「舟幽霊だけに、セイレーン船なあんてね、がははは」
次の瞬間、一輪の顔にもろにうずまった錨がはね返り、当たった当人の身体はもんどりうって倒れ込んだ。
村紗は、残った鎖を巻きもどしつつ、ふーうとやるせないため息を流した。
一輪は、わりとすぐに起き上がってきた。
「…………何すんの?」
微妙な半眼顔で尋ねる。
村紗は言った。
「うん。ごめん、いやだってほら錨ってさ。くっだらない冗談ぶっこいたりする奴の顔の真ん中あたりに向かって思いきりブン投げるものでしょ? だからね。ついね」
「何その設定。聞いたことない」
「まあいかりだけにね。ぶつけないと」
「うわ面白い」
「――ナズーリン? こんなとこにいたの? ……あら、どうしたの?」
ちょうどやってきた寅丸がそのように尋ねた。
というよりか、ふと見かけた一輪が、鼻血をぼたぼた垂らして村紗とにらみ合っているのでは気にしないわけにはいかなかったのだろう。床の汚れもだが。
一輪がさっそく言った。
「ああ、星さん。ちょっと聞いてよ。船長のやつったらさ、いきなり人の顔目がけて錨なんか投げつけるのよ。信じられる?」
「まあ……それはひどいわね。駄目よ船長。ちゃんと謝りなさい」
「まあちょっと聞いてよ星さん。ちょっと私の身にもなってみてよ」
村紗が反論してくる。
「なにがあったの?」
寅丸は言った。
「それがさあ。ねえ、ちょっと今のもう一回言ってみてくれる?」
「はあ? 今のって……もう、しかたないわねえ」
一輪は、渋りつつも、その場に膝を下ろし正座した。で、言う。
「ええ、毎度、馬鹿馬鹿しいお笑いを一席……」
「別にはじめからやれとか言ってないでしょ」
すぐに村紗が遮って言った。
「もう一回言えっていったじゃないの」
「さっきのどうしようもなく素晴らしすぎる文句だけでいいのよ。はい、さんはい」
「あんなネタ、単体で言えるわけないでしょ。ほら、ああいうのは流れとかさあ。そういうのがあるでしょ? その相乗効果を利用しないと的確に笑いを取りに行けないわけよ。あなたもわかってないわね~」
一輪は指をふって言った。村紗は半眼になった。
「最初っから聞いてた私が、思わず錨投げつけたところに関しては、なにか思うところはないのか?」
「ええと、なんなの? 結局」
横から星が口を出した。
一輪が頬をかいて言う。
「ええとね、だからあれよ。落語」
「落語?」
「そうラクゴ。エンゲイ。カミガタ」
「なんで微妙に片言なの」
横から突っこむ村紗を無視して、一輪はしみじみと腕を組んで答えた。
「だからさあ。ほら、こけら落としよ。当日の宵に、ちょっとした座を設けるって、姐さん言ってたでしょう。だから、こっちとしても、芸のひとつも披露して盛り上げないと、立場が廃るって言うかさあ」
「ああ、なるほど……それで漫才の練習をね……」
納得する寅丸に、一輪はかるく眉をひそめた。
「いや、落語だって、だから」
「え? ……あ、落語? へえ、ああ。そうだったの」
「さっき言ったじゃないの」
「ああ、ごめんなさい。ついうっかりしてて。いえね。てっきりさっき見た感じ、そう見えたものだから……」
「ううん? うん……まあ、あれねえ。星さんも、そういうのには疎そうだもんね。そういうところ、うっかり勘違いしてもしょうがないかあ」
一輪が言う。
それまで部屋の端に黙って座っていたナズーリンが、何やら言いたげに無言のまま尻尾を揺らしていたが、うんうんと頷いていた一輪はまったく気がつかなかった。
同じく気がつかない寅丸が、どこかのんびりと言う。
「落語ねえ。うん、まあ、祝いの席を盛り上げてくれるって言うんなら、この上もないけれど。聖もずっと魔界で退屈していたんでしょうし。俗徒の笑い気に触れるのも、いい慣れになることでしょうね、いいんじゃない?」
「まあ、問題なのは出来だけどね」
横から水をさした村紗に、一輪はふたたび食ってかかった。
「あ、それよ船長。今ので思い出したわ、あなた、いきなり何すんのよ?」
「何ってなによ」
