「まったく、てゐのやつ……」
鈴仙は一人、庭の手入れをしている。
本当ならば、てゐと協力してやる作業のはずだったのに、と鈴仙はため息をつく。
てゐが気まぐれで仕事をサボるのはよくあることだ。
こうして、鈴仙が一人で仕事をするのも、そうそう珍しいことではない。
輝夜の望みで作られたというこの庭園の手入れをするのは骨が折れる。
すべてが絶妙のバランスで整えられた庭は見る人を魅了する芸術品のよう。まるで一つの世界を形作っているかのように、完成しきっている。
だからこそ、その調和を保ち続けるために、ひとつひとつ細かいところまで、気を遣わなければならない。
少しくらい乱れていてもよいではないか、と思っても、そのほんの少しの違和感にも輝夜は気付いてしまう。
それを叱責されるのならば、いい。
月にいた頃、軍人だった頃にはしょっちゅう臆病風に吹かれては依姫に小言を言われていたから、慣れている。本当にダメな子ねえ、と呆れたようにため息をつかれるのも慣れている。よく豊姫がそうしていたから。
てゐにこんなことも分からないなんてお子様だねえ、と笑われるのも、永琳に口に出せないようなお仕置きをされるのも構わない。
責めてくれるのなら、それでいいのだ。
だが、輝夜は鈴仙の手入れに不備があっても、文句を言わない。
ありがとう、きれいよ、と優しい顔で微笑んで、頭を撫でてくれる。
それは、とてもありがたいことのはずなのだけれど。
だが、鈴仙は知っている。
気に食わないところ、完璧ではないところがあった時、輝夜自身が鈴仙に気付かれないように庭の手入れをしていることを。
わざわざ、鈴仙が薬売りに出かけている時を狙って、こっそりと、いつか読んだ絵本に出てきた靴屋の妖精のように直してくれる。
もともと、輝夜が庭の造形を考えたことや、趣味が盆栽であることを合わせて考えれば、なにも不可解なことなどない。現に輝夜が手入れをした後、庭はより美しくなる。
だが、鈴仙はそれが嫌だった。
この永遠亭では最年少。未熟で卑怯な自分が至らないことだらけだということぐらい分かっている。
輝夜は、きっと鈴仙を傷つけまいとして、あるいは頑張って手入れをしたことを評価してくれているのだ。小さな子の不完全なお手伝いをお母さんがそっと直していくみたいに、気付かれないように、手入れの仕上げをしてくれたんだと思う。
だけど。それは、鈴仙ができないと、輝夜がそう思っているからに違いない。
だから、いつまで経っても他の兎と変わらずに、イナバなんて呼ばれるのだ。
鈴仙はとても嫌だった。輝夜に信頼されていないような、自分と言う存在を認めてもらえないような、そんな気分になってしまうから。
だからこそ、庭の手入れをするときは、それこそ永琳に薬について教授されているときと同じぐらい、あるいはそれ以上に神経を尖らせて、ことに臨んでいる。
それでも、月育ちの鈴仙には分からないことも少なくない。
特に、わびさびだとか、をかしだとか、あはれだとか。そういう感覚的なことは分からなかった。
そんなとき、外見こそ幼く、行動も子どもっぽいところがあるけれども、実際は神話の時代から生きているというてゐの経験が役に立ってくれる。
だから、他の掃除だの洗濯だの、料理だのはいい。一人でもできる。
だが、庭の手入れの時だけはいてほしかったのだ。
「あーあ……」
もう一度ため息。
最近はとてもついていない。朝の卵焼きは焦がしてしまったし、薬配達の配達先を間違えそうになった。永琳に出されていた課題も致命的なミスをしていたせいで、とても叱られてしまった。
疲れがたまっているから集中できないのかもしれない、と考えて、早く寝るように心がけてはいるのだが、やらなければいけないことは山のようにある。
結果、疲労ばかりがたまっていくのだが、対処法は見つからない。
「ため息をつくと幸せが逃げるらしいわよ」
不意に後ろからかけられた声。
鈴が転がるような、それでいてどこか落ちついた響きのその声は、鈴仙の飼い主、蓬莱山輝夜のものだった。
作業の手を止めて振り返れば、いつの間に接近していたのか、触れあいそうなほど近くに輝夜が立っている。いつも通りの桃色の着物に、濃い紅色のスカート。長い裾が地面にそのまま擦っていて、土や砂がついてしまう。
