私である。稗田阿求である。
なぜいま筆を取っているかといえば、とても気になることを永遠亭の薬師兎が話していたからに他ならない。
というのも、永遠亭に住んでいるもう一匹の妖怪兎(厳密に言えば妖怪兎はまだ居るのであるが、ここでは兎の酋長であり、幸せ兎として有名な因幡てゐを指す)が夜な夜な里のほうへと出かけているという。
「師走ってことで師匠もランニングマシンで走ってるのにあの子ったらどこに……」
いやランニングマシンじゃ意味ないでしょ。
何してんだよ永遠亭。
そして、散々愚痴った挙句茶菓子をばくばく食っていったあの兎。名前が饂飩に似てるからいつか鍋の締めに入れてやろうと誓った。
妖怪兎は食べたことがないけれど、化けるぐらいに歳を経た獣は霊力が詰まっていて相当美味いと聞く。
思わず涎が溢れそうになったけれども、いまは残念なことに、白くて肉付き良いふとももの味よりも幻想郷縁起の幸せ兎の項に付け足す為の取材のほうが大事なのだ。
さすが私。欲望をきちんと抑えた上で身を粉にするために働くことを決意する辺りに周囲を圧倒するカリスマ性を感じざるをえないだろう。
「となると、夜更かしをしなければ、夜更かし」
私は普段、日が落ちてすぐに布団に潜り込む。
そして朝陽とともに目覚める超健康的生活をしているのだが、永遠亭の幸せ兎が里を跋扈するのは不気味な丑三つ時だというのだ。
なんと卑劣な兎なのだろうか。幸せ兎というのは名ばかりで、私のような可憐で純朴な少女を貶めることに心血を注いでいるに違いないと確信した。
そのような輩が我が物顔でのし歩いている現状を放置する上白沢慧音もまた、同罪であると私は断じよう。
里の守護者を名乗るのであれば、役目をきちんと果たして欲しいものだとぷりぷりしつつ、幻想郷縁起に助平と付け足しておいた。
このぐらいの処罰は、彼女の罪の重さを考えるならば許されて然るべきだ。
私は御阿礼の子である。
わりとえらいと思う。
「はっ、ドリームか……」
これで三日連続だった。
丑三つ時まで我慢しよう、我慢しようとしている。
その努力は認めていただきたい。
しかし私は可憐で純朴でついでに美少女なので、一定の時間になるとおねむの時間になってしまう世界の真理に囚われている。
その真理に逆らうためには多大なるエネルギーと覚悟が必要であり、この三日間は惜しいところで敗北した。
実にギリギリの勝負であった。
髪の毛一本皮一枚の攻防が続き、最後に雌雄を決したのは愛する人の存在だったとか、たぶんそんなん。
私はあまりに才能に溢れているために孤独で、唯一心を許せるのは愛犬のフランソワだけとかいう設定をいま思いついたが、うちは犬は飼っていない。
まぁ一言に纏めると、眠かったんだ。仕方ないだろ。
さてと、こうして私が転進した三日間にも、里は幸せ兎に蹂躙されていたようだ。
昼間に本人に直撃するわけにもいかない。そもそも永遠亭に行くには竹林のもんぺ忍者だとか護衛が必要になるのだけども、いまは師走。そうそう捕まらない。
暇をもてあました私は、同じように暇をもてあましているであろう農家の皆さんへと話を伺った。いや、忙しいんだろうけども、刈り入れもとうに終わってるのだ。
一番忙しい時期というわけでは決してない。
しかし、しかしである。
彼らは一様に幸せ兎のこととなると口を噤むのだ。
やれその時間は寝ていたから知らないだの、そのような時間に歩くのは妖怪の証なのだから問題ないだろう、だの。
彼らは何かを隠している。私はそう直感したのだが、いかんせん確信に至るための材料が足りない。
「一体、どうしたら……」
がくりと膝をつく。夜は眠いし情報を集めようとも、この里の人間は口を噤んでしまう。
何かが、裏にある。恐るべき何かが行われようとしているのに、私はみすみすそれを見逃すしかないというのか。
無力感に打ちひしがれた私は、買い食いして帰ることにした。団子と餅とお茶を飲めば大抵のことがどうにでもなる。
「マスター、いつもの」
「はいはい」
稗田阿求ともなれば、行きつけの茶屋の一軒や二軒ぐらいあるもんだ。そういう風に世の中というのは出来ている。基本構造。