「だからあ。人がせっかく練習の成果を聞いてくれっていってんのに、そんな船固定するためのおっきくて丈夫な金属の塊投げつけるとか、何考えてるの? 殺す気?」
「だから……ほら。手は口ほどにものを言うって言うでしょ。私も乱暴なこととかは、本当は嫌いなんだけどね」
村紗が言う。はて、と寅丸が横で首をかしげた。
「……そうだったかしら」
「言わないわよ。いいから星さん、ちょっとのいてて」
「端的に言うと、あんたがあんまり寒い冗句するから悪いのよ」
「どこが寒いのよ?」
「舟幽霊だけにセイレーン船なあんてね、がははは」
「ぶっ」
「なに吹き出してるのよ?」
「面白いじゃないの」
「ふーぅ……」
「まったく……船長には、笑いの感受性っていうのが欠けてるに違いないわ。星さん。星さんなら分かってくれるわよね、今の」
「え? え、ええ」
「ほら、見なさいよ」
一輪が言う横で、こそっと寅丸は横のナズーリンに言った。
「……。……ねえ、ナズーリン。今のは、どこが笑うところだったのかしら」
「安心しなよ。ご主人様の反応は正常だから」
ナズーリンが言う。
そのさらに横で、ぐっと一輪が拳をにぎった。
「とにかく、私はやるわよ。この冗句で」
「やめときなさいって滑るから。絶対」
「この世に絶対なんてものはないわよ! だいたいなんでそんなにはっきり言い切れるの! あんた芸人か!?」
「舟幽霊」
「ほら見なさい。舟幽霊に冗句のおもしろみなんてわかるはずないわ。自分の特殊性を認めずに『面白くない』とか『やめろ』とか『絶対滑る』だとか、どうして簡単に言えるの? そういう輩によって、現代に通じるさまざまな芸能は闇に葬られてきたのよ。もうちょっと自分を見つめ直しなさい。聖だっていっつも言ってるでしょ」
「ここまで見事な差別論者の言い分はそんなに聞いたこと無いわね。なによ舟幽霊馬鹿にして。あんたなんか通訳妖怪じゃん」
「入道使いよ! 誰が通訳だって!?」
「いやあんたがいないと、雲山さんが何言ってるのかわからないし。見事な通訳だな~といつも感心して見ているんだけど」
村紗が言う。
一輪は眉尻をつり上げた。
「良くも言ったわね! なによ、あなたなんかいっつも底の抜けた柄杓振り回してるくせに、人のことがとやかく言えんの? 水の一杯くらいまともにくんで見せなさいよ!」
「なんだと? やんのか? 重石着けて海に沈めんぞ、この頭巾女!」
「なんですって!?」
一輪は言って、村紗とにらみ合いをはじめてしまった。
寅丸はそれぞれを見比べて、若干困った様子になった。
言う。
「まあ、とりあえず、やっぱり漫才にしたほうがいいと思うけど」
「何でそうなるのよ」
「そうよ、いい加減にしてよ、星さん! どうしてわかってくれないのよ? 私はぴんでやりたいのよ! 一輪だけに! ぴんで!」
一輪が言う。村紗は「うおお」と、なにかげんなりした顔になった。
寅丸はよく分かっていない顔だ。が、とりあえずといった感で咳払いをした。
「まあ、待ちなさい。しかたがないわね。漫才という案もこの際捨てましょう」
「それ星サンがそもそも言い出したんでしょ」
「そもそもそういう問題じゃないし」
一輪と村紗が、一緒に非難の矛先を向けてくる。
寅丸は、きりっとした、なにか決然とした顔で、二人を見返した。言う。
「ええ。わかったわ。それじゃあ寸劇にしましょう」
「何で?」
一輪が問い返すが、聞いた様子もなく寅丸は大きく手を広げて、中央へと踏み出した。
「そう、寸劇!! コントよ! なぜなら、それが時代の風だから!」
「しょ、星さん?」
「星さん?」
「ご主人様……?」
一輪と村紗と、ナズーリンまでもがうろたえた目をむけてくる。
星はかまわずに力説した。ばっと大きな身ぶりで。
「いい? 二人とも善く聞いてちょうだい。ピンとかコンビとかね、そういうのはもう古いの。時代じゃないのよ。これからは寸劇。コント。一人でやるよりも、三人でやった方が気持ちがいいというやつね。即ち、これよ。むしろ、一人や二人で満足していては駄目。自分で自分に限界を作っていては駄目なのよ。分かるわね」
「分かるわねって言われても」
「星さん、私感動した……」