「姫様、お召物が汚れちゃいますよ」
「ああ、そういえばそうねえ」
鈴仙が慌てているのと対照的に、輝夜はおっとりと笑う。驚くほど細かいことを気にしないところがあるのだ。だからと言って、ずぼらだったり大雑把だったりするかと言えば、必ずしもそんなことはない。
たとえば、服に焚きこめる香の合わせだとか、色合わせのバランスだとか。特に芸術、文化方面には、鈴仙には違いが分からないほど細かいところまでこだわる。もちろん、庭の手入れもその一つだ。
どこにこだわり、どこを気にしないのか。どうにもとらえどころがない。
鈴仙は輝夜を主人として敬愛しているし、とても好きだけれど、そういうところはどうにも苦手だった。
「ちょっと、話があるから、私の部屋まで来てちょうだい」
「え、あ、でも……」
胸の前で両手を合わせて小首を傾げる輝夜。すっかり癖になっているのか、何かお願いごとをするときや、無茶振りをする時はたいていこの仕草をする。
なんだろう、と思う反面、まだまだ終わる気配を見せない庭の手入れを横目で見て、鈴仙は困った顔をした。流石にこれを中途半端にほっぽり出すのはどうかと思う。
「いいからいいから。こんなの、あとでやればいいのよ。ね?」
「はあ……」
なんとなく釈然としない。少しばかり完璧主義なところのある鈴仙は唸る。
とはいえ、この永遠亭の最高権力者である輝夜のお願いを断るわけにはいかない。この庭の所有者である輝夜自身がそう言うのだから、それでいいのだろう。
妙な顔をする鈴仙の背中を急かすように押す輝夜は、ふ、と目を細めていた。
「膝枕に決まってるじゃない」
部屋についた途端、朱色の座布団の上、正座をした輝夜。おいでー、と、ぽんぽん、と自らの膝を叩いてみせる。その仕草の意味が分からず、きょとんとする鈴仙に、輝夜は唇を尖らせた。
「ひ、ひざまくら?」
「膝枕よ? 知らない?」
「知ってますけど……。そ、そんなことできませんよ!」
「あらあら、照れちゃって。大丈夫、二人っきりよ。ちっちゃなイナバ達には見られないわ」
「別に照れてるとかじゃないですけど……」
「前から一度やってみたかったのよ。永琳はしてくれるけど、させてはくれないし」
つまんない、と囁く輝夜は、不満そうな口ぶりとは裏腹にとても優しい目をしている。
それを見ていると、鈴仙はどきり、として胸がざわついてしまう。それは不安。
早く早く、と期待に満ちた声に促されるままに、おずおずと輝夜の膝に頭を乗せ、横になる。なんのかんの言ったところで鈴仙には拒否権などないのだから。
だけれども、どうしたって緊張はするもので、完璧に体重を預けることは出来ず、頭と首に妙な力が入ってしまう。
そんな鈴仙に輝夜は思わず笑ってしまう。
「イーナバ」
力を抜きなさい、というように、そっと手のひら全体を使って、頭を撫でる。
撫でてくれる手は優しく、どこを撫でれば気持ちがいいかということを熟知しているのか、いちいち的確な箇所をついてくる。流石に、長いこと多くの兎を飼っているだけはあった。
鈴仙も人型をとっていたり、月生まれだったり、普通の兎とは違うところはあるけれど、結局のところ、兎は兎なのだ。
撫でられれば、気持ちがいいし、うっとりしてしまう。相手が信頼する飼い主ならば尚更。
緊張はどこへやら、疲労の色の濃い顔を綻ばせ、鈴仙は目を細める。力の入っていた身体もふわりとほぐれて、ただありのままに体重を預ける。
輝夜の腿の柔らかさだとか、上品なお香の香りだとか、そういうものが鈴仙を安らかな気持ちにさせていく。
ずん、と膝にかかる重みに、輝夜は、ふふ、と笑う。
不快ではない。それどころか、心地の良さを感じる。重さだけではなくて、人間よりも高い体温が膝にじんわりと伝わってくる。
「イナバ?」
「あー……、あっ、す、すいません」
「ふふ、そんなに気持ちいい?」
「はい!」
輝夜の問いかけにとろけた表情を引き締めた。両手をぎゅっと握りしめて拳を作り、鈴仙は一度力強く頷く。
しかし、続く輝夜のなでなでに、再びその表情は弛緩する。それはまるでマタタビにじゃれつく猫のような。
「ふわぁ……」
「イナバったら、なんだか疲れてるみたいね」
