「……何をしているんだい、君は」
人里へと至る道。
その脇の森の中で青い髪の獣人が問いかける。
問われたのは舌が生えた茄子色の傘を持つ唐傘お化けだ。
唐傘お化けは振り返ると、左右で彩が異なる双眸を輝かせながら、人里とは逆の方角に伸びる道の先を指差して。
「私はね。向こうにある寺子屋ってところから人里の子供達が帰ってくるのを待ってるの」
ふむ、と獣人は顎に指を当てながら呟いて、
「成る程。確かにこの場所で待つのは理にかなってる。それで君は子供達を待って、どうするつもりなんだい?」
問われた唐傘お化けは抱えていた傘を肩で支えながら、両手を掲げて、
「うらめしやぁ~って脅かして、驚かすのさぁ――あいたぁ!?」
楽しげに言葉を紡いだ彼女を、獣人が拳で小突いて黙らせる。
小突かれた頭を両手で押さえ、目尻に涙を湛えた彼女は何故? と疑問符を掲げながら獣人を見上げた。
拳を握っていた獣人は、彼女の視線による問いかけに対してため息をついてから、
「私は君が狙う子供達が通う寺子屋で教師をやっている上白沢慧音だ。子供達に悪さをする妖怪を見過ごすわけには行かない」
暴力の理由を述べて、わかったか? と同意を求めた。
うーっ、と唸った後に、唐傘お化けは涙を拭く。
彼女は慧音と名乗る獣人の問いかけに対して応えずに、今度は言葉による問いかけを放つ。
「教師って言うことは……子供達は貴方の言うことは良く聞くの?」
彼女の問いかけに対し、慧音は苦虫を噛み潰したような複雑な表情を浮かべて、
「良く聞くとは言い難い……授業中には雑談するし、宿題は忘れてくるし。ただ、まあ多少は聞いてくれる」
おぉ~、と彼女は賞賛の声を漏らし、じゃあ、と続け、
「まだ残ってる子供達をここに来るように言ってくれない? そうしたら私が脅かして、驚かすっ――二度もぶったぁ!?」
ごちんっ、と強く小突いて紅くなった拳を摩りながら、慧音は再度ため息を漏らす。
あのなぁ、と呆れたような声を漏らす彼女は腕組みをして、
「どうして私が協力することになっている。ええと――」
「小傘」
「ふむ……?」
「私の名前。多々良小傘っていうの。貴方のことはけーねって呼べばいいかな?」
2度も拳骨で小突かれていながらも、人懐っこそうな雰囲気で話しかけてくる小傘と名乗る唐傘お化けを見て、慧音は出掛かっていた言葉を飲み込む。
代わりにと努めてにこやかな表情を浮かべる。
「発音が違うが……構わない。それで……小傘。君は子供達を驚かしてどうするつもりなんだい?」
慧音が態度を軟化させたことに気を良くしたのか、小傘は清々しい笑みを浮かべてこう応えた。
「その驚きの心を食べて、私が悦ぶのさぁ――」
3度目の拳骨が彼女の頭に振り下ろされた。
人間を護りたい上白沢慧音と人間を驚かせたい多々良小傘の出会いだった。
*
「では今日の授業はここまで。明日、明後日は土日だから授業は無いが、さっき配った宿題は月曜日提出だからさぼらないように」
慧音は、様々な返事を返しながら席を立つ子供達を眺めていた。
彼等は自分達を狙う妖怪の存在など露知らず、この後の予定や、宿題をやらなかった時の言い訳などを相談しながら部屋から出て行く。
最後まで残っていた子供が大きく手を振りながら部屋から出て行くのを見届けてから、慧音は開け放たれた窓の外に広がる森を見遣る。
「もう金曜日か……」
慧音が窓越しに、森に舞い降りる唐傘お化けを目撃したのが四日前の月曜日。
妖怪の魔の手から子供達を守るべく、慧音が奮闘する日々が始まったのも四日前の月曜日。
「まったく……早々に諦めてくれればいいものを」
困ったように皺がよった眉間を指で撫でながら慧音は思い出す。
唐傘お化けの小傘との相対の日々を――
『火曜日』
「小傘……。君が脅かして、子供達が泣き出してしまったらどうするつもりだい?」
