶりを振るう。
「すまない、うまく言葉に表すことが出来ない。よく判らないと思うが、こんなむちゃくちゃな説明しかできないんだ」
巫女は黙って耳を傾けていたが。
やがて呆れたような口調で、口を開いた。
「とにかく、わたしを本気にさせたかったわけ? それでガチンコ勝負になったの?」
「簡単に言えば、そういうことになる」
「あんた馬鹿でしょ」
間髪入れず、率直に言われる。
藍は思わず口篭ったが、言い返す言葉を持たなかった。項垂れるしかない。
「そうだな。そうかもしれない……」
「あんたの言ってること、全然判らないけどね。わたしを本気にさせたいなら、わんこそば対決でも持ちかければよかったのよ。そうすりゃわたしだって喜び勇んで全力全開だったわよ。神社ぶっ壊す勢いで食ってあげたわよ」
言われた言葉に、呆然とする。
「それは……思いもつかなかったな」
「なら、次はそうしなさい。それなら、負けないんだから」
少しだけ、拗ねた調子で言ってくる。
意外だった。もっと弾劾を受けるものだと思っていたし、彼女にはその資格が十分にあるのだから。
藍は表情を緩めた。
「紫様には、そう伝えておこう。きっとお椀片手に、喜んでそばを持って来るだろうな」
「なんで紫が出てくるのよ。あんたが来なさい。この借りは絶対返すからね、覚えておきなさいよ」
藍はかぶりを振った。
「すまないね、それは無理だ。私はもう、ここに来る事はできないだろう」
「はぁ? どうしてよ」
「お前の言ったとおりだよ。私は決して破ってはいけない法を破った。そして事もあろうに、博麗の巫女を襲ったのだ。幻想郷の要とも言うべき存在を」
力の小さな妖怪では、そう重い咎ではない。霊夢自身が返り討ちにして、罰を与えるだろう。
問題は博麗大結界の管理を行う者が、その罪を犯したということだ。そうなれば、意味が全然違ってくる。
「そんなの、誰も見ちゃいないでしょ。自分から言わなきゃばれないわよ」
確かに、その通りではある。
誰に邪魔されることも無く、また憚れることないよう特別な結界を張ったのだ。完全に隔絶された世界なら、いかな千里眼とて届きはしない。
しかし、問題はそこではなかった。藍は苦い思いを噛み締める心地で、口を開いた。
「正直に言おう。私は、お前を殺すつもりだった。もちろん、はじめはそんなつもりはなかったよ。誤算だった。まさかたった一人の人間が、私に匹敵するほどの力を持つとは想像すらしていなかった。気が高ぶったんだろうな。気が付けば、お前の首を飛ばすことだけを考えていた」
「んなの、わたしだって同じよ。ぶっ殺してやるって思ったのははじめてよ。あんたの身包み剥いで、売ることも想像したわ」
「お前の場合は正当防衛だ。当然の権利をかざしたに過ぎない」
「わたしは生きてるわ。死んでない」
「運がよかったに過ぎないよ。死んでもおかしくない場面は、何度もあったはずだ」
「あんただって、私に殺されそうだったじゃない」
「霊夢。私の死と、お前の死を一緒にしてはいけないよ。そこには大きな隔たりがある。言わなくとも判るだろう」
「……」
そう告げれば、霊夢は言葉を飲み込んだ。
うつむき加減で、何かを考えてるようだったが、
「――……な」
やがて小さく、つぶやいた。
通り過ぎた風に持っていかれたのか、藍の耳には入らなかった。
訊き返す。
「どうした?」
訊ねるも、聞こえない。
藍は膝を折り、霊夢の顔を覗き込む。と同時に、頬に痛みが走り、身体が揺れた。
殴られたのだ。グーで。
「何をするんだ」
頬を押さえながら問えば、霊夢は睨み返してくる。
「勝手なことすんな馬鹿」
「勝手なこともあるか。それだけのことを仕出かしたのだ。私は紫様を――幻想郷に生きるすべてのものを、幻想郷そのものを裏切ったんだ。そしてお前も。博麗の巫女を殺すということは、そういうことだ。危うく取り返しの付かない事態を招くところだった。この世界は幻想を保つことが出来ず、そのまま」
台詞の途中で殴られる。グーで。
霊夢は淡々と言った。
「ごちゃごちゃうるさいのよ」
