「お前は人にいたずらをして楽しいのか? お前にはいたずらのつもりでも、やられるほうにとっては死活問題と言うこともあるのだぞ」
湖の岸辺に腰掛け、ぱしゃぱしゃと水面を跳ね上げて遊んでいる後ろ姿に問いかける。
頭上から照りつける日差しは黄色く、辺りの景色も太陽が南中している時刻ということもあって、影が小さくて妙に眩しい。
湖面ですら太陽を照り返して、目を射ってくる。
水辺のみずいろの服を着た少女だけが、季節を感じさせなかった。
「なによ。あたいがせっかく水まぜて遊んでるのに邪魔しないでよ」
首だけ後ろに向けて、それだけ言い捨てると、また湖面を覗き込む姿勢に戻る。
細い足首に、ほとんど太さの変わらない線のようなふくらはぎが、沈んだ水の下から姿を現すたびに、水滴が宙に飛び散っていく。
「まぁ、遊びながらでもいいだろう。私の話を聞けと言っても妖精のことだ。大人しくしていられるわけなどないからな」
慧音は腰を草の上に降ろし、一人水辺で遊ぶ妖精と並んだ。
「お前たち妖精にとっていたずらは仕事みたいなものだろうから、それについては問い詰めるようなことはしない。だがお前の力は強すぎる。普通の妖精ならいたずらですむことが、冗談ではなくなっている」
「あたいの知ったことじゃないもの」
蹴上げた水は光を浴びてきらめいている。
透明な液体の中に光が閉じ込められて、ぶつかり合って、通常大気中では見ることが出来ない色を発していた。
「なかなか綺麗なものだな。まるで万華鏡だ」
「こんなの別に綺麗じゃない。こうやったほうがもっとたのしいわよ。あんた知らないの?」
背中に付いた羽を、妖精は小刻みに震わせる。
角錐が幾つも寄り集まった形をした羽は、永久に溶けない氷の青く、それ自体がほのかに光を発しているような色合いをしていた。
目を閉じ、握り拳を作って、妖精が力を目一杯込めて羽ばたいているうち、背中から白煙が立った。
慧音の半袖から伸びた腕に、白煙、白い粉のようなものが降りかかってくる。
ちくちくとした痒みが当たったところから感じた。
「ほう、冷気だな」
白煙と思ったものは、背中から放射された冷気に空気中の水分が凍らされ、細かな氷片となり降りそそいだものだった。
「見てなさいよ」
妖精が一声かけ、大きく足を振り上げた。
ばしゃり、と音を立てながら、飛沫が辺り一面に広がり、水の塊が空中に飛び出した。
細かな飛沫は七色の光りに染まり、大きな水の塊は歪んだ形のまま向こうの景色を写す。
しかし、それもつかの間のこと。
慧音の視界からは色が急激に失われていった。
隣りに座っている妖精の物を凍らせる力が働いたのか、水面から宙を舞うひと時の間に液体は固体へと形を変え、輝きを失っていった。
青、赤、紫、緑、可視の世界では白く見えるだけだった光が七色に別れ交じり合い、普段見れない様子に姿を変えていた。
それを冷気が包み、不透明な青白い塊にしてしまった。
方物線を描いて飛び散っていた水は、連鎖的に広がっていく零点以下の温度に曝されたせいで、強引に一塊に凝縮されて湖に落ちた。
「たのしいか?」
「たのしいわよ。なんで?」
凍らされて姿を変えた液体は、湖から出た時と違い、もう皆と混じり合うことが出来なくなっていた。
小さい氷塊は、いびつな三角錘の形のまま傾き、水面を漂う。
表面の瘤が作る影の黒は、寒々とした青をいっそう強調している。
慧音はふぅーとため息をつく。
となりの妖精は真剣な顔のまま、作業を続ける。
単調なリズムで、細心に足を動かす姿は、遊んでいるようには見えなかった。
「どうして妖精も、妖怪も、人の姿を取るようになったのだろうかな。昔は違った」
「ん?」
妖精は自分をおしおきに来たと思われる妖怪が、弾幕ごっこも仕掛けることも、力ずくで捕らえることもせず、のんびりと話していることを、いぶかしく思っているようだった。
「皆昔は人の姿をしていなかった。妖怪は形を持つこともなく、人が自然を畏れ敬う意思を受けて自然現象となって、呼びかけに答えるだけだった。人が水を求めれば雨を降らせ、あるいは荒れ狂う力を恐れれば、それの求めに応じ、天災となって力を振るった」
自分に関係のない話だと妖精は判断したのか、遊びに戻る。
「いっぱい、いっぱい、氷山作って湖を埋めてやるわよ。湖全部が凍ったらきっと寒くなって冬になるはずよっ。ふふふっ、あたいってば天才ね」
始めに作った塊に並ぶように、次々と水に氷を浮かべていく。
スカートを跳ね上げ、懸命になって水を宙に舞わせて、白い固体へと変えている。
「何故恐れ、遠ざけようと願われているのに、天災、例えば嵐となって人を苦中に落とし込むのか? 必要以上の恐れという強い感情は、形のないものに仮の姿を与たえるに十分なものだった。それが望まないものでも」
