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境内の掃除が終わる。
巫女は居間に戻ると、再びコタツに潜り込んだ。
寒い寒いと言いながら、温かいお茶を淹れなおす。小休止が入れば、そこに必ずお茶もついてくるようだ。
藍も再び霊夢の淹れたものを貰ってから、訊ねた。
「もうやることはないのか?」
「うん」
手を湯のみで温めながら、巫女は頷いた。
藍は、浮かんだ疑問を口にした。
「普段はどう過ごしているんだ? 夜まで、大分時間が余っているだろう」
巫女は湯のみの中身を見ながら、言葉を紡ぐ。
「んー。お茶を飲むか、昼寝をするか」
つぶやくように言う。藍は言葉の続きを待った。
が、彼女はぼんやりとお茶を眺めたまま、喋る気配は無い。
しばしの間を置いて、藍は促した。
「それだけか?」
問えば、続けてくる。
「そうねぇ。あとは何もしないか、偶に誰かが来たとき、その相手をするくらいね」
「何もしないとは、どういうことだ?」
「そのままの意味よ。強いて言うのなら、お茶を飲まないことかしら」
平坦に言葉する巫女。
「……」
藍は何かを言いかけて、口を噤んだ。そのためか、釈然としないものが胸の裡に残った。
気持ちを変えるつもりで、切り出す。
「お前の淹れたお茶はうまいな」
「そう?」
問う台詞に、頷きを返す。
「私でも、紫様でも。ここまで絶妙な加減を出すことは叶わないだろう。見事なものだ」
「大げさねぇ。高々お茶で」
「これを味わえただけでも、ここに来た甲斐があったというものだ」
「満足したのなら、帰っていいわよ。見送るわ」
淡々と語る霊夢に、藍は黙した。
空っ風が吹いて、しょうじが揺れた。
その音を耳に入れながら、藍は一つだけ目を閉じた。言う。
「霊夢、立て」
知らず、語気が強まっていたかもしれない。
構わず、そのまま続ける。
「結界の様子を見に行くぞ。今日中に、幻想郷の3分の1を見て回る」
告げれば、巫女は眉を顰めた。
「そんなに見て回れる訳ないじゃない」
「事前に言ったはずだ。私は紫様みたく甘くはないと」
「甘いとか、そういう問題じゃないでしょ。バテちゃうじゃない。明日に持ち越すわ」
「毎日続ければ慣れる。習慣とはそういうものだ」
「妖怪と人間を一緒にしないことよ。そもそもの基準が違うもの」
もっともらしく言うが。
藍はすくっと立ち上がった。座る巫女を見下ろして、言葉する。
「霊夢」
「嫌よ」
「立つんだ」
「まだ寒い」
そっぽを向く巫女。何度促しても、頑なにコタツから出ようとしない。
その様子に、藍は息をついた。静かな口調を意識して、台詞を紡ぐ。
「博麗大結界は、幻想郷の要だ。複雑ながら強固な術式で構成されている反面、僅かな異常でも、連鎖的に決壊へと繋がる恐れがある」
巫女は口を噤んでいる。
藍は目をつむった。ゆっくりと、聞きやすいよう語る。
「崩壊というのは、いつだって小さな綻びからはじまるものなんだ。ようやく気が付いたときには、もう遅い。見回りと言う作業は地味で、面倒で、時間も掛かる。故に手を抜きがちだが、これほど未然に事故を防げる予防策はない。だから例え手間のかかる作業だとしても、決して手を抜いてはいけないんだよ」
あとを続ける。
「特に、わたしたちが管理する対象は、この郷に生きるあまねくすべての命に関わっている。幻想郷の存続は、私達の双肩にかかっているといっても過言ではないんだ。実際、事実だからね」
一拍の間を置く。
告げる言葉が、巫女に届くことを願った。
「霊夢、私は決してお前に重荷を背負わせようとして言っている訳じゃない。でも、その事実を理解し、素直に受け入れて欲しい。そうすれば自分が何をすべきか、自ずと見えてくるだろう? 紫様も、私もいる。時が経てば、橙だって力になるだろう。私達は、お互いに協力できるんだ。判ってくれるね?」
諭すよう、柔らか味を帯びた声で告げて。
藍は、霊夢を見やる。
「ふぁ」
