ある日のこと。霊夢が起きると隣には紫が寝ていた。全裸で。
雪白と評するより他にない肌が、霊夢の鼻先にある。彼女の鼻腔を、どこか甘い香りがくすぐった。
現状を理解できず、一瞬放心状態になってしまった霊夢は、数度深呼吸をする事で落ち着きを取り戻す。
さて、この状況は一体なんだろうか。
……別に、契りを交わすような間柄でもないし。
前日の記憶が、どうにもあやふやだ。なんだか上手く思い出せない。
でも、少なくとも交わりあったような記憶が無い事だけは分かる。そう思いたい。
先ず霊夢は服を着ている。その時点でそういう淫らな関係は持ってないだろうと推測できる。
ではこの状況はなんだ。
……紫の悪ふざけ以外考えられないわね……!
とりあえず分かる事は、八雲紫が目を覚ましたらもっと面倒だということ。
さっさと起きないうちに退散してしまうに限る。こんな所を誰かに見られたらお嫁にいけないだろう。
八雲紫が一人全裸で寝ていた所で、彼女だからしょうがないで済まされるだろうし。ソレでいいのか妖怪の賢者。
抜き足差し足忍び足と足音も無く、っていうか宙をふわふわ浮かんでいるので足音がするわけも無く、霊夢は逃走に成功した。
朝の日差しが、彼女の視神経を刺激する。刺激は眩しさ。ちょっとした痛みを霊夢に与えた。
「あら、霊夢じゃない」
どこに逃げようかと思案する霊夢に、横から声がかけられる。その声は、件の八雲紫のものであった。
……気付かれたァ──!?
内心あっぷあっぷのカーニバル状態になる博麗霊夢であったが、その対応はちゃんと冷静。
「おやおや、その声は妖怪の賢者の八雲紫さんかしら」
といって振り向くと、件のスキマ妖怪はちゃんと服を着ていた。
……あれ、服着るの早くない?
ちょっとばかし疑問を憶えたが、まあそこは紫だしの一言で疑問は解氷してしまう。本当にソレでいいのか。
「それで、スキマ妖怪さんは一体何をしたかったのかしら?」
朝っぱらから悪戯に励んでいる事に関して言ったつもりだったのだが、紫はべつの意味に取ったようであった。
「べ、別に霊夢が心配だったわけじゃないんだからね!?」
「はい!?」
「だ、だからそこのとこ勘違いしないでよね!?」
「いやだから何の話ですか!?」
「ば、馬鹿! それを私の口から言わせる気!?」
「だから言わなきゃわかんないでしょうがぁ──!」
「ホントはわかってる癖に!」
……朝っぱらから飛ばしてきてるわねこのスキマ妖怪……!
眉間を抑えた博麗霊夢に、追い討ちをかけるように声が来る。眠そうな声、女の声だ。
「ぅん……れいむ~。ここにいたのねぇ~?」
八雲紫が自宅から登場した。全裸で。
さらにさらに上空からも声が。
「霊夢……私とは遊びだったのね……」
霊夢が上空を振りあおぐと、そこには濁った目をした紫がやばそうな表情でこちらを見ていた。
……ヤバイ、なんかよくわかんないけどヤバイ!
とりあえず霊夢は一目散に逃げ出した。待ちなさい、だのと三人分の紫の声が背中を叩く。
しかし、巫女の行く先。幻想郷の空にも、幾人もの紫が待っていた。
なんかもう『るるいえ! るるいえ!』とか叫びたくなった巫女だった。
◆
霧雨魔理沙は今日も箒にまたがり、お空のお散歩であった。
ふんふん、と鼻歌を歌いながら青空を飛んでいると、悲鳴がこだました。
おう? と振り返ってみれば、大量の紫に追われる霊夢がこちらに逃げてくる。彼女は魔理沙に気付くと、
「まぁーりぃーさぁー! 助けてー!」
「れ、霊夢か!?」
「んなの見りゃ分かるでしょ! さっさとあの紫の大群をぶっ飛ばして!」
魔理沙には何がなにやらさっぱりだった。
なんで霊夢が百を軽く越えそうな紫たちに追われているのかとか、なんで紫があんなに大量に居るのか、とか。
でも考えない。分かるはずが無いから。というか考えるより前にぶっ飛ばした方が早いから。
魔理沙は胸元からミニ八卦炉を取り出す。少少古びたそれは、作成されてからかなりの年月が過ぎている事を示していた。
「ほら、さっさとしなさいよ魔理沙ぁ──!」
「分かってるぜ」
……今の私なら、これぐらい出来るだろ!
とりあえず今はスペルカードだのと悠長なことを言っていられない。まず死ぬ。これは実戦だ、演習じゃない。
先手必勝。その言葉を実践するかのごとく、彼女は魔力を制御し始める。魔力の放出方向を一方向に集中させる。
そして放たれるのは巨大な光芒。
「マスタースパークだッ!」
紫の大群に直撃。そのままなぎ払うが、しかし手ごたえは無い。
……量産型でも、紫は紫ってか!
