早朝の神社はまだ暗かった。
夏ならば白んだ空を見ることが出来ただろうが、今は秋。ぶるっと震えるくらいの肌寒い空気と赤く色づいた草木が、博麗神社を無言で取り囲んでいる。
その神社の中の、さらにふとんの中。霊夢はゆっくりと浮かび上がる自分を、おぼろげに自覚した。別段早くもゆっくりでもなく、まぶたをあげる。
「……」
秋の早朝、博麗霊夢はふとんの中で目覚めた。
その動作に、何か合図があったわけではない。雀がちゅんちゅんと鳴いたり、誰かがおはようと声を掛けたなんてこともない。彼女は目を覚ますのに、そういったものを必要としなかった。
ぱちぱちと瞬きをしてから、無言で腰を上げる。寝起きのためだろう、あまり眼つきは良くない。
「ふぁ」
軽い欠伸が出た。
神社を包むつめたい空気が、肌を撫でてくる。
すりすりと腕を擦る。少しだけ眠気が飛んだ。
上半身だけ起き上がった姿勢のままぼうっとしていると、雀の鳴き声が聞えた。
(起きるか)
胸中でつぶやいて、霊夢は布団から抜け出した。
ひとりでは大きいその部屋に、ぽつんとあった布団。まだ暖かさの残るそれを畳み、押入れに押し込む。
箪笥から何時もの衣装を引っ張り出した。寝巻きを脱いで、着慣れたそれに身を包む。
朝起きて、次にすることといえば、本殿の掃除。それが彼女の日課だった。
その日課に従い、本殿に向かう途中の廊下。まだ眠いのか、心なしか不機嫌にも見える霊夢の表情が、きょとんとしたものになる。
「あ、リボン」
気が付いて、足を止める。
付けるのを忘れていた。
さらさらと、歩くたびに長く黒い髪が揺れている。その違和感に気が付くが。
(まあいいわ。めんどうだし)
もう一度戻るのも、手間ではあった。霊夢は軽く息をついて、歩を進めた。
本殿の掃除。
必要なものは箒とちりとり、それから雑巾とばけつ。それらを用意して、彼女はまず箒を手に取った。
めんどくさがりやな霊夢でも、やはり巫女。なんだかんだで異変を解決するように、自らの仕事はきちんとこなしている。
黙々と手を動かす彼女の表情は、何の色も浮かんではいない。無感情にも見える平坦な面持ちで、終始同じペースで掃除をする。
本殿の掃除を終えた後は、朝食の準備だ。
(何を作ろうかしら)
台所へと向いつつ、考える。
とりあえず、食材と相談して決めることにした。
台所。
食材を確認した霊夢は、眉を少しだけ顰めた。
「あー……」
小さくうめく。
目の前の光景に、なにか思うことがあったのかもしれない。が、それもすぐに消え失せた。
(大根、使うか)
それで今日の朝食が決定した。白いご飯と大根と油揚げの味噌汁。
内容は質素だが、そんな料理でも手間をかければどんな高級食材を用いた料理にも負けないということを、彼女は知っていた。
(よし)
大根取り出して、ぐっと袖を捲る。
とんとんと規則正しく包丁を鳴らしていると、あることに気が付く。
「邪魔ねー、これ」
小さく一人ごちる。
結わえているない髪が、視界にちらつく。
しかしリボンを取りに行くのもめんどうだったので、結局はそのままにしておいた。なんだかんだで、やはり彼女はめんどくさがりやだった。
「いただきます」
手と手を合わせて一言。
目の前のちゃぶ台には、出来立ての朝食が並んでいる。最初に味噌汁から手をつけるのは、日本人の証明。
彼女の食事をする姿は、見る者をはっとさせるようなものがある。すっと伸びた姿勢に、綺麗な箸の扱い方と正しい茶碗の持ち方、絵に描いたような、理想的な食事の運び方。
結局は、彼女の持つ佇まいが原因なのだろうが。
誰も居ないなのだから、もっとだらしの無い楽な姿勢でもいいだろうに、それをしないのは彼女にとってはそれが苦にならないくらい馴れたものだからか。
「ご馳走様でした」
