その日の朝は、いつもと変わらない、別段何もない普通の朝だった。
草木が花を咲かせ、動物達もどこか穏やかな表情をしている。春の訪れを皆が喜んでいるような、そんな温かい世界が広がっているのも、いつものこと。
その山道を、私はいつものように心を躍らせながら歩いていた。
春風の匂いに、薄い桃色の花々に心をときめかせながら、哨戒天狗の詰め所に向かう。
いつもと変わらない風景。いつもと変わらない、私の日常。
そう、何も変わったことはなかったのだ。
あの人に出くわしてしまうまでは。
「あらあら、そこを行くのは椛さんじゃないですか」
歩いていると、不意に上から声をかけられた。
彼女の声を聞いた瞬間から、柔らかく温かな春の光景が私から遠のいていくのを感じた。
この人が近くにいると、イライラして春を楽しむなんて気分になれない。
せっかくの楽しみを邪魔された怒りをこめて、私は降りてきた彼女に言い返した。
「これはこれは射命丸様、おはようございます。用がないなら視界から消えていただけますか、いえ寧ろあっても消えてください。私は仕事がありますので」
「そうでしたねえ、椛さんは尻尾振って働いちゃう犬ですもんねえ」
「そういう射命丸様こそふらふらしていていいんですか? 朝からふらふらしていると、ただでさえ腐りきった性根が朽ちてなくなりますよ」
「へえ、随分な口をききますねえ。ただ任務をこなすことしか出来ない犬が」
「……私が我慢できるうちに帰ってもらえます? 噛み付きますよ?」
「あやや、こわいワンちゃんですねえ」
「……いい加減にしろよこの馬鹿鴉!!」
我慢できなくなった私は射命丸様に噛み付こうとしたが、そこは流石の鴉天狗、彼女は私をひらりとかわすと空に舞い上がってしまった。
見上げる私に、相変わらず人を小馬鹿にした口調で捨て台詞を吐いてくる。
彼女は私が追いかけてこないことを知っているのだ。自他共に認める真面目な性格である私が、仕事前にわざわざ喧嘩を売りにいくはずもない。
それがわかっていたから、あの人は嫌な笑みを浮かべていたのだ。
「おお、こわいこわい。そんなに怒らなくてもいいでしょ、馬鹿犬ちゃん。じゃあ、またね~」
そう言うと、射命丸様はどこかへ飛んでいってしまった。
私の気持はまだ落ち着いてはいなかったが、彼女がそう判断したとおり、私は彼女を追いかけてまで喧嘩しようとは思わなかった。
あちこちをふらふらと飛び回るあいつらと違って、私には山を守るという立派な仕事がある。それを任されている以上、余計なことに気持を割いている余裕などはないのだ。
気に食わないあの人のことも、今は忘れよう。そう自分に言い聞かせて、私は詰め所へと急いだ。
詰め所に着くと、仲間達はまだ殆ど来ていなかった。いたのは隊長である大天狗様くらいで、私達のようないわゆる下っ端は数えるほどもいない。
「おはようございます、大天狗様」
「おお、おはよう。犬走、今日も早いな」
「ええ、どうも早起きしてしまいまして」
「そうか、そりゃあいいな。私はどうも朝が弱くてな、今朝も本当は気分があまりよくないんだ」
「ふふ、それはただの二日酔いなんじゃないですか?」
「はは、よくわかるな。実は夕べも呑みすぎてしまって……あれ、犬走は呑めないんだったか?」
「ええ、あまり強くはないです」
「じゃあ酒の話をされても困るか……っと、そろそろ報告の時間か。ちょっと行ってくるから、お前はここで待機な」
「あ、はい」
そう言って大天狗様は詰め所の奥へと行ってしまった。
一人で詰め所の中にいるのも寂しいので、私は外で皆が来るのを待つことにした。
外に出た私を、大きな桜の木が迎える。この木は私が哨戒天狗として働くようになった頃からここにある木で、毎年美しい花を咲かせることで有名だ。
満開の桜を眺めながら、私は仲間の到着を待った。尤も、集合時間までにはまだ時間があるから、すぐにはやってこないであろうことはわかっていたが。
しかし、ここで困ったことが起きてしまった。桜の木を見ているうちに、どういうわけか今朝の出来事を思い出してしまったのだ。
あの人のことが心の片隅にでもあると、大好きな桜を純粋に楽しむことなんて出来ない。なんとか心の整理をつけようと思って、私は彼女と自分とのことについて一度よく考えてみることにした。