「私が悦んだ後、泣き止むまで涙を舐めてあげるよっ!」
「――帰りたまえ!」
『水曜日』
「小傘……。君が脅かして、子供達がびびっておしっこ漏らしたらどうするつもりだい?」
「私が悦んだ後、責任持って綺麗にしてあげるよっ!」
「――帰りたまえ!」
『木曜日』
「どうするつもりだい!」
「!?」
「――帰りたまえ!」
――全てが拳骨を落して追い返す結末だった。
何故諦めてくれなかったんだろう、と慧音はため息を漏らす。
子供達が寺子屋に通っているという歴史を消してしまうことも考えた。
しかし、子供達が行方不明になったと人里に混乱をもたらす可能性。
子供達が寺子屋に通ってないのだから、宿題はやらなくていいと言い出す可能性。
色々と問題が起きる可能性があった為、慧音は授業が終わるとすぐに森の中で彼女を待ち構える事にしたのだ。
そして彼女は律儀にも、待ち構える慧音の前に舞い降りて、問答の後に拳骨を食らって大人しく帰っていった。
「小傘は……私との問答を楽しんでいたのだろうか」
自分が呟いた言葉に納得がいったように、ふむ、と慧音は声を漏らす。
無愛想に拳を振るう自分に対し、笑顔を向けてくれたのはそういうことか、と。
迷いが晴れたかのように清々しい表情を浮かべると、慧音は呼気を漏らすように笑った。
「明日、明後日は子供達も来ない。驚かすのを目当てに来てもしょうがないぞ、と教えてあげないといけないな」
そうしたら、と呟いてから慧音は窓へと歩み寄って、窓枠に足を掛ける。
窓の外、見上げる空は澄み渡るように青い。
「いい天気だ。子供達に手は出させないが、縁側でお茶でもどうだと誘ってみるのも悪くないな」
縁側で二人でお茶をすする光景を想像したのか、慧音は頬を緩ませながら足を踏み切る。
青い髪を靡かせながら、窓の外、森の中へと身を躍らせた。
*
生い茂る木々に囲まれて、道からは隔離された小さな広場がある。
森を駆け抜けて広場にたどり着いた慧音は、衣服に付いた葉っぱ等を手で払い落としながら広場を見渡す。
「まだ来ていないようだな……」
来ていなくて残念、とも、間に合ってよかった、とも取れる口調で慧音は呟く。
初めて出会ったのもこの広場であり、それ以降の問答が繰り返されたのもこの広場だった。
だからここに来れば会えるだろう、と約束もしていないのに慧音は確信めいた自信を持ってここに駆け込んだのだ。
遠く、寺子屋の方より子供達が遊びに興じる声が流れてくるのを聞いて、彼等の安全に慧音は胸を撫で下ろす。
そして駆けてきたことで乱れた呼吸を整えるように深呼吸を一つ。
「やはり彼女は……空から降りてくるのだろうな」
呟いて慧音は空を見上げる。
生い茂る木々の枝葉によって縁取られた空には、風に流されるようにして舞い降りてくる傘を抱く人影が見えた。
その姿を認めて胸が高鳴ったことに気づくと、慧音は自分もこの逢瀬を楽しみにしているのだなと苦笑する。
ふわりふわりと彼女は木の葉が舞い落ちるような緩やかな動きで広場に降り立つ。
傘を前に傾けているため顔を覗くことはできない。
しかし一つ目と紅い舌が特徴的な傘から、彼女だと断定すると慧音は心持ち弾んだ声で言葉を放つ。
「性懲りも無くまた来たね。子供達に悪さはさせないよ?」
ああちがう、と慧音は内心で呟く。
つい昨日までの流れで憎まれ口を叩いてしまったことを後悔しつつ、慧音は咳払いを一つ。
昨日までの流れなら、すぐに傘を挙げて愛嬌ある顔で頬を膨らませながら抗議をしてきた小傘は、今日は押し黙ったままだった。
その事に違和感を覚えながら慧音は言葉を続ける。
「土日は寺子屋は休みでね。明日明後日は子供達もここを通らないんだよ。だからここに来ても意味は無いんだが――」
茄子色の傘に描かれた紅い瞳と視線が合うと慧音は言葉に詰まってしまう。
