なんでここにいるんだろう。そんなことを自分に聞いてみた。
ごくシンプルに、「これは夢だね」という答えをもらう。
でも納得するには説得力が足りない。「これは夢じゃない」なんて誰も言っていない。
だれかがそう言ってくれないと割り切れない。
割り切ってくれる人を探すけれど、案の定見つかるはずがない。諦めて、わたしは歩きはじめた。このままじっとしていても仕方ない。
はだしで湿った土を踏む感触。そこから伝わってくる感覚は、すこしの痛みと冷たさだった。
どこからともなく、「ヒョー、ヒョー」という生き物の声がきこえる。
不気味なほど高くて、イヤな声だと思った。この声を聞いていると不安が胸の中にうまれて、体中を流れていく。
「ここ……どこ?」
思わず口に出してしまう。すぐに知っている場所に出られると思っていた。
現実は厳しかったけれど。
「メリー、メリー!」
メリーを呼ぶ。少し声は震えてしまったけれど、恥ずかしがっていられない。
すると、木の向こうからわたしを探していたらしいメリーが現れた。
怖い顔をしていて、何かいけないことをしたかのような気持ちになった。
「メリ、――!」
近づいてきたメリーにいきなり手で口をふさがれる。
もう片方の手で、彼女が来たほうにドッシリとそびえる岩の奥に引っぱられた。
訳がわからないまま、うつ伏せに地面に押したおされてあごを地面に打つ。
「いたい」と言おうと思ったけど、さらに強く口をふさがれて手の中に響くだけだった。
「シーッ」と言われて、わたしが黙るまでメリーは手を離そうとはしなかった。
メリーにのしかかられ、苦しいながらもなんとか声を出した。
「ワッツ?」
それっぽく聞いてみると、メリーはだまって遠くの木を指さした。
指のほうをみたけど、別になにもない。ただの木があるだけだ。あえてなにか言うとしたら、ほかよりちょっと大きいかな。
べつにたいしたこと無いじゃん。そう思って立ち上がろうとしたとき。
変な音が聞こえるのと同時に、メリーに手をひかれてもう一度転んだ。
何の音かわからなかったけど、テレビで聞いたことがある。
たしかそれは、森林伐採の様子を映した番組でのことだった。
倒される木をみて「ああ、ひどい」なんて思っていたから、よく覚えている。
チェーンソーで伐られ、ある程度伐ると勝手に倒れる。その倒れるときに聞いた木の悲鳴とそっくり。むしろ、似すぎていた。
それは、わたしたちがみていた大木の叫びだった。
信じられなかったけど、その木はわたしたちの方に倒れてきた。大きいといってもそれほど高くはないから、べつにさける必要はないけども。
でも、それよりさけるべき対象がそこにあった。暗い闇の中から、なにかが姿をあらわしたのだ。
ゆっくりと、なにかが見える。闇の中から、少しだけ赤い顔が見えた。
人間かと思ったけれど、違う。
猿だ。猿がいる。
へえ、アメリカに猿なんていたんだ――なんてのん気なことが浮かんだ。
でもその猿の脚をみたとき、わたしはその考えを無かったことにしないといけなかった。
猿にしては前脚が太すぎる。それに、色が変だ。体の色とつりあわない。
暗くてよくみえないけど、黄色と、黒? 虎のようだけれど――。
ヒョウとライオンの雑種の、レオポンという動物を聞いたことがある。
ヒョウとライオン、確かに似ているところがある。
でもこいつはなんだ。猿と虎、そんな組み合わせ聞いたこと無い。
じゃあなんだあいつは!?
わけがわからない。今にでも壊れそうな頭から、何とか恐怖を追い出し、冷静を引っぱりこむ。
あんなヤツみたくない。だというのに、蛇ににらまれたわけじゃないのに、体が動かない。こわい蛇なんていない、いない、いない――。
――いないと信じたのに。
蛇はいた。
はじめは草にまぎれてみえなかったのに。
つぎには緑色の尻尾にみえたのに。
ここまでしか頭が働かなかったら、しあわせだったのに。
でもその尻尾が起きあがり、べつの生き物のように動き出したときには、もう冷静になれなかった。
尻尾にみえたのは、緑色の蛇だった。
「ヒョーヒョー」という甲高い声がすぐ近くできこえる。
さっきとは違い、耳が騒ぐほどの不気味な音だ。聞いているだけで心臓を掴まれているような気分だ。
メリー、あれ、なに?
そう聞きたいのに、言葉がでない。本能的にいま音を出してはいけない、と感じとっているのだろうか。
でも歯はガチガチ音を立てている。
なんでこんなとき、歯はやってはいけないことをやるんだろう。両手で口をふさぐ。せめて音がもれないように。
そういえば人間は怖いとき、そばにいる人の目をみようとすると聞いたことがある。お互いの目に恐怖がうつっていることを理解し、安心感を得ようとするらしい。
そのためだろうか、わたしはメリーの方を向いた。
だけど彼女はこちらを見ていなかった。あの化け物をじっとにらんでいる。
そこでなにかを思いついたのか、そばにある石を拾う。石を握った右手をすこし引く。
そこで彼女が何をしようとしているのか、やっと理解した。
やめてメリー、見つかっちゃうよ! そんなんじゃ倒せないって!