「ちょっとだけ……ですよう」
ごろごろにゃーん、と喉を鳴らしてお腹を見せて転がりそうなほど、気持ちよさげな表情の鈴仙。兎だけど。実際のところ、仰向けになっているわけで、お腹が上になってもいるのだけれど。
輝夜の質問に間延びした声で答える。そうすれば、輝夜は尚更楽しそうに笑う。
「お昼寝、する?」
「いえ、まだまだお仕事がありますので」
「お仕事?」
「お庭の手入れもありますし、師匠の宿題もありますから」
「大変ねえ」
「いえ、そんなことないです」
不意に現実に引き戻されたような心地になって、固い表情になる鈴仙。
そうだ、ぼんやりしている暇はない。やらなければならないことはたくさんある。
きちんと全部こなさなければ。
そうしなければ、いつまで経っても輝夜に認めてもらうことなど出来やしない。
「あ、あの姫様」
「大丈夫、今日の宿題が終わらなくても、私と遊んでたからだって言えば永琳だって許してくれるわ」
「それは、助かりますって、そうじゃなくて!」
「ああ、もう、暴れたらスカートがめくれちゃうわ」
「ひゃあ! す、すいません」
鈴仙は幻想郷では少数派のミニスカート愛用者だ。膝枕の状態でじたばたしたらどうなるかなど、火を見るより明らかだ。
輝夜の指摘に、慌ててスカートを手で直す。本当ならば起き上がる方が楽なのだが、きゅうっと輝夜に押えられているためにそれは叶わなかった。
「ふふっ」
「姫様ぁ、笑わないでください」
「だって、ふふ」
「うー……」
幼い子供を宥めすかすようなそんな手つきで撫でられてしまえば、笑われていることに抗議のしようもない。
今の状態ではただ見上げることだけが、鈴仙にできるすべてだった。ころころと鈴を転がすような笑い声の振動がお腹から伝わってくる。
「ねえ、イナバ」
「姫様……?」
「笑っちゃったお詫びに、イナバのお願いをひとつだけ聞いてあげる!」
「お願い、ですか?」
「ええ。私にできることなら、なんでもいいわ。あ、今お仕事に戻りたいって言うのはなしね」
何を企んでいるのか、きらきらした瞳でいたずらっぽく微笑みながら、輝夜は鈴仙を見下ろしてくる。
相変わらず、何を考えているのか、鈴仙にはさっぱり分からなくて。何を言えばいいか分からないまま、怪訝そうに輝夜を見上げる。
「なんでもいいのよ? 今日の晩ご飯の支度を代わってほしいとか」
「そんな! そんなこと姫様にお願いなんてできません!」
「えー。結構これでも、お料理得意なのよ?」
「師匠に叱られますから! 勘弁してください」
「永琳もけちよねえ」
「ケチとは違うと思います」
頬に人差し指を当てて、とぼけた表情で小首を傾げる。適当なことをあげているけれど、きっと本当に言いたいことは他にあるであろうことが分かる。
じっと鈴仙を見つめる漆黒の瞳から、真意を読み取ることは難しい。
だからといって、輝夜が望んでいる答えと違うことを言って失望させるのも怖かった。
気の利いた事を言えるようになればいいのに。
「……姫様」
どれほどそうしていただろうか。その間も変わらず、撫でられていたせいで、落ち込んだ気持ちと安らいだ気持ちがごちゃまぜになった変な気持ちになる。
決して急かすことをしない輝夜に申し訳なさを感じた鈴仙は、小さく輝夜を呼ぶ。
「なあに? 決まった?」
「……とっても変ですけど。いいですか?」
「もちろん」
何でも言ってごらんなさい、と温かい笑み。軽くぽんぽん、と額を叩かれると、少し勇気が出てきた。
一度息を飲みこんで、頭の中でもう一度言いたいことを整理して。
「姫様に、叱ってほしいです」
「叱る?」
「……はい」
「イナバは何か叱られなきゃいけないようなことをしたのかしら」
きょとんとした輝夜に鈴仙は恥ずかしくなる。やっぱり、こんなことを頼むのはおかしかった。
詳しくお願い、という輝夜に促されるままに、叱ってほしい理由を語った。
自分の不出来を指摘されないことが、寂しいこと。
鈴仙だって、叱ってもらえればいつかは成長できること。
語っているうちに、自分が情けなくなってくる。こんなこと、自分の実力で認めてもらえなければ意味がないのだ。
それを面と向かっておねだりしてしまう自分の卑怯さが嫌だった。
