/05
博麗神社を後にする。
うすく曇り始めた空の下には、神社へと続く長い参道が見て取れた。
藍は隣を飛ぶ霊夢に聞こえるよう、口を開く。
「霊夢。近い場所から、ひとつひとつ見て回っていくぞ」
「はいはい」
気の抜けた返事をする巫女は、何時もの衣装の上にどてらを羽織るという妙な格好だった。
流石に寒いのだろう。昨日は苦言を呈しそうになった藍だが、今日それを言うのは酷と言うものだ。
「とっとと終わらせましょ。こんな寒空に居たら、凍死しかねないわ」
淡々とした口調で、霊夢。
半ば無理やり連れ出したため、文句の一つは覚悟していたが、巫女は何も言わなかった。
それを意外に思いつつも、うなずく。
「感心な心がけだな。だが先走って異常を見逃せば、本末転倒というものだ。焦らず、堅実にいくぞ」
冬の空を飛ぶ。
頬を通り過ぎる風は、井戸水のようにつめたい。藍は手がかじかまぬよう袖の中に入れた。慣れ親しんだ姿勢でもあり、また不慮の事態に対処しやすい構えでもあった。
隣を見やる。霊夢はぼんやりとした無表情で、空を浮いていた。飛ぶのではなく、浮いている。その表現が、ぴったりと当てはまる。そんなことを感じながら、藍は問うた。
「冷えるか?」
「気にしないわ。春は暖かいし、夏は暑い。秋はひんやりして、冬は寒い。そういうもんでしょ」
平坦に返してくる巫女に、無理をしている様子はない。
神社の居間では寒い寒いと零していたが、外に出ると割り切ってしまうものかもしれない。思い返せば、境内の掃除の時もひとつの不平も零していなかった。
突風が吹きぬけ、衣服が音を立ててはためいた。空っ風の強い日だ。
霊夢は目を細めながら、遠くを見つめている。白い息は瞬く間に消え、黒く艶やかな髪が風に流されていた。
その姿を見て、藍は胸中でつぶやいた。
(いくら上着を羽織っているとはいえ、あの巫女服では通気性が良いだろうに)
速度を上げ、霊夢の前に身を置く。
その意図に気がついたのだろう、巫女は呆れたような声音で言ってきた。
「気を使う必要なんてないわよ。あんただって寒いでしょ」
「私は目的地へと案内するだけだよ。遅れず、付いて来なさい」
「厳しいのか甘いのか、あんたっていまいちよく判らないわよねぇ」
「行くぞ」
背中越しの暢気なつぶやきに、藍は更に飛行速度を上げた。
博麗大結界は、いくつかの基点からなる。
一つの場所に機能を集約せず、ばらけさしているのだ。これにより例え一つが機能を失うことがあったとしても、周りの基点がそれを補うように作用する。
その基点を見回っていく。
「少しだけ不安があるな。妙な歪み方だ」
いくつか基点の見回りを終え、そろそろ日も沈むだろう頃合。
藍は眉根をよせ、つぶやいた。
「そうかしら? このぐらい大丈夫でしょ。ほっときゃ治るわよ」
のんきに言う巫女を、藍は注意した。
「風邪とは違うんだ、治るわけないだろう。結界に自己修復機能はないぞ」
「どうしてこう頻繁に異常がでるのかしら。めんどうよね、まったく」
「結界とは水槽のようなものだ。常に外界からの被圧に耐えている。歪みが生じてしまうのは、仕方のないことなんだよ」
「もっと分厚い結界にすればいいのに。欠陥品なんじゃないの、この結界」
「私達の技術を持ってすれば、より強度の高い結界をつくる事は出来る。だが、あえてそれをしないんだ。何故だか判るか?」
「さあ」
問えば、巫女は肩を竦める。
藍は人差し指を立て、講義するよう続けた。
「外界からの干渉を断ち、完全に閉じた世界は理想的に見えるだろう。だがそれはただの停滞を意味する。閉じた世界には、可能性も成長もないからね。待っているのは衰退と破滅だ」
「ふーん」
「この幻想郷を川と例えれば判りやすいだろう。私達はそこに住む魚だ。川の流れが止まれば水は濁り、汚泥が堆積していく。新しい流れを作らない限り、汚泥は溜まり続け、やがて沼となり、いつかは陸となってしまう。そうなれば、私達は住むことが出来ないだろう?」
「ほー」
「そうならないために、結界は強固であってはならないんだ。あえて不完全なものとして、外界からの干渉を受け入れ続けなければならない。不完全なものであるからして、結界が歪んでしまうのは必然なんだよ」
幻想郷はすべてを受け入れるとは、そういうことなのだ。
だが、あえてその台詞を藍は語らなかった。それはこの巫女が自ら到達しなければならない概念だと思ったからだ。
語り終えたところで、藍はじと目で霊夢を見やった。
「……聞いてないだろう?」
「どうだっていいわ。そこらへんの理屈はあんたらに任せるわよ。わたしは歪みを直すだけで良いでしょ」
ひらひらと手を振りながら、霊夢。
藍はため息混じりにかぶりを振った。
「良い訳ないだろう。そもそもこの概念を知らず、今までどうして結界の修復が行えていたんだ?」
「適当に。周りの基点と歩調を合わせていただけよ」
当たり前のように言う巫女。
思わずこめかみを押さえた。