まず、どうして私は射命丸様が嫌いなのか。
確かに、性格や態度など、一般的に嫌われる要因となり得る点は様々あるが、私が彼女を嫌う理由はそういう一般的なものとは違っていた。
私は、ふらふらと山の外を飛び回るあの人の姿が嫌いだった。
私は、この山が大好きだ。仲間達も、他の生き物も、草木も、そして季節さえも。生まれ育ったこの妖怪の山の全てが、私の宝物だ。
だから私はこの山を守るために働ける哨戒天狗になろうと思ったのだ。
けれど、あの人はどうだろうか。あの人は、山の外に出掛けてはふざけた記事ばかり作っている。その態度からは、閉鎖社会で山の独自性を守るなどといった天狗社会への貢献の精神は微塵も感じられない。
勿論、そういう気持は強制されるべきものではないことくらい分かっている。山の態度としても、以前のように“侵入者は絶対に許さない”というものからは大分寛容になっているのも事実だ。
けれど、射命丸様のような者に苛立ってしまう自分がいるのもまた事実なのだ。平気であちこちに飛んでいき、故郷である妖怪の山を何とも思っていないように見える彼女に対して苛立ちを覚えてしまうのは、はたして仕方のない事なのだろうか。
無益な苛立ちを抱えたまま、私は過ごしていかなければならないのだろうか。
「おーい犬走、ちょっと来てくれ」
大天狗様に呼ばれて、私は我に返った。まさか皆がやって来たことに気がつかなかったかと思い辺りを見回してみたが、人影は見えない。不思議に思いながらも詰め所の中に向かうと、大天狗様が少し困ったような表情をして立っていた。
「どうかなさったんですか?」
「いや、それがな……集合の時間、遅らすんだってさ」
「えっ? ど、どういうことですか?」
「もう本来の集合時刻はとっくに過ぎてるだろ? でも部下は殆ど来てませんってお偉いさんに報告したら、『じゃあもっと遅く集合したらいいんじゃない? 皆眠いから仕方ないんだって。儂も眠いしちょうどよかった』だってよ」
「は、はぁ……」
「おかげで私らは待ちぼうけってわけ。まったく困るよなあ、いい加減な上司だとさ」
「そ、そうですね」
「まったく……あ、犬走、退屈だったら先に滝の裏行ってていいぞ。どうせ河童達はいるだろうし」
「え? でも、大天狗様は」
「いいよ、私は皆を待たなきゃ。一応、上司だしな」
「ふふ、そうですね。じゃあ私は先に行ってますね」
おう、と元気よく返事をしてくれた大天狗様に一礼して、私はいつもの瀑布裏へと向かった。
退屈だったわけではないが、一人でいるとまた余計なことを考えてしまいそうだったので河童に話し相手になってほしかったのだ。将棋を指していればそれどころではないし、彼らの話はうまいから他のことを考えずにすみそうだ。
そんな事を考えながら、私は滝への道を歩いていった。
「おお、椛じゃん」
早く着こうと急いでいると、急に河のあたりで声をかけられた。声の主には心当たりがあったから特に驚きもしなかったが、もし彼女を知らない者ならば卒倒しかねないだろう。穏やかな流れとはいえ、河の中からいきなり声をかけられたら誰だって驚くものだ。
「おはよう、にとり」
「おはよ。仕事?」
「うーん、まあそうかな」
「でも暇だろ? ちょっと一局打たない?」
「うん、いいよ。じゃあ行こうか」
私がそう答えると、にとりはうれしそうに腕をぐるぐる回しながらついてきた。
目の下に隈が見えたから、おそらく徹夜明けの妙な気分のままだったのだろう。
この状態の彼女は相手をするのが大変だが、この時ばかりは彼女の妙な明るさに感謝せざるを得なかった。
瀑布裏には、誰も来ていなかった。途中でにとりと会えてよかった、と胸を撫で下ろしながら、将棋の準備をする。
しばらく他愛も無い話をしながら二人で指していると、やがて仲間達がやってきた。
「おはよー椛、朝早く大変だったんだって?」
「おはよう。もう、皆が遅いからだよ」
「いやいや、そんな早起きできないって」
「さてと、皆来たことだし早速見回りに行こうか」
そう言って立ち上がろうとした私をやって来た皆が止めた。
「ちょ、ちょい待ち! ちょっと休もうよ、ね? 私達ここに来る時に見回りしてきたけど何もなかったしさ」