――なんだかやりにくいな……。
その、と言葉を濁らせてから慧音は再度口を開く。
「小傘。君が悪さをしないと誓うなら、せっかくのいい天気だ。うちでお茶でも――」
「――もういいの」
しかし慧音の言葉は再度詰まらされた。
ようやく得られた小傘からの応答が、昨日までの声色とは異なる色を含んでいたからだ。
慧音はその色が意味するものを知っている。
拒絶。
彼女の声に初めてその色が孕んだことに、慧音は驚きを隠せずに呆然としている。
そんな慧音を余所に、拒絶の意思を言葉に乗せた小傘はゆっくりと傘を挙げて、
「私はね、人間を驚かせてお腹一杯になりたいの。けーねとのおしゃべりは楽しいんだけど……それじゃあ私のお腹は満たされない。だから――」
傘の下、青を基調とした彼女の中で異彩を放つ赤い瞳が鈍く輝いている。
「――もういいの」
再度拒絶の言葉を口にした小傘は、傘を肩で支えるように抱きながら、芝生を踏み鳴らして慧音の方へと歩み寄ってくる。
昨日までの彼女との違和感に慧音は戸惑いの表情を浮かべる。
待ってくれ、と出したつもりの声は、緊張ゆえに乾いた喉からは漏れていなかった。
そんな様子を見てか、口の端を吊り上げた小傘は瞳に鈍い光を湛えて、
「けーね……ちょっと驚いてるね。でも――それっぽっちじゃ、私のお腹は満たされない」
身動きできずにいる慧音の前、後数歩で手が届く距離で小傘は立ち止まると、抱えていた傘を慧音に向けて突き出した。
「――っ!?」
慧音の視界が一面の茄子色で埋め尽くされる。
慧音の心は言葉で乱され、今視界を奪われて恐怖の種を植えつけられていた。
その感情を追い払うために、平静を装って慧音は背筋を伸ばす。
「わ、悪ふざけは止めるんだ。これ以上は私も――」
勇気を振り絞って紡いだ言葉は長くは続かなかった。
突きつけられていた傘がふとした拍子に落ちて、視界が晴れると慧音は息を呑む。
地面に落ちて跳ねる傘の向こう。
傘の持ち主である小傘の姿は無かった。
地面を跳ねて転がる傘の影に隠れているのでは、と慧音は視線を傘にやる。
しかし傘の影には彼女の姿は無く、傘に描かれた瞳は慌てる慧音をあざ笑っているかのように見えた。
――まさか子供達のところへ……!?
慧音は小傘が妖怪の性に従い、自分の欲求を満たしに行った可能性に思い至る。
護るべき子供達を思い出して、慧音は震える体が幾らか治まったことを認識する。
これならば行ける、そう慧音が意気込んで拳を作ったとき。
「だから――」
声と共に、慧音の背後から耳元を掠めて細い両腕が突き出される。
「――けーねはここでおねんねをしていてね。子供達を驚かして満足したら……起してあげるから」
ねっ? と耳元で囁かれたのと同時。
突き出された細い腕は、片方は慧音の首に絡みつき、片方は手で慧音の口元を塞いだ。
聴覚、視覚を通じて散々心を乱され、挙句ダメ押しの不意打ちを食らった慧音は。
ちょっとちびった。
驚き、恐怖、羞恥、無念、様々な感情が慧音の心を掻き乱し、頬を涙が伝う。
子供達を護りきれなかった自分の無力さを悔やみながら、慧音は絞め落される瞬間が訪れることを覚悟した。
首に回された小傘の腕に少しでも力が込められれば訪れるであろうその瞬間を。
しかしいくら待っても、その瞬間は訪れなかった。
不思議に思う慧音が毀れる涙はそのままに、恐る恐る振り返ると。
「けぷ……」
彩りの異なる双眸を丸く見開いて、げっぷを漏らす小傘の顔があった。
「あれれ……何だかお腹一杯になっちゃった」
いつもの様子で呟いた小傘は絡めていた腕を解くと、気持ち張った自分のお腹を摩る。
あれー? と怪訝そうに首を傾げた彼女を見て、戒めを解かれた慧音は彼女の方に向き直って、軽く両手を掲げ。