叫べない。だから震える手でメリーの右手をつかもうとした。
間にあわない。メリーのふられた手から離れた石は、放物線をかいてあいつのところに飛んでいく。
メリーを恨むことも忘れる。わたしの目の前には、死につながる腐敗臭に満ちた暗い道しかみえなかった。
しかしわたしの予想とはちがい、石はあいつの上を飛ぶ。
ずっと向こうにあった木にあたり、「コツン」というちいさな音をたてた。
あれはそちらの方――つまりわたしたちとは反対の方を向く。そっちにさがしているものがあると思ったのか、さっさと走り去ってしまった。
あの鳴き声をのこしながら。
あいつの鳴き声が完全にきこえなくなるまで、わたしたちは地面に伏せていた。
「……はぁああ」
たぶん「大丈夫?」と声をかけてくれながら、メリーはわたしの背中を撫でてくれる。
心臓がバクバクする。まともに息をしている気がしない。
「わ、ワッツ ザット?」
やっとしぼり出したのがその言葉だった。でも彼女もわからないらしく、残念そうに首を横にふった。
化け物だ。その考えは、頭を振ってかき消した。
違う、そんなものいない。いない、いない――何度も心の中でとなえた。
すこしの間メリーに背中をさすってもらうと、なんとか落ちついた。
わたしたちを隠してくれた岩に手をつき、立ちあがろうとする。
「あっ……」
立とうとしたけど、腰が抜けてできなかった。
転びそうになり、もう一度岩にお世話になる。メリーに支えられて、震える足にもがんばってもらう。
だけど何度やっても立ちあがれない。だんだんと視界がにじんできた。
安心か、はやくしないとまた来るかもしれないという恐怖か、どっちなのかはわからない。
もしかすると、それ以外なのか。
ただ、いまのわたしの中では安心がすこし強かったと思う。
ああもう、なんで高校生になってこんな目に。
そんな気持ちと、殺されなくて本当によかった、という気持ちが交互にやってくる。
怖かった。すごく怖かった。こっちに来ていちばん怖いのはピストルだと思っていた。
なのになんで、こんな目にあうんだろう。
漏れそうなおえつをぐっと抑える。メリーにみられたくなかったし、さっきのヤツが戻ってくるかもしれない。
のこっていた勇気が、なんとか涙をふきとった。
泣くよりも、しなくてはいけないことがある。これからのことだ。
これから、わたしは どうすればいいのだろう。
ここはどこ、なんでここにいるの、なんのために、――いろいろ人がいたら訪ねたいことはあるものの、今はそれどころじゃない。どうやって帰るか、だ。
さっきは気づかなかったが、まわりを見回すと、森の天井にぽっかりと穴があいている。その穴から、真っ赤な鳥居がみえた。
なんでアメリカにこんなのがあるんだとは思ったが、さっきのあれよりかは現実的だ。やっぱり不可解だけれど。
なんだろう、この神がサイコロと一緒にサジを投げたような世界は。
向こうが適当だというなら、そんな遊びからは一刻もはやくノーセンキューだ。
こんなところにいるよりかは、あの鳥居のところに逃げたほうがいいような気がする。
神社やお寺はこういう化け物だとか、そういうのから守ってくれそうな気がするのだ。
さっさと森をでよう、そしてあそこに向かおう。
メリーに「ゴーアウト」と言うと、メリーはいったんは「ノー」と言った。
「ホワイ?」
メリーがぺらぺらと理由を語る。ビコース、しか聞き取れなかった。
でも、おそらく下手に動きたくないのだろう。わたしだってそうだ。
「バット、ココ、アブナイ」
混乱して母国語でしか話せなかった。そのぶんをジェスチャーで補う。メリーは納得しているようだった。
彼女は、気が変わったのか「オーケー」と言った。そうしてわたしたちは、鳥居へと向かうことにしたのだった。
ところが、
「それはいけません」
予想していなかった邪魔が入った。大人びた女性の声だ。
おどろいたものの、人間じみた声だったので、感覚が狂ったのか、わたしは安心を覚えた。
彼女の姿をみるまでは。
「さっきも見たでしょう。このあたりは妖怪がうろついているのですわ」
その人物は言葉を続ける。首をかわいらしくかしげながら。それにつられて金髪がゆれた。
きれいな日本語を話す金髪の人はみたことがある。
だけど、それに加えて下半身がない人はみたことがなかった。
その女性は胸まではちゃんとある。でも腰がない。足がない。
胸から下が消えていて、彼女のうしろにある――本来見えるはずのない景色がみえていた。
もう一度顔を見ると、さっきのようにニコニコ笑っている。
怪しさや不気味さをたっぷり含んだ嫌な表情。思わずぞくっとした。
蛇ににらまれた蛙。さっきの蛇よりも強い危険を感じた。
まだ、この人の戦闘能力なんてわからないけれど。
ただのひ弱で上品な女性にしか見えないけれど。
でもわたしは確信していた。この人はまずい。さっきの化物なんて超越している。
間違いなく、下手をすれば消される。
首が動かせない。それでもメリーが気になり、目だけを動かしてメリーをみた。
メリーもまた、私と同じようにかたまっている。さっきまではわたしをリードするくらいだったというのに、今度はまるで逆だ。
信じられないものをみたような顔をしている。
その表情が、余計わたしを不安にさせる。
さっきの猿みたいなやつよりも、このきれいな女の人のほうが危険だという直感が、確信になったのだ。
「あら、キレイだなんて光栄ですわ、――?」
女性がぼそっとなにかを言った。
なんて言った?
