Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

去り行く冬を前に

2006/05/18 16:29:21
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 ここ数日は確かに暖かかったのだ。

 二月の終わり、春を目前に控えた時節。
 大気の柔らかさに来たる春の気配を少しずつ感じて、暗いことに存在意義の一つを持つ紅魔館の雰囲気も少しずつ、少しずつ……明るく暖かいものへと変わっていっていたのだ。
 それなのに、と咲夜はぼやく。

「うー、やけに冷えるわね。寒の戻り、というやつかしら」

 暖かくなっていたはずだった。
 だからこそ今日の咲夜は昨日よりも薄着にして職務に励んでいたのである。
 それだというのに日暮れが近づき始めた頃からもう冷える冷える。
 空にわだかまっていた薄雲を吹き飛ばすように、強い風がびゃうびょうと鳴く。
 雲という名の衣を剥がされた空は晴天で、確かにそこには月も星も見えているのに、今に雪でも降出すんじゃないかという気配がある。
 冬の間に立て付けの悪くなった窓では硝子がカタカタとその身を震わしており、隙間風の吹き込まないことだけがせめてもの救いと言えた。
 もちろんそれであっても、廊下の空気は屋内であることを忘れてしまったかのように冷え切っている。

 すっかり日が落ちた窓の外を眺めながら咲夜は紅魔館の廊下を歩く。
 日暮れは時間を夜に伝える緩慢な瞬きだ。
 今はまだ少しだけ赤みを残す西の空も、この館の長い廊下を歩いて主たる少女の閨にたどり着く頃には、夜の帳に姿を隠していることだろう。
 そうして訪れる夜は咲夜の主、レミリア・スカーレットの時間だ。
 血と夜と紅を運命の名の下に統べるドラキュリーナは夜の帳に目を覚ます。
 これだけ冷える今日だから、主が目覚める前に閨の暖炉を焚いて暖気しておかなければならない。
 真冬の早朝のようにシンと尖る空気に、不恰好に背を丸めたくなる。
 それでも瀟洒たることに己の存在意義の一つを置くメイド長は鳥肌の上にやせ我慢を着込んで主の閨を目指した。



 パチ――パチ……と。
 薪の爆ぜる音がレミリアの目覚めを促した。
 たまに寝ぼけることもあるが、基本的に寝起きは悪いほうではない。
 レミリアは「ン……」と小さなあくびをこらえ、ベッドから身を起こそうとした。
 そして、起こそうとしたところをそっと肩を押さえられる。
 彼女の肩を押さえたのは侍従長、十六夜咲夜であった。

「咲夜……?」
「はい、咲夜です。おはようございます、お嬢さま」
「ええ、おはよう」
「もう少しベッドの中でお待ち下さい。部屋を暖めておりますので」
「部屋を?」
「寒の戻り、というやつでしょうね。日暮れ前頃からやけに冷えこんでますよ」
「そうなの……でも、人間じゃないんだから多少寒くても死にゃしないわ」
「私だってこのくらいじゃあ死にませんよ。屋敷の中ですしね? でもいくら吸血鬼だ悪魔だって言ったって、暖かいほうが快適でございましょう?」
「そりゃそうよ」
「でしたら今しばらく、ベッドの中でお待ち下さいましね」
「むぅ」
「あ、二度寝などなさいませんよう」
「わーかってるわよぉ、どこぞの隙間じゃあるまいし」

 柔らかな羽毛布団に包まるように寝返りを打った。
 部屋の中には暖炉で薪の爆ぜる音と、ガタガタと窓枠の揺れる音、そして遠く、泣き声のように響く風の音が響いている。
 レミリアはそっと目を閉じ、一つの音に耳を傾けた。
 燃える薪の立てる音をまず遮断、続いて震える硝子の音を遮断。
 今や耳に届くのは風の泣き声だけであった。
 ビャウョウゥゥと。
 ヒィョォォォォォォゥと。
 ああ、とレミリアは思った。 
 そうか、確かにもうそんな季節だ。
 毎年のことではあるが、それならば確かに冷え込むはずだ。

「お嬢さま、そろそろ結構ですよ」
「ン……」

 寝台から身を起こす。
 なるほど、確かに暖かいが暖炉を焚いてこれなら廊下の冷たさはいかほどかとレミリアは思った。

「今日のお召し物はこちらになりますが、よろしいですか?」
「いちいち確認取らなくても、咲夜のセンスは信頼してるわ」
「勿体無いお言葉ですけど……仕事ですので」
「はいはい……うん、いいんじゃない?」
「御髪はどうなさいます?」
「寝癖、酷い?」
「そんなことありませんわ。お嬢さまは寝相がよくていらっしゃいますから」
「そうね、吸血鬼だもの。髪は櫛を通すだけでいいわ」
「はい」
「それからね、椅子を窓際に出して頂戴」
「窓際、ですか?」
「ええ。ここからじゃよく見えないもの」
「見えない? ……なにがです?」
「決まってるわ、紅魔湖冬の風物詩――なんて言い方をしたら、本人には気の毒なんでしょうけど……」

 窓辺にそっと目を向ける。
 咲夜も主の視線を追ってみたが、すぐに止めた。
 レミリアの言っているのは窓の外のことだろうとは分かるし、それが気にならないでもないが、今は仕事中だ。

 主の言いつけ通りに部屋の隅に置かれていたポールチェアを窓辺に寄せる。
 その主、レミリアは寝台から身軽に飛び降りて、その椅子へと腰掛けた。
 視線はすぐに窓の外へ向けられる。

