色とりどりの花々が咲き誇る紅魔館の庭。
それを眺める美鈴の顔にはどこか誇らしげな笑みが浮かんでいた。
美鈴は門番である他に、庭の管理も任されている。
故にこの庭の花壇は彼女が精魂込めて世話をしたものであり、我が子の様だと言っても差し支えないものであった。
今年は春になっても残る寒さの所為で状態は芳しくなかったが、先刻訪れた春告精のおかげで今は満開。
毎年の事とはいえ、努力の成果が実を結んだ花壇を眺めるのを美鈴は楽しみにしていた。
何をするわけでもなく持参した椅子に座り、花壇を端から端まで眺める。
今日は休日。暖かい陽の光を浴びて、豊かで芳しい花の匂いを感じて、のんびり過ごそうとそう決めていた。
「美鈴、ちょっと良いかしら?」
そんな美鈴に声をかける者が居た。
いつの間にやら隣に現れたメイド長の咲夜だ。
「はい……あ、今日は休日ですよ、サボってるわけじゃありませんから」
何故か慌てる美鈴に咲夜が苦笑を浮かべる。
「分かってるわよ」
「あ、はい」
「私も……休日で」
「ほぇ?」
週に一日の決まった休日を得られる美鈴と違って、咲夜の休日は不規則だ。
我儘な主人の付き人として四六時中傍に控え、それ以外に紅魔館の一切を仕切る彼女は忙しい。
決められた休日など取れるはずもなく、紅魔館で働く人数が減ってしまい余計に忙しくなる美鈴の休日と、同じ日に重なることなどあり得ない。
そんな美鈴の疑問を感じ取ったのか苦笑を崩さずに言葉を紡いだ。
「お嬢様がね、今日は一人で博麗神社に出かけてしまって……
付いていこうとしたのだけれど、お前は今日は休んでいろと言われてしまって」
「なるほど」
「それでね……」
納得する美鈴に咲夜は小さく指を鳴らす。
ぱちんと音が鳴り、合わせた様に二人の前に酒瓶の乗ったテーブルが現れていた。
「付き合ってもらおうと思ってね。どうせ暇なんでしょう?」
それを目にして少々呆れ顔の美鈴。
「構いませんが……こんな真昼間からお酒ですか?」
酒は嫌いではないが、真昼間からかっ食らう趣味は美鈴には今の所なかった。
それに休日とはいえもし何かあった時に、二人共酔っ払ってしまっていると考えると不安にもなるだろう。
「大丈夫よ、これはシードルだもの」
「ふむ……それなら」
美鈴は少し思案する。シードル、リンゴ酒の事だ。
物にはよるがアルコール度数は少なく、慣れている者にとってはジュースの様なもの。
「まあ、少しぐらいなら……」
実は美鈴は多少なら気を操り酒精を抜く事が出来る。
いざというときはそうすればよいとそう考えて頷いた。
「そう!」
少し嬉しそうな様子で咲夜が二人分、グラスへとシードルを注いだ。
しゅわしゅわと炭酸がはじけて泡が立つ。
美鈴がグラスを手に取り一口。
程良いリンゴの甘みと香りが感じられ、これは悪くないなと素直な感想を浮かべる。
視界の端で咲夜がグラスに口を付けるのを確認しながらふと美鈴は思う。
咲夜と酒を飲むのは初めてだなと、それだけではなく彼女が酒を飲むのを見るのは初めてかと。
彼女が紅魔館に来て数年だが美鈴はいままで……そう博麗神社の宴会でさえ酒を嗜む所を見た事がなかった。
「おいしいですね」
そんな事を考えさらに一口。舌鼓を打つ。
どこの物だろうと酒瓶を見やるとラベルはなく、もしかしたら自家製なのかもしれないなと思い、咲夜に視線を向ける。
「え?」
そしてきょとんとした表情を浮かべる。
グラスを片手に咲夜が口元を押さえて俯いていた。
「咲夜さん?」
「………ぅ」
戸惑う様な美鈴の問いかけに短く咲夜は呻きを漏らす。
「苦い……」
そんな事を呟くものだから流石に美鈴は困惑の表情を浮かべた。
美鈴的にはむしろ甘い。だが酒を飲んだ事の無い者にとってのアルコールの苦味は耐えがたいものとなる。
「あの、まさか……」
「こんなに苦いなんて……」
短く息を吐いて、美鈴の視線に気が付いた咲夜が頬を染めてしばし沈黙。
やがて諦めた様に初めて飲んだのと呟いた。
「紅魔館に来る前はまだ子供だったから興味はなかったし、来てからも酔う暇なんて無かったし……」
「はぁ」
「でも、皆があまりにもおいしそうに飲むものだから、ね? いまなら忙しくないし平気かなって思って」