「霊夢、落ち着いて聞きなさい。いいかい、」
「黙れ」
宥めるように言えば、殴られる。グーで。
口に血の味が広がり、流石の藍も額に青筋が立った。
「霊夢。いくら私とて、そう何度も」
グーが飛んでくる。
「黙れって言ってるでしょ。あんたはうるさいのよ。いつも人が黙ってりゃ、べらべらと。わたしがいつまでも大人しく聞いている思ったら、大間違いよ。この馬鹿ぎつねめ、巫女舐めんな」
控えめに言っても、霊夢は怒っていた。
そこに、いつもの恬淡とした様子は無い。呆気にとられ、藍は言葉を飲み込んだ。
その姿を見て、霊夢は小さくため息を吐いた。落ち着いた声音で、言ってくる。
「確かにね。言われてみれば、あんたの言う通りかもしれない。わたしは、いろんなことがどうでもいいと思ってる節はあるわ。この幻想郷だって、ちょっとは好きだけど、まあ消えるならそれも仕方ないと思ってるわ。ええ、正直に言うとね」
巫女にあるまじき発言。聞く者が聞けば、発狂しかねない台詞だ。
そして藍は、その聞く者だった。思わず声を上げそうになったが、霊夢と視線が重なり、出掛かった台詞を飲み込む。口に出せば、殴られていただろう。
霊夢は息をついて、不思議と良く耳に通る声音で、あとを続けた。
「でもね、だからって全てがどうでもいいってわけじゃないのよ。少なくとも、わたしを思って動いてくれた奴が、わたしの所為で罰せられるのは嫌。例えそれが、大きなお世話からくるものだとしてもね」
巫女の黒い瞳と、視線が重なる。
何故だか高ぶっていた気持ちが消沈して、その瞳を見詰める。
「あんたが自分を許せないってのは、判るわよ。あんたって、無駄に自分に厳しいもの。でもね、だからってそんなことをされちゃあ、後味悪いじゃないのよ。わたしが許してあげるって言ってるんだから、それでいいでしょう?」
霊夢の声はやさしかった。
あまりにも心地良く、それ故に藍は自分が不甲斐なく思えた。
「しかし……」
「口答えしないの。それにね、巫女のパンチには禊ぎの効果があるのよ。だからあんたが何言ったって、もう無罪なの。素敵な巫女に感謝しなさい。判ったわね?」
強引に話を持っていかれる。
霊夢自身ににそこまで言われてしまえば、藍は反論することができなくなってしまった。
なんとなく決まりが悪く、そして恥ずかしくなり、言う。
「巫女のパンチに禊ぎの効果があるとは……はじめて知ったな……」
「まだ殴られ足りないようね」
ぐっと握りこぶしを作り、こちらに見せてくる。
藍は慌てて止めた。
「いや、判った。判ったから、拳をしまってくれ」
「よろしい」
そう言って、霊夢は微笑んだ。
博麗神社は消し飛ばされていた。
倒壊でも全壊でもなく――跡形も無もなかった。いや、何処かしらに木片は散らばっているだろうが。それを指差して博麗神社だといわれても、首を傾げざるを得ないのは確かだろう。
そもそも戦いの開始直後から、神社は半壊した。まばたきを数回した後には軋みを上げ、圧縮され、轟音を鳴らし、紙くずのようにひしゃげた。
境内とて同じことだった。均されていた土は、見る影も無く。整然と並んでいたはずの石畳は地盤がえぐれているため、意味を成していない。
そこにはいい訳も、容赦も、なにもなかった。物言わぬ博麗神社は逃げることも出来ず、復旧という言葉が思いつかないほど蹂躙される他なかった。
つまりは、
(流石に狭すぎたか……)
砂埃の舞う荒れ果てた荒野を見渡して、藍はつぶやいた。
こうなることは予想の範疇だったが、広域の異界を創る結界を敷くには、準備期間が不足していたのだ。
性急過ぎたのは否めないが、今更自らの不平を零したところで意味はない。なんにしろ、すべては過ぎたことだ。
藍は疲れを吐き出す心地で、吐息した。
「人間を恐ろしいと思ったのは、何百年ぶりだろう」
「その割には、余裕そうじゃない。一発殴らせなさいグーで」
剣呑に言う巫女は、荒れ果てた境内の一部と化していた。
巫女服はあられもなく破れ、ところどころが狐火によって塵尻になっている。力なく仰向けに倒れ、息も絶え絶えだった。