食器を洗い終えてから、霊夢は縁側でお茶を啜っていた。
目を瞑り、その表情はちょっぴり穏やかな色も見えた。
暖かい息をつく。
音の無い時間が平坦に過ぎて、二番茶、三番茶とゆっくりと味わった彼女は、ようやく湯飲みを置いた。
そのころには、かなりの時間が経過していた。
境内の掃除。
竹箒を手に取り、霊夢はてくてくと境内の一番端へと歩を進めた。
端っこにたどり着いてから、両手に握った箒を動かす。
さっさっさ。
ゆるいペースで竹箒を掃いて行く。その動きは均一で、乱れが無い。さっさと終わらせてしまおうといった気負いや、面倒だから適当にやるかという怠けも無い。
ただ平坦だった。
さっさっさ。
ふと。
霊夢はそれまで動かしていた手を止めた。
軽く顎を上げて、空を見上げる。
「……」
秋の空だった。見事なまでに。
秋晴れが美しい空模様と、赤く染めあがった山々が連なる風景が見える。昨日も一昨日とも変わらぬ光景。
ぼんやりと眺めていると、風が吹いた。昨日より、少しだけ寒気を帯びた風が。
集めた枯れ葉や塵が、吹き飛ばされた。
再び風が通り抜け、結わえていない髪がさらさらと風に流された。
塵は完全に吹き飛ばされてしまったが。
構わず、彼女はぼんやりと遠くを見据えていた。
「……」
何を見ているのか。
彼女は博麗の巫女。もしかしたら彼女にはこの幻想郷を覆う結界が見えていて、その綻びを探しているのかもしれない。あるいは、何かを待っているのかもしれない。
答えを知っているのは彼女だけで、もしかしたら彼女自身、何故そんな行為をしているのか判っていないということもあり得た。
しかし端から見れば、彼女はぼうっとしているだけで、それが一番適当にも思える。
長い時間そうしていて、霊夢は思い出したように足元に視線を転じた。
見れば、集めた塵は散らかっている。
「あーあ」
感慨の無い嘆息を零して、彼女は再び掃除をやり直した。
そのペースは先程とまったく同じで、やはり変化の無いものだった。
隈なく掃除を終えた霊夢は、再び縁側に座っていた。
ぷらぷらと足を遊ばせながら、思う。
(今日も参拝客は来ないわねー)
そもそも最後に見たのはいつだったか、彼女は思い出せずにいた。
前は頻繁にとは言えなくとも、ある程度は訪れていたのだが。もしかして、自分の立ち振る舞いが先代に比べて悪いからかもしれない。
などと考えるが、
(わたしの次の代がなんとかするでしょ。うん。頑張って欲しいわね)
胸中で、投げやりにつぶやく。
神社の盛況に執着なく、丸投げの思考だった。
それでも偶に賽銭箱を覗くと、定期的にお賽銭が投げられた跡が残っているから不思議だ。
参拝客が来れば、朝昼間、縁側に居るから判りそうなものなのだが。
(まあいっか。お賽銭がある分には困らないもの)
現状を憂うことなく、やはり暢気に考える。
やがて考える事も無くなり、霊夢は小さな鼻歌を唄った。即興のものだ。
それも長くは続かず、暇になったので眠ることにした。簡単に折りたたまれる座布団を枕にして、横になる。
眠気はすぐに訪れた。
身を包む寒気を感じ、目を覚ます。
寝ぼけまなこで、遠くを見やる。太陽は月に追い立てられるように、姿を隠し始めていた。
(ちょっと寝すぎたかもしれない)
が、起きていてもやることもなかった。いや、修行や信仰集めなど、やる事はたくさんあったのだから、やりたいことがなかったと言うべきか。
霊夢は瞼を擦りながら、立ち上がった。
ぼんやりと考える。
(とりあえず夕飯作って、お風呂入って、それからまた寝よう)
そうやって、日々は過ぎていく。
寄る辺なく揺られながらも、着こうと願う岸も無く。巡る季節をただ見送りながら。
彼女は小さく欠伸をして、夕飯の献立を考え始めた。