俯き気味にそうぼそぼそ呟く咲夜に美鈴がくすくすと笑みを漏らす。
「なによ……」
「いえ、何でもありません!」
「むぅぅ」
眉をしかめて、それでも咲夜はグラスを手に取って口に運ぶ。
再び苦い~と呟く彼女に美鈴は微笑ましそうな視線を向ける。
そこには完全で瀟洒なメイドの姿はなく、年相応の少女が居るだけであった。
普段は外す事の出来ないその完全で瀟洒な仮面。
主人も自分以外の知り合いもいない、故に見せる必要のないこんな日ぐらいは外すのも悪くないと。
それに付き合ってみるのも悪くないと美鈴は思ったのだ。
………悪くないと、そう思ったのだが。
しばしの後、止めるべきであったかと美鈴は後悔し始めていた。
目の前の咲夜はもう耳まで赤くしてテーブルに突っ伏している。
相当飲んだのかと言うとそうではなく、その前に置かれたグラスには半分ほど中身が残っている。
ちなみにこれはまだ、最初の一杯なのだ。
「咲夜さん、もうやめた方が良いのでは」
何度問いかけたか分からないがとりあえず美鈴は制止をかける。
「嫌~飲むの~」
返ってくる言葉も同じだった。
微妙に潤んだ瞳で、睨むような視線を咲夜は美鈴に向ける。
どう見ても酔っていると……たったこれだけのシードルで酔っ払っている。
酒に弱いにも程があるぞと美鈴が溜息を漏らす。
「私ね、この一杯を頑張って飲むの」
そんな美鈴に向けて睨むのをやめた咲夜が無邪気な笑みを向ける。
「だってね、私、努力家だもの。完全で瀟洒なんだもの……」
その口からえへへ、えへへと笑いが漏れている。
それが偉いでしょ、偉いでしょ、に変わって、何かを期待する様に美鈴に視線を向ける。
「だから、褒めて?」
「えっと……」
戸惑う様に美鈴の視線が揺れた。
流石にここまで豹変する事は予想できなかったのだろう。
咲夜との付き合いは数年。
主人であるレミリアがぼろぼろの彼女を連れてきて家で使うと、それで彼女は紅魔館の一員となった。
美鈴は特に不思議に思わなかった。
いつぞやの魔女の時もそうだが、主人が何も言わぬならそれで構わないと。
ただ、世話は焼いた。紅魔館で人間一人は辛かろうと。
もともと人に偏見の無い美鈴である。出会うたびに話しかけ、愚痴を聞いたり慣れぬ仕事を手伝ったり。
咲夜は初めは警戒していた、いやむしろ敵対心まで抱かれていたのを覚えている。
それが少しずつ心を開いてくれて、それが嬉しくてまたつい世話を焼いて……
もっとも、今はそんな必要のないくらいに優秀になってしまったのだが。
それでも少なくない時間、美鈴は咲夜と同じ時間を共にしてきて……
その経験を持ってしても、酔うと幼児退行するとはさすがに読めなかった。
「めいりん~?」
何の衒いもなく向けられる期待の眼差し。
しばし其れを受けて、やがて耐えきれなくなった美鈴は覚悟を決めた様に咄嗟に手を伸ばした。
「え、偉いですね~」
引きつった顔で咲夜の頭を撫でる。
わしわしと手を動かすと、咲夜は気持ちよさそうに目を細めた。
「えへへ~」
気持ちよさそうに撫でられている咲夜は本当に無邪気だ。
いままで見た事の無い表情で、美鈴は何やら見てはいけないものを見た気分になる。
なにやら気恥しくなって、やや頬を朱に染めて咲夜から視線を外す。
「うん、美鈴、あのね」
「は、はい」
「優しいね、うん、美鈴は優しい」
「あ、ありがとうございます」
上目使いに見上げてくる咲夜に思わず怯む美鈴。
そんな美鈴に咲夜が言い放つ。
「だから、甘えさせて?」
「……えと」
怯む美鈴。まっすぐ向けられたその視線に狼狽して。
その彼女に不意に咲夜が両手を伸ばして抱きついた。
「~~~っ!」
驚きのあまり固まる美鈴の膝に咲夜は座り背に手をまわしていた。
なにやら甘い匂いが鼻孔をくすぐり、服越しでもはっきりと分かるしなやかな体が密着しているのを感じる。
耳元に感じるやや酒精の混じった熱い吐息、甘える様に肩に乗せられる頭の感触。
美鈴がはっきりとそれらを意識した瞬間、どくりと心臓が鳴ったのを確かに感じた。
どくんどくんとそれはあっという間に早さを増して美鈴の正気を奪うかの如くに……