とっさのことで、心を読まれたということがわからなかった。
この女性は、最後になにを言ったんだ? なにか、とてもおそろしいことを――。
「本当はちゃんと聞こえてるんでしょう? そろそろ現実をみなさいな。
……しかたないわね、最後をもう一回言ってあげる。ねえ、れ、ん、こ、さぁん?」
さっきまで回転していた頭の中が、ふっと暗くなった。電気が消えるかのように、作業を停止した。
メリーが怖がっている理由がわかった気がする。
もとから静かだった森の中が、さらに静まり返った。
わたしの中の恐怖が森に拡散し、森もまたおびえているかのようだった。
なんで名前を知ってるんだとか。なんで心を読めるんだとか。そんなことがどうでもよくなった。
彼女は下半身が消えたまま「すうっ」と音もなく移動し、メリーのほうへと近づいた。
どうしよう、メリーを助けないと。でも、術にかけられたかのように体が動かない。
メリーが殺される、そう思った。でもその人はメリーに近づくと、呆れたような声をだした。
「まったく……あなたもツイてないわね、こんなときにもここに招かれるなんて」
女性は「ざんねんざんねん」と言い、無邪気な声で「そうそう」とつづけた。すこしも残念そうじゃなかった。
「あなたたちが疑問に思っていることに答えましょう」
「その前に」と言った女性は指をパチン、と鳴らした。
胸の中にあったくっきりとした恐怖がドロッと溶けて、体の外に流れていったような気分だ。
代わりにこの女性に対して、軽いムカつきというか、怒りが生まれてきた。担任の先生がなぜか浮かんでくる。
「安心と恐怖の境界――まあ、対義語じゃないけれど、別にいいでしょう。
その境界を操ってみましたわ」
女性が訳のわからないことを言った。ぽかーんとしているわたしたちを見て、女性は笑い出した。
くすくす、くすくすと。
控えめだけれど、見下されているかのような気持ちになった。
「さてさて、じゃあ説明するわよ。ちゃーんと整理してね」
そう言って女性は直接頭に語りかけるように、聞きたかったことを答えてくれた。
とりあえず、信じがたいけど信じるしかなさそうだ。
どうやらこの人は八雲 紫さんというらしい。
「ゆかりんって呼んでね」
紫さんは無邪気な声で言った。わたしたちは呆然としてしまって、返事ができない。
「ああん、無視しないでよー」
それはちょっと。
それに心を読むって実際どうなんです、趣味がよろしくないんじゃないでしょうか。
「あら、担任の先生に対する態度のように失礼ね、蓮子さん」
紫さんの笑顔の向こうに黒い炎がみえた。いけない、調子に乗りすぎた。体に震えが戻ってくる。
だれだ、やらなくて後悔するよりやって後悔しろと言った人は。今だけはその格言は例外だ。
すいませんでした。お願いですから許してください。本当にごめんなさい。
「いいのいいの、それにけっこう落ちついているわね。もう夢だと割り切ったのかしら」
からかわれたのか。多分そうなんだろうな、たのしそうだ。
妖怪さんは「そうそう」と言いながらポン、と手を叩いて私に白い手袋につつまれた手を差し出した。
「蓮子さん、これを渡しておきますわ」
彼女の手にはちいさな銀色の金属がにぎられている。しかしそれはよくみると赤くも見えるし、茶色くも見える。
それ自体が色を好き勝手に変えているみたいだ。
「……これは?」
「オリハルコンという、あなたたちの世界ではすでになくなってしまった金属――で作ったネクタイピンですわ。
あなた、とってもネクタイがお似合いですからね」
「え、わたしネクタイなんて……」
「あなたの前では一回もつけてませんよ」と言おうとしたのに、「うふふふ」と笑われてごまかされた。
「あ、でも飛行機に乗る前ははずしてくださいね、金属探知機にひっかかりますから」
そういって笑いながら彼女はわたしにネクタイピンを渡した。
すこし温かい。もしかしてわたしにくれるために、ずっと持っていたんだろうか。
ますますこの人がわからなくなる。
「ちょっと。……いいかしら?」
「はい?」
紫さんの手がこちらに、すうっと伸びてくる。さっきまでならパニックになってヒステリックな叫びをあげただろう。
しかし今なら、うろたえずに紫さんの手を受け入れることができる。
ぽん、と頭に手をおかれた。それが頭の上のあちこちに動く。
「ずっと、なでてあげたかったの。ここまで、よくがんばったわね」
「いたいいたい、そこ鳥につつかれたんです!」
紫さんは「あらあら」と言う。まったく悪びれていなかった。
「あのときはちょっと追いつくのが大変でイライラしてたのよ、ごめんなさいね」
よくわからない。紫さんは一方的に理解しているみたいだけど、わたしにとってはなにを言われているのか……。
あるいは、それこそが紫さんの狙いだろうか。わたしが困るのをたのしんでいる?