眉をひそめながら遊ぶその姿は、慧音にはけなげに見えた。
「だが人の文明が進み、自然と戯れることを覚えると事情が変わった。漠然としていた周囲の世界に、自分達の積み上げてきた経験の蓄積で形を与えられるようになってきたのだ。毎年一定の時期になると、これこれという自然現象が起こる。それを楽しみましょうとな。春になると起こる嵐は、他の時期のものとは異なり花を散らせる嵐だ。せっかく咲いたあんなに美しい桜が散ってしまうとは…………。花が咲き、嵐によって散らされる自然ですら、無情感を味わうための道具とされてしまった」
湖に浮かぶ氷塊の姿は増えていっている。
一つの氷が、もう一つのものとくっつきあい、新たな形を得ていく。
幾つもの塊が浮いて、揺れているなかでは、どれが最初のものだか分からなくなっていた。
「妖怪もまた、原理は分からないものの、現象として表に現れている自然を捉える道具の役割を与えられた。原初の荒々しい力が人に呼ばれて嵐となって現れるだけだった、神としてあがめられていたものも、時を経るに従い姿を変え、その座から下ろされ、妖怪として描かれるようになると、しだいに元の力を失うようになった。が、同時に一つのものが、何体もの妖怪となって、一体一体に役目が与えられ、個性を得ることが出来た」
たった一つでは寒々とした色合いだったものが、太陽のもたらす熱気のせいなのか、それとも数が揃ったせいなのか、今では涼しげで、影のない岸辺に座っている慧音に目から涼を与えていた。
「しかし幻想郷はいいな。人の形、いや、力や性質は自然そのものを表しているが、人から形を与えられたせいか、妖怪には人の善なる性格が宿っている気がする。名前もない自然が人に形を与えられ、姿を与えられ、性格を持たされ、やがて忘れ去られた。書物の中に今も残っているとはいえ、妖怪は人が現実として受け止めるものではなくなった。――――幻想郷の妖怪たちが何故、人の姿をしているかわかるか? 忘れ去られ、結界の向こう側では消えて無くなり、幻想になったとしても、自分達を生み出してくれたものを忘れはしないということだ。だから人の姿をしている、憬れと元の世界への郷愁を持って」
隣りの妖精はどんどん増えていく氷塊に満足げにうなずいている。
「大分と冷たくなってきたわね。ふふっ、きっと今はもう秋ぐらいになってるにちがいないわ。きっとみんな季節が急に変わっておどろいてるにちがいないわ」
「たとえ忘れさられたとしても、律儀に産みの親の形を取って、与えてくれた役目を今も切り離された世界で続けている。おそらく本人達には人が生みの親という自覚もなく、今よりも過去というものがあったなどと考えてもいないだろうが……」
慧音は立ち上がり、妖精の頭に手を置くとそっと撫でた。
「お前はいったいなんなのだろうな。季節と関わりなく物を凍らせるなど、どんな思いの表れなのだろう。陽気を望む妖精なのに、物を凍らせる能力とは一体どういうものなのだろう…………。氷精とでも言うのか……、まあ、いい。自然に沿うていないと言っても、お前がいるということは誰かが望んだのだろう、うむ……。あまり人には迷惑をかけないようにな。人間は力がないとは言っても、お前や私達にとっては親みたいなものなのだからな」
うるさげに慧音の置いた手を首を振って、氷精はどけようとしている。
慧音は腕を叩いてくる氷精に、頭に載せていた手を離した。
「いいわよ~。ふふっ、このままいけば今日中には冬は来そうね。あたいってば最強なんだから」
直射日光に晒されたまま話していたせいか、慧音の顔には汗が浮かんでいた。
額から目に流れ込みそうな汗を腕で拭い、慧音はこれ以上氷精に話を続けたことでどうとなるわけでも無さそうなので、立ち去ることとした。
「お前も一度自分が何者なのか考えて見るがいい。他者と自分との違いを悟れば、短所も長所となることだってある。それではな」
もう一度氷精の頭を軽く叩いて、別れの挨拶代わりとする。
「なにってあたいはあたいだよ。なにいってんだろ。馬鹿なやつ」
後ろからそんな声が聞こえた。
「さぁ~てと、もう秋になったんだから、もっともっと氷を作って冬にしないと。早く冬にならないかなぁ。冬になったらもっと冷たくてみんな凍ってるのに」
湖からほんの少しのところにある木立に、慧音は背を持たせかける。
影の中から今来た方向を眺めると、氷精は冬を呼び込む新しいアイデアを思いついたのか、浮いた氷塊を飛び石代わりにして跳ね回りながら冷気を振りまいていた。
その様子は人の村で遊んでいる子供となんら変わるところはなかった。
「しかし、熱いな」
ジジジ、ジジジ、休んでいる木の上から蝉の鳴く声がした。
ー了ー
>>はじめまして よおこそ? いやいや