ぽろぽろと涙を零しながら、ぽかぽかと両手で小傘の頭をたたき出す。
「馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿っ! いきなりあんなことしたらびっくりするじゃないか!」
「あいたた……えっ、けーねびっくりしてくれたの? あっ、だからお腹一杯になったのか」
力の篭ってない慧音の拳骨を受けながら、小傘はようやく納得が行ったという表情を浮かべる。
彼女は慧音の頬を涙が伝っていることに気づくと、慧音の肩に手を置いて頬に顔を寄せる。
「ほら。けーねのおかげで私はお腹一杯だよ? だから泣き止んで」
ね? と彼女は泣いた子供をあやす様な口調で言葉を紡ぎ、涙が伝った跡を拭うように小さく尖らせた舌で頬を舐め始める。
慧音は彼女を叩いていた手を止めると、こそばゆそうに身を捩じらせ、彼女を引き離そうと肩に手を置き、
「こらっ、やめろっ、私は……子供じゃない」
恥ずかしそうに抗議の言葉を漏らす。
しかし小傘は聞く耳持たぬといった様子で、今まで舐めていた側とは反対の頬に顔を移し、
「いいじゃん、いいじゃん。お礼の気持ちだよ……んっ……?」
舐め始めた所で、何かに気づいたかのように素っ頓狂な声を漏らして下を向いてしまう。
ん? と、慧音も怪訝そうに首を傾げた後、彼女の視線を追うようにして下を向く。
彼女の視線の先には慧音の下腹部がある。
「けーね……ちょっとお漏らしした?」
すんっ、っと小傘が鼻を鳴らして問いかけた。
「――――っ!?」
慧音は綺麗にされてしまった。
人里へと至る道。
その脇の森の中で青い髪の獣人が問いかける。
問われたのは舌が生えた茄子色の傘を持つ唐傘お化けだ。
唐傘お化けは振り返ると、左右で彩が異なる双眸を輝かせながら、人里とは逆の方角に伸びる道の先を指差して。
「私はね。向こうにある寺子屋ってところから人里の子供達が帰ってくるのを待ってるの」
ふむ、と獣人は顎に指を当てながら呟いて、
「成る程。確かにこの場所で待つのは理にかなってる。それで君は子供達を待って、どうするつもりなんだい?」
問われた唐傘お化けは抱えていた傘を肩で支えながら、両手を掲げて、
「うらめしやぁ~って脅かして、驚かすのさぁ――あいたぁ!?」
楽しげに言葉を紡いだ彼女を、獣人が拳で小突いて黙らせる。
小突かれた頭を両手で押さえ、目尻に涙を湛えた彼女は何故? と疑問符を掲げながら獣人を見上げた。
拳を握っていた獣人は、彼女の視線による問いかけに対してため息をついてから、
「私は君が狙う子供達が通う寺子屋で教師をやっている上白沢慧音だ。子供達に悪さをする妖怪を見過ごすわけには行かない」
暴力の理由を述べて、わかったか? と同意を求めた。
うーっ、と唸った後に、唐傘お化けは涙を拭く。
彼女は慧音と名乗る獣人の問いかけに対して応えずに、今度は言葉による問いかけを放つ。
「教師って言うことは……子供達は貴方の言うことは良く聞くの?」
彼女の問いかけに対し、慧音は苦虫を噛み潰したような複雑な表情を浮かべて、
「良く聞くとは言い難い……授業中には雑談するし、宿題は忘れてくるし。ただ、まあ多少は聞いてくれる」
おぉ~、と彼女は賞賛の声を漏らし、じゃあ、と続け、
「まだ残ってる子供達をここに来るように言ってくれない? そうしたら私が脅かして、驚かすっ――二度もぶったぁ!?」
ごちんっ、と強く小突いて紅くなった拳を摩りながら、慧音は再度ため息を漏らす。
あのなぁ、と呆れたような声を漏らす彼女は腕組みをして、
「どうして私が協力することになっている。ええと――」
「小傘」
「ふむ……?」
「私の名前。多々良小傘っていうの。貴方のことはけーねって呼べばいいかな?」
