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博麗神社。
「では霊夢、短い間だが世話になる」
少ない荷物を運び終えた藍は、改めて家主へと頭を下げた。
迎える霊夢の面持ちは、あまり良いものとはいえなかった。諦めが幾分か含まれている。
「妖怪のあんたには短いかもしれないけど、人間にとって一つの季節は長いものよ。ま、気楽にやりましょ。あんま肩肘張っても、しょうもないしね」
ひらひらと手を振って答えてくる。
藍は笑みを返して、しかし釘を刺すように告げた。
「ああ、判っているよ。けど、締めるところはきっちり締めるからな。私は紫様みたく甘くはないから、そのつもりでいてくれ」
「紫が甘いってのは初耳だけど……出だしからこれじゃあ、先が思いやられるわねぇ」
かぶりを振って、ため息混じりに零す霊夢。
藍は今日からはじまる共同生活を思った。
おそらく、気苦労の多いものになるのではないだろうか。だがそれでも、なまけものが服を着ているような主に比べれば、この巫女の世話は幾分か楽なようにも思える。
博麗の巫女とはいっても、人間の子供。思考回路が出口のない迷宮のような妖怪ではない。
理性に従い、道理で判断するはずだ。納得のいく答えを用意できれば、正しく導けるだろう。
明けて翌日。
藍は布団の擦れる音を聞き、眼を覚ました。
辺りは薄暗く、静かだった。もし夏ならば夜は明けていただろうが、今は冬。太陽はまだ寝ており、外にはまだ月が出ているだろう。
藍はちらりと隣を見た。部屋には布団が二つ敷かれていて、自分の隣には霊夢がいるはずだった。
彼女は居た。上半身だけ起こして、ぼんやりと虚空を見詰めている。
藍は寝起きの頭の中で、思う。
(……ん? もう起きるのか? 流石に早すぎるんじゃないか……?)
それとも、お花を摘みにでも行くのだろうか。
しかしそれにしては、霊夢はぼうっとしたまま動かない。
藍は彼女を眺めた。霊夢は色のない瞳を虚空に彷徨わせて、じっとしている。
しばらくして布団から抜け出した。それを畳み始めるものだから、藍は身を起こして彼女の名を呼んだ。
「霊夢。もう起きるのか?」
問えば、彼女は視線だけを寄越してきた。
色の見えない瞳に藍の姿が映る。感情が抜け落ちた能面のような表情で、ただこちらを視界に入れている。
霊夢の口が小さく動くのを、藍は見過ごさなかった。なにかを呟く。聞こえはしなかったが、「ああ」と言ったのだろう。自分の存在に初めて気が付いた、そんな様子だった。
「ええ、あんたはまだ寝てなさい。寒いでしょ」
その言葉を発するときには、先程の能面は剥がれていたが。
無表情のなかに、僅かな色が見て取れる。
藍は僅かな驚きと共に、返事した。
「ずいぶんと朝が早いんだな。もう朝食をつくるのか?」
「んー。本殿の掃除よ。朝食をつくるのはその後。準備が出来たら呼ぶから」
申し出に、藍はかぶりを振った。
「いや、そんなことはできない。お前の生活に合わせよう。私にも掃除の手伝いをさせてくれ」
「別に良いのに。つめたいわよ。朝の雑巾かけって」
「構わないよ」
「そう。じゃあお願いしちゃおうかな」
気の抜けた返事だ。
藍は布団から抜け出して、巫女と同じように着替える。
それから本殿に向かい、霊夢の指示に従って掃除を始めた。
掃除を終え、霊夢は腕を組んで、うーんと唸っていた。
「ずいぶんと早く終わっちゃったわね。いつもなら、もっとかかるんだけど……」
「まあ、私が手伝った分当然だろう」
巫女は藍を眺めた。
若干呆れたような色が窺える。
「あんた気合入れすぎなのよ。そんなに頑張ったら駄目よ。すぐ綺麗になっちゃうじゃない。そうなったら困るでしょ」
妙なことを口走る霊夢に、藍は首を傾げた。
