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昼食を食べ終えた午後。
藍はコタツを囲みながら書物を読みふけっていた。以前、時間を持て余したときに、「じゃあ本でも読めば」と神社の蔵に案内され、そこから持ってきたものだった。
今日も居間は静かだった。外の僅かな風の音が、隙間から染み込んで来る程度だ。
静寂は苦にならない。霊夢は必要以上に口を開かず、また藍も沈黙を好む傾向にあったからだろう。
藍は書物から視線を外し、ちらりと対面を見やった。
「……」
そこには巫女が居る。
たったひと月。妖怪にとっては瞬き1つの時間だが、不思議と見慣れたものだと藍は感じた。
霊夢は湯飲みを持ち、ぼうっとしている。いつもの、ぼんやりとした表情で。
ぼんやりとした表情――
(いつもと同じだな。私が来たときから、ずっと変らない)
胸中で、反復する。
だからといって、意味があるわけではないが……
昨晩の連想が、頭から離れない。暖簾――風に揺れる事はあっても、その場から動くことの無い。決して変化のないもの。
(失礼なことを考えているな、私は……)
自分を戒めるように、思うが。
気がつけば、藍は再び霊夢を眺めていた。僅かな変化を探す心地で。
巫女が軽く目を閉じて、お茶を飲む。まつげが長い。どうでもいいことに気がつく。
更に加えるなら、暇そうだった。いや、退屈そうとでもいうべきか。
(退屈……)
思いついた言葉を、反芻するようにつぶやく。
そういえば、巫女はいつだって退屈そうにぼんやりとしていた。
終わらない夜の異変のときも、間欠泉のときも嫌々といった様子が現れていたらしい。何れの異変も、自身に深く関与することの無いものだったからだろうか。
湧き上がった疑問に、藍は目をつむった。
(この人間は、何かに本気になったことがあるのだろうか?)
本気。
言葉にすれば陳腐なのかもしれない。だが、生あるものとして、これほど大事なものがあるだろうか。まして幻想郷では、死して尚一生懸命な者も多く居る。
なまけもの筆頭の主でさえ、幻想郷のこととなれば、人が――いや、妖怪が変ったかのように動く。
そう考えたところで、ため息が聞こえた。
「あのねぇ。さっきからなんなの。ちらちらと。何か言いたいことがあるのなら言いなさい」
藍の視線に気がついていたのだろう。
霊夢は湯飲みを置き、じと目でこちらを見やっていた。
言葉に詰まるわけでもなく、藍は口を開く。
「なあ、霊夢」
「何よ」
つっけどんに聞き返してくる。
僅かな間を置いて、あとを続ける。
「そろそろ、境内の掃除の時間だろう」
「あ、そうね」
巫女が気がついたようにつぶやく。
二人は腰を上げた。
それから数週間をおいて。
藍は、握り慣れた竹箒を両手に境内の掃除していた。その姿も、ずいぶんと板についたものだった。
外の風は相変わらず冷たいが、日向はそこそこ暖かい。干した洗濯ものがよく乾くだろう。
「……」
ざっざっざ。
心地良い箒の音を耳に入れながら、考える。
博麗の巫女。
意識すればするほど、つかみ所の無い人間に思える。遠くから見れば実態があるように見えるが、近くにより過ぎると見失う。まるで雲だ。
そう考えて、藍は苦笑混じりに自問した。
(どうして、私はこんなに巫女について考えているんだろうな)
恐らくは、それが博麗大結界に、幻想郷の存続に関することだからだろう。それが一番妥当な回答に思える。
もしくは――暇だからか。
藍は苦笑した。
(暇だから、か。随分と毒されたものだ)
掃除を終える。
「あんたも随分と掃除が上手くなったものね」
箒を片付けながら、巫女はそう言った。
「そうだろうか? 別段変らないと思うが」
「最近は良い感じよ。早くないもの」
最近というと、考え事をするようになってからだろう。
となれば、この巫女の妙なペースは、それに起因するのかもしれない。
考えながら掃除をする。しかし藍には、巫女が何かに想いを馳せながら掃除をしているようには見えなかった。失礼だが、何も考えてなさそうだ。
返事する。
「むしろ遅いほうが、一般的にはマイナスだと思うがな」
「遅いと疲れないでしょう。だからプラスに決まってるわ」
投げやりな様子で言って、霊夢は社務所へと足を向けた。居間に戻るのだろう。
いつもなら、藍も後に続いた。そして霊夢にお茶を貰い、静かな時を過ごすのだ。それは悪くない時間だ。
だが、藍は動かなかった。遠ざかる巫女の背中を見送りながら、目を瞑り、真言をつぶやく。
背後から藍の足音が聞こえなかったからだろう。巫女が振り返ってくる。
「藍? 戻るわよ」
霊夢は藍の姿を見て、怪訝な表情をした。
と同時――
虫の羽音のような音が境内に響き、高強度の結界が境内を覆った。
「すまないね、霊夢」
両手を袖に入れたいつもの姿勢で、藍。
突然の出来事にも、巫女の様子は変わりなかった。ただ無表情に、疑問を問うてくる。
「なんで謝るの?」
答える。
「お前とのお茶の時間は惜しいが、今日は無しだ。結界の見回りも後日に回そう。まあ、一日二日は放っておいても大丈夫だろうよ」
「あんたらしくも無い発言ね」
言われ、藍は苦笑を浮かべた。
別段、苦い思いがあったわけでもないが。まあ、その通りではある。
「だとすれば、それはお前のお陰だろうな。たったひと月で、幾年も生きた私が変わるとは思いもしなかった」
