いつものように永琳の呼び出しで訪れた怪しげなものが並ぶ研究室。
「あなたの世界は『赤い』のよ」
いきなりそんなことを言われても鈴仙にはよく分からなかった。
八意 永琳は天才である。
天才であるがゆえに、凡人とは見えている世界が違う。
ゆえにおかしなことは何一つ言っていない。すべて正しいこと。
けれど。
凡人はそれを理解できず、この方は天才だからと諦めるしかない。
たぶん彼女の頭の中では冒頭の一言で通じるのだろう。
とりあえず、頭をひねって理解しようとして――放棄する。
ここでわかったような振りなどすれば永琳の思考速度に振り回されるのは目に見えている。
「えっと赤いって何がですか?」
「あなたが見ている世界の色よ」
世界が赤いという意味がわからなくて首を捻った。
そういう師匠は『赤』と『青』で二分割された衣装を着ている。
さらに言えば兎は『白い』し、姫の髪は『黒い』あとてゐの服は『桃色』に見える。
「赤くなんて無いですよ」
それなのに永琳は首を横に振る。
「あなたが『色』の判別をつける基準は濃度なのよ。通常の色の見分け方は彩度に頼ってい
るのに、あなただけはその目が波長を狂わせてしまっている」
「じゃあ私が見ている色は……」
「少なくとも、私とは違う『色』の世界をもっているわ」
そんなことを言われたのは初めてだった。
この眼とは生まれたときから付き合い続けている。
――人と目を合わせて話すな。
鈴仙が最初に習ったのは、月兎の中でも『強すぎる』眼の扱い方だった。
そのうち制御がつくようになるとその力の有効利用を考えるものが出てきたらしい。
そして、幼い手に握らされたのは――
「――それでね」
「は、はい」
永琳の冷やりとした声で逃げ出してきた過去を区切る。
「私たちと同じ色の世界、見てみない?」
「え……?」
「ようは狂っている波長を私たちと同じものに再調整すればいいんだから」
「はぁ」
「ようするに眼が悪くなってるのと同じなのよ。あなたのそれは」
「じゃあ……もしかして」
今まで習った医療知識から答えが一つ。
「私に眼鏡を掛けろ、と?」
「正解」
にこやかな笑顔で足元に置かれた鞄を探って、目的の物を引っ張り出そうとしている。
その姿をぼんやりと見ていた。
やがて、取り出したのは青いケース。
たぶんその中に眼鏡が入っているのだろう。
「目を閉じてなさい、その方が変化が楽しめるでしょ」
「はいっ」
今のままでも別段不都合があるわけでないけど、永琳の気遣いが嬉しくて頭の上でへにょへにょしてる耳が真っ直ぐに伸びてしまいそうだ。
ケースを開ける音といつも以上に優しい声がその耳に入ってくる。
「永遠亭が総力を結集してるのよ」
「どういう風にですか?」
「私があなたの現状を話したら姫とてゐが協力を申し出てくれてね」
「2人が……?」
「そうよ。姫はあなたの狂った目を再現するための実験台になってくれたし、てゐも幻想郷
を駆けずり回って材料を集めてきてくれたんだから」
普段は鈴仙を玩具扱いする一応の主と部下たちが、自分のためにそんなに――
「ほら目を開けちゃダメよ」
「……はい」
ちょっと零れてしまいそうだったので一杯一杯に、ぎゅっと硬く目を閉じる。
「あなたの耳に通常のフレームだと引っ掛けるのが難しいからゴーグルの形にしたわ」
「そうなんですか……」
どうやって掛けるのか疑問だったけど、その辺もフォロー済みのようだ。
さすがに月の天才。抜かりが無い。
「そんなに硬くならないの」
「は、はいっ」
へにょっとしている耳を通過して、後頭部に巻きつくような感覚。
それと鼻の上を押し付ける圧迫感。
「ほら掛けたわよ。目を開けてみて」
ゆっくり、ゆっくり瞼をあげていく。
目の前にいるのは見慣れた師匠である八意 永琳。
だけど、全然違う。
――色が、違う。