「いや、困らないだろう? それに本殿なんだから、もっと腰をすえて掃除すべきじゃないのか。お前の掃除の仕方は、なんと言えば良いのか……適切な言葉が見つからないが、見ていてじれったく思える」
早くもなく、かといってゆっくりでもなく――雑でもなければ、丁寧でもない。
霊夢は始終変わらないペースで掃除をする。その様子を見ていると、つい「貸してみろ」と口を出しそうになってしまう。
巫女が口を開く。
「それはあんたが日々忙しく過ごしてるからよ。紫にコキ使われているから、心にゆとりがなくなってしまったのね」
「確かに紫様の世話は苦労も多いが、それは私の望みでもある。決してコキ使われているわけではないよ」
訂正をすれば、霊夢はいつもの投げやりな口調で返してくる。
「ま、もっと適当にやりなさい。てきとーに。それがこの神社で過ごす唯一のコツよ。紫も居ないんだから、少しは楽できるでしょ」
「そうだな。これでお前が結界の管理をサボるようなことをしなければ、私の苦労も減るだろうよ」
「朝ごはんは何にしようかしらね」
「油揚げの味噌汁は外せないな」
「はいはい」
掃除を終えた後は、朝食の準備だった。
昨日のうちにマヨヒガから拝借してきた食材が、博麗神社にあった。藍が居なくなったマヨヒガに食材があっても、誰も使うものが居ないため、すべて持ってきたのだった。
それを見て、巫女は目をまんまるに見開いた。
「わ、なにこれ」
「見れば判るだろう」
野菜やら肉やら米やら果物やら油揚げやら。
食事の内容に偏りが出ないように、食材がある。目新しいものは何も無い。どれもが人里に出れば揃えられるものだ。
「すごいわね。わたし、きっと今日あたり死ぬわ」
「何を大げさな」
「あんたがいる間、贅沢病にならなければいいけど……」
割と真面目に心配している様相の霊夢を見て、藍は疑問に思った。
「普段は何を食べているんだ?」
「その日あるものよ」
「例えば?」
「山菜とか。でも、冬はなくなっちゃうからちょっと困るのよね。良い保存法ってないのかしら?」
牛肉ーと呟いて、つんつんしている巫女。
藍は言った。
「霊夢」
「ん?」
「居間で待ってなさい。私が作るから」
「そんな気遣いいらないわよ。あんた、まだ何処に何があるのか判らないでしょ」
「一目見れば把握できる」
「それに、藍に任せていたら、油揚げのフルコースになりそうで怖いじゃない」
「どうやら、お前は私に対して偏見を持っているようだね。確かに油揚げは好きだが、それを他人に強要するほど野暮ではないよ、私は」
「ならその厚揚げとお稲荷さんは夕飯に回しなさい。油揚げ使っていいのは、味噌汁だけだからね」
「肉は食べるか?」
「うん」
少し豪華な朝食にしようと思っていたが、結局は質素な食事になった。
しかし霊夢の雰囲気から察するに、それでよかったのかもしれない。
居間。
いただきます、と二人で手を合わせて味噌汁を啜った。
「久しぶりだな」
「何が?」
ふと呟けば、巫女が聞き返してくる。
「こうして誰かと朝食を摂るのが」
「紫や橙がいるじゃない」
「紫様は、朝が大変弱いお方だからな。昔はそうでもなかったのだが」
「あんたたちの言う昔って、人間には想像できないほど過去でしょう」
「私が子供の頃の話だ」
「人間、年をとれば早起きになるけど、妖怪は違うのね」
「どうだろうね。妖怪と一口に言っても、人間と違ってだいぶ構造が異なるから。一概には言えないだろう」
「橙は? 一緒に食べないの?」
「橙はどちらかといえば、夜行性だからね」
「ふーん。わたしも、誰かと朝食を摂るのは久しぶりね、多分」
「多分?」
「昔、誰かと食べていた気がするわ。昔といっても、あんたからしたら凄く最近のことなんだろうけどね」
「……」
「この味噌汁おいしい」
「だろう」
勝負の行方は如何に……!!
次回も楽しみに待っています
なんともいえないゆったりした何かを感じるとです
幻想郷の日常が見れた感じで良かったです。