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蝋燭の灯火が、ゆらゆらと揺れている。
居間には二つの影があった。一つは人間のもので、もう一つは耳と大きな尻尾が特徴的な影。
藍は一息ついて、また口を開いた。
「――この頃に造られた幻想郷は、形だけのものだった。幻想郷とは名ばかりの、まして妖怪の楽園とは程遠い。そんな有様だった」
歴史を語るとはどういうことか。
「妖怪達は、焦っていたのだ。外の時代は変わってしまった。夜は人の時間となり、暗闇は人の領域となった。物の怪の時代は終わり、人の時代がやってきたのだ。多くの犠牲を重ね、この幻想郷をつくったものの、そこに住む人間を排斥しようとする妖怪が後を立たなかった。やがて外の世界のように、人間が妖怪の脅威とならないために」
それは過去のある地点から現代に至るまでの道を、階段飛ばしのように歩くようなものだと、藍は語りながら感じていた。
一歩一歩語っていれば、きりがない。たとえその一歩に、どれだけの思いが込められていようとも。
「だがそれは、縄で自分の首を絞めることと同義だ。人間の存在無しに、妖怪は生きることができない。今では常識な事実も、この時代では判っていない者が多かったのだ」
それでも、できるだけ歩調を緩めて語るよう努める。大事なのは結果ではなく、そこに至るまでの過程なのだから。
続ける。
「人も物の怪も、多くの者が亡くなった。自らの存続のために人間を守る妖怪と、同じく食い殺そうとする妖怪。そして人間は、妖怪の全てを憎んだ。この郷に住む人間も、もとは外の世界の人間だ。訳も判らず閉じ込められれば、当然といえよう」
「……」
「争いが続いた。今では想像も出来無いぐらいに、殺伐とした世界が広がっていた。毎日のように地形が変わったよ。しかし、形勢は徐々に人間側に傾いていった。意外かもしれない。当時はまだ、多くの名だたる大妖怪達が、地上に跋扈していたというのに」
「……」
「だがこの時代の人間は、恐ろしく強かった。人の成長とは、まるで際限が見えない。争いが、妖怪退治の技術を極限まで高めていったのだろうな」
「……」
「霊夢」
「……」
「今だからこそ言うが、私は実は狸なんだ。嘘じゃない、本当だ」
「……」
「ぽんぽこぽん」
「……」
やはり、巫女の反応は無い。
藍はこほんと咳をする。頬が少し染まっていた。
見れば、霊夢はうつらうつらと船を漕いでいる。コタツに突っ伏さないのは、彼女なりの最後の抵抗といったところか。話に夢中で、何時からこんな様子なのかは判らなかったが、半刻は喋り続けていただろう。
咎めようかと思ったが、何時なら彼女は寝ている時間帯だ。
(まあ、仕方ない。一方的に語る私にも非はあっただろう)
そう思い当たり、息をつく。
すくっと立ち上がる。霊夢を布団に寝かしつけようと、彼女の側による。
起こさないよう足音と気配を断っていたが、数歩手前で霊夢はぱちりと目を開けた。寝ぼけ眼ではなく、黒く無感情な瞳が藍を捉える。 視線が重なり、藍は足を止めた。
「……」
「……」
しばしの沈黙の後、
「あっ」
霊夢が声を上げるが。
藍は呆れた面持ちで訊ねた。
「起きたか?」
「あー……ごめん」
気まずげな様子で、素直に謝ってくる。
藍はかぶりを振ろうとして、思いとどまった。少しだけ険のある口調を意識して、告げる。
「まったくだ。霊夢、お前はもう少ししっかりと相手の話を聞きなさい」
「悪かったってば、最初は頑張って聞いていたはずなんだけど……」
おかしいわねー、とのんきに唸る巫女。
藍はもう一度息をついて、それから表情を緩めた。
「まあ、今日のところは仕方なしとしようか。いつもなら床についていた時間だ。だが、明日は今日のようにはいかないぞ」
「えー。明日もやるの?」
「明日とは言わず、私の居る期間はずっとだ。あまり長いと寝てしまうしな。日を別けて、少しずつ話す事にしよう」
「こりゃほんとに先が思いやられるわね……」
眉根をよせ、巫女はうなる。
藍は促した。
「さあ、もう眠いのだろう。布団を敷こうか」
「そうね、もう夜も更けてきたもの」