2度も拳骨で小突かれていながらも、人懐っこそうな雰囲気で話しかけてくる小傘と名乗る唐傘お化けを見て、慧音は出掛かっていた言葉を飲み込む。
代わりにと努めてにこやかな表情を浮かべる。
「発音が違うが……構わない。それで……小傘。君は子供達を驚かしてどうするつもりなんだい?」
慧音が態度を軟化させたことに気を良くしたのか、小傘は清々しい笑みを浮かべてこう応えた。
「その驚きの心を食べて、私が悦ぶのさぁ――」
3度目の拳骨が彼女の頭に振り下ろされた。
人間を護りたい上白沢慧音と人間を驚かせたい多々良小傘の出会いだった。
*
「では今日の授業はここまで。明日、明後日は土日だから授業は無いが、さっき配った宿題は月曜日提出だからさぼらないように」
慧音は、様々な返事を返しながら席を立つ子供達を眺めていた。
彼等は自分達を狙う妖怪の存在など露知らず、この後の予定や、宿題をやらなかった時の言い訳などを相談しながら部屋から出て行く。
最後まで残っていた子供が大きく手を振りながら部屋から出て行くのを見届けてから、慧音は開け放たれた窓の外に広がる森を見遣る。
「もう金曜日か……」
慧音が窓越しに、森に舞い降りる唐傘お化けを目撃したのが四日前の月曜日。
妖怪の魔の手から子供達を守るべく、慧音が奮闘する日々が始まったのも四日前の月曜日。
「まったく……早々に諦めてくれればいいものを」
困ったように皺がよった眉間を指で撫でながら慧音は思い出す。
唐傘お化けの小傘との相対の日々を――
『火曜日』
「小傘……。君が脅かして、子供達が泣き出してしまったらどうするつもりだい?」
「私が悦んだ後、泣き止むまで涙を舐めてあげるよっ!」
「――帰りたまえ!」
『水曜日』
「小傘……。君が脅かして、子供達がびびっておしっこ漏らしたらどうするつもりだい?」
「私が悦んだ後、責任持って綺麗にしてあげるよっ!」
「――帰りたまえ!」
『木曜日』
「どうするつもりだい!」
「!?」
「――帰りたまえ!」
――全てが拳骨を落して追い返す結末だった。
何故諦めてくれなかったんだろう、と慧音はため息を漏らす。
子供達が寺子屋に通っているという歴史を消してしまうことも考えた。
しかし、子供達が行方不明になったと人里に混乱をもたらす可能性。
子供達が寺子屋に通ってないのだから、宿題はやらなくていいと言い出す可能性。
色々と問題が起きる可能性があった為、慧音は授業が終わるとすぐに森の中で彼女を待ち構える事にしたのだ。
そして彼女は律儀にも、待ち構える慧音の前に舞い降りて、問答の後に拳骨を食らって大人しく帰っていった。
「小傘は……私との問答を楽しんでいたのだろうか」
自分が呟いた言葉に納得がいったように、ふむ、と慧音は声を漏らす。
無愛想に拳を振るう自分に対し、笑顔を向けてくれたのはそういうことか、と。
迷いが晴れたかのように清々しい表情を浮かべると、慧音は呼気を漏らすように笑った。
「明日、明後日は子供達も来ない。驚かすのを目当てに来てもしょうがないぞ、と教えてあげないといけないな」
そうしたら、と呟いてから慧音は窓へと歩み寄って、窓枠に足を掛ける。
窓の外、見上げる空は澄み渡るように青い。
「いい天気だ。子供達に手は出させないが、縁側でお茶でもどうだと誘ってみるのも悪くないな」
縁側で二人でお茶をすする光景を想像したのか、慧音は頬を緩ませながら足を踏み切る。
青い髪を靡かせながら、窓の外、森の中へと身を躍らせた。
*
生い茂る木々に囲まれて、道からは隔離された小さな広場がある。
森を駆け抜けて広場にたどり着いた慧音は、衣服に付いた葉っぱ等を手で払い落としながら広場を見渡す。
「まだ来ていないようだな……」
来ていなくて残念、とも、間に合ってよかった、とも取れる口調で慧音は呟く。
初めて出会ったのもこの広場であり、それ以降の問答が繰り返されたのもこの広場だった。