ガッデム! と頭を抑えるが、そんな事をしている暇は無かった。紫たちが反撃の準備に出始める。
『私の霊夢を返しなさい~!』
不気味である。しかもこの数のスキマ妖怪に攻撃されたら、魔理沙と言えども塵も残らないだろう。
そもそも塵が残るようなものは極少数なのだが。例えば蓬莱人とか、そのあたりならきっと大丈夫。多分。
ひい、と魔理沙は恐れおののくが、圧倒的多数の攻撃が彼女を襲う事は無かった。
紫たちは仲間割れを始めたのだ。
「ちょ、ちょっと、霊夢は私のだって言ってるでしょ!」
「なによ、この泥棒猫……! 私のに決まってるじゃない!」
「残念だけど、もう私霊夢と寝たから」
『なあんですってー!?』
ぎゃーぎゃーわーわーどかばき。
まるで猫が争うようなやかましさ。キャットファイトとはよく言ったものだ。
魔理沙がその光景にしばし呆然としていると、
「ほら、今のうちに逃げるわよ!」
「どこにだよ!」
「あんたが決めろ!」
とりあえず、頭が痛くなってきた魔理沙は永遠亭に向かう事にした。
そんなきめかたでいいのか。
◆
「おいえーりんッ! こいつはどういうことなんだよ!」
魔理沙が叫びと同時に部屋に突入する。部屋は診察室。病院のそれと大体同じだ。
いきなりの魔女の登場に驚いた赤青医師は、目を白黒させて魔女に聞き返す。
「話が見えないんですけど?」
「紫が増殖したのよ。単細胞分裂かしら」
声と同時に霊夢が部屋に入る。
永琳はその紅白姿を見て、目を点にした。
「……どういうこと」
「さあてな。私にもさっぱりだ。あんたなら何かわかるかと思ったが」
「こんどは私が話見えないー」
勝手に話し出す二人に、霊夢が頬を膨らませた。
「まあいいさ、とにかくかくかくしかじかでな……」
「なるほど」
「え、わかったの!?」
「天才は伊達じゃないわ」
天才ってそういうものなのかよ、と霊夢は頭を抱える。
永琳は続ける。
「というか、さっきあなたが紫が増殖したって言ったんじゃない」
「うん、言ったぜ」
「そうだったわね……」
魔理沙が目を擦り、泣き笑いの様な表情をした。
「へへ……」
「なによ、変なかおして」
「いや、なんでもないさ」
「あっそ」
霊夢が素っ気無く返すと、突然地面が振動した。
「これは……!?」
「外だ、外をみろ霊夢!」
魔理沙が叫び、永琳と霊夢が外を見ると。
そこには、視界を埋め尽くすほどの八雲紫がいた。しかも全裸で。
『れいむぅ~私と寝ましょ~』
博麗霊夢は気を失った。
その日、幻想郷は地獄となった。
◆
その後。有志による八雲紫掃討作戦が行われた。
なんやかんやあったものの霊夢の貞操はどうにか守られ、捕獲された紫たちは永琳がどうにかすることになった。
ショックで気絶した博麗霊夢が目覚めたのは、もう夜も更けた頃であった。
「ぅん……」
「おう、霊夢。やっと起きたか」
「全く、寝台を占領しないで欲しいわ」
まだ寝ぼけ眼の霊夢は、うん、と目を擦りながら曖昧な返事を返す。
数十秒程たち、何があったのかを思い出した霊夢は顔を青くした。
「ちょ、紫は!?」
「どうにか捕獲したわよ。まったくもう、幻想郷の歴史でも一番の大事件ね」
「全くだぜ。私も長く生きてるが、こんなのは初めてだ」
「長くって魔理沙、あんた私と同じくらいじゃない」
「ああ? ……あーそういえばそうだったな」
魔理沙は曖昧な表情をして金髪を掻きあげる。
「しっかし、八意先生、この騒動は何が原因だったんだ」
「精神疾患ね」
「はあ? なんで心が関係するのよ」
無知ねえ、と永琳は溜息。
「妖怪ってのは、精神が主なの。だから妖怪の肉体はその精神の影響を大いに受けるの」
「ふえー。そうなんだ」
「お前も博麗の巫女ならそのくらい知ってるべきだろ……」
「ちょ、ちょっと忘れてただけよ!」
はいはい、と魔理沙が流す。到底信じているようには見えなかった。
「それで、結局精神がどう影響するってのよ」
「多重人格、ってやつよ。八雲紫はそいつを発症してしまったみたいね」
「精神が増えたから肉体も増えた、と。そういうことだな」
「そうねぇ」
ふうむ、と魔理沙は顎に手を当てる。
「原因は?」
「その当人にとって耐え難い事があると、発症するとかなんとか。私の専門は薬だからよく知らないけどね」
「……ああ、なるほど。納得だぜ」
霊夢にはさっぱりわからなかったが、別に知りたいとも思わなかったので聞かない。
「まったく、今日は疲れたぜ。でも──」
「でもどうしたのよ、白黒魔女さん」
「霊夢と久々に飲めると思うと、悪くないぜ」
そういうと、魔理沙は懐から酒を取り出す。既にラベルも読み取れないようなものだ。
酒瓶を見た霊夢が叫んだ。
「ちょ、それ古いからよくわかんないけど、私のじゃないの!?」
「お前がくれたんだろ」
「あれ? そうだったっけ」
「そうだよ……ま、一緒に飲もうぜ」
魔理沙がそういった次の瞬間、扉が開け放たれて妖怪兎が飛び込んできた。
ただ事で無いことを察知した永琳が聞く。
「何かあったの?」
「八雲紫が脱走しました! 全裸で」
まだまだこの異変は終わりそうにない。
もしかして続きます?なんだか前日のことやきっかけをあえてぼかしてるような気がしましたので……。
紫ww脱ぐなwwww