巫女はあくびをして、横になっていた。
座布団を折りたたんで、枕代わりにしている。がん無視だった。
(この巫女やろう)
藍は胸中で怒鳴った。叱責するように、言う。
「霊夢」
「やだ」
「起きなさい」
「一眠りしたら、行くわよ」
気のない返事で、身動ぎもせずに言う。
藍は目を瞑った。ふーっと息をついて、警告の色を滲ませる。
「いいだろう。聞き分けのない子に、私は容赦をしない」
舐めてはいけない。
たとえ主が相手でも、布団をひっぺ替えして目を覚まさせる式である。イヤ寒い、と尻尾に埋もれようとする主の頬を、尻尾でびしばしと叩いて迎撃する式である。
この我が侭巫女の相手など、赤子の手を捻るよりも簡単であるはずだ。
「力ずくでも連れて行くぞ、霊夢。これは最後通告だ。両手を上げて、大人なしくコタツから出るんだ」
声音を落として、告げる。両手を挙げる意味は、多分無い。
流石に不穏な気配を感じ取ったのかもしれない。霊夢は藍に視線だけを向けてきた。訊いてくる。
「起きたらなんかくれる? 条件次第で考えてあげてもいいわよ」
なんと図太い巫女か。
だが藍は大人の狐。余裕というものがある。聞き分けのない巫女に、最大の条件を提示する。
「仕方ないな。私の尻尾で包んであげよう。これなら道中暖かいだろう?」
「そんなもんいらないわ」
藍は巫女に踊りかかった。
音も無く、早く、的確に。さながら狩りの如く。うつらうつらとする巫女の、喉笛を噛み切る思いで。
霊夢の襟首を掴まえる、あと拳ひとつぶんという差で、巫女の姿が掻き消えた。
「むっ」
刹那の出来事だった。
手が空を切る。標的を見失い、藍はあたりを見回した。
巫女は居た。対面の場所、先程まで藍が座っていた場所に、寝転がっている。
(空穴か)
亜空間を移動する技術。
その発動を自分に悟らせることなく、一切のタイムラグなしで行ったのだ。
藍はふむと頷いた。
「徹底抗戦というわけだな」
巫女の返事は、欠伸をかみ殺すことだった。むにゃむにゃとしている。
その隙を突いて、藍は再び霊夢へと襲い掛かった。先程よりも、早く。
が、巫女は寸前で掻き消え、気が付けば別の場所からコタツに潜り込んでいる。眠そうな面持ちで、まるで意に介した様子はない。
とりあえず亜空間を渡り歩いたとしても、コタツから出るつもりはないらしい。
それを悟り、藍は告げた。
「霊夢、これを見るんだ」
「ふぁ、ねむ」
小さな欠伸が返事だったが。
「いいのかな、そんな態度で。私は構わないが、お前が困るんじゃないのかな」
「うるさいわねぇ。あと少ししたら起きるって、言ってるじゃない。ゆとりは大切よ」
煩わしそうに藍を見やって、霊夢。
しかし、その瞳が藍の両手に持つものを捉え、彼女は目を見開いた。
藍の手には、炭と急須が在った。炭はコタツを暖めるもので、手の平の上でふよふよと浮いている。
霊夢はがばっとコタツの中身を見やって、それから驚きの声を発した。
「あ、あー!」
「おっと動くんじゃない。少しでも不審な行動を見せれば……」
じゅ。
急須から垂れた一滴のお茶が、炭の赤い部分を僅かに濡らす。白い煙が上がる。
寝ぼけ眼から一転、巫女が怒鳴り声を上げた。
「馬鹿なまねは止めなさい、藍……!」
じゅ。
もう一滴。
「や、やめてっ」
途端、巫女の声は弱気に転じた。
お茶とコタツ。巫女の愛するもの二つを人質にとられ、なすすべもないようだ。
恨みがましく睨みつける巫女は、拭えぬ動揺を隠すよう努めながらも、毅然とした様子で言う。
「よ、要求を言いなさい」
「私の要求は唯一つ。コタツから出ることだ。難しいことではあるまい」
巫女はうめいた。
「うぎぎ。卑怯者め」
「おや、生意気なことを言う」
藍は意地の悪い笑みを浮かべた。
「で、出るから。やめなさい。出るから」
「ふふふ。そうだ、いい子だ。ゆっくりでいい。あまり急だと、びっくりしてしまうからね」
しばらくして、巫女はコタツから抜け出した。
にぎやかになったな神社もw