「私の服は何色かしら?」
「『赤色』と『青色』……です。けど――」
「けど?」
「――キレイですっ!? 私が知ってる色と全然っ!!」
「服ぐらいでそんなに驚いてくれるとはね」
永琳が貴女の世界は赤いと言った理由は明確だった。
世界はこんなにも様々な色で満ちていた。
すべてが赤く染まっていた世界で鈴仙は美しいなどとは思ったことがなかった。
『肌色』とだけ思っていた手足にも、白赤緑黒……光の加減で変わる様々な色がある。
初めて世界が色づくということを知った。
もっと色んなものを見てみたい。
今すぐにでも永遠亭を飛び出して、幻想郷中を飛び回って来たい。
「あ、でも」
ふと、思ってしまった。
「なにかしら?」
「眼鏡、似合っていますか……?」
自分がどんな顔になっているのか不安だった。
だけど。
そんな自信の無い弟子に師匠は微笑んでくれた。
「あなたに似合うものを私が選んだのよ」
白さが目立つ頬に飛びっきり自信を込めて。
「師匠……」
涙がこぼれそうだ。
どんな色なのか見てみたいとさえ思った。きっと綺麗だから。
「見てみなさい」
部屋の片隅に寄せられている姿見を持ってきてくれる。
鏡に映った鈴仙の姿はいつもと同じブレザーとへにょった耳。
だから違うのは顔に乗る永琳が自信を持って選んだ眼鏡唯一つ。
――鼻メガネ(髭つき)――
「メガネとしての機能美、装飾としての美を併せ持つ傑作ね」
「……」
「荘厳たる黒フレーム、45°の赤鼻。なにより絶妙にカールする髭といい――」
八意 永琳は天才である。
天才であるがゆえに、凡人とは見えている世界が違う。
ゆえにおかしなことは何一つ言っていない。すべて正しいこと。
けれど。
凡人はそれを理解できず、この方は天才だからと諦めるしかない。
むしろ天災、などと心が素直に吐露する。
口には絶対に出せないけど。
「どう?」
「え………あ、そのぉ」
「気に入った?」
どうしようもなく優しい顔。
珍しく頬まで赤くしていて、とどめに今までで最大の笑顔が付いていた。
何と答えるべきか。
正直にぶちまける気にもなれない。
「微妙な反応ね」
救いの手が意外なところから出てきた。
その声に対する反応としては珍しいことに永琳が顔をしかめた。
「……姫」
「やっぱり私の意見が正しかったみたいね」
「そんなことはありません。ねぇウドンゲ?」
回答を迫る4つの目。
どうやらフレームの選抜には輝夜との対決があったようだ。
思わず一歩下がれば、ずずいっと2人も前進してくる。
「えーっと……あっそうだ! 姫の選んだのはどんなのですか!?」
誤魔化せ。
でないとピンチだ。
鈴仙の問いにこれまた自信たっぷりに袖からケースを取り出す。
「これよ」
「そんなデザインでは……」
「あなたの鼻メガネより優れているわよ」
少し期待した。
でも。
期待とは基本的に裏切られるもの。
「これよ」
自信満々に開いたケースから取り出したのは。
――ぐるぐる渦巻き――
「この螺旋が勝利の鍵よっ」
従者が従者なら主も主。
その弟子でペットに出来るのは心の中で泣くだけ。
「それじゃウドンゲ答えは出たかしら」
「もう答えは決まっているでしょうに」
にらみ合う2人の向こうで、本気で珍しくてゐが同情の視線を投げてくれていた。
桃色の服が今まで以上に愛らしく感じたのは眼鏡のおかげだと思いたい。
初めて体験する色鮮やかな世界。
だからこそ、輝夜の展開する弾幕をとても綺麗だと感じた。
永琳が引き絞る弓が描く軌跡も同様に。
狭い部屋で始まった弾幕ごっこで宙を舞いながらそんなことを思考できた。
気絶する瞬間の暗闇もそこはかとなく美しく感じた気がする。
2人の激闘は鈴仙が泣きながら『コンタクトレンズ』にして欲しいというまで続く。
その心意気やよし!
きっと。きっと。きっと。