春が来て、てゐの日となる。
一年間に他人へ与えてきた幸福が返ってくる。
てゐの誕生日などは誰も知りはしない。
それでも、
「てゐ、ちょっと来なさい」
呼ばれた方へ行ってみれば、
「耳そうじさせろや。こら」
不器用な鈴仙が、くすぐったい手つきで、丹念に耳穴を掻き清めてくれた。
頬肉がにやりと温む。
ひどく心地よかった。
ころんと向きを変え、膝枕に顔をうずめた。
「これが嫌だから……」
てゐはいたずらが好きだ。
「何か言った?」
「べつにー」
しゃわん。しゅわん。
頭の裏にブラシをかけられてゆく。
横目に庭を見ると、耳の毛が抜けて、春風に白くきらりと散っていった。
ぱっ。
と意識が切れる。
眠っていたらしい。
「起きなさい。終わったわよ。それから……姫と師匠が、部屋に来なさいって」
てゐの体は鈴仙の手に抱かれるほど小さい。
天気も良かった。
すでに今日のところは満足で、これ以上は多い。
「ふっ。因幡てゐは逃走する。さらばだー」
脱兎、てゐは縁側の床を蹴って外へ駆け出した。
冷たくされるのは嫌いだった。
優しくされるのも、苦手だった。
ぱしぱしと顔に当たった竹の葉が、くるりくるり回りながら後ろへ落ちていった。
「とうっ」
跳躍。
青い竹林を飛びあがり、ざんっと藪を抜けて、風の光る空へ入った。
(知り合いには会いたくないな。初対面でいて、馬鹿か、哀れな奴がいい)
てゐは中空を漂い続けた。
小傘が登場する。
「ばああっ! うらめしや~」
うすらぼやけた視界の間近で、大目玉の化け傘がにょろんと舌を垂らしていた。
傘をかいくぐり、小傘の脇をすっと通り抜けて、
「はるのうららの~」
歌を唄った。
「う~らら~め~し~や~!」
化け傘はてゐに追いすがり、真っ赤な大舌を振り回し、驚かそうとやっきになっている。
こういう奴が好きだ。
振り向いていかにもびっくりとして見せると、小傘は得意満面となった。
「あち……私は、小傘。人を驚かせるのが私の栄養よ」
「私もイタズラは大好きさ」
意気投合した。
陽が高く青空は冴えて冷んやりとしている。
「てゐ。あの黒いのは……?」
「邪悪なピンポン玉の妖怪だね」
風下に、丸い闇がふらふらとしている。
てゐと小傘は長い平板を用意して、ほくそ笑んだ。
「ゆくぞ」
「おうよ」
ごつん。
闇が、てゐの持つ平板にぶつかった。
「いたい」
向きを変えて、闇は小傘の構える方へぶつかっていった。
ごん。がん。ごん。
「くらえ、てゐトルネード」
「なんの。小傘ゾーン」
羽子板のように板を振って打ち合った。
ふっと闇がとけて、
「てめえら」
怒るルーミアを、笑い飛ばして別々に逃げ散った。
(もう昼か。おなか減ったなー)
永遠亭にはまだ帰る気になれない。
人間の食べものが好きだ。
「変化の術~」
人間に化けて人里へ行き、ふと目についた稗田の屋敷に忍び込んだ。
中ではちょうど、阿求が膳をつついている。
「何の御用?」
「お昼を頂……観察に」
阿求の向かいに正座して、食膳をじいっと眺めた。
雑穀。草。
つまみ喰いをする気は失せていた。
「ああ、かわいそう。まずそう。こんなものを食べてるなんて。うわあ」
平然とした顔で、阿求は薬草のようなものを噛みしめている。
てゐは膳を取り上げた。
「もうやめて。私は食事がしたいの」
「それはたった今食事を奪われた、私のセリフでは」
「よし。やはりお互い、食事がしたいわけだ。外に食べに行けば問題解決」
不満をもらす阿求を連れ出して、ラーメン屋に入った。
当然のことだが、幻想郷にラーメンはある。
「半ライス」
と言いかけた阿求の口を黙らせて、てゐが注文をとった。
「味噌を二つ。よろしく」
しばらくして、味噌ラーメンが運ばれてくる。
てゐは至福の顔をして、麺をたぐるようにして口へ入れた。
ぱきん。
阿求もようやく箸を割った。
「私は幻想郷縁起を書く使命があるからこそ、閻魔様に転生を許されている」
食事一つとっても、好きにはできないのであろう。
それでも、
「いっただっきまあす」
この時は阿求の声が弾んだ。
てゐは古い妖怪で、稗田阿一の手で幻想郷縁起の編纂が始められた時から、存在が確認されていたと云う。
「むかしの……転生前の記憶は、どのくらい残ってるの?」
「ほとんど無いわよ」
「そっか」
幻想郷縁起に書いてあること以外、阿求は知らないであろう。
「ごちそうさま」
ずいっと掌を突き出した。
「勘定してくる。千円ちょうだい」
「えっ。私の奢りなの?」
それからつり銭を懐にしまい、ひとり人里を離れた。
(てえいっ!)
