ある日のことだ。
幽香がお茶の用意をしていた。
「こんにちは」
ふと、声をかけられる。
幽香はそちらを見た。
見やると、用意していた椅子に、いつのまにか、金髪の娘がひとり座っている。
「あら、どちらさま?」
幽香は聞いた。娘はにこりと笑った。
少しくせのある金髪が、ふわりと揺れる。
「お茶をいただきに参りましたのですけど。よろしいですか?」
「ええ、構いませんけど?」
幽香は言って、もう一人分のお茶を用意した。
娘の前にカップを置いてやる。
「どうぞ」
「ありがとう」
娘は言って、細い指先でカップをもった。
いかにも少女っぽい、ふっくらとした唇をしていた。
幽香の背丈は、見た目の年相応で並みくらいだが、娘はそれより少し高いようだ。体つきが、すらっとしている。
「それで、あなたは誰なんです?」
「誰だと思います?」
幽香はちょっと首をかしげた。
「さあ、知りません。わたしに何かご用でも?」
「なにか心当たりがありますか?」
幽香はまたちょっと首をかしげた。。
「さあ。知りません。用がないんなら、お茶を飲んだら帰ってくださいね。それとも、少し私とお話しでもします?」
「あなたとお話しですか。最近は眠ってばかりなものですから、世情にうとくなっていけませんわ。お話しについていけるかどうか」
「眠ってばかりいるんですか?」
「ええ。とくに冬の間なんかはずっと。眠ったまんま、何年と過ごしてしまうこともあるくらいで」
「それはずいぶんと寝坊助ですね。あなたは妖怪?」
幽香は言った。
「ええ。妖怪ですよ。そういうあなたも妖怪ですね」
「ええ、そうですよ。妖怪です」
幽香は言った。
娘は言った。
「もうどのくらい生きたんですか?」
「忘れましたわ。もうずいぶん長いこと生きていますから」
「それは奇遇ですね。私も忘れました。まったく、長生きなんかするものじゃないですね。昔のことやなんかは、このところ、とんと物忘れで」
「気にすることはないんじゃないですか? 私も昔のことはもうほとんど覚えていませんもの」
「そうですね。誰に会ったのだか、どこに行ったのだか、もうすっかり忘れてしまいます。どこに何があったのかも、時々怪しくなってしまって。ほんと。すっかりお婆さんですね」
「そうですね。これじゃあお婆さんですね」
幽香は、くすりと笑った。
娘はくすくすと笑っていた。
やがて、娘が空になったカップを置いた。
「それじゃあおいとまいたしますわ」
「そうですか」
幽香は言った。
娘は言った。
「ごちそうさまでした。また来ても構いませんか?」
「構いませんよ?」
「そうですか。あなたは、いつもここに?」
「ええ。もうずっと長いこと、ここにいますから。動く予定もありませんから、たぶん、この先も、ずっとここにいると思いますよ」
「そうですか。それじゃあ、またここで」
「ええ。ここで」
娘は、日傘を差すと、小径を歩いていった。
幽香は、茶器を片づけはじめた。
ふと、畑に目をやる。
ちょい、と指先を動かして、がさがさと花の向きを弄ってやる。
畑には、満開の向日葵が咲いている。
もうずっと長いことだ。
いつ枯れるのだろう、と幽香はぼんやり思った。
季節はもう春だった。
小鳥の声はしてこなかった。
外には、もうなにもなくなっていた。
人間も、妖怪も妖精もなにも。
黄色い畑は、なにもなくなった郷の中に、ぽつりと向日葵みたいに咲いていた。枯れることなく。
幽香は眩しい空を見上げた。
いい天気だな、と思った。
見上げた空は
死ぬより辛いとは、こういうことか。
大丈夫この二人ならやれる筈。
…とか言ってみる。
終焉を迎えるだけの目的の無い日々。虚しいな……