「で、でも……」
「大丈夫だよ、何もありゃあしないって。それに、途中で抜けられたらにとりも困るだろ?」
「ああ、今いい所だからね」
「しょうがないなあ……」
にとりも含めた全員に引きとめられ、私は渋々諦めて座ることにした。
そんな私に、不満そうな顔に見えたのだろうか、にとりが話しかけてきた。
「いや、しかしほんとに真面目だねえ、椛は」
「そうでもないよ。ただ、ちゃんとやりたいことをやってるだけだよ?」
「ふーん。まあ、こりゃあ文とうまくいかないのもわかるわ」
にとりの言葉を聞き、私は思わず彼女の顔を見た。
それにまったく反応を示そうとせず、彼女は続ける。
「でもさ、たぶん椛はあいつのことを誤解してるんだと思うよ。確かにあいつの性格や態度は褒められたもんじゃあないが、あいつ自身は意外と」
「あんな人、嫌われて当然だよ」
何故か胸が締めつけられるような感覚を悩まされて、つい私は少しきつい口調で言ってしまった。
そんな私を見て何故かうれしそうに微笑むと、にとりは私に質問してきた。
「じゃあ、椛は文のどこが嫌いなの? 性格? 態度? それとも」
「そういう事じゃない! そうじゃなくて……山の事も考えないで、ただふらふらと空を飛んではふざけたことをしているのが嫌いなの。私達は哨戒天狗として頑張って山を守ろうとしてるのに、あの人はああやってふざけた生き方をしているのが気に食わなくて、それでなんだかイライラしちゃって……それだけなら我慢するけど、変に絡んでくるからつい手を出したくなるんだよ。だから私は、あの人を……」
全部言い切ることは出来なかった。胸が苦しくて、にとりに全てを打ち明けるなんて出来なかった。
しばらく考え込んだ後、にとりはまた微笑を浮かべて言ってきた。
「うん、やっぱり誤解してるよ。私は、文は新聞のネタだけのためにあちこちに首を突っ込んでるわけじゃないと思うんだけどなあ」
「……どういう事?」
「あいつはただ、いろんな世界を自分の眼で見てみたいんじゃないかな。だからわざとふざけた態度を取って、自由でいようとしてるんだと思う」
「そんなはずないよ。だってあの人は」
「椛、あんたも文の力は知ってるだろ? 天狗ってのは、生きた年月がそのまま力や賢さに変わる生き物だ。千年以上前から生きてるあいつが本来役職に就いてないわけがないんだよ。ただ、自由に生きるために。そのためだけに、あいつは自分の力を使ってきた。時にはわざと馬鹿なことをやって、うまく上からの重圧をかわしながら、ね」
にとりと話すうちに、胸の苦しみは少しずつ和らいできた。
けれども、まだ射命丸様を認めたわけではない。山を軽視する彼女の姿勢と私の思いは、はじめから相反するものなのだから。
そんな思いが心から消えずにいたので、私はどうもにとりの言葉に納得できずにいた。
「……そうだとしても、射命丸様が山をどうでもいいと思ってることには変わりないでしょ?」
「それも違うんだな、これが。椛、一つ聞くけど、山のために生きるってのは具体的にどういうことかな?」
「え? ええと……哨戒天狗として山を警備したり、あとは……」
「そういう直接的なことしか考えていなかっただろう? あいつが考えていたのは、外の色々な情報を取り入れることで山の活性化を図る、ってやり方さ」
「え? で、でも、山の社会は」
「ああ、閉鎖的だね。文もそれを壊そうとしたわけじゃない。ただ、閉鎖的な空間はどうしても文化やら何やらが停滞しがちなものだろ? あいつは、外の情報を取り入れることでそれを改善しようとしてるのさ」
「あの人が……そんなことを?」
「どの程度本気なのかは分からないけどね。あいつにとって最優先なのは外の世界を眺めることだし、そのついでくらいにしか考えてないんだろうけど」
私の中の「射命丸 文」は、にとりの言葉によって大きく変わっていった。
意地悪で、ひねくれていて、自分のことしか考えていない迷惑な奴。
いい加減で、人の邪魔ばかりして、ふざけた生き方をするどうしようもない奴。
そんな印象は、いつの間にか吹き飛んでいた。
もしかしたら、私が射命丸様を誤解していただけなのかもしれない。
そんな気持が心に生まれた頃、私の胸を締めつけていたモヤモヤはすっかり消えうせていた。
