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朝食の後片付けをする。
藍が食器を洗い、それを霊夢が拭く。小さな流れ作業ができあがり、瞬く間に終わってしまった。
次は洗濯するようだった。とはいっても、洗い物も多くはない。これもすぐに終えてしまう。
居間に戻る。
藍は霊夢に淹れてもらったお茶を啜り、一息ついた。
「他にすべき事は無いのか。何の雑用でも構わず言ってくれ。手伝おう」
コタツに足を突っ込み、のんびりとした巫女は簡潔に口を開いた。
「これといって無いわよ。あとは境内の掃除があるけど、それは午後にやるからね」
「そうか」
巫女は湯飲みを傾ける。
もともと藍は多弁ではない。それは霊夢も同じようだ。
会話が途絶えれば、神社はただ静かだった。鳥の声も、虫の声も無い。
偶に吹き抜ける風が、しょうじを揺らす。その程度の物音が、冬の精一杯のようだった。
「コタツ、入らないの?」
しばらくして出た台詞は、霊夢のものだった。
こちらを不思議そうに眺めている。
コタツに入らず、その前で正座をする藍を疑問に思ったのだろう。
答える。
「コタツはどうも苦手でね」
「そうなの。見るからに野暮ったい格好だものね、あんた」
藍の背後を眺めながら、霊夢。
金色の尻尾が、僅かに揺れる。
「野暮ったいとは心外だな。これは私の象徴でもあるからね、結構気を使っているんだよ。乾燥する冬の間は、特に」
「前に妖精が挟まってたわね」
言われ、藍は苦笑いをした。
「あれは挟まっていたんじゃない。寒くなると、皆なにかと私の尻尾に触れたくなるらしい。どうやらここで暖をとりたいようでね。紫様も橙も、よく埋もれたがるよ」
まったく困ったものだ……。そう言って、尻尾の先端に触れる。
艶もあり、毛筆のように毛並みの良い尻尾である。
巫女はぼんやりとした面持ちでそれを眺めていたが、ぽつりと言った。
「雨に濡れると、臭そうね」
「なっ」
絶句する。
なんてことを言うんだこの巫女は。
自慢でもあったので、藍は弁明した。
「臭いわけあるか。毎日丁寧に手入れしているんだ。フローラルハミングな香りだぞ。嗅いでみるといい」
「雨に濡れたら、って言ったじゃない。濡らしてきなさいよ」
むべ無く巫女。
「今日は晴れだろう。この晴れは続く。雨が降るのはずっと後だ」
「じゃあいいわ」
「いいや良くない」
間髪いれずに返す。
藍はコタツに手をついて、厳しい眼差しで霊夢を見据えた。続ける。
「これは私の沽券に関わる問題でもある。言っただろう、象徴でもあると。私の尻尾にそんな暴言を吐いたのはお前がはじめてだ」
「ただ思ったことを口にしただけじゃない」
おのれ。
藍は胸中で歯噛みした。
「まず匂いをかいでみろ。話はそこからだ」
「はいはい、フローラルハミングな香りがぷんぷん漂ってるわよ」
心無い返事。
そして話は終わりだとばかりに、湯飲みを傾けた。すでに巫女の関心からはずれたようだ。
しかしそれで藍の気が治まるはずも無い。
手招きする。
「霊夢、こっちに来なさい」
「寒い」
一言で切って捨てられるが。
「私の尻尾は暖かいよ。ちょっと埋もれてみな。本来なら気安く触れて良いものじゃないが、特別サービスだ」
ふりふりと尻尾を揺らしながら、藍。
「わたしはコタツ一筋なの」
ぐぬぬ。
この生意気な巫女、いったいどうしてくれようか。
藍は唸った。
しかし結局霊夢がコタツから抜け出す事は無く、藍も自分から動いたら負けたような気がしたので、どうすることもなく午前は過ぎていった。
昼食。
おいしいわねー、と暢気な表情で昼食を食べる霊夢を見ていると、先程の暴言も許せそうな気もした。
いや、騙されるな。藍はかぶりを振った。許さない。絶対にだ。
この狐、大層ご立腹であった。
昼食を食べ終え、片づけも終えて、また居間に戻る。
「じゃあ、境内の掃除をしましょ」
しばらくして、巫女はそう口にした。
寒いなぁと零しながらも、彼女は外に出る。
物置にあった少し古い竹箒を渡され、二手に分かれて境内の両端から掃除をすることになった。
冷たい風に晒されながらも、箒を動かす。
さっさっさ。
気が付けば、一定のリズムで箒を動かしている。
竹の地面を擦れる音を、藍は嫌いではなかった。不思議と心の静まる音だ。
(静かだ)
どれだけの時間が経ったのか、藍は胸中でつぶやいた。
風に当てられて、頬がひんやりしている。吐く息は白く溶け、肌寒い。だが悪い気分ではない。凪のように穏やかな心境だった。
(久しぶりだな、こんなに落ち着いて過ごすのは)
大妖怪の式だとしても、年がら年中忙しいわけではない。身を休める時間は、あったはずだ。
ただその時間の使い方が、上手くなかった。それだけのことなのかもしれないが。
(適当に、ね……)
言われた台詞が、脳裏をよぎる。
悪い言葉ではないはずだ。使い方を間違えなければ。
藍は視線を転じて、霊夢を見やった。
彼女は俯き加減で、箒を動かしていた。黙々と、喋ることも無く。
早くもなければ、ゆっくりでもない。雑でもなければ、丁寧でもない。朝と同じだ。始終同じペースで、ただ平坦に――
広い境内に、巫女がひとり。
藍は、箒を振るう腕を止めた。
ふと、思う。
(ずっと、こうしてきたのだろうか……?)