つまりは、それが結果だった。
「はー……疲れた。もう嫌になるぐらい疲れたわ。一生分疲れたわよ」
「まだ立ち上がれるか、霊夢。出し惜しみ無く、扱えるすべての力を振舞う事は出来たか?」
見下ろしながら問えば、霊夢は半眼で睨みつけてくる。
「んなの、見りゃわかるでしょうが……」
「そうか。よどみなく喋るから、まだ行けるのかと思ったよ」
実際のところ、藍は安堵していた。彼女とて、霊夢と大差ないほどに疲れ果てていたのだから。
仰向けに倒れたいのは、藍も同じだった。
ぎりりと、歯軋りの音が聞こえた。
「これは、あんたに、愚痴を言うために決まってるでしょ!」
途切れ途切れの、巫女の怒鳴り声が響き渡る。
霊夢は痛みに顔を歪めたが、境内の惨状を見回して、構わず喚きたててくる。
「ったくもう! どうしてくれんの、本当に? あんたなんなのよこれ、境内がめちゃくちゃで、神社なんて何処にも無いし、鳥居もヘコんでるわお賽銭も少ないしでどうしてくれんのよ!」
「お賽銭ばかりは、どうしようもないな」
淡々と返す藍に、腹を立てたのだろう。
霊夢は言う。
「うっさいこの馬鹿ぎつね! 馬鹿! 馬鹿!」
巫女が大声を上げる姿を見るのは、はじめてかもしれない。
霊夢は失念しているようだが、ここは異界だ。結界の中は、幻想郷を模しただけの異なる世界。つまりは、結界が解ければそこには変わらず博麗神社がある。
それに気が付かない程度には、霊夢も取り乱しているということだろう。
バカアホ死んでしまえと罵りを受けながら、藍は真言を唱えた。更地と化した博麗神社は拭い去られ、元の光景が広がる。
途端、罵詈雑言が止んだ。巫女はしばらく呆然とした様子を見せていたが、
「あー……そっか」
悟ったのだろう、ちいさくつぶやく。
そのまま、ぐったりとしてしまった。げほげほと咳き込む。興奮から冷め、疲労と苦痛を自覚したのかもしれない。
しばらく呼吸を整えていたようだが、やがて、ぽつりと言葉する。
「……なんで負けたのかしら」
その声は、純粋な疑問しか含んでいない。
藍は霊夢を見下ろしながら、静かに訊ねた。
「どうして、勝てると思ったんだ?」
「だって、負ける理由が無いじゃない」
「勝てる理由はあったのか?」
「……そういえば、無いわね」
憑き物が落ちたような、小さな応答。
それで納得したのかは判らないが――
博麗霊夢を形作る柱のうち、何本かの柱が折れたのは確かなことだろう。
霊夢はぼんやりとした面持ちで、言葉を漏らした。
「結局さ……」
「ああ」
見上げてくる。
その瞳を、正面から受け止める。
「あんた、何がしたかったわけ? ただ、わたしをぼこぼこにすることが目的だったの? だとしたら、怒ってもいいわよね」
霊夢からすれば、それ以外の捉え方は無いだろう。当然の理屈だ。
藍はかぶりを振って、否定した。
「結果的にそうなってしまったが、そういうわけではないよ」
「じゃあなんなの。いきなりこんなことされちゃあ、たまんないわよ」
巫女の言い分はもっともでしかない。
視線を虚空にやる。問われても、藍には上手く言葉に表すことが出来るか不安だった。
もとより、理屈も何もないことなのだ。巫女風に言うのなら、直感に従ったということだろう。
しかし、それをそのまま口に出すのは、流石に躊躇われる。
藍は言葉を捜した。
「このひと月……」
「ええ」
「お前を見ていて、思ったんだ。この人間は変わらない人間だと。誰が何を言おうと、誰が何をしようと、誰と触れ合おうとも、決してお前には届かない。一時的な変化はあったとしても、お前はあらゆる干渉からはずれ、変わることのない人間だと思った」
巫女は眉をしかめた。
それが苦痛によるものなのかは、判断が出来なかったが。
「なんか、ひどい言われようね」
うなずく。
「そうだな。でも、私はそう思ったんだ。そしてそれが、強ち間違いではないとも」
「そんなことないわよ……たぶん」
言葉尻も小さく、霊夢は零す。
思い当たる節が、あるのかもしれない。