「……ありがとう、にとり。なんだか私、楽になったよ」
「そりゃよかった。椛が元気なさそうだと、どうも気分が乗らないからね。さてと、もう一局いこうか」
そう言ってにとりはまたうれしそうに微笑んでくる。それに応えるように微笑み返しながら、私は駒を握った。
その日の帰り道、私は射命丸様のことを考えていた。
もし私の気持が誤解だったとしたら、どうしてあの人は私にばかり絡んでくるのだろう。
にとりの説明はよく分かるし、今ではすっかり射命丸様の印象を変えてくれたが、どうもその部分が引っかかる。
そんな事を考えながら歩いていると、急に雨がぽつりと降ってきた。大荒れにならないで欲しいと思いつつ進んでいたが、その願いは叶わずやがて激しい風とともに雨が打ちつけるように振ってきた。
春には嵐がつきものだが、こう急に来られても困るものだ。家のすぐ近くにまで来ていたからよかったが、詰め所を出た頃に振られたらたまったものではなかった。
そう思いながら、私は足を速めた。
家に着き、着替えて落ち着いた頃には、雨は先程よりも強くなっていた。風が窓を鳴らし、外からは何かが飛ばされる音が聞こえてくる。こんな最中に帰らなければいけないとしたら、相当骨の折れることだろう。
そんなことを考えていると、不意に玄関をノックする音が聞こえてきた。
こんな天気では外で雨宿りも出来ないだろう。待たせるのも可愛そうだと思い、私はすぐに玄関を開けてやった。
そこに立っていたのは、ずぶ濡れになった例の新聞記者だった。
「いやー助かりました。少しの間雨宿りを……あ」
射命丸様は私に気づくとどこか気まずそうな表情を浮かべた。
この人のこういう表情は初めて見た。いつも高飛車な態度でいるものだから、こういう顔もまた新鮮なものだ。
「えーと、あなたの家、だったんですね」
「ええ、そうですが」
「はは、奇遇、です、ね……」
「言いたいことはそれで全部ですか? だったら早く入ってください。こっちまで濡れちゃうじゃないですか」
「え? あ、ああ、お邪魔します」
なんだかいつもと様子の違う射命丸様に違和感を覚えつつも、私は彼女を家に入れた。
濡れた服を乾かすために脱いでくれと言うと妙に抵抗されたが気にせず毛布を投げてやると、諦めたように服を脱ぎ出す。素肌で毛布に包まれる彼女の姿は妙に素敵で、美しささえ感じられる。
それからは、少しの間沈黙が続いた。
その間、私は彼女に先程の疑問を聞くべきかどうか迷っていた。
けれども、険悪な態度でない射命丸様と話せるのはもういつになるのかわからない。ならば、今聞いてみるしかないだろう。
そう考えて、私は少し恥ずかしそうにしている射命丸様に訊ねた。
「射命丸様」
「な、なんですか?」
「私、射命丸様のことを誤解していました。適当に生きているようで、本当は色々考えてらっしゃったんですね」
「え? ええと……どういう事です?」
射命丸様が不思議そうに聞くので、私は昼間のにとりとの会話を話してやることにした。
どんな反応を返すのかと楽しみにしていると、聞き終わった後急に彼女は笑い出した。
「あっはっはっはっは!! わ、私がそんな事を? ない、ありえない! 面白すぎですよ、その話!!」
「え? ええと、つまりその……にとりが言っていたのは嘘って事ですか?」
「嘘……と断言するのは問題がありますが、真実ではないですね。椛さんもわかるでしょう? 私がそんな立派な人物に見えますか?」
「いいえ、まったく」
「でしょ? ただ私は自分勝手に生きてきただけですよ。色々と馬鹿なことをやって、ふざけた記事を書いて。まあ、その辺は合ってますね、一応。ただ、にとりさんが言った事の中で一つだけ、大きく違うところがありますね」
「な、なんですか?」
「最優先の事についてです。私が最優先にしているのは、面白い事をこの眼で見ること、ですから。そのためにはこの山の中だけで色々探すよりも、幻想郷全てをテリトリーにしたほうが見つける確率が上がるでしょう? 自由でいるのも、面白いことを見つけた時にすぐ飛んでいけるように、ですよ」
不思議な感覚だった。
射命丸様は、少なくともにとりの言葉で書き換えられた「射命丸 文」ではなかった。けれども、嫌な気はしない。寧ろ、どうして今までこの人と会う度にあんな気持になっていたのかが不思議なくらいだった。
