丁度、夕餉の支度をしていた頃だった。
「力仕事、ごくろうさん」
はっとして振り向くと、洩矢の神の人懐っこい目が、ころころと見上げていた。
細く伸びた両の眉が、その額に緩やかな弧を描いている。あどけない彼女の容姿で唯一大人びて見えるのが、その眉だった。
「おゆはんの支度は、力仕事ですか?」
そんな彼女の眉が大好きな早苗は、可笑しそうに言ったきり、またまな板に向かった。珍しく山女の良いのを頂いたから、それに串を通している最中だった。
塩焼きにでもすれば、あまり手の込んだものが嫌いなもう一柱の神は喜ぶことだろう。山女は山の河童からのいただき物で、こう言う時、妖怪の信者もまんざらではないと早苗は思う。
諏訪子は早苗の問いには答えずに、その小さな背を伸ばして、早苗の手元を覗きこんでいた。手馴れたものだね、と嘆息の混じった声がその口から出る。
もとから料理の得意だった早苗だが、一つ屋根のしたで神々を養うようになってから、ますます腕に磨きがかかった。
諏訪子はそれを、知っている。
彼女の小さな頭は、そんな早苗の手元を見ようとうろうろしていたが、やがて引っ込む。それから、エプロンの結び紐がほどけていたのだろうか、背中にごそごそと指が動くのを、早苗は感じた。
「いや、おゆはんの支度もそうだけど、もっと、男手の欲しい仕事だってあるでしょ。例えばほら、あれだ」
よし、と小さな声が、諏訪子の口から零れた。綺麗に線対称の結び目が、早苗の後ろ腰に咲いている。
自分ではそれを見ることの出来ない早苗は、服ごしに伝わった、諏訪子の手の感触と、温かさだけを黙ってかみしめた。
「薪割りとか、そういうの。あれはだって、力仕事でしょ?」
「そうですね。……ああいうの、初めは面白かったんで、そう大変でもなかったんですけど。コックや蛇口をひねるだけのころと違って」
ガスだって電気だって水道だって、この幻想郷にはない。
分かりきった、ことだった。
「それが今は、つらい?」
「いいえ……これも神奈子さまと、諏訪子さまのためですから。それに、ここの人にはそれが普通なのでしょう?」
「河童は、どうかなあ」
「ふふふ、ごまかしてそうですね。カセットコンロぐらい、修理するなりして使ってそうです」
笑っているうちに、山女に串は通る。
出来ました。そう言って早苗が串ごと山女を手にすると、浅黒く縦に縞の連なった山女のぬめった肌が、差し入る西日を受け、きらきらと光った。諏訪子は眩しそうに、早苗とその魚とを見比べている。
「どうかなさいました?」
じっと見つめる諏訪子を不審に思ったか、早苗はちょっと小首を傾げた。諏訪子は相変わらず眼を細めたまま、うんうんと満足げに頷いて見せる。
諏訪子は暇人であった。神と言っても、日がな一日忙しい訳でもない。特に、表だって守矢の社を司っているのは神奈子の方であったから、存外諏訪子は暇を持て余し、ぶらぶらとしていることの方が多かった。
社の中をうろついていることもあれば、庭へ出て、名もなきカミガミとお喋りに興じていることもある。けれども今日の日の様に、炊事場に足を運ぶことは滅多になかった。
と言うよりも、早苗の記憶の内では、これが初めてであるように思われる。
そして開口一番に労をねぎらわれたのだから、照れるよりも不審が先に走った。そして、不審よりも満足が先に。
諏訪子さまが、褒めてくださっている……!