春が好きだ。
春告精を掴まえて、桜を一本だけ満開にさせた。
うずうずとしてしまい、たまらず枝を折った。
その枝を振り回していると、
「ごきげんね」
陽炎のように幽香が立っていた。
穏やかに微笑んでいる。
てゐがそっと後ろへ下がると、殺気がぴしりと疾り抜けて、足が止まった。
「ま、待って待って。これには深いわけが」
「話してごらん。ほんの枝一本のことよ。悪くても耳の一本で許してあげる」
「つまり……こういうわけで」
ぐっさり。
折った桜の枝を、地面に突き立てた。
策はない。
てゐはひたすら幸運を祈った。
「春ですよー」
声がした。
春告精が集まってくる。
桜の枝はメキメキと大きくなり、あっという間に幽香の背丈ほどの樹に成長した。
つぼみが生まれ、柔らかな風に揺れている。
「あっきれた……」
幽香は嘆息した。
産まれたばかりの桜が、てゐと幽香の間に立って花を開く。
「いいわ。許してあげる」
殺気が引いてゆく。
桜は満開となった。
「私はしばらくお花見してるけど、どうする?」
幽香は桜周りの土を踏まぬよう、離れたところでぼうっと眺めている。
ぺこり。
てゐは桜に頭を下げて、
「家に帰るよ。幸運も使い果たした」
竹林へ向かって空を飛んだ。
永遠亭に着いた。
「おーい! おーい。おーい」
てゐの声だけが廊下に響く。
返事はない。
「おっかしいな。まるで人の気配がしないんだけど」
片付いた廃屋にいるようだった。
しばらくして、輝夜の部屋に侵入すると呆然とした。
地上や月の宝物が、がらくたのように積んである。
机の上に置き手紙を見つけた。
「ふうん……あいつら、月に帰ったのか。こんなに財宝をもらえるなんて、今日はついてるな」
部屋が闇になる。
時がどうにかされたらしい。
次の瞬間、てゐは満月を見上げていた。
「あっ」
という間もなく移動されてしまい、庭にいた。
輝夜と永琳がいて、笑っている。
三方に団子や甘酒が山と積まれており、振り向くと、てゐの体は鈴仙に抱きかかえられていた。
(やられた……)
がっくりと視線を落とした。
耳がうなだれる。
どうやら、いたずらをされてしまったらしい。
「毎年、この話をしようとするといなくなるんだから」
「いや、でもね。姫」
「今日は私たちが出逢った日。ついでで、お前の誕生日にすると、最初に言ったろう」
「師匠……」
「神妙にしろ。てゐ」
ふっ。
と体の力を一瞬抜いて、反転。思いっきり鈴仙を蹴飛ばした。
勢い虚空に放り出される。
こういう時のための準備がある。
「かかったな!」
着地と同時、てゐは庭の片隅に建つ石灯篭を狙って跳び、これを蹴倒した。
てこを倒したように仕掛けが動く。
「地震?」
ずどん。
と地が割れて、庭は陥没し、鈴仙などは土に埋まった。
巨大な落とし穴だった。
「へへっ。これだけ貰っとくよ」
てゐは腕一杯に団子を抱えて、満月の中を飛んだ。
ひょいと口に入れる。
「このひどさ。鈴仙の手作りか」
それが好きだ。
マジで怒ったルーミアさん怖いwwww
ほのぼのしてて、とっても良かったです!
などひどい
悪くなかったです。
永遠亭主要メンバーで唯一月と関係なく
永琳を「師匠」とは呼ぶものの明確な師弟関係すらなく
そんなてゐの愉快な一日、面白かったです