すん、と鼻を鳴らしてしまう。輝夜を見上げていることが恥ずかしい。
こんなダメな兎には可愛がってもらう資格などないのだ。
「イナバ」
だけれど、一瞬の沈黙の後、輝夜はぴこん、と鈴仙の額を人差し指で突っつく。あえて、作ったと分かるしかめっつらは、にらめっこをしているようでまるで迫力がない。
「ひ、姫様?」
「めっ」
「え?」
「だから、めっ」
ぺちぺちと、人差し指で何度も鈴仙の額を叩く。
何をしたいのか、よく分からなくて、鈴仙の表情には疑問符ばかりが浮かんでいる。
対して輝夜はどうだ、どうだ、という感じで、自信ありげな笑みを浮かべている。
「これで、いい?」
「はい?」
「だから、今、私はイナバを叱ったのよ?」
「へ?」
「めっ、て、いけない子ねって、叱ったんだから」
ぷうっと頬を膨らませる輝夜。長く生きているのにも関わらず、そんな子供のような表情がよく似合っている。
「今の……ですか?」
「そうよ。私、誰かを叱るなんて初めてだったんだから」
「はあ……」
あくまで能天気さを崩さない輝夜に、結局認めてもらうことはできないのかもしれない、と思う。はぐらかされているだけなのかもしれない。
だけれども、同時に、輝夜ならばこれが本気であっても何ら不思議ではないところもある。判断しかねて、鈴仙は中途半端な苦笑をしてしまう。
「でも、イナバ」
「はい」
「今はちょっとだけ、怒ってるの」
「姫様?」
「私はこんなにイナバのことが大好きなのに。認められてないなんて思われていたなんて」
「え……」
先ほどまでの子どもっぽい表情とは全く違う、慈愛を感じさせる大人の笑顔を浮かべる輝夜。もう、本当にイナバはイナバなんだから、と言いながら、先ほどまでよりちょっと乱暴な手つきでぐしゃぐしゃと前髪を撫でてくる。
「イナバの未熟な手入れも味があって好きなのよ? それに完璧でも気分で替えたりもするし、風とかですぐ変わっちゃうもの。しょっちゅう手を入れるのは当然よ」
「え? そ、それって……」
「イナバの考えすぎ」
「うそ」
「イナバはどうもネガティブよね」
永琳みたいよ、師匠と弟子っていうのは似るものなのかしら?とちょっと難しい顔をして首をかしげる。なにか思い当たる節があるのか、懐かしそうに眼を細める。
それはそれとして。あっさりと、あっけらかんと言われた言葉に、鈴仙は困ってしまう。
考えすぎ。言われてみれば、確かに輝夜はそういう人間だった。誰かを叱っているところなど見たことがない。
てゐがどんなにいたずらをしても楽しそうに笑っていたし、永琳に対してたまに、ぷんぷんとしていることはあるけれど。確かに叱りつけるとか、そういう行為をしていたことはなかった。
すべてを本当にありのまま受け止める。
いつだって、明るく軽やか。朗らかなのが輝夜だった。
「そんなぁ……」
なんだかほっとして、へにょりとした声が漏れる。
そんな鈴仙を見て、輝夜はおかしそうに笑う。
「だから、そんなに頑張らなくっていいのよ」
「姫様……?」
「ね? イナバは私の大切なペットなんだから」
「ここにいてくれるだけでいいのよ」
最近頑張りすぎだったでしょう?
ちょっとおやすみしたほうがいいわ
そんなことを囁きながら、前髪から瞼にかけてをゆっくりと繰り返し撫でる。その誘導に従うように、鈴仙は瞼を閉じる。
やわらかな輝夜の声を聞きながら、静かにまどろむ。
「お疲れさま、鈴仙」
名前で呼ばれたことが夢だったのか、現実だったのか、分からない。
ただ、輝夜の声で呼ばれた、そのことだけで十分だった。
死因は萌え死
姫様と鈴仙とっても可愛いよ!
前回のぱちゅこあに続きありがとうございますっ
ご馳走でした!!
姫様も鈴仙もかわゆすぎる…
理想の永遠亭で過ごす輝夜ですよ、うん。
この姫様に膝枕してもらえたらもう思い残すことはないな…
なんにかんの→なんのかんの
この組み合わせ…いい!!
やべぇ……姫様がお姫様だ。この永遠亭はみんな幸せで素敵過ぎる。
点数入れようと思ったらこれプチだった。残念。
姫様はほんとに理想の上司、いや飼い主だ!
姫様に膝枕してもらいたい…
かわいすぎる(*´ω`*)
丁寧だなあ。
うどんげの不器用さと姫の優しさがとてもよかった。