落ち着け!と美鈴は己に言い聞かせた。
おかしいだろうと、自分はノンケのはずだと。
同性の咲夜になぜこんなに心乱すのだろうかと。
心臓が早鐘を刻んでいる。
頬が染まるのを止める事が出来ない。
ともあれこのままではまずいと。
何とかしようと恐る恐る視線を向けると、肩に頭を載せて見上げる咲夜とばっちり目が合った。
「美鈴~」
「うひゃぁぁぁ」
目が合った動揺と言葉と共に首元に吹きかけられた吐息の感触に美鈴は思わず妙な声をあげてしまう。
「ドキドキしてるね、分かるよ」
酔いの所為か普段からは信じられぬほどに幼く甘ったるい声。
「私もドキドキしてる。ねえ……」
それでいて、どうしようもなく蟲惑的な声。
それは美鈴の理性を惑わし、麻痺させるには充分だった。
「私の事、どう思ってる?」
何を答えようとしたのか分からぬままに美鈴が口を開く。
だが、そこからはふぁぁぁとだらしのない声が漏れるだけだ。
期待する様に見上げる紫銀の眼差し。
それは、戸惑う青い瞳を捉えて決して離さない。
ぼんやりとした意識の中で美鈴はそれが何を求めているのかを何となく理解した。
それはきっと、友情などではないもっと別のものだと。
何故自分にそれを求めるのか分からないが……
このままではいけないと麻痺した頭を必死に働かせる。
「と……」
なぜいけないのかももう分からなくなりかけている。
それでも美鈴は何とか言葉を紡ぐ。
「もだち……です」
吐きだした言葉に咲夜がきょとんとした表情を見せる。
それから友達かぁ……、やや沈んだ声で繰り返す。
美鈴が大きく息を吐く。
言い終えた事によって、何かがほぐれたのか麻痺した思考が解れてくるのを感じる。
危なかったと、美鈴は思う。
あのまま勢いに任せて流されずに本当に良かったと。
このままではいけない理由。
そんなの簡単だ。たくさんある。
まず妖怪と人間である事、寿命の差が明らかで最後は悲劇しか待っていない事。
性別が同じである事、言わずもがな美鈴はそっちのケはなかったはずである。
主人のお気に入りである事、自分如きが手を出したら罰を受けてしまうかもしれない事。
美鈴は思いつく限りの否定理由をあげて自分を納得させる。
だから駄目なのだと、でもどこか釈然としない自分も感じて渋面になる。
「美鈴~」
耳元で聞こえる声。
美鈴が咄嗟に顔を向けると、咲夜の顔が迫っていた。
あまりにも近い咲夜の顔。
綺麗な銀の睫毛、吸い込まれそうな紫銀の瞳。
朱に染まった頬に……そして……
赤くて柔らかそうな唇。
それが……己の唇に押しつけられて。
「……ん」
しばし数秒。
咲夜の顔が遠ざかって、そこにある妖しい笑みを美鈴は呆然と眺める。
「これで、友達以上って意識せざるを得ないでしょう?」
満足したように呟いて、そのまま再び美鈴の肩に頭を落とす。
放心したように呆然とする美鈴だが、やがて我に返ったように視線を泳がせた。
しばし彷徨わせて……無言の咲夜に気が付く。
視線を向けると瞳を閉じていて、聞こえるのはもう寝息となっている。
それを確認すると何とも情けない顔で、美鈴が指で自分の唇をなぞる。
「まずい……」
心臓はもう落ち着いて緩やかな鼓動を刻んでいる。
だが、変わりに生まれたものがある。
「あたし、咲夜さんを……」
思わず素の口調でそう呟いて、否定する様に頭を軽く振る。
変わり生まれたもの、それは甘い疼き。
それが向けられているのは紛れもなく……
見上げた空は憎らしいほどに晴れ渡っている。
だが、美鈴の心にはどんよりとした暗雲が立ち込め始める様であった。
「これからどうしよう」
嘆く様にそう言ってから、美鈴は唇をなぞっていた手で目元を隠し、それから大きく天を仰いで。
とりあえずはもう、咲夜に酒を飲ませるのは絶対にやめようと、そう決めた。
-終-
初めての『それ』って? お酒? それとも……
やっぱりこのあとは咲夜さん何をしたのか覚えてないのかな。
それとも微かに覚えてて目を合わせるのが恥ずかしい関係になっちゃうのかな。
今後の二人の展開に期待!
とりあえず咲夜さんお仕事お疲れ様です つ『栄養ドリンク』 (微量ですがアルコール入ってます。)
続き期待