夏ならば白んだ空を見ることが出来ただろうが、今は秋。ぶるっと震えるくらいの肌寒い空気と赤く色づいた草木が、博麗神社を無言で取り囲んでいる。
その神社の中の、さらにふとんの中。霊夢はゆっくりと浮かび上がる自分を、おぼろげに自覚した。別段早くもゆっくりでもなく、まぶたをあげる。
「……」
秋の早朝、博麗霊夢はふとんの中で目覚めた。
その動作に、何か合図があったわけではない。雀がちゅんちゅんと鳴いたり、誰かがおはようと声を掛けたなんてこともない。彼女は目を覚ますのに、そういったものを必要としなかった。
ぱちぱちと瞬きをしてから、無言で腰を上げる。寝起きのためだろう、あまり眼つきは良くない。
「ふぁ」
軽い欠伸が出た。
神社を包むつめたい空気が、肌を撫でてくる。
すりすりと腕を擦る。少しだけ眠気が飛んだ。
上半身だけ起き上がった姿勢のままぼうっとしていると、雀の鳴き声が聞えた。
(起きるか)
胸中でつぶやいて、霊夢は布団から抜け出した。
ひとりでは大きいその部屋に、ぽつんとあった布団。まだ暖かさの残るそれを畳み、押入れに押し込む。
箪笥から何時もの衣装を引っ張り出した。寝巻きを脱いで、着慣れたそれに身を包む。
朝起きて、次にすることといえば、本殿の掃除。それが彼女の日課だった。
その日課に従い、本殿に向かう途中の廊下。まだ眠いのか、心なしか不機嫌にも見える霊夢の表情が、きょとんとしたものになる。
「あ、リボン」
気が付いて、足を止める。
付けるのを忘れていた。
さらさらと、歩くたびに長く黒い髪が揺れている。その違和感に気が付くが。
(まあいいわ。めんどうだし)
もう一度戻るのも、手間ではあった。霊夢は軽く息をついて、歩を進めた。
本殿の掃除。
必要なものは箒とちりとり、それから雑巾とばけつ。それらを用意して、彼女はまず箒を手に取った。
めんどくさがりやな霊夢でも、やはり巫女。なんだかんだで異変を解決するように、自らの仕事はきちんとこなしている。
黙々と手を動かす彼女の表情は、何の色も浮かんではいない。無感情にも見える平坦な面持ちで、終始同じペースで掃除をする。
本殿の掃除を終えた後は、朝食の準備だ。
(何を作ろうかしら)
台所へと向いつつ、考える。
とりあえず、食材と相談して決めることにした。
台所。
食材を確認した霊夢は、眉を少しだけ顰めた。
「あー……」
小さくうめく。
目の前の光景に、なにか思うことがあったのかもしれない。が、それもすぐに消え失せた。
(大根、使うか)
それで今日の朝食が決定した。白いご飯と大根と油揚げの味噌汁。
内容は質素だが、そんな料理でも手間をかければどんな高級食材を用いた料理にも負けないということを、彼女は知っていた。
(よし)
大根取り出して、ぐっと袖を捲る。
とんとんと規則正しく包丁を鳴らしていると、あることに気が付く。
「邪魔ねー、これ」
小さく一人ごちる。
結わえているない髪が、視界にちらつく。
しかしリボンを取りに行くのもめんどうだったので、結局はそのままにしておいた。なんだかんだで、やはり彼女はめんどくさがりやだった。
「いただきます」
手と手を合わせて一言。
目の前のちゃぶ台には、出来立ての朝食が並んでいる。最初に味噌汁から手をつけるのは、日本人の証明。
彼女の食事をする姿は、見る者をはっとさせるようなものがある。すっと伸びた姿勢に、綺麗な箸の扱い方と正しい茶碗の持ち方、絵に描いたような、理想的な食事の運び方。
結局は、彼女の持つ佇まいが原因なのだろうが。
誰も居ないなのだから、もっとだらしの無い楽な姿勢でもいいだろうに、それをしないのは彼女にとってはそれが苦にならないくらい馴れたものだからか。
「ご馳走様でした」
食器を洗い終えてから、霊夢は縁側でお茶を啜っていた。