「どうやら、お前には一から教えないといけないようだな」
「今までなんとかなってきたんだから、いいじゃない」
「霊夢、確かにお前の実力を持ってすれば、概念など知らずとも結界を修復できるのだろう。でも、それだけでは駄目だ。この博麗大結界に籠められた意味を。いや、想いを理解しなければならないよ」
「めんどい」
「今晩みっちり扱いてやろう」
再び博麗神社に戻ってきた頃には、空はすっかり暗くなっていた。
冬だからだろう。まだ夕方に近い時刻だが、太陽はとうに見えなくなっている。
「夕食の前に、お風呂入れるわね」
すっかり体も冷えたため、霊夢はコタツに入らずに風呂を沸かしに行った。
藍も手伝うと申し出たが、大人しく待ってなさいと言われ、却下される。
居間。
「フ」
吹いた息と共に、青白い炎が上がる。
何か出来る事は無いかと探した藍は、炭に火をつけコタツを暖めることにした。
そして正座をして腕を組み、じっとする。
(大したものだ)
思うのは、結界の見回りでの巫女のことだった。
いくつかある基点の数箇所に小さな異常が見られたため、軽い修繕を行ったのだ。
その作業を巫女に任せたのだが、手際が良い。僅かな動作の中に、藍は巫女の実力を見抜いていた。
(流石に、紫様が一目置くだけの事はある)
異変の解決を目的とした弾幕ごっこだけではない。
それを抜きにしたやりとりでも、霊夢の力は相当なものだろう。
喜ばしいことだ。この時代、人の身でありながら、それほどの力を持つことはそうあることではない。
(だが……)
眉を顰める。
「あと少しで入るわよー」
思考の途中で、巫女が戻ってくる。
考えを断ち切り、藍は笑みを浮かべて霊夢を迎えた。
「ああ、ありがとう。寒かっただろう。コタツは温めておいたよ」
「あら、本当? 助かるわ」
巫女がコタツに潜り込む。
しばらくしてお風呂が入る。霊夢が先に入り、藍はその後に続いた。
夕飯。
「たまにはお稲荷さんもいいわね」
寝巻き着に着替えた二人は、食卓にならんだお稲荷さんを口に入れていた。
夕飯を作るのも、藍と霊夢の共同で行った。藍は任せてくれと言ったのだが、巫女はやはり首を横に振ったのだった。
霊夢の言葉に、藍はうなずいた。
「お稲荷さんはいいものだよ。栄養も満点で、毎日食べても飽きない。なによりもおいしいからね」
「おいしいけど、流石に毎日はやめてね」
そっけなく返されるが。
「そうだな。油揚げは料理における多様性を秘めている。お稲荷さん以外の用途も多々あるからな。もっと多くの利用性を模索すべきだろう」
「そういう意味じゃないけどね」
「だがお稲荷さんだけでも現時点で2の48乗のバリエーションがあるから、毎日でも飽きないと思うぞ」
「わたしは飽きるの。毎日は駄目よ」
「たまにならいいだろうか?」
「まあ、たまにならいいわね」
「なら時々食卓に並べよう」
了承をとったところで、藍は霊夢の皿に盛られた赤い山を見つけた。
「人参を残してはいけないな、霊夢」
「こんなもんお稲荷さんに仕込まないでよ。いつの間に入れたの」
「妖怪と違って、人間は好き嫌いをすると大きくなれないのだろう」
「人参を食べなくたって、人は大人になれるわ」
「食べなさい」
夕飯を終える。
後片づけも終えて、居間へと戻る。
「今日はもう、やるべきことはないのか」
「あとは寝るだけよ」
「いつもは何時ごろ寝ているんだ?」
「そうね。お風呂に入ってからだけど、今日は先に入っちゃったからね。もう寝ましょうか」
藍は眉を顰めた。
人里の子供でも、まだ元気に起きているだろう。
橙だって活発に動き回る時間だ。いや、猫の式は夜型に偏っているから当然なのだが。
「流石に早すぎるんじゃないのか?」
「起きていたってやることはないもの。夜更かしするぐらいなら、寝たほうがマシでしょ」
「そうかもしれないが……」
釈然としない何かを感じつつも、言葉に詰まる。
霊夢が寝室へと向う前に、藍は切り出した。
「ならちょうどいいだろう。では、はじめようか」
「なにを?」
少しだけ首を傾げる巫女。
髪を結んでいないため、僅かな仕草でも揺れる。
何時ものリボンを結んだ姿が印象に強いため、藍には見慣れない姿だった。
「夕方に言っただろう。博麗大結界のことだ」
「明日にしましょう」
きっぱりと無視して、藍は続ける。
「数式や術式の構成ではない。霊夢、お前が知るべきは博麗大結界の、ひいては幻想郷の歴史だ。何故結界が必要になったか。何故結界を不完全なものにしたのか。背景を知ることで、お前は先達の想いを悟らねばならないよ」
「それは夕方に言ってたじゃない」
「ちゃんと聞いていたか?」
「聞いてないけど」
藍の講義が始まった。
「みかん食べていい?」
「明日にしなさい」
なんとも不思議な関係の二人。藍の真面目な部分をさらっと流してしまえるのは多分霊夢だけなのでしょうねw
この感じが凄く堪りません!!!!
だけとこのシリーズは真ん中に寂しさを感じる。
不思議な霊夢さん話だ