だからここに来れば会えるだろう、と約束もしていないのに慧音は確信めいた自信を持ってここに駆け込んだのだ。
遠く、寺子屋の方より子供達が遊びに興じる声が流れてくるのを聞いて、彼等の安全に慧音は胸を撫で下ろす。
そして駆けてきたことで乱れた呼吸を整えるように深呼吸を一つ。
「やはり彼女は……空から降りてくるのだろうな」
呟いて慧音は空を見上げる。
生い茂る木々の枝葉によって縁取られた空には、風に流されるようにして舞い降りてくる傘を抱く人影が見えた。
その姿を認めて胸が高鳴ったことに気づくと、慧音は自分もこの逢瀬を楽しみにしているのだなと苦笑する。
ふわりふわりと彼女は木の葉が舞い落ちるような緩やかな動きで広場に降り立つ。
傘を前に傾けているため顔を覗くことはできない。
しかし一つ目と紅い舌が特徴的な傘から、彼女だと断定すると慧音は心持ち弾んだ声で言葉を放つ。
「性懲りも無くまた来たね。子供達に悪さはさせないよ?」
ああちがう、と慧音は内心で呟く。
つい昨日までの流れで憎まれ口を叩いてしまったことを後悔しつつ、慧音は咳払いを一つ。
昨日までの流れなら、すぐに傘を挙げて愛嬌ある顔で頬を膨らませながら抗議をしてきた小傘は、今日は押し黙ったままだった。
その事に違和感を覚えながら慧音は言葉を続ける。
「土日は寺子屋は休みでね。明日明後日は子供達もここを通らないんだよ。だからここに来ても意味は無いんだが――」
茄子色の傘に描かれた紅い瞳と視線が合うと慧音は言葉に詰まってしまう。
――なんだかやりにくいな……。
その、と言葉を濁らせてから慧音は再度口を開く。
「小傘。君が悪さをしないと誓うなら、せっかくのいい天気だ。うちでお茶でも――」
「――もういいの」
しかし慧音の言葉は再度詰まらされた。
ようやく得られた小傘からの応答が、昨日までの声色とは異なる色を含んでいたからだ。
慧音はその色が意味するものを知っている。
拒絶。
彼女の声に初めてその色が孕んだことに、慧音は驚きを隠せずに呆然としている。
そんな慧音を余所に、拒絶の意思を言葉に乗せた小傘はゆっくりと傘を挙げて、
「私はね、人間を驚かせてお腹一杯になりたいの。けーねとのおしゃべりは楽しいんだけど……それじゃあ私のお腹は満たされない。だから――」
傘の下、青を基調とした彼女の中で異彩を放つ赤い瞳が鈍く輝いている。
「――もういいの」
再度拒絶の言葉を口にした小傘は、傘を肩で支えるように抱きながら、芝生を踏み鳴らして慧音の方へと歩み寄ってくる。
昨日までの彼女との違和感に慧音は戸惑いの表情を浮かべる。
待ってくれ、と出したつもりの声は、緊張ゆえに乾いた喉からは漏れていなかった。
そんな様子を見てか、口の端を吊り上げた小傘は瞳に鈍い光を湛えて、
「けーね……ちょっと驚いてるね。でも――それっぽっちじゃ、私のお腹は満たされない」
身動きできずにいる慧音の前、後数歩で手が届く距離で小傘は立ち止まると、抱えていた傘を慧音に向けて突き出した。
「――っ!?」
慧音の視界が一面の茄子色で埋め尽くされる。
慧音の心は言葉で乱され、今視界を奪われて恐怖の種を植えつけられていた。
その感情を追い払うために、平静を装って慧音は背筋を伸ばす。
「わ、悪ふざけは止めるんだ。これ以上は私も――」
勇気を振り絞って紡いだ言葉は長くは続かなかった。
突きつけられていた傘がふとした拍子に落ちて、視界が晴れると慧音は息を呑む。
地面に落ちて跳ねる傘の向こう。
傘の持ち主である小傘の姿は無かった。
地面を跳ねて転がる傘の影に隠れているのでは、と慧音は視線を傘にやる。
しかし傘の影には彼女の姿は無く、傘に描かれた瞳は慌てる慧音をあざ笑っているかのように見えた。
――まさか子供達のところへ……!?