「このままではいけないと感じたのだ。すべての存在は、数え切れぬ縁により支えられている。いや、互いに支えあっているというべきだろう。生きているものも、死んでいるものも、生物でないものも。そしてお前も私も、その中の縁のひとつでしかない」
前置きをして、続ける。
「だがお前はいずれ、そのあらゆる縁からも外れるだろうと思った。そしてさびしい結末を迎えるだろうと。それがお前の能力によるものなのか、それとも性格によるものなのかは判らないが……」
巫女は黙って聞き入っている。
吐息して、藍は口開いた。
「関心を引き出すことが重要だと思った。なんでもいい、とりあえず本気になってくれさえすればよかった。そしてその中で、世界にはいろいろな色が在ることを知って欲しかった。お前は無色ではなく、自分の色があるのだと悟って欲しかった。周りを見て、自分の存在をしっかりと認識して欲しかったのだ。お前にとって大きなお世話なのは、十分承知している」
言葉に出しながら、藍は自分の言葉が巫女に伝わっているのか不安だった。そもそも、自分でさえよく判っていないのだから。
物事を理路整然と並べ立てるのが、式だというのに。その根幹さえ成り立っていない。
歯噛みして、かぶりを振るう。
「すまない、うまく言葉に表すことが出来ない。よく判らないと思うが、こんなむちゃくちゃな説明しかできないんだ」
巫女は黙って耳を傾けていたが。
やがて呆れたような口調で、口を開いた。
「とにかく、わたしを本気にさせたかったわけ? それでガチンコ勝負になったの?」
「簡単に言えば、そういうことになる」
「あんた馬鹿でしょ」
間髪入れず、率直に言われる。
藍は思わず口篭ったが、言い返す言葉を持たなかった。項垂れるしかない。
「そうだな。そうかもしれない……」
「あんたの言ってること、全然判らないけどね。わたしを本気にさせたいなら、わんこそば対決でも持ちかければよかったのよ。そうすりゃわたしだって喜び勇んで全力全開だったわよ。神社ぶっ壊す勢いで食ってあげたわよ」
言われた言葉に、呆然とする。
「それは……思いもつかなかったな」
「なら、次はそうしなさい。それなら、負けないんだから」
少しだけ、拗ねた調子で言ってくる。
意外だった。もっと弾劾を受けるものだと思っていたし、彼女にはその資格が十分にあるのだから。
藍は表情を緩めた。
「紫様には、そう伝えておこう。きっとお椀片手に、喜んでそばを持って来るだろうな」
「なんで紫が出てくるのよ。あんたが来なさい。この借りは絶対返すからね、覚えておきなさいよ」
藍はかぶりを振った。
「すまないね、それは無理だ。私はもう、ここに来る事はできないだろう」
「はぁ? どうしてよ」
「お前の言ったとおりだよ。私は決して破ってはいけない法を破った。そして事もあろうに、博麗の巫女を襲ったのだ。幻想郷の要とも言うべき存在を」
力の小さな妖怪では、そう重い咎ではない。霊夢自身が返り討ちにして、罰を与えるだろう。
問題は博麗大結界の管理を行う者が、その罪を犯したということだ。そうなれば、意味が全然違ってくる。
「そんなの、誰も見ちゃいないでしょ。自分から言わなきゃばれないわよ」
確かに、その通りではある。
誰に邪魔されることも無く、また憚れることないよう特別な結界を張ったのだ。完全に隔絶された世界なら、いかな千里眼とて届きはしない。
しかし、問題はそこではなかった。藍は苦い思いを噛み締める心地で、口を開いた。
「正直に言おう。私は、お前を殺すつもりだった。もちろん、はじめはそんなつもりはなかったよ。誤算だった。まさかたった一人の人間が、私に匹敵するほどの力を持つとは想像すらしていなかった。気が高ぶったんだろうな。気が付けば、お前の首を飛ばすことだけを考えていた」
「んなの、わたしだって同じよ。ぶっ殺してやるって思ったのははじめてよ。あんたの身包み剥いで、売ることも想像したわ」
「お前の場合は正当防衛だ。当然の権利をかざしたに過ぎない」