例えば、今日自分が居なかったとして。彼女はこの時間、何をしていただろう。
恐らく、変わらない。あの巫女は、今と同じ位置に居る。竹箒の擦れる音を、響かせながら。その音を聞く者が、誰もいなかったとしても。
長い時間をかけながら、ひとり掃除をするのだろう。そしてその事実を知るものは、誰も居ないのだ。
「……」
巫女は俯き加減で、箒を動かしている。
どんな表情なのか、窺い知る事は出来ない。
あの巫女は、何を思い箒を握っているのか。どんな顔をして、箒を動かしているのか。
ふいに、確かめてみたいと、藍は思った。
何故急にそんなこと思いたったのか、判らない。だが気が付けば、気配を消して歩いている自分が居た。
正面に立っても、彼女は気が付かない。
「霊夢」
唐突に、話しかける。
巫女が顔を上げる。
「あら」
きょとんとした面持ちが、藍を迎えた。
視線が重なる。彼女はぼんやりと藍を見やって、それから若干咎めるような口調で言ってきた。
「あー。また早く掃除したわね。適当にやりなさいって、言ったじゃない。もう」
「……いや」
そう告げられ、藍ははっとした。
自分は一体、何を考えていたのだろうか。
表面上は冷静を保ちつつも、藍は言葉を探した。
「そうじゃなくてだな。この竹箒、使いづらくてね。悪いがもし他のがあれば、貸して欲しいなと」
取り繕うように言えば、呆れたような面持ちをされる。
「あんた、掃除するのヘタね。それ渡しなさい。わたしの貸してあげるから」
自分の持っていた箒を渡し、代わりに巫女の持っていたものを受け取る。
柄を握れば、まるで自分が使い古したかのようにずいぶんと手に馴染んだ。
だが冷たい。巫女は、今し方この箒を握っていたはずだ。その名残が、感じられない。
「じゃ、適当にやりなさいね」
そう言って、話を区切る。
藍は箒を持たない片手を伸ばし、霊夢の手を握った。そのまま、引き寄せる。
「わ」
「冷たいな」
一回りは小さい手に、まるで暖かみが感じられず、つぶやく。
巫女が見上げてくる。藍からすれば、胸に収まるぐらいの背丈だ。今更ながら、気が付いたが。
霊夢は言う。
「そりゃ冬だからね。ってか、いきなりなにするのよ。びっくりしたじゃない」
台詞とは裏腹に、彼女の面持ちはいつものものだった。
藍は続けて口を開いた。
「ふと思ったんだが」
「その前に手を放しなさい。あんた熱いわ」
じと目の霊夢を無視して、あとを続ける。
「私は境内に出てもいいのか? お前は昨日、言っただろう。参拝客に、私の姿を見られたら困ると」
「言ったっけ。そんなこと」
首を傾げる巫女に、頷きを返す。
彼女は投げやりに言ってきた。
「別にいいわよ。こんな寒いのに、参拝客なんて来るはずないじゃない。そもそも、最後に見たのはいつだったかしらね」
「なら、どうして私を拒んだ」
「めんどくさいからに決まってるでしょ。てか放せ。針で刺すわよ」
「お前は冷たい」
「そりゃ冬だからね」
「霊夢」
「何」
「私の尻尾は暖かいぞ」
「ふーん」
「フローラルハミングな香りでもある」
「あっそ」
「どう思う?」
「雨に濡れたら、臭そうね」
この生意気な巫女、いったいどうしてくれよう。
続編期待してますよ~
続きが楽しみです!!
そして、藍様の尻尾をもふりたい。
いつ霊夢が尻尾をもふるのか……今から楽しみです。