「正解」
わたし、怒っていいかな。
「いい子いい子ー」
さらに なでなで される。
ほめられているんだから、とるべき態度はあると思う。謙遜するとか。「ありがとうございます」って言うとか。
でもそれらの態度はそもそも選択肢として生まれてこない。黙ったままだ。
ついには、新しい選択肢を呼び出した。
「あのー……」
「ああ、ごめんなさい」
紫さんは手を一度浮かせたものの、もう一度、さっきよりも強くなで、手をひいた。
なでられていたときの熱がのこっている。なぜかそれを、逃がしたくはなかった。
でも灯火のようにちいさい熱は、だんだんと静まっていく。
もう一度紫さんがゆっくりとメリーのほうに移動したときには、その熱はすっかり冷めていてしまった。なぜか、かなしくなってしまった。
紫さんをみる。もう、メリーにしかみえないやさしい顔になっていた。
「さて……と。
メリー、あなたは大変な子ねえ。幻想郷を見つけてくれるのはうれしいけど、さすがにちょっとかわいそう」
さびしそうに言う。
このタイミングでどうかと思うけど、ここでひとつ気づいた。
紫さんは日本語で話しているはず。
なのに、「メリー、あなたはまだ思い出せないのね?」のところまではメリーは紫さんの言っていることを理解している様子だった。
彼女には英語に聞こえるように話したのだろうか。
それでもメリーは紫さんの言うことが途中からわからなくなったらしく、泣きそうとはいわないけど困った表情をしていた。
おろおろと泳いでいた視線が溺れている。
ふと、内気な子が年上の人にいじられている様子を思いついた。それ以外には思いつかない。
年上の人は本当に困らすつもりじゃない。おもしろいから、からかっている。
つまり、紫さんはメリーを殺すつもりなんかじゃないというのが伝わってくる。
「まあいいわ。
でももし、もっと幻想郷を見たかったら――見たかったらでいいからね? 京都にいらっしゃい」
京都。なんで京都?
メリーもまた、「キョウ、ト?」と意味もなく繰りかえしている。
「じゃ、そろそろ帰るとするわ。……あ、蓮子さん」
「あ、はい」
「お土産ってことで、ちょっとした力を差しあげます。手をだして」
なんだろう、からかわれているんだろうか。でも、きっとたいしたことじゃないだろう。
素直に両手を差しだした。「ください」と言っているかのようにも見える格好だろう。
彼女はわたしの手に人指し指をあてた。するとそこから何かがじわじわと広がってくるような気がした。
「さ、これでいいわよ。これであなたは歩く時計よ。なにかに活用できると思います。
ねえ、……蓮子さん」
「なんでしょうか」
「メリーをよろしくね、またいつかお世話になるときがくると思うわ」
メリーは自分の名前だけが聞きとれたらしく、口を開けてポカンとした表情でこちらをみていた。
「あ、はい……」
とりあえず、相づちを打っておく。
「それと、いままでありがとう。たのしかったわ。
男性として生きるのも、なかなかいいものね。でもやっぱり、女性のほうがいいかな」
「……え?」
「うふふ、じゃあね」
なにを言われたのかが、やっぱりわからない。「待って」と言いたくて、紫さんに向かって飛び掛った。
ところが、つぎの瞬間にはなにもなくなっていた。
勢いあまって木にぶつかる。
頭から木に激突、すごいはやさで口が閉まる。前歯どうしがガッチャンコ。折れてはいないけど、歯茎のあたりがしびれる。
「痛たた……あれ?」
おかしいな、痛いと思ったから言ったのに。ぜんぜん痛くないのだ。
それとも、強く打ちすぎたんだろうか。
足元がふわふわしている。夜なのに、目の前が明るい。
メリーがかけよってくる音がする。腕を掴まれた。
わたしを起こそうとしたみたいだけどなぜかメリーも倒れこみ、腕を包んでいた手が離れる。
それでもメリーはわたしにむかって手をのばした。わたしはそれを強くにぎる。今度は、手と腕という不釣合いなんかじゃなくて。ちゃんと、手と手で。
目の前が見えないくらい真っ白になったとたん、わたしの頭の中にも白がなだれこんできた。手をしっかりと握ったまま。
<つづく>
ごくシンプルに、「これは夢だね」という答えをもらう。
でも納得するには説得力が足りない。「これは夢じゃない」なんて誰も言っていない。
だれかがそう言ってくれないと割り切れない。
割り切ってくれる人を探すけれど、案の定見つかるはずがない。諦めて、わたしは歩きはじめた。このままじっとしていても仕方ない。
はだしで湿った土を踏む感触。そこから伝わってくる感覚は、すこしの痛みと冷たさだった。