「はあ……つまり、射命丸様はいい加減で面白い事を渇望している自由な人、という認識でいいんですね?」
「あー、まあそんなところです。ところで、今日は随分落ち着いてますね。いつもは私を見るたびにあからさまに嫌そうな顔をして楽しいのに」
「それは射命丸様が絡んでくるからでしょう。寧ろどうして普段あんなに嫌なことばかりするんですか」
「えっ!? ええと、それ、言わないと駄目?」
「ええ、駄目です」
私が訊ねると、何故か射命丸様は困ったような表情を浮かべた。
「どうしてもですか?」「はい、どうしてもです」といったやり取りをしばらく続けた後、諦めたように射命丸様が溜息混じりに口を開いた。
「あなたに興味があったんですよ。いつも真面目で真っ直ぐで、決して信念を曲げようとしないあなたにね」
「えっ!? あ、あの、そ、それはつまり」
「そういうことじゃなくて!! ほら、絶対そういうふうに思うだろうなって思ったのよ……私は昔からひねくれてたし、ずっと真面目になんか生きてこなかった。周りも皆そうだったし、これが普通だと思ってたの。でも、ううん、だから気になったのよ。あなたみたいな真面目な奴、初めて見たから」
いつの間にか、射命丸様の口調が変わっていた。
いつもの、どこか距離をおこうとしているような他人行儀なそれではなく、傲慢だけれども不器用で繊細そうな彼女の心が伝わってくるような、そんな言葉。
彼女の言葉は自然と私の心の奥底に入り込み、いつしか私を捉えていた。
「そう、だったんですか」
「ええ、そう。これで満足?」
「はい、これで射命丸様のことがよく分かりました」
「なっ!? 何を言ってるの!?」
「ふふ、言葉の意味どおりですよ。今度は、私の話も聞いてもらえますか? たぶん、私も射命丸様のことが気になっていたんだと思うんです。もし本当に嫌いなら、ずっと無視してしまえばいいわけでしょう? それでも相手していたということは、やはりどこかであなたのことが気になっていたんじゃないかと思うんです」
「へえ、そう。でも、椛の性格じゃあ無視なんて出来ないでしょ? 起こった問題に真正面からぶつかるような性格なんだから。……あ、雨止んでる」
射命丸様の視線を辿ると、窓の外は紅い夕焼けに染まっていた。どうやら雨も止んで、空気が澄んでいるらしい。
「服は……よし、乾いてる。じゃあ私、これで帰るわね。ありがとう、椛」
「え? あ、あの……」
射命丸様の言葉が、私にはどういうわけか寂しく感じられた。
射命丸様が帰ることがどうしてこんなに名残惜しく感じられるのか、私にはよく分からない。
雨が止んだから、雨宿りに来た人が帰る。ただそれだけなのに、何故かそれはとても悲しい事のように感じられた。
けれど、その気持をどう表現したらいいのかも分からない。
何も言えずにいた私の額に、射命丸様の指がそっと触れる。
突然の出来事に驚き動けずにいると、いきなりその指が私の額を弾いた。
「痛っ!? な、何するんですか!」
「いや、可愛いなと思って」
「からかわないでください!」
「ごめんごめん。それじゃあ、行くわ。……あ、そうだ。また明日もちょっかい出しに行くから、その時はよろしくね」
「えっ!? 射命丸様……」
「文でいいわ。またね、椛」
そう言って射命丸様は玄関を開けると、どこかへ飛び立って行ってしまった。
まったく、本当に勝手な人だ。あそこまで自分勝手に振舞えるのは、寧ろ尊敬の念すら抱く。
けれども、そんなどうしようもない人のことが、なんだか忘れられない存在になってしまいそうだ。
現に、こうして彼女が帰ってしまった後でも、ぼんやりとした余韻に心身ともに浸ってしまうのだから。
やれやれ、明日からは別の意味で大変なことになりそうだ。
よろしくお願いしますね、文様。
そう心で呟いて、私は毛布をそっと抱きしめた。
翌日から今度は周囲の目に対する照れ隠しで喧嘩をする二人ですが、それはまた別のお話。
ごちそうさまでした
なんかこう、あやもみ好きとしてもやもやしてたのが、おかげで晴れましたよ
ですよね、お互いに少なからず気があるから突っかかるんですよねー
照れ隠し喧嘩…見たい、すっごい見たい←