じん、と背中の腰のあたりで、温かい。諏訪子の手がそこへ残っているようで、早苗は嬉しさに負けそうになる。
けれども諏訪子の口は、早苗の思うほど、重々しい言葉を吐くようには出来ていないらしい。
「いや、さなちゃん、良いお嫁さんになるだろうなァって!」
諏訪子が踵を返したのと、傍の竈で鍋が噴くのは同時だった。
アッと言うほどもなく、小さい姿は夕闇の廊下の向うへ走り去る。
そのすばやさと、鍋の処理に慌てたせいで、照れ隠しの意味合いで文句を言うのは、その日の夕餉の席になった。
「力仕事、ごくろうさん」
はっとして振り向くと、洩矢の神の人懐っこい目が、ころころと見上げていた。
細く伸びた両の眉が、その額に緩やかな弧を描いている。あどけない彼女の容姿で唯一大人びて見えるのが、その眉だった。
「おゆはんの支度は、力仕事ですか?」
そんな彼女の眉が大好きな早苗は、可笑しそうに言ったきり、またまな板に向かった。珍しく山女の良いのを頂いたから、それに串を通している最中だった。
塩焼きにでもすれば、あまり手の込んだものが嫌いなもう一柱の神は喜ぶことだろう。山女は山の河童からのいただき物で、こう言う時、妖怪の信者もまんざらではないと早苗は思う。
諏訪子は早苗の問いには答えずに、その小さな背を伸ばして、早苗の手元を覗きこんでいた。手馴れたものだね、と嘆息の混じった声がその口から出る。
もとから料理の得意だった早苗だが、一つ屋根のしたで神々を養うようになってから、ますます腕に磨きがかかった。
諏訪子はそれを、知っている。
彼女の小さな頭は、そんな早苗の手元を見ようとうろうろしていたが、やがて引っ込む。それから、エプロンの結び紐がほどけていたのだろうか、背中にごそごそと指が動くのを、早苗は感じた。
「いや、おゆはんの支度もそうだけど、もっと、男手の欲しい仕事だってあるでしょ。例えばほら、あれだ」
よし、と小さな声が、諏訪子の口から零れた。綺麗に線対称の結び目が、早苗の後ろ腰に咲いている。
自分ではそれを見ることの出来ない早苗は、服ごしに伝わった、諏訪子の手の感触と、温かさだけを黙ってかみしめた。
「薪割りとか、そういうの。あれはだって、力仕事でしょ?」
「そうですね。……ああいうの、初めは面白かったんで、そう大変でもなかったんですけど。コックや蛇口をひねるだけのころと違って」
ガスだって電気だって水道だって、この幻想郷にはない。
分かりきった、ことだった。
「それが今は、つらい?」
「いいえ……これも神奈子さまと、諏訪子さまのためですから。それに、ここの人にはそれが普通なのでしょう?」
「河童は、どうかなあ」
「ふふふ、ごまかしてそうですね。カセットコンロぐらい、修理するなりして使ってそうです」
笑っているうちに、山女に串は通る。
出来ました。そう言って早苗が串ごと山女を手にすると、浅黒く縦に縞の連なった山女のぬめった肌が、差し入る西日を受け、きらきらと光った。諏訪子は眩しそうに、早苗とその魚とを見比べている。
「どうかなさいました?」
じっと見つめる諏訪子を不審に思ったか、早苗はちょっと小首を傾げた。諏訪子は相変わらず眼を細めたまま、うんうんと満足げに頷いて見せる。
諏訪子は暇人であった。神と言っても、日がな一日忙しい訳でもない。特に、表だって守矢の社を司っているのは神奈子の方であったから、存外諏訪子は暇を持て余し、ぶらぶらとしていることの方が多かった。
社の中をうろついていることもあれば、庭へ出て、名もなきカミガミとお喋りに興じていることもある。けれども今日の日の様に、炊事場に足を運ぶことは滅多になかった。
と言うよりも、早苗の記憶の内では、これが初めてであるように思われる。
そして開口一番に労をねぎらわれたのだから、照れるよりも不審が先に走った。そして、不審よりも満足が先に。
諏訪子さまが、褒めてくださっている……!
じん、と背中の腰のあたりで、温かい。諏訪子の手がそこへ残っているようで、早苗は嬉しさに負けそうになる。
けれども諏訪子の口は、早苗の思うほど、重々しい言葉を吐くようには出来ていないらしい。
「いや、さなちゃん、良いお嫁さんになるだろうなァって!」
諏訪子が踵を返したのと、傍の竈で鍋が噴くのは同時だった。
アッと言うほどもなく、小さい姿は夕闇の廊下の向うへ走り去る。
そのすばやさと、鍋の処理に慌てたせいで、照れ隠しの意味合いで文句を言うのは、その日の夕餉の席になった。
ありがとう。
改めていわなくとも、すわちゃんが良いお嫁さんになるって事は分かってますって!
・・・あれ?
大丈夫おれもさ。
ひねたところのない、良い話でした。
こういう幻想郷の話を求めてる自分がいる。
これだけは言っておく!
残念だが早苗さんは俺の嫁だから誰にも渡さんよw
諏訪子様。失礼なことを思っていた私をどうか許してください。