どこからともなく、「ヒョー、ヒョー」という生き物の声がきこえる。
不気味なほど高くて、イヤな声だと思った。この声を聞いていると不安が胸の中にうまれて、体中を流れていく。
「ここ……どこ?」
思わず口に出してしまう。すぐに知っている場所に出られると思っていた。
現実は厳しかったけれど。
「メリー、メリー!」
メリーを呼ぶ。少し声は震えてしまったけれど、恥ずかしがっていられない。
すると、木の向こうからわたしを探していたらしいメリーが現れた。
怖い顔をしていて、何かいけないことをしたかのような気持ちになった。
「メリ、――!」
近づいてきたメリーにいきなり手で口をふさがれる。
もう片方の手で、彼女が来たほうにドッシリとそびえる岩の奥に引っぱられた。
訳がわからないまま、うつ伏せに地面に押したおされてあごを地面に打つ。
「いたい」と言おうと思ったけど、さらに強く口をふさがれて手の中に響くだけだった。
「シーッ」と言われて、わたしが黙るまでメリーは手を離そうとはしなかった。
メリーにのしかかられ、苦しいながらもなんとか声を出した。
「ワッツ?」
それっぽく聞いてみると、メリーはだまって遠くの木を指さした。
指のほうをみたけど、別になにもない。ただの木があるだけだ。あえてなにか言うとしたら、ほかよりちょっと大きいかな。
べつにたいしたこと無いじゃん。そう思って立ち上がろうとしたとき。
変な音が聞こえるのと同時に、メリーに手をひかれてもう一度転んだ。
何の音かわからなかったけど、テレビで聞いたことがある。
たしかそれは、森林伐採の様子を映した番組でのことだった。
倒される木をみて「ああ、ひどい」なんて思っていたから、よく覚えている。
チェーンソーで伐られ、ある程度伐ると勝手に倒れる。その倒れるときに聞いた木の悲鳴とそっくり。むしろ、似すぎていた。
それは、わたしたちがみていた大木の叫びだった。
信じられなかったけど、その木はわたしたちの方に倒れてきた。大きいといってもそれほど高くはないから、べつにさける必要はないけども。
でも、それよりさけるべき対象がそこにあった。暗い闇の中から、なにかが姿をあらわしたのだ。
ゆっくりと、なにかが見える。闇の中から、少しだけ赤い顔が見えた。
人間かと思ったけれど、違う。
猿だ。猿がいる。
へえ、アメリカに猿なんていたんだ――なんてのん気なことが浮かんだ。
でもその猿の脚をみたとき、わたしはその考えを無かったことにしないといけなかった。
猿にしては前脚が太すぎる。それに、色が変だ。体の色とつりあわない。
暗くてよくみえないけど、黄色と、黒? 虎のようだけれど――。
ヒョウとライオンの雑種の、レオポンという動物を聞いたことがある。
ヒョウとライオン、確かに似ているところがある。
でもこいつはなんだ。猿と虎、そんな組み合わせ聞いたこと無い。
じゃあなんだあいつは!?
わけがわからない。今にでも壊れそうな頭から、何とか恐怖を追い出し、冷静を引っぱりこむ。
あんなヤツみたくない。だというのに、蛇ににらまれたわけじゃないのに、体が動かない。こわい蛇なんていない、いない、いない――。
――いないと信じたのに。
蛇はいた。
はじめは草にまぎれてみえなかったのに。
つぎには緑色の尻尾にみえたのに。
ここまでしか頭が働かなかったら、しあわせだったのに。
でもその尻尾が起きあがり、べつの生き物のように動き出したときには、もう冷静になれなかった。
尻尾にみえたのは、緑色の蛇だった。
「ヒョーヒョー」という甲高い声がすぐ近くできこえる。
さっきとは違い、耳が騒ぐほどの不気味な音だ。聞いているだけで心臓を掴まれているような気分だ。
メリー、あれ、なに?
そう聞きたいのに、言葉がでない。本能的にいま音を出してはいけない、と感じとっているのだろうか。
でも歯はガチガチ音を立てている。
なんでこんなとき、歯はやってはいけないことをやるんだろう。両手で口をふさぐ。せめて音がもれないように。
そういえば人間は怖いとき、そばにいる人の目をみようとすると聞いたことがある。お互いの目に恐怖がうつっていることを理解し、安心感を得ようとするらしい。
そのためだろうか、わたしはメリーの方を向いた。
だけど彼女はこちらを見ていなかった。あの化け物をじっとにらんでいる。
そこでなにかを思いついたのか、そばにある石を拾う。石を握った右手をすこし引く。
そこで彼女が何をしようとしているのか、やっと理解した。
やめてメリー、見つかっちゃうよ! そんなんじゃ倒せないって!