「お嬢様、御髪を失礼致しますね」
「……ええ」

 返事はあったがどうにも生返事だ。
 主が視線を向ける窓の外には何があるのだろう、ちらりとだけ咲夜も窓へ視線を向ける。

「……あら?」
「咲夜、どうかして?」
「あ……いえ、窓の外がちょっと」
「ふふ、おかしなところでもあったのかしら」
「はぁ、まぁ……」

 窓の外は、夜の世界は月夜であった。
 天高く上る満月が月光を射して、夜霧に霞む紅魔湖岸に幻想の光景を透かし彫っている。
 しかし問題とすべきはそこではなかった。
 紅魔湖の湖上に、吹雪が巻いている。
 こんなにも晴天の夜だというのに、湖上の一点にだけ身も軋むのではないかというような白嵐が巻き起こっていた。
 厳冬の頃には凍りつくこともある紅魔湖、初春の今頃はすっかり氷も溶け、そよぐ風に静かに波立っていた湖面の一部も、その吹雪の地帯を中心に次第に氷結の円を広げているようだった。

「咲夜は、アレを見るのは初めて?」
「ええ」
「貴女も紅魔館に勤めて長いのに、アレを初見というのはどういう注意力なのかしら」
「申し訳ありません」
「いいのよ。別にアレを知っていようが知っていまいが、貴女の職務には関係のないことだから」
「そうなのですか?」

 問えば、レミリアは窓から視線を外して、肩越しに咲夜を振り返った。

「そうね、強いてあげるならアレが起こる時は春めいていても急に冷え込むから、館の暖炉はきちんと焚いておきなさいとかそのくらいだけど……咲夜は優秀だもの、言わなくてもやってくれていたものね?」
「そうでなくてはここの侍従長は務まりませんもの」
「よい心がけだわ」

 優しく笑む。
 それからレミリアはもう一度だけ窓の外に視線を向けた。
 その眼差しは、酷く優しい。

「アレはね、咲夜。別離の儀式なのよ」
「別離の儀式?」
「そう。もうすぐ幻想郷から冬が去るわ。冬が去れば来るのは春。新しい季節、息吹きの暦。冬が去るなら去らねばならない者がいる。春が来るなら去らねばならない者がいる。その者の名前は、レティ・ホワイトロックというのだけど……」
「ああ、いつぞやの」
「知ってるの?」
「ええ。冥界の霊嬢が騒動を起こしたときに一度だけ……では、あれは彼女が?」
「いいえ、アレを起こしているのはチルノよ。レティのことが大好きなチルノ。お馬鹿なチルノ。春が来て、レティがもう行くと言う度に毎年毎年凝りもせず、ああして冬も真っ青な大冷気を巻き起こしてはレティを引きとめようとするのよ」
「はぁ……それはまた、迷惑な話ですねぇ」
「そうかしら?」
「え? だってレティがずっといることになるってのは、つまりずっと冬が続くってことですよ? それは迷惑でしょう」

 寒いのは厭ですよ、という咲夜にレミリアは「分かってないわね」と言う。

「迷惑だろうとなんだろうと、己の好きなものを引き止めるためにああして無茶をする。そういう姿勢は嫌いじゃないわ。ただあの子には望んだ結果を引き寄せる運命が絶望的にない。だからレティを引き止められない。ああして冷気を呼び込んで、けれど絶対に望んだ結果は得られない。望んだ結果を得られる運命がないんだもの、当たり前だわ。でも、それでも繰り返さずにはいられない、だってレティが好きだから。本当に愚か。だから可愛らしい。ああいうお馬鹿は見ていて気持ちがいいわ。胸が締め付けられそう」

 くすくすとレミリアは唄うように笑う。
 自身の小指を甘噛みしながら艶を帯びて赤く笑った。
 咲夜はこういうとき、レミリアの五百年の膿みのようなものを感じずにはいられない。

「そういうものですか……望んだ結果を得られない運命、と」
「そうよ、この件に関してはね」
「ことが運命であるなら、お嬢様ならチルノに望んだ結果を与えることも出来るのではないですか?」
「ええ、そうね。出来るんじゃないかしら。やったことはないし、やろうとも思わないけど」
「何故です?」
「そんなの決まってるわ」

 レミリアは「なにトンチキなこと言ってるのよ咲夜」と。

「だって、寒いのは厭じゃないの」

 暖かいほうが快適だって、それは貴女も言ってことでしょうに。
 そう呆れた顔さえしてみせる。
 咲夜はきょとんとして、「ああ、そうですよね、私も暖かいほうがいいです」とだけ言った。
 なんだかやるせないような心地が胸に沈むが、でもまぁお嬢様の仰ることなんて大概こんなもんだ、と馴れた諦観で心を濯ぐ。

 窓の外を見た。
 湖上の白嵐は未だ衰えの気配を見せずに渦を巻いて大気を白く塗りつぶしていた。
 あんな力を放出し続けて、チルノは明日生きているのだろうか。
 少しだけ不安になったが、けれど今はお嬢様の世話を焼くのが紅魔館侍従長としての自分の務めだ。
 チルノの知り合いとしての心配は、まぁ、明朝お嬢様が眠りについたら、美鈴とグラスを交わすためにいつも取ってあるロックアイスを持っていくことで好しとしよう。

 びやうびょうと風の鳴く声が聞こえる。
 窓硝子がカタカタと震えて、咲夜はああ、これはレティとの別れを惜しむチルノの泣き声なのだと思った。

レミリアさまの愛はきっと、とても深いのだと思います。
それがどんな形であるにせよ。
スズキ
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
なにか、なにかがとてもとても深いレミリアさまを見た
うまく言葉にできな