雲一つない青空をただリリーは疾駆していた。
季節は春である。故に今は彼女の力が最も強くなる時期だ。
魔理沙もかくやと言う速度で舞い飛ぶリリー。
彼女の通った後には花が咲き乱れ、冬眠していた者達が目を覚まし始める。
「はーるーでーすーよぉぉぉぉ!!」
響き渡る声は快活で、迷いなく幻想郷に春を告げていく。
リリー・ホワイトは春告精。
あらゆるものに春の芽吹きを告げて回るのだ。
買い物カゴを手に、紅魔館の門へと戻る途中に咲夜はその声を聞いた。
「あら……」
見上げれば遠方にリリーの姿が見える。
徐々にその姿が近付いてくるのが確認できた。
「もう春なのねぇ」
そんな事を呟いて咲夜はふと思い出す。美鈴が管理する紅魔館の庭には未だ蕾が多い。
だが、それもあの春告精が通りかかればすぐに花を咲かすだろう。
その様子を想像すると自然と笑みが浮かんでくる。
今年も色とりどりの花々が咲き誇り、目を楽しませてくれるはずだ。
その時は美鈴といつもの様に花見をしよう。
そうだ、今年は紅茶で無くお酒でも良いかな……そうすれば酔った勢いで少しぐらい甘えられるかなと。
「……どうして甘えなくちゃいけないのよ」
己の考えを恥じる様に眉をしかめ咲夜は呟いた。
だいたい甘えているのは何時も美鈴の方ではないかと。
回りがあまりうるさく言わないのをいいことに居眠りし放題だし、生活態度もいい加減だから世話を焼かないと三食も食べないし……
ああ、だから甘えたいのかと。
何時ものお返しに甘えたい、この場合の甘えるは家事などを手伝ってもらう事であって、でもそれは花見の席で出来ることで無くて……ではどうしよう…
そんな事を考えながら歩を進める咲夜だが、不意に視線を感じて振り返るとそこにはリリーが佇んでいた。
てっきりそのまま自分を飛び越えて紅魔館へと向かうと思っていただけに咲夜は意外そうな表情を浮かべる。
リリーと目が合うとにっこりと微笑まれて、思わず咲夜は愛想笑いを返した。
「春を告げに行かなくていいの?」
問いかける言葉に答えず笑みを浮かべて此方を見る春告精に、彼女は困惑を浮かべてされど特に用も無さそうなので再び紅魔館へと歩を進め始める。
背後からはリリーの付いてくる気配を感じて、いったいなんなのと咲夜は小声で呟いた。
まあでもそれを気にしてもしかたないとすぐに考える。
リリーは誰かに悪戯や悪意を向ける様な妖精ではないしただの気まぐれだろうと。
しばらく進み、見慣れた門を視界に収めて咲夜は溜息を付いた。
理由は簡単である。それはいつもの事。
門番である美鈴が居眠りをしているからである。
番をすべき門扉に背を預けて、堂々と立ったまましかしその頭が舟を漕いでいる。
「まったく……あの子は」
美鈴との付き合いは数年。
彼女の年齢はよくわからないがそれでも年上だろう。
だが一見出来る様に見えてどこか抜けていて、頼り無い癖に調子の良いこの妖怪はある意味、完璧である咲夜とは気が合ったのだ。
何故か放っておけずにちょくちょく様子を見に来たり、差し入れをしたり。
回りから見れば過剰なくらいに世話を焼く咲夜に美鈴はそれでも少々困惑した様な、でも少し嬉しそうな笑顔を浮かべるのだ。
その笑顔が好きで、また見たくてちょっかいを掛けてしまう。
この感情がなんなのかは実はまだ咲夜自身にも分からないのだが。
保護欲か友情か、はたまた親愛か、あるいは……
ともあれ今やるべき事はこの居眠り門番を起こす事だ。
このうららかな春の陽気に眠くなってしまうのはわかるが仮にも勤務中。
如何に平和な幻想郷と言えど、それはサボる事の理由にはならない。
「こーら、起きなさ……!?」
声をかけながら近付こうと一歩踏み出した瞬間。
咲夜の足元にあった蕾が不意に、まるで狙った様に一輪の花を咲かせた。
視界の隅にそれを収めて踏まないようにと咄嗟に足をずらして……
結果バランスを崩し、つんのめる様に前へと体を倒した。
当然目の前には美鈴が居眠りをしていて。
「……っ!!」
咲夜は美鈴の胸元に抱きつく様に倒れこんでしまう。
背後に手をまわして体を支える様にしがみ付いてから、初めて状況に気が付いてその頬に朱が差した。
抱きついたまましばしの沈黙。
咲夜が恐る恐る顔をあげて、美鈴の瞳が閉じられているのを確認して安堵の息を吐く。
安堵の息を吐いて……そして感じたのだ。
とくん、とくんと鼓動が聞こえる。
美鈴の鼓動、そして自分の鼓動の音。
規則正しいその音がとても心地よく感じられて、咲夜は美鈴から何故か離れられなくなった。
そのまま抱きついて、美鈴の胸に耳を付けてしばし瞳を閉じる。
なるほど、と咲夜は理解する。
ようやく分かったのだ。咲夜が美鈴の世話を焼いてしまうのかが。
美鈴の少々困惑した様な、でも少し嬉しそうな笑顔を見たくなってしまうのかが。
火照った頬に吹き抜ける風が気持ち良い。
早鐘の様な心臓の鼓動がこの気持ちを確実なものとして認めている。
つまりはこれは保護欲でも友情でも、あるいは親愛でもなくて……
「春ですよ~」
背後でリリーがそう告げるのを咲夜は確かに聞いた。
リリー・ホワイトは春告精。
あらゆるものに春の芽吹きを告げて回るのだ。
((あらゆるものに春の芽吹きを告げる))……つまりはそういう事だ。
「なんでもお見通しだったわけね」
先程、咲夜の傍に寄って来たのは彼女に芽吹きを感じたから。
それを芽吹かせるべく機会をうかがっていたに違いない。
リリーが飛び去った後も、咲夜はしばし美鈴を感じる様に抱きついたままでいたがうむぅと美鈴が呻いたので体を離した。
すぐに美鈴の目が開いて、それが咲夜の姿を映して困ったような笑みを浮かべる。
「眠ってませんです、異常なしです」
それに対し咲夜はそう、とだけ呟く。
注意が来ると身構えた美鈴が意外そうにが首を傾げ、それがおかしくて咲夜は微笑を浮かべた。
「機嫌が良さそうですね」
とりあえず小言が来ないと判断し美鈴が誤魔化す様に言葉を紡いだ。
「ええ、芽吹いたからね」
「え?」
美鈴がきょとんとする。
その後、花ですか?などと困惑する様子に咲夜が小さく噴き出した。
それからいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「これから覚悟なさいな」
「はぁ」
いまいち要領を得ない様子の美鈴だが別に構わない。
だってそれは自分の気持ちを悟り、これから美鈴との関係を変えていこうと決めた咲夜の密かな決意なのだから。
そのまま美鈴の横を通り紅魔の門をくぐる。
目にした庭には先ほど開花したばかりの花々が咲き乱れていて、その空気を満喫する様に咲夜は大きく息を吸い込む。
麗しい花の香りを目一杯吸い込んで、新しく訪れた春を謳歌すべく彼女は両手を広げて大きく伸びをした。
-終-
めーりんよく心臓ドキドキさせなかったな。流石気を操るだけのことはある。
酔った勢いじゃないと積極的になれない咲夜さんが可愛いなもうww
咲夜さんに甘えられてドキドキする美鈴がを待っています!
春だなぁ