叫べない。だから震える手でメリーの右手をつかもうとした。
間にあわない。メリーのふられた手から離れた石は、放物線をかいてあいつのところに飛んでいく。
メリーを恨むことも忘れる。わたしの目の前には、死につながる腐敗臭に満ちた暗い道しかみえなかった。
しかしわたしの予想とはちがい、石はあいつの上を飛ぶ。
ずっと向こうにあった木にあたり、「コツン」というちいさな音をたてた。
あれはそちらの方――つまりわたしたちとは反対の方を向く。そっちにさがしているものがあると思ったのか、さっさと走り去ってしまった。
あの鳴き声をのこしながら。
あいつの鳴き声が完全にきこえなくなるまで、わたしたちは地面に伏せていた。
「……はぁああ」
たぶん「大丈夫?」と声をかけてくれながら、メリーはわたしの背中を撫でてくれる。
心臓がバクバクする。まともに息をしている気がしない。
「わ、ワッツ ザット?」
やっとしぼり出したのがその言葉だった。でも彼女もわからないらしく、残念そうに首を横にふった。
化け物だ。その考えは、頭を振ってかき消した。
違う、そんなものいない。いない、いない――何度も心の中でとなえた。
すこしの間メリーに背中をさすってもらうと、なんとか落ちついた。
わたしたちを隠してくれた岩に手をつき、立ちあがろうとする。
「あっ……」
立とうとしたけど、腰が抜けてできなかった。
転びそうになり、もう一度岩にお世話になる。メリーに支えられて、震える足にもがんばってもらう。
だけど何度やっても立ちあがれない。だんだんと視界がにじんできた。
安心か、はやくしないとまた来るかもしれないという恐怖か、どっちなのかはわからない。
もしかすると、それ以外なのか。
ただ、いまのわたしの中では安心がすこし強かったと思う。
ああもう、なんで高校生になってこんな目に。
そんな気持ちと、殺されなくて本当によかった、という気持ちが交互にやってくる。
怖かった。すごく怖かった。こっちに来ていちばん怖いのはピストルだと思っていた。
なのになんで、こんな目にあうんだろう。
漏れそうなおえつをぐっと抑える。メリーにみられたくなかったし、さっきのヤツが戻ってくるかもしれない。
のこっていた勇気が、なんとか涙をふきとった。
泣くよりも、しなくてはいけないことがある。これからのことだ。
これから、わたしは どうすればいいのだろう。
ここはどこ、なんでここにいるの、なんのために、――いろいろ人がいたら訪ねたいことはあるものの、今はそれどころじゃない。どうやって帰るか、だ。
さっきは気づかなかったが、まわりを見回すと、森の天井にぽっかりと穴があいている。その穴から、真っ赤な鳥居がみえた。
なんでアメリカにこんなのがあるんだとは思ったが、さっきのあれよりかは現実的だ。やっぱり不可解だけれど。
なんだろう、この神がサイコロと一緒にサジを投げたような世界は。
向こうが適当だというなら、そんな遊びからは一刻もはやくノーセンキューだ。
こんなところにいるよりかは、あの鳥居のところに逃げたほうがいいような気がする。
神社やお寺はこういう化け物だとか、そういうのから守ってくれそうな気がするのだ。
さっさと森をでよう、そしてあそこに向かおう。
メリーに「ゴーアウト」と言うと、メリーはいったんは「ノー」と言った。
「ホワイ?」
メリーがぺらぺらと理由を語る。ビコース、しか聞き取れなかった。
でも、おそらく下手に動きたくないのだろう。わたしだってそうだ。
「バット、ココ、アブナイ」
混乱して母国語でしか話せなかった。そのぶんをジェスチャーで補う。メリーは納得しているようだった。
彼女は、気が変わったのか「オーケー」と言った。そうしてわたしたちは、鳥居へと向かうことにしたのだった。
ところが、
「それはいけません」
予想していなかった邪魔が入った。大人びた女性の声だ。
おどろいたものの、人間じみた声だったので、感覚が狂ったのか、わたしは安心を覚えた。
彼女の姿をみるまでは。
「さっきも見たでしょう。このあたりは妖怪がうろついているのですわ」
その人物は言葉を続ける。首をかわいらしくかしげながら。それにつられて金髪がゆれた。
きれいな日本語を話す金髪の人はみたことがある。
だけど、それに加えて下半身がない人はみたことがなかった。
その女性は胸まではちゃんとある。でも腰がない。足がない。
胸から下が消えていて、彼女のうしろにある――本来見えるはずのない景色がみえていた。
もう一度顔を見ると、さっきのようにニコニコ笑っている。
怪しさや不気味さをたっぷり含んだ嫌な表情。思わずぞくっとした。
蛇ににらまれた蛙。さっきの蛇よりも強い危険を感じた。
まだ、この人の戦闘能力なんてわからないけれど。
ただのひ弱で上品な女性にしか見えないけれど。
でもわたしは確信していた。この人はまずい。さっきの化物なんて超越している。
間違いなく、下手をすれば消される。
首が動かせない。それでもメリーが気になり、目だけを動かしてメリーをみた。
メリーもまた、私と同じようにかたまっている。さっきまではわたしをリードするくらいだったというのに、今度はまるで逆だ。
信じられないものをみたような顔をしている。
その表情が、余計わたしを不安にさせる。
さっきの猿みたいなやつよりも、このきれいな女の人のほうが危険だという直感が、確信になったのだ。
「あら、キレイだなんて光栄ですわ、――?」
女性がぼそっとなにかを言った。
なんて言った?