目を瞑り、その表情はちょっぴり穏やかな色も見えた。
暖かい息をつく。
音の無い時間が平坦に過ぎて、二番茶、三番茶とゆっくりと味わった彼女は、ようやく湯飲みを置いた。
そのころには、かなりの時間が経過していた。
境内の掃除。
竹箒を手に取り、霊夢はてくてくと境内の一番端へと歩を進めた。
端っこにたどり着いてから、両手に握った箒を動かす。
さっさっさ。
ゆるいペースで竹箒を掃いて行く。その動きは均一で、乱れが無い。さっさと終わらせてしまおうといった気負いや、面倒だから適当にやるかという怠けも無い。
ただ平坦だった。
さっさっさ。
ふと。
霊夢はそれまで動かしていた手を止めた。
軽く顎を上げて、空を見上げる。
「……」
秋の空だった。見事なまでに。
秋晴れが美しい空模様と、赤く染めあがった山々が連なる風景が見える。昨日も一昨日とも変わらぬ光景。
ぼんやりと眺めていると、風が吹いた。昨日より、少しだけ寒気を帯びた風が。
集めた枯れ葉や塵が、吹き飛ばされた。
再び風が通り抜け、結わえていない髪がさらさらと風に流された。
塵は完全に吹き飛ばされてしまったが。
構わず、彼女はぼんやりと遠くを見据えていた。
「……」
何を見ているのか。
彼女は博麗の巫女。もしかしたら彼女にはこの幻想郷を覆う結界が見えていて、その綻びを探しているのかもしれない。あるいは、何かを待っているのかもしれない。
答えを知っているのは彼女だけで、もしかしたら彼女自身、何故そんな行為をしているのか判っていないということもあり得た。
しかし端から見れば、彼女はぼうっとしているだけで、それが一番適当にも思える。
長い時間そうしていて、霊夢は思い出したように足元に視線を転じた。
見れば、集めた塵は散らかっている。
「あーあ」
感慨の無い嘆息を零して、彼女は再び掃除をやり直した。
そのペースは先程とまったく同じで、やはり変化の無いものだった。
隈なく掃除を終えた霊夢は、再び縁側に座っていた。
ぷらぷらと足を遊ばせながら、思う。
(今日も参拝客は来ないわねー)
そもそも最後に見たのはいつだったか、彼女は思い出せずにいた。
前は頻繁にとは言えなくとも、ある程度は訪れていたのだが。もしかして、自分の立ち振る舞いが先代に比べて悪いからかもしれない。
などと考えるが、
(わたしの次の代がなんとかするでしょ。うん。頑張って欲しいわね)
胸中で、投げやりにつぶやく。
神社の盛況に執着なく、丸投げの思考だった。
それでも偶に賽銭箱を覗くと、定期的にお賽銭が投げられた跡が残っているから不思議だ。
参拝客が来れば、朝昼間、縁側に居るから判りそうなものなのだが。
(まあいっか。お賽銭がある分には困らないもの)
現状を憂うことなく、やはり暢気に考える。
やがて考える事も無くなり、霊夢は小さな鼻歌を唄った。即興のものだ。
それも長くは続かず、暇になったので眠ることにした。簡単に折りたたまれる座布団を枕にして、横になる。
眠気はすぐに訪れた。
身を包む寒気を感じ、目を覚ます。
寝ぼけまなこで、遠くを見やる。太陽は月に追い立てられるように、姿を隠し始めていた。
(ちょっと寝すぎたかもしれない)
が、起きていてもやることもなかった。いや、修行や信仰集めなど、やる事はたくさんあったのだから、やりたいことがなかったと言うべきか。
霊夢は瞼を擦りながら、立ち上がった。
ぼんやりと考える。
(とりあえず夕飯作って、お風呂入って、それからまた寝よう)
そうやって、日々は過ぎていく。
寄る辺なく揺られながらも、着こうと願う岸も無く。巡る季節をただ見送りながら。
彼女は小さく欠伸をして、夕飯の献立を考え始めた。
何時もの巫女さんだ。
けどいつもの霊夢だ。
ある意味薄ら寒いモノを感じました