「えっ分かってるし!?」
村紗が言ったその横から、目を潤ませた一輪が、舞台の中央へと歩み出る。
大きな身ぶりで訴えだした。
「星さん、私、わたし、間違ってた! ピンだとか、個性欲しいだとか色々間違ってたわ、私! 狭い世界しか見ていなかった! ただ一人だけの世界しか見えていなかった! とんだ胃の中のカワズだったわ! 胃袋の中の!」
「それを言うなら井戸よ。一輪……」
星は言いながら、自分も舞台の中央歩み出て、一輪にそっと寄り添った。
その手を取って、両手で包み込む。
一輪が、うるんだ瞳でそれを見上げた。
「星さん……」
「泣かないで。あなたは気づいたのよ。そう、気づいたの。そのときからずでに、あなたは一人じゃない……! そう、周りを見渡してごらんなさい……」
星は大きな身ぶりで、周りを手の平で示した。大きくうなずいて言う。
「あなたは一人じゃない……あなたを支えている多くの人が、ここにはいる。あなたと志をともにする、仲間が。さあ、涙を拭いて。顔を上げるの。そんな曇った瞳じゃ、せっかく気づいたことさえも、よく見えはしないでしょ……?」
「星さん……」
「しょ、星さん! 私、私も間違ってたっ……!」
と、突然村紗がその場に崩れ落ちた。
地に顔を伏して、大きく肩を震わせはじめる。
「村紗……」
「船長……?」
とまどう一輪と星の視線の先で、村紗がスポットライトを浴びて、大袈裟に慨嘆しはじめる。
「私、私、一人だった。私もずっと一人だった。いま気がついたの。星さんのっ、しょ、星さんの言葉を聞いていたら……胸が、胸が苦しくて……」
「村紗……」
「私も、私もずっと一人だった。孤独だったわ。そう、まるで狭い籠の中で歌う、ただ一羽きりの白い鳥っ……籠の向こうに青い空を見ながら、まるで、それを見えていないように歌ってた。知らないふりをしてた……でも、でも、本当は分かっていたの……幸せの青い鳥は……待っているだけじゃ、飛んでこないんだって。あの窓の向こうの青空は、私が自分で羽ばいてみせない限り、ただの風景にしかならないんだって!」
「村紗……!」
寅丸は、とまどいがちに、しかししっかりとした歩調で歩み寄った。一輪にしたのと同じように、寄り添って、村紗の手を握る。
「村紗……」
「星さん……」
村紗が躊躇いがちに、寅丸を見る。が、そのまっすぐな瞳にはじらったように、また目を逸らして伏せた。
寅丸は拒まなかった。寄り添った村紗の身体を、両腕で包み込む。村紗ははっとしたように一瞬身体をちぢこめたが、結局は寅丸の瞳を、間近でのぞきこんだ。
「あ……」
「村紗……」
寅丸は、そんな村紗に大きく頷きかけた。ふたたび村紗の身体を抱きしめてやる。
「大丈夫よ、村紗。あなたはもう籠の中の鳥なんかじゃない。羽を広げ、立派に羽ばたいているわ……。そのことに、今まで自分で気づかなかっただけ」
寅丸は抱いていた身体を離し、村紗の両肩を掴んだ。そして正面から瞳を見た。
「でも、でもね。あなたはもう気がついた。そのことに気がついたの。そして、自分からそのことを言ってのけた……もうあなたは一人じゃない……」
寅丸は立ち上がった。舞台の中央へとまた歩み出る。
「そう、人は、誰しもが、孤独な鳥ッ! 籠の中から青い空を見つめているの! そして歌っている! 私は、ここにいる! 私はここにいるの! そう、人は誰しもが孤独な鳥。誰しもが、自分の籠の中からさえずっている。幸せの、青い鳥を求めている! あなたも、あなたも、あなたも。そして、私も。誰しもが、その一人なの。誰しもが、一人なの! 人はみな孤独! 人はみな同じ!」
寅丸は頬を上気させて、懸命に訴えかけた。
その後ろから、立ち上がったナズーリンが歩み出る。
舞台の中央に出てきて言う。
「ねえ、みんな、歌おう!!」
ナズーリンは朗らかな、燐とした声で言うと、みなを見た。
「え?」
「え……?」
「ナズーリン……」
みなもナズーリンを見た。ナズーリンは、それぞれに目線を返した。
順繰りで見てから、また寅丸に目を戻す。うん、と大きく頷き返す。
寅丸は、ぱっと満面の笑みを浮かべた。