とっさのことで、心を読まれたということがわからなかった。
この女性は、最後になにを言ったんだ? なにか、とてもおそろしいことを――。
「本当はちゃんと聞こえてるんでしょう? そろそろ現実をみなさいな。
……しかたないわね、最後をもう一回言ってあげる。ねえ、れ、ん、こ、さぁん?」
さっきまで回転していた頭の中が、ふっと暗くなった。電気が消えるかのように、作業を停止した。
メリーが怖がっている理由がわかった気がする。
もとから静かだった森の中が、さらに静まり返った。
わたしの中の恐怖が森に拡散し、森もまたおびえているかのようだった。
なんで名前を知ってるんだとか。なんで心を読めるんだとか。そんなことがどうでもよくなった。
彼女は下半身が消えたまま「すうっ」と音もなく移動し、メリーのほうへと近づいた。
どうしよう、メリーを助けないと。でも、術にかけられたかのように体が動かない。
メリーが殺される、そう思った。でもその人はメリーに近づくと、呆れたような声をだした。
「まったく……あなたもツイてないわね、こんなときにもここに招かれるなんて」
女性は「ざんねんざんねん」と言い、無邪気な声で「そうそう」とつづけた。すこしも残念そうじゃなかった。
「あなたたちが疑問に思っていることに答えましょう」
「その前に」と言った女性は指をパチン、と鳴らした。
胸の中にあったくっきりとした恐怖がドロッと溶けて、体の外に流れていったような気分だ。
代わりにこの女性に対して、軽いムカつきというか、怒りが生まれてきた。担任の先生がなぜか浮かんでくる。
「安心と恐怖の境界――まあ、対義語じゃないけれど、別にいいでしょう。
その境界を操ってみましたわ」
女性が訳のわからないことを言った。ぽかーんとしているわたしたちを見て、女性は笑い出した。
くすくす、くすくすと。
控えめだけれど、見下されているかのような気持ちになった。
「さてさて、じゃあ説明するわよ。ちゃーんと整理してね」
そう言って女性は直接頭に語りかけるように、聞きたかったことを答えてくれた。
とりあえず、信じがたいけど信じるしかなさそうだ。
どうやらこの人は八雲 紫さんというらしい。
「ゆかりんって呼んでね」
紫さんは無邪気な声で言った。わたしたちは呆然としてしまって、返事ができない。
「ああん、無視しないでよー」
それはちょっと。
それに心を読むって実際どうなんです、趣味がよろしくないんじゃないでしょうか。
「あら、担任の先生に対する態度のように失礼ね、蓮子さん」
紫さんの笑顔の向こうに黒い炎がみえた。いけない、調子に乗りすぎた。体に震えが戻ってくる。
だれだ、やらなくて後悔するよりやって後悔しろと言った人は。今だけはその格言は例外だ。
すいませんでした。お願いですから許してください。本当にごめんなさい。
「いいのいいの、それにけっこう落ちついているわね。もう夢だと割り切ったのかしら」
からかわれたのか。多分そうなんだろうな、たのしそうだ。
妖怪さんは「そうそう」と言いながらポン、と手を叩いて私に白い手袋につつまれた手を差し出した。
「蓮子さん、これを渡しておきますわ」
彼女の手にはちいさな銀色の金属がにぎられている。しかしそれはよくみると赤くも見えるし、茶色くも見える。
それ自体が色を好き勝手に変えているみたいだ。
「……これは?」
「オリハルコンという、あなたたちの世界ではすでになくなってしまった金属――で作ったネクタイピンですわ。
あなた、とってもネクタイがお似合いですからね」
「え、わたしネクタイなんて……」
「あなたの前では一回もつけてませんよ」と言おうとしたのに、「うふふふ」と笑われてごまかされた。
「あ、でも飛行機に乗る前ははずしてくださいね、金属探知機にひっかかりますから」
そういって笑いながら彼女はわたしにネクタイピンを渡した。
すこし温かい。もしかしてわたしにくれるために、ずっと持っていたんだろうか。
ますますこの人がわからなくなる。
「ちょっと。……いいかしら?」
「はい?」
紫さんの手がこちらに、すうっと伸びてくる。さっきまでならパニックになってヒステリックな叫びをあげただろう。
しかし今なら、うろたえずに紫さんの手を受け入れることができる。
ぽん、と頭に手をおかれた。それが頭の上のあちこちに動く。
「ずっと、なでてあげたかったの。ここまで、よくがんばったわね」
「いたいいたい、そこ鳥につつかれたんです!」
紫さんは「あらあら」と言う。まったく悪びれていなかった。
「あのときはちょっと追いつくのが大変でイライラしてたのよ、ごめんなさいね」
よくわからない。紫さんは一方的に理解しているみたいだけど、わたしにとってはなにを言われているのか……。
あるいは、それこそが紫さんの狙いだろうか。わたしが困るのをたのしんでいる?
