われたちて むかうのさとへ さてゆかん
「……」
ふうむ、と幽々子はため息をついた。
手にした短冊の文字をためつすがめつし、そしてぽつりと言う。
「……ふむ」
とりあえず文句ありげに呟いてみる。
空白が目立つ紙の表面では、やわらかな書体が踊っている。
あの無骨者が、ちまちまと筆で記したのかと思うと、その光景を思いだすだけで、なにやらひどくおかしさがこみあげるが。
「……だいたい、さてゆかんなんて。逝く気まんまんじゃないの。まったく。縁起でもない。ねえ?」
幽々子は、歌の意味を推し量りながら、ひとりごとを言った。
庭の木に止まっていた雀に向かってたずねてみたのだが、勿論答えはない。
たずねられた雀は幽々子を見て、首をかしげている。
(……ふん)
幽々子は、笑って口元を緩めた。
短冊に、ちょっとくちづけしつつ、呟く。
(われたちて、むかうのさとへ、たちゆかん……)
つまらない歌だ。
(つまらない歌だな)
不得意は不得意なりに、頭をひねったのだろう。そういう努力の影は、見受けられない気がしないでもない。
が、いかんせん。中身が凡庸すぎる。
短すぎて、逆に何を言いたいのか分からないのだ。
(もうちょっとちゃんと仕込んでやればよかったかな。でも、あいつときたら、全然だったものねえー……)
幽々子は思った。
元侍従の、仏頂面がよく似合う、岩壁顔を思い出す。
とにかく、庭のことに関しては右に並ぶものを見ない男だったが、風流のすさびたる、詩歌というものに関しては、まるで体をなしていなかった。
幽々子の無茶な要求に応えるべく、無い感性を総動員して、毎度絞っていたものと思われる。まあ、幽々子があんまりヒマなので、と歌遊びを言いつけたのが悪いと言えば悪いのだが。
しかし、だからこそ不可解だった。
幽々子はもう一回、歌を反芻した。
(ふむ……)
そもそもこれでは、下手をすると、歌になっていないではないか。
(そうよね。これって完成していないんじゃないのかしら)
あの無骨者にかぎって、物事を途中で投げ出すなど思えない。
何時間でも悩んでいるはずだし、悩んだ以上、それなりの答えは出す。
ただでさえ苦み走った顔の眉根に、いっそうくっきり筋の浮かんだ光景が目に浮かぶようだ。
(歌は、そんなしかめ面で読むものじゃないわよ。遊び遊び)
幽々子は、横から茶化していたのを思いだした。
想像の中の自分が、この歌を前に悩んでいる妖忌に、実際に言っているかのような錯覚を覚える。
魂魄妖忌は、苦み走った顔を返して、それをちらと見返すと、また苦い顔で悩むのだった。
幽々子は待ちくたびれて、やがて髪を弄ったり、果てには、ひまつぶしに華をやり始めたりしてしまう。妖忌はその横で悩む。
こう腕組みして。ううん。むむう。と、時折、そんなうめきをもらす。
幽々子がいい加減眠たくなりかけた頃に、妖忌は筆を置いて、「できましたぞ」と言うのだ。
自分は、期待をこめて、表面ではなんのけない顔で、それを受け取って目を通すのだ。大体が、愚にもつかない内容の歌だ。
自分は当然落胆しつつも、涼しい顔で、さらさらと評論を述べ立ててやる。「ううむ……」などと言いつつ、年嵩の侍従は、ちょっとがっかりした様子を見せつつも、真面目に聞き入るのだった。
思いだして、幽々子は、ぼんやりと梅の木を見つめた。
(あれはあれで、一所懸命だったのね。しかし努力や時間は、結果に結びつくとは限らずか)
短冊を口元に当てて、考えこむ、
ふむ。
やはりおかしい。
幽々子は思い、短冊を離して見た。
もう一度ながめて読み返す。
それで確信を得る。
「ふむ」
やはり、目の前にある歌は、完成していない。
それをわざわざ、しかも今になって送りつけてくるとは、どういう了見なのか。
「……」
幽々子は黙って脇の盃を取り上げ、手のひらの上でくるくるもてあそんだ。
「どういうつもりかしらねえ~あいつ」
盃の中身に注がれる酒はない。妖忌が残していった朱塗りの椀は、ゆっくりと鈍く光っている。
「ん~? どういうつもりかしらねえー」
「幽々子様?」
と、庭から妖夢がやってきた。
幽々子はそちらを見た。
妖夢は枝切り鋏の柄に手をかけていたが、幽々子の姿を見ると、ちょっと眉をひそめてきた。