慧音は小傘が妖怪の性に従い、自分の欲求を満たしに行った可能性に思い至る。
護るべき子供達を思い出して、慧音は震える体が幾らか治まったことを認識する。
これならば行ける、そう慧音が意気込んで拳を作ったとき。
「だから――」
声と共に、慧音の背後から耳元を掠めて細い両腕が突き出される。
「――けーねはここでおねんねをしていてね。子供達を驚かして満足したら……起してあげるから」
ねっ? と耳元で囁かれたのと同時。
突き出された細い腕は、片方は慧音の首に絡みつき、片方は手で慧音の口元を塞いだ。
聴覚、視覚を通じて散々心を乱され、挙句ダメ押しの不意打ちを食らった慧音は。
ちょっとちびった。
驚き、恐怖、羞恥、無念、様々な感情が慧音の心を掻き乱し、頬を涙が伝う。
子供達を護りきれなかった自分の無力さを悔やみながら、慧音は絞め落される瞬間が訪れることを覚悟した。
首に回された小傘の腕に少しでも力が込められれば訪れるであろうその瞬間を。
しかしいくら待っても、その瞬間は訪れなかった。
不思議に思う慧音が毀れる涙はそのままに、恐る恐る振り返ると。
「けぷ……」
彩りの異なる双眸を丸く見開いて、げっぷを漏らす小傘の顔があった。
「あれれ……何だかお腹一杯になっちゃった」
いつもの様子で呟いた小傘は絡めていた腕を解くと、気持ち張った自分のお腹を摩る。
あれー? と怪訝そうに首を傾げた彼女を見て、戒めを解かれた慧音は彼女の方に向き直って、軽く両手を掲げ。
ぽろぽろと涙を零しながら、ぽかぽかと両手で小傘の頭をたたき出す。
「馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿っ! いきなりあんなことしたらびっくりするじゃないか!」
「あいたた……えっ、けーねびっくりしてくれたの? あっ、だからお腹一杯になったのか」
力の篭ってない慧音の拳骨を受けながら、小傘はようやく納得が行ったという表情を浮かべる。
彼女は慧音の頬を涙が伝っていることに気づくと、慧音の肩に手を置いて頬に顔を寄せる。
「ほら。けーねのおかげで私はお腹一杯だよ? だから泣き止んで」
ね? と彼女は泣いた子供をあやす様な口調で言葉を紡ぎ、涙が伝った跡を拭うように小さく尖らせた舌で頬を舐め始める。
慧音は彼女を叩いていた手を止めると、こそばゆそうに身を捩じらせ、彼女を引き離そうと肩に手を置き、
「こらっ、やめろっ、私は……子供じゃない」
恥ずかしそうに抗議の言葉を漏らす。
しかし小傘は聞く耳持たぬといった様子で、今まで舐めていた側とは反対の頬に顔を移し、
「いいじゃん、いいじゃん。お礼の気持ちだよ……んっ……?」
舐め始めた所で、何かに気づいたかのように素っ頓狂な声を漏らして下を向いてしまう。
ん? と、慧音も怪訝そうに首を傾げた後、彼女の視線を追うようにして下を向く。
彼女の視線の先には慧音の下腹部がある。
「けーね……ちょっとお漏らしした?」
すんっ、っと小傘が鼻を鳴らして問いかけた。
「――――っ!?」
慧音は綺麗にされてしまった。
しかし、もし絞め落とした後に寺子屋に行っても、
驚いてもらえずに泣きながら起こしに来る小傘が見える。
…ありだな。
そりゃもう、これ以上ないって位に綺麗にしてみせますよ。
好きだ! 慧音先生
だくだくじゃばじゃばとびっくりしてあげるから小傘ちゃんに綺麗にされたいです
けーね先生が綺麗にされたけど汚されてしまったwww
>3 勝負だ!((あいたぁ!?))
小傘がちゃんと妖怪してるなぁ
綺麗にする義務も当然僕に移るわけですね
なんだとーっ!!
認めんwww
こちらは"妖怪"小傘ですな。
いやぁ、見事な食べっぷりで……ww
ま、誰がどう主張したところで慧音は俺の妻なわけだが
慧音は可愛いし、小傘は生き生きと描かれているし、慧音は可愛いしで、大満足です。俺もお腹いっぱい。
それと、慧音だけは誰にも渡さん。