「正解」
わたし、怒っていいかな。
「いい子いい子ー」
さらに なでなで される。
ほめられているんだから、とるべき態度はあると思う。謙遜するとか。「ありがとうございます」って言うとか。
でもそれらの態度はそもそも選択肢として生まれてこない。黙ったままだ。
ついには、新しい選択肢を呼び出した。
「あのー……」
「ああ、ごめんなさい」
紫さんは手を一度浮かせたものの、もう一度、さっきよりも強くなで、手をひいた。
なでられていたときの熱がのこっている。なぜかそれを、逃がしたくはなかった。
でも灯火のようにちいさい熱は、だんだんと静まっていく。
もう一度紫さんがゆっくりとメリーのほうに移動したときには、その熱はすっかり冷めていてしまった。なぜか、かなしくなってしまった。
紫さんをみる。もう、メリーにしかみえないやさしい顔になっていた。
「さて……と。
メリー、あなたは大変な子ねえ。幻想郷を見つけてくれるのはうれしいけど、さすがにちょっとかわいそう」
さびしそうに言う。
このタイミングでどうかと思うけど、ここでひとつ気づいた。
紫さんは日本語で話しているはず。
なのに、「メリー、あなたはまだ思い出せないのね?」のところまではメリーは紫さんの言っていることを理解している様子だった。
彼女には英語に聞こえるように話したのだろうか。
それでもメリーは紫さんの言うことが途中からわからなくなったらしく、泣きそうとはいわないけど困った表情をしていた。
おろおろと泳いでいた視線が溺れている。
ふと、内気な子が年上の人にいじられている様子を思いついた。それ以外には思いつかない。
年上の人は本当に困らすつもりじゃない。おもしろいから、からかっている。
つまり、紫さんはメリーを殺すつもりなんかじゃないというのが伝わってくる。
「まあいいわ。
でももし、もっと幻想郷を見たかったら――見たかったらでいいからね? 京都にいらっしゃい」
京都。なんで京都?
メリーもまた、「キョウ、ト?」と意味もなく繰りかえしている。
「じゃ、そろそろ帰るとするわ。……あ、蓮子さん」
「あ、はい」
「お土産ってことで、ちょっとした力を差しあげます。手をだして」
なんだろう、からかわれているんだろうか。でも、きっとたいしたことじゃないだろう。
素直に両手を差しだした。「ください」と言っているかのようにも見える格好だろう。
彼女はわたしの手に人指し指をあてた。するとそこから何かがじわじわと広がってくるような気がした。
「さ、これでいいわよ。これであなたは歩く時計よ。なにかに活用できると思います。
ねえ、……蓮子さん」
「なんでしょうか」
「メリーをよろしくね、またいつかお世話になるときがくると思うわ」
メリーは自分の名前だけが聞きとれたらしく、口を開けてポカンとした表情でこちらをみていた。
「あ、はい……」
とりあえず、相づちを打っておく。
「それと、いままでありがとう。たのしかったわ。
男性として生きるのも、なかなかいいものね。でもやっぱり、女性のほうがいいかな」
「……え?」
「うふふ、じゃあね」
なにを言われたのかが、やっぱりわからない。「待って」と言いたくて、紫さんに向かって飛び掛った。
ところが、つぎの瞬間にはなにもなくなっていた。
勢いあまって木にぶつかる。
頭から木に激突、すごいはやさで口が閉まる。前歯どうしがガッチャンコ。折れてはいないけど、歯茎のあたりがしびれる。
「痛たた……あれ?」
おかしいな、痛いと思ったから言ったのに。ぜんぜん痛くないのだ。
それとも、強く打ちすぎたんだろうか。
足元がふわふわしている。夜なのに、目の前が明るい。
メリーがかけよってくる音がする。腕を掴まれた。
わたしを起こそうとしたみたいだけどなぜかメリーも倒れこみ、腕を包んでいた手が離れる。
それでもメリーはわたしにむかって手をのばした。わたしはそれを強くにぎる。今度は、手と腕という不釣合いなんかじゃなくて。ちゃんと、手と手で。
目の前が見えないくらい真っ白になったとたん、わたしの頭の中にも白がなだれこんできた。手をしっかりと握ったまま。
<つづく>
ぬえが怖い、夜中にあんなキメラと遭遇すりゃ腰も抜かすわな……
ぬえって妖怪の中でもかなりこわいと思います。
あれを考えた人はどんな頭をしていらしたのでしょう。
考えるのは勝手だけれどちゃんと頭の中で管理してほしかった。