「まだ零時も過ぎていないがな」
コタツを消し、寝室へと行く。
布団を並べ、一日が終えた。
ひと月が過ぎる。
それだけの時間が経てば、巫女について判ってくることもある。
少しだらしがないと見られがちな巫女だが、その生活は意外なほどに規則正しい。
正直に言えば、藍よりも起床時間はずっと早い。もちろん就寝時間もだが。食事や洗濯や掃除も巫女の仕事も。自らの身の周りの世話は、言われずとも率先してやっていく。
世話をすると告げた藍だが、そういった面で実際に彼女の世話をすることは皆無に等しかった。
ただ一部、修行や結界の管理などは、あまり自主性が窺えない。このことや、よく縁側で何をすることもなくお茶を飲んでいる姿が印象に強いことから、霊夢はそういう風に見られがちなのだろう。
夜。布団の中。
そんなことを考えながら、藍はごろんと寝返りを打った。
客用の布団も、もう随分となれたものだった。寝室を包む暗闇もまた、馴染みのものとなっていた。
隣を見やる。
そこには同じく巫女の姿があった。藍に背を向けている。肩が小さく上下していることから、もう寝ているのだろう。
(博麗の巫女か)
その背中に、ぼんやりとつぶやく。
このひと月。代わり映えのない毎日が続いた。偶にあった変化といえば、幾人かの来訪者があったぐらいのものだ。藍の姿を見て、酷く驚いてはいたが。それ以外は、まるで変化がない。
それでも。
(悪くない時間だった)
もし藍が人間ならば、退屈で仕方なかったかもしれない。
長い時を経た妖怪にとって、ふと気がつけば数年が経っている、なんてことがよくある。時間の流れが、人間と比べて恐ろしく速い。それは感受性の磨耗によるものだろう。巡る季節を、ありのままを、受け入れられなくなった。それこそ、階段飛ばしで歩くように。
だがこの博麗神社では、一日一日のなかに、確かな時間の流れを見ることが出来た。たった一日の長さを感じる。それはいったい何年ぶりだろうか。百年、二百年……気の遠くなるほど昔の出来事なのは確かだ。静かな時間の中を過ごすのは、本当に久しぶりだった。
(霊夢には、感謝せねばな……)
彼女からしてみれば、意図してやっているわけではないだろうが……
この穏やかな時間は、霊夢による影響だろう。妖怪にあるまじきことだが、この巫女の隣は不思議と居心地が良い。それが、彼女が大妖怪の気に留められる原因なのかもしれない。
(だが――)
この巫女は、どうなのだろうか。
藍は霊夢の影響をうけて、神社で静かな時間を過ごすことが出来ている。しかしこの巫女は、何も変わっていないのではないか。
いろいろなことを、巫女に話してきたつもりだ。幻想郷のこと、博麗大結界のこと、術式のこと。いずれ、巫女に必要になることを。
ゆっくりとした時間の中で、霊夢はあまり喋らない。そうなると、藍が口を開く機会のほうが自然と多くなる。霊夢が聞き上手な面もあるからだろう。昔話や料理のこと、人里のことなど。藍には珍しいことに、他愛のない話も多くした。
だが――もし、滞在期間を終えて藍が帰れば、彼女はどうなるだろうか。藍の影響を受けて、少しでも何かが変わるだろうか?
「……」
暗闇を見やり、夢想するが。
やはり、何も変わらないように思えた。
藍が去った後も、巫女はいつもの時間に起きて、ひとり黙々と箒を動かすのだろう。あの始終変わらないペースで、竹箒の音を境内に響かせるのだろう。そしてまた、早い時間に床につくのだ。
それは今だって、大して変わらないのではないか。
(博麗の巫女。博麗霊夢……)
暗闇の中で、つぶやく。その存在を確かめるように。
まるで暖簾のような人間だ。押せば、その時だけ暖簾は上がるが、放せばすぐに元に戻ってしまう。それこそ、何事も無かったかのように。
その空想は気のせいなのかもしれない。だが思ってしまうのだ。
(私の言葉は、お前に届いているのか? 私という存在は、少しでもお前に影響を与えているのか?)
背中に語りかける。
巫女は身動ぎもしなかった。
藍の語りにもちゃんと裏に設定があることがわかって良かったです。続き楽しみにしてます!
もう、本当に続きが楽しみです!