「ええ、そうね、みんな、歌いましょう!」
「さあ、歌おう! 一輪も! 村紗も! さあ!」
ナズーリンが清々しい高音で言った。
ためらいがちにしていた一輪と村紗も、やがて表情を明るくさせてうなずいた。二人が揃って舞台の中央に出てくる。
伴奏が始まり、前奏が流れ出した。
題には『演劇「祝いの出し物」 劇団「星蓮亭」』と書いてある。
ぱちぱちぱちぱちぱちと、満場の拍手に迎えられて、幕は閉まりきった。
境内にしつらえられた宴会場である。酒の匂いをかぎつけて、集まってきた者が半分、それ以外の目当ての者が半分といったところだろうか。
幕が閉まっても、拍手はまだしばらく続いていた。
りいりいと回遊する虫の音にまじって、拍手は波のように響いたが、やがて途切れとぎれになってきた。
まだそれが鳴り止まない中で、ふと、舞台袖から、口上が述べられる。
「え~それではー、若干の休憩を挟みまして、引き続き、第二部をお送りいたします。どうぞ、皆々様、引き続き、ごゆるりとお楽しみください」
ぱちぱちぱちぱち、と拍手がまた少しだけ大きくなった。
その拍手の中、座の上座のほうに控えて、白蓮は、嬉しそうに手を叩いていた。
生臭を控えている白蓮の前には、皆とは違い、白湯や、揚げ豆腐といったものが用意されている。
白蓮は、手を叩きながら、横に話しかけた。
「楽しみねえ。どうなるのかしら」
「まあ、そうねえ」
ちゃっかりと、すぐ隣に座っていたぬえが曖昧に応じる。
一応人の中なので、なるだけ目立たないようにしていたらしい。
持っていた盃を、くい、と飲みほすと、やがて、どこかそわそわした様子を見せつつ立ち上がる。
「あ、じゃあ、そろそろ。出番次だから」
言うと、白蓮はにこりと微笑んだ。
「ええ。頑張ってきてね」
「うん。ははは」
そそくさと落ち着かない様子で出ていくぬえを見送って、白蓮は、白湯をとって、そっと口に含んだ。
箸をとると、揚げ豆腐を丁寧に切り分けて、口に運ぶ。
料理は少し冷めていた。
根が人の好い白蓮は、演劇のあいだは、一切食べずに置いていたので仕方がなかった。
てけてんてんてんてん、と、拍手が止んだ座に、どこか軽い三味線の音が鳴りひびきだした。
演劇台の横に据えられた題字がめくられ、『余興;演芸「傘回し」 多々良小傘』と出る。宴会場特有の、少しまばらな拍手に迎えられ、幕が上がる。
出てきたのは、屋内でも傘を広げた、水色髪の妖怪娘である。
「……うっ、うらめしや~!」
演劇台の上にいた妖怪娘は、開口一番でそう言った。
口癖というか、決まり事のようなものなのだろうか。
言っても拍手が鳴りやまないのを見て、むむ、とどこか複雑そうな顔をするが、とりあえず、と言った様子で、手に持った傘を構え直す。
ちょっと緊張気味に、口を開いた。
「え。……。こほん……ええと、どうも。多々良小傘と申しますぞなもし。ええ、それでは、これから、小傘クレイドルやります。よろしくお願いいたしますね」
言うと、升を取りだして、ぽんと傘の上に放った。
くるくると傘が回り出す。
「――はいっ。こちらをご覧くださいっ。何の変哲もないマスが、傘の上で回っておりますっ。はいっはいっ。
はいっ。ありがとうございますっ。いつもよりも、多く回しております。はいっ。はいっ。えー、それでは続きまして……」
多分誤字途中k入ってた
海無いっすよwwww
とっても面白かったです。
小傘ちゃんの傘で升が回るものかー!!
ぬえ……さん?
とりあえず錨の使い方が間違っていなかったのは確か。
ゆかりんとゆうかりんも呼んでくるんだ!
ご指摘有り難うございます。修正しておきました。
>>3様
おいやめろ
>>4様
ご指摘有り難うございます。修正しておきました。
小傘ちゃんは舌の使い方が上手いので回せます。たぶん。
>>7様
お年寄りは無理しなくていいです
芝居がかったソプラノ声のナズーリン想像したらなぜかいたたまれなくなってきた……
セイレーン船って設定見るまでは素でそういう意味だと思ってました。
ところで敬老会の舞台のような雰囲気漂ってる気がするのは俺だけだろうか?