熱いお茶と団子と餅の種類が自分が思い描いていたものと全然違うことを除けば、いまの私はとてもかっこいいと思う。
しかしこの餅、喉に詰まらせたら死ぬ。人とは常に死を隣に置いて生きているものだということを再確認させられる瞬間だ。
私たちは薄氷の上、一歩間違えれば踏み抜いて二度と這い上がれない場所で生きているに過ぎないのかもしれない。
「フフ、お嬢ちゃん。わかってる人間だね」
哲学的な自問自答をしつつ団子を頬張っていると、いつのまにやら隣に少女が座っていた。
この稗田阿求に気配を感じさせないとは――――どうやら久しぶりにできる相手みたいだ。
「私のことを嗅ぎ回ってるようだが、その答えを教えてあげよう――今夜、日を跨ぐ瞬間にあの木の下で会おうか」
少女が指差したのは一本の木。何の変哲もない木ではあるが、稗田の絶対記憶能力(便宜上●RECと呼ぶこととする)にかかれば朝飯前だった。
「しかし、貴女は、一体」
「来ればわかるよ。稗田の九代目」
少女はすくっと席を立つと、そのまま竹林のほうへと駆けていった。
彼女の食べていた御代は、私にツケられていた。
「ハッ、ドリームか」
余裕で寝過ごした。
仕方がないので二度寝した。
昼も過ぎてから待ち合わせ場所に行ったら誰も居なかった。当然か。
私は間に合わなかった。彼女との約束に間に合うことができなかった。
それは全て己の薄弱な精神が原因であり、永遠に”機会”を喪ったことに気づくまでにそう時間はかからなかった。
畜生、畜生、と怨嗟の言葉を口の中で繰り返しても、現実は変わらなかった。
「十分待って来なかったから帰ったよ」
彼女は団子を食っていた。
「今夜こそ、ね?」
なんと色っぽい艶やかな眼で私を射抜くのか、この少女は。背丈は私よりも低く、ぷにぷにとした手や薄紅色の頬が愛らしい。
胸元に揺れる人参のペンダントに桃色のワンピース、そこから伸びる白く細いふくらはぎと、無造作に地面を踏みしめる素足。
そして頭の上では、ふかふかと柔らかそうな毛の兎耳が揺れていた。
「ま、まさか貴女が……いや、そんなまさか」
「答えはいつもあなたの中にあるはずよ。目を逸らさないで、ね?」
そう言って彼女は、私の横をすり抜けて竹林のほうへと駆けていってしまった。
御代はまた、私へとツケられていた。
寒い時期の月というのは、なぜこうも蒼褪めているのだろうか。
私は刺すような外気を感じながらも屋敷を出た。
まあるい月が光を放てど、そこには暖気は存在せずにただ冷たいだけなのである。
そりゃぁ、蒼褪めるわなと一人得心しつつ待ち合わせ場所に急ぐと、彼女は耳をひょこひょこしつつ、体が冷めぬようにと何度も跳ねていた。
まるで兎である。妖怪兎なのだから当然であるが。
「お待たせしました」
「よくきたね。さぁ行こうか、我々の楽園へ」
彼女の手に引かれて――体温が私のそれよりもはるかに熱くて、凍えた手先が溶かされていくかと錯覚するようだった。
蒼い月夜に、白兎に連れられて不思議な世界へと招かれる。このような本を以前読んだ。
不思議な国のアリスは白兎を追いかけて迷い込む。私も因幡の白兎を追いかけているのだから似たようなものだ。
「まずは、ここだね」
彼女が足を止めたのは、何の変哲もない一軒屋。
はてここに何があるのかと首を傾げると、彼女はニヤリと笑ってから兎の耳を澄ませるように。
私も真似て手を耳に当てると、なるほど。
「って夜の営みじゃないですか! 何してんですか!」
思わずツッコミを入れると、彼女はグッと親指を突きたてた。
だめだこの兎。ただのオヤジだ。助平心がマックスだ。早くなんとかしないと――――。
と思いつつも、私は●RECを迷わず使った。
ああ、私の記憶にエロが満ちる――。
だが残念なことに、それを記録すべき人間がどうやら駄目人間みたいだw
博麗神社で安産のお守り買うより良(妖怪バスター
医療が進んでいない昔は安産は母子共に重要なものだろうし。けーね先生が黙認するのもよくわかる。
そして人里ではてゐに気づいてもらいたくて、夜の営みは大きな声ですることが主流になっていくんだろうか。