「わたしは生きてるわ。死んでない」
「運がよかったに過ぎないよ。死んでもおかしくない場面は、何度もあったはずだ」
「あんただって、私に殺されそうだったじゃない」
「霊夢。私の死と、お前の死を一緒にしてはいけないよ。そこには大きな隔たりがある。言わなくとも判るだろう」
「……」
そう告げれば、霊夢は言葉を飲み込んだ。
うつむき加減で、何かを考えてるようだったが、
「――……な」
やがて小さく、つぶやいた。
通り過ぎた風に持っていかれたのか、藍の耳には入らなかった。
訊き返す。
「どうした?」
訊ねるも、聞こえない。
藍は膝を折り、霊夢の顔を覗き込む。と同時に、頬に痛みが走り、身体が揺れた。
殴られたのだ。グーで。
「何をするんだ」
頬を押さえながら問えば、霊夢は睨み返してくる。
「勝手なことすんな馬鹿」
「勝手なこともあるか。それだけのことを仕出かしたのだ。私は紫様を――幻想郷に生きるすべてのものを、幻想郷そのものを裏切ったんだ。そしてお前も。博麗の巫女を殺すということは、そういうことだ。危うく取り返しの付かない事態を招くところだった。この世界は幻想を保つことが出来ず、そのまま」
台詞の途中で殴られる。グーで。
霊夢は淡々と言った。
「ごちゃごちゃうるさいのよ」
「霊夢、落ち着いて聞きなさい。いいかい、」
「黙れ」
宥めるように言えば、殴られる。グーで。
口に血の味が広がり、流石の藍も額に青筋が立った。
「霊夢。いくら私とて、そう何度も」
グーが飛んでくる。
「黙れって言ってるでしょ。あんたはうるさいのよ。いつも人が黙ってりゃ、べらべらと。わたしがいつまでも大人しく聞いている思ったら、大間違いよ。この馬鹿ぎつねめ、巫女舐めんな」
控えめに言っても、霊夢は怒っていた。
そこに、いつもの恬淡とした様子は無い。呆気にとられ、藍は言葉を飲み込んだ。
その姿を見て、霊夢は小さくため息を吐いた。落ち着いた声音で、言ってくる。
「確かにね。言われてみれば、あんたの言う通りかもしれない。わたしは、いろんなことがどうでもいいと思ってる節はあるわ。この幻想郷だって、ちょっとは好きだけど、まあ消えるならそれも仕方ないと思ってるわ。ええ、正直に言うとね」
巫女にあるまじき発言。聞く者が聞けば、発狂しかねない台詞だ。
そして藍は、その聞く者だった。思わず声を上げそうになったが、霊夢と視線が重なり、出掛かった台詞を飲み込む。口に出せば、殴られていただろう。
霊夢は息をついて、不思議と良く耳に通る声音で、あとを続けた。
「でもね、だからって全てがどうでもいいってわけじゃないのよ。少なくとも、わたしを思って動いてくれた奴が、わたしの所為で罰せられるのは嫌。例えそれが、大きなお世話からくるものだとしてもね」
巫女の黒い瞳と、視線が重なる。
何故だか高ぶっていた気持ちが消沈して、その瞳を見詰める。
「あんたが自分を許せないってのは、判るわよ。あんたって、無駄に自分に厳しいもの。でもね、だからってそんなことをされちゃあ、後味悪いじゃないのよ。わたしが許してあげるって言ってるんだから、それでいいでしょう?」
霊夢の声はやさしかった。
あまりにも心地良く、それ故に藍は自分が不甲斐なく思えた。
「しかし……」
「口答えしないの。それにね、巫女のパンチには禊ぎの効果があるのよ。だからあんたが何言ったって、もう無罪なの。素敵な巫女に感謝しなさい。判ったわね?」
強引に話を持っていかれる。
霊夢自身ににそこまで言われてしまえば、藍は反論することができなくなってしまった。
なんとなく決まりが悪く、そして恥ずかしくなり、言う。
「巫女のパンチに禊ぎの効果があるとは……はじめて知ったな……」
「まだ殴られ足りないようね」
ぐっと握りこぶしを作り、こちらに見せてくる。
藍は慌てて止めた。
「いや、判った。判ったから、拳をしまってくれ」
「よろしい」
そう言って、霊夢は微笑んだ。
藍さまのがんばりは無駄じゃなかった。
そんな巫女さんに世話焼く妖怪もまた非常に人間臭くて、イイヨーイイヨー