とはいっても、変化は微々たる物だ。
少しいい加減になった。氷が解けても、本質は変わらない。そういった類のもの。
「なに、わたしの所為? もしかして謝るべきなのかしら」
「謝る必要は無いよ。むしろ私が感謝しなければならないね」
訳が判らないという様子で、巫女は小さく肩を竦めて見せた。
「まるで身に覚えがないから、なんとも言えないんだけど。てか、このやけに張り切った結界はなんなの」
境内を見回して、結界を指差してくる。
藍は簡潔に答えた。
「ひとつの異界を造る敷居だ。一日と持たないがな」
「見れば判るわよ。わたしが言っているのは、こんなの張ってなんのつもりかってこと」
「これから私と戦うんだ。弾幕ごっこではなく、昔のやり方でな。ならばこれぐらいの処置は必要だろう」
告げれば、巫女は片眉をあげた。
藍の言葉の意味を、飲み込めなかったのかもしれない。
訊いてくる。
「はぁ? 何であんたと戦うの」
「おそらくは、必要だからだ」
「意味が判らないわ」
「スペルカードルール」
その単語を言葉して。
藍はあとを続けた。
「この幻想郷で、もっとも効力のある法だ。遵守すべきものではなく、絶対の原則として従わなければならない」
「そうよ。破るものには、相応の罰則が科せられるわ。特に、あんたみたいな力の均衡を担う妖怪にはね」
藍は虚空を眺めた。
霊夢を無視する形で、言う。
「だが妖怪というのは、法で縛れるような存在ではない。多くの妖怪が従うのは単純な暴力だ。つまり妖怪達は、スペルカードルールに賛成する一部の大妖怪の力を恐れ、従っていると見ていいだろう。傍目からは、スペルカードルールに従っているように見えるがな」
告げれば、巫女は黙した。
聞く気があるのだと捉え、藍は口を開く。
「それは危うい均衡の下に成り立っている。現状、ルールに従い人間を食えなくなった妖怪は、不満を募らせている。妖怪というのは精神面の存在だ。その存在理由に従い、思うが侭に振舞うのが元の姿なんだ。いずれ、大妖怪の抑止力からもはずれ、本来の姿に戻る日が来るだろう」
「……」
「実際、紫様や私は、そういったタガの外れた妖怪を駆逐しなければならないことが多々あった。理性を拭い去った妖怪に、法の束縛もなにもない。力でもの言わせなければ、こちらの首が飛ぶ」
そこまで言ったところで、巫女が尋ねてくる。
「それで、ガチンコ勝負をしようってわけ? 巫女であるわたしに、その役目を任せようってこと?」
「そうだ。今適当に理由をでっちあげたんだが、なかなか説得力があるように思う。これで納得してくれ」
「……」
「……」
沈黙に沈黙を重ね、ただ沈黙する。
やがて、巫女は眉を顰めた。
「意味が判らないわ」
同じ言葉を、繰り返してくる。
まあ無理も無いことだろう。藍は素直にうなずいた。
「実を言えば、私にも判らない。こんなことをする意味があるのか。こんなことをして変えられるのか。徒労に終わり、私は罰せられるかもしれない。紫様にもご迷惑が降りかかるかもしれない。だが、必要なことだと思ったんだ。それだけは確かだ」
「あんた、大丈夫? 言ってること支離滅裂よ。判ってるの?」
疑わしげな声をかけてくる巫女。
まったくだと、胸中で毒づく。理屈に合わない――いや、理屈すらないことをするのは、はじめてかもしれない。
藍はすうっと息をした。静かに自己に埋没し、自身の身体能力を最高潮にまで高めていく。
「――本気なの? というか、正気?」
再び問うてくる。
藍の存在感が、急激に大きくなったことに気がついたのだろう。
一瞬で、境内は藍の妖力で飽和した。
妖怪でも吐き気を催すぐらい密度の高い空間でも、巫女は平常と変わらぬ表情を浮かべている。
「霊夢」
藍は巫女を見据えた。その瞳は妖怪の色を称えている。
その色彩に、巫女が気づかぬはずが無い。
袖に手を入れたまま、右足を引いた半身の姿勢をとる。弾幕ごっこでは、決してとることのない体勢。告げる。
「持てる力のすべてを持って、私を打ち倒しなさい。でなければ、お前はそれまでだ」
「無理よ」
否定の言葉を上げ、巫女はかぶりを振った。
藍は眉を上げた。その理由を問う前に、巫女は軽い様子であとを続けてくる。
「全力なんて、出せるはずが無いでしょ。あんたを殺しちゃうもの。そうなれば結界の管理とか面倒じゃない。冗談じゃないわ」
淡々と答える霊夢に、虚勢は無い。彼女は、本心を口にしているに過ぎない。
意外といえば、意外な台詞なのかもしれないが――
このひと月で、予感はしていた。恐らくこの巫女は、弾幕ごっこでもなんでも、一度も本気を出したことが無い。
藍がわざわざ弾幕ごっこではなく、古臭い方法を持ち出したのも、そのためだ。自分は一度、弾幕ごっこでこの巫女に屈している。ならば、もう一度やったところで巫女のすべてを引き出すことは叶わない。
なんにしろ、藍は笑みを浮かべていた。堪えきれない、何かがあった。
「まったく……尻尾の件といい、本当に生意気な巫女だ。それでもいいから、構わず来なさい。わたしも、お前の喉笛を噛み切るつもりだからね」
「あっそ。ま、妖怪退治は巫女の仕事。暑苦しい妖怪は、頭を冷やすべきね」
そう告げて、巫女は懐からお札を取り出した。
藍さまと霊夢のガチンコですか。
しかもスペカルール外…霊夢の本気を引き出すためとはいえ…
次がいつもにも増して楽しみになってきた
静かに続きを待ってます。