昼食から一時間ほど経ったあたりであろうか。
縁側にナズーリンと二人で腰掛けていた。
外は雨が降っていた。
大雨になる心配は無さそうだったが、辺りには既に水溜りが出来ていた。
「ねえナズーリン、雨が降っていますよ」
「まあ、見れば分かります。冬も明けたことですし、珍しくもないでしょう」
立ち込める暗い雨雲や絶え間なく聞こえる雨音で気持ちが沈んだ。
私の心が暗い何かにすっぽりと覆われた感覚だ。
雨がないと世の中が回っていかない事は分かっている。
これが無ければ私達はまともに生きていけないだろう。
それでも、今は私を億劫にさせる雨は必要ないものだった。
どうしてだろうか。
「ジメジメして、いやですね」
口から出た言葉は要領を得ないものだった。
人妖を惑わす事が雨には可能なのであろうか。
普段はにぎやかな寺の面々も、雨の日には不思議とそうは見えなかった。
狐狸に化かされている気がした。
「でも、たまにはそういったことも必要でしょう」
ナズーリンは言った。
「それは、そうですけど」
「まあ、分からない訳ではありませんがね」
「そうなのですか?」
「折角の休日を寺の中ですごすというのは勿体無いですから」
そういう考えもあったか。
私の失せ物を探し続けているうちに外に惹かれる物を見つけたのだろうか。
私はナズーリンはインドア派だとてっきり思い込んでいた。
それを考えていたら、どうしてだか、ちょっぴり申し訳なく思った。
「……雨が降っていると思い出しますね」
数十秒の沈黙を私は破った。
ナズーリンは黙っていた。
ずっと前の話だ。
とても嫌な事があった。
思い出したくない話だが、雨の日に限って、しばしば私の脳裏をかすめるのだ。
私はかつて恩人を見捨ててしまった。
昔の事なので、詳しい事は忘れてしまっている。
だからその時雨が降っていたかどうかは覚えていない。
でも、見捨てた事だけは覚えていた。
どうして雨からその事を連想するのか分からなかった。
きっと、どんなものでも探し出してくれる私の従者でも、この答えは探し出せないだろう。
分かるつもりも毛頭無かった。
今は今で、それなりに幸せな生活を送れている。
それだけで良かった。
雨はいつの間にか上がっていた。
「ねえナズーリン、雨が上がりましたよ」
「そうみたいですね」
久しぶりに里に出てみようかな、と思った。
ナズーリンが喜びそうなものは何かを考えながら私は立ち上がった。
私の心を覆っていた暗い何かはいつの間にか消え去っていた。
前向きな気持ちなのは、きっと雨が上がったからであろう。
「どうしました。急に立ち上がって」
「折角ですし、どこかに出かけましょう」
「珍しいですね。普段からよく寺に引きこもって居るものだからてっきり外出する事が苦手だと思っていましたが」
「それはきっと、ずっと雨が降っていたからだと思います」
まずは甘味処に行こうか。
今から行けば、到着する頃にはちょうど小腹がすいているだろう。
普段から迷惑をかけていたので、好きなものを好きなだけ食べさせてやろう、そう思って、私はナズーリンを連れて歩き出した。
センチメンタルな気分になったのは、きっと雨のせいだろう。