「もう、また昼から呑んでいらっしゃるんですか……」
「いいじゃないの。どうせやることなんてないのだし」
「一応、幽々子様はいつもお仕事中なのですけど……」
妖夢は言う。
真面目なことを。
「なに、このあいだ来たばかりだもの。あの方も、そうそう降りてなんてきやしないわよ」
幽々子が言うと、妖夢はたしなめ顔になった。
「だいたい、ちょっとだらしないですよ、いくらなんでも。こんな日も高い内からお酒を召すだなんて。体面を考えてくださらないと困ります」
「あらら。妖夢が私に説教をするわ。大きくなったものよねえ。夜中になると、粗相をしていたのは、一体いつまでだったかしら。思い出すわねえ。あのころの妖夢のお尻は、ちっちゃくて白くて、とっても可愛くてね~」
「うう、ちょ、ちょっと……やめてくださいよ」
「朝早くから、お風呂場でこっそりドロワを洗ってたのよねー。見られるのが恥ずかしいからって。いじらしくて可愛かったわ、あれは」
「幽々子様、酔っていらっしゃいますね……?」
「うふふ」
「失礼いたします」
「はい、さよなら」
妖夢はすごすごと退散していった。幽々子はくいと自分の盃を煽った。
手にした短冊をかざす。ひらひらと風が扇ぐ。
外はすっかり小春の様子だ。
空気が生温い。
幽々子は良い気分で、縁側に寝ころんだ。ごろごろとしながら、短冊を見やる。
(死期を悟ると、姿を消すっていうものねー。猫は)
ぼんやりとそんなことを考える。
猫。
似合わない。
(わたしにはさんざ呑気だって言っておいて、自分はどうなのかしらね)
ついでに、ちょっと皮肉めいたことを言ってやる。
思い浮かべた侍従の顔も、短冊も何も言わないが。
そのまま寝ころがって、幽々子は飽きもせずに短冊を見つめた。
(……ふ……ん)
ふ、と欠伸が口に上ってくる。
幽々子は口元を手で押さえた。
少し涙のにじんだ目のはしをしばたく。
(意味なんて……ないのかもねえ~……)
心の中で呟く。
と。
欠伸をした拍子か。
ふと指が緩んだ。
「……おっ、と」
短冊がひらりと舞う。
ぴちゃ。
「あ」
(あらら)
幽々子は思わず、苦い心地になった。
うっかりである。
脇に置いていた盃の中に、舞った短冊がべっとりと浸かってしまっていた。
「ありゃあ~……」
短冊を指でつまんで、幽々子は参ったな、と思った。惚けていた。
「もう……あー」
ぶつくさと言う。
これではもう呑めないではないか。
眉をしかめつつ、指で引き上げた短冊を、目の前にかざす。
ふと。
「……」
ふと。
気がついて、幽々子は短冊を見た。
短冊は、酒に沁みて、べっとりとしおれている。
その表面に、文字が浮かびあがっていた。
酒の沁みた部分に。黒く。
「……」
ふむ。
ふと思いついて、幽々子は起き上がり、短冊を縁側の方にさし出した。
ついでに辺りをちらりと見る。
妖夢あたりに見られると、またとがめられて面倒である。
人がいないのを確かめてから、幽々子は盃を取った。
残った酒を、とろり、と短冊に垂らす。
短冊は、たちまち酒を吸って、びだびだになった。
黒い墨で書かれた文字が、その表面に浮かびあがる。
(細工紙か……)
幽々子は思いつつ、文字に目を落とした。
ふむ、と読んで、ちょっとかみ砕くような目をする。
短冊には、こんな下手な歌が載っている。
われたちて むかうのさとへ さてゆかん
ひさしきさけぞ わがさかつきに
「ひさしきさけぞ……」
幽々子は口ずさんだ。
やがて、思わず吹きだした。
「ぷ」
幽々子はくすくすと笑った。
ちょっとほそくなった目で、酒くさくなった短冊を眺める。
なるほど。
たっぷりと酒を吸っている。
「まったく……」
呟く。
まったく。
(残念ね。及第点はあげられないわ)
心の中で、侍従の仏頂面に言ってやる。そっけなく。
短冊をちょっとひらつかせて。
侍従は、やはりがっかりしたような顔をした。
が、その顔はどこか晴れ晴れとしても見えた。
(それは残念ですな)
妖忌は言った。
仏頂面を緩ませて。
最近まともな妖忌見ていなかったので、イメージを元に戻せましたよ。
細工紙ってもんを知らないから、そうきたか!とはならなかったのが残念だ