今日もあの子が来た。
花の異変以来師匠のお気に入りになったあいつはよく永遠亭にやってくる。
何も知らない無垢なあいつを見ていると胸の中にもやもやしたものが生まれる。
「ねぇれーせんの耳ってどうしてそんなにくしゃくしゃしてるの?」
笑いながら問いかけてくるあいつを適当にあしらう。
その様子を見ていたてゐにからかわれる。
「鈴仙ったら嫉妬してるんだ。案外かわいいわね~」
嫉妬?
これが嫉妬なんだろうか。
確かにあいつが来てから師匠が私に構ってくれることは少なくなった。むしろ実験台にされる事が減ったのでむしろ喜ばしいくらい。
じゃあこの感情は一体何なんだろう。
こんな暗い想いは苦しいだけなのに……。
「あの子が羨ましいのねイナバ。あの何も業を背負っていない真っ白な処女雪のようなあの子が……」
膝の上に私の頭を乗せ。耳と髪を弄りながら姫はそう言う。
私は罪を背負っている。みんなを捨てて自分だけ逃げた。そして逃げた先でこんな幸せな生活を送っている。
今からでも月に戻るべきなのだろうか。そんな事すればまた姫や師匠がなんとしても止めようとするだろう。師匠は姫の我侭と言っていたけど、あの永い夜と偽の月は私を逃がさない為の檻。それくらい私にだってわかる。
私はペット。姫のペット。ペットが逃げないように檻に入れるのは至極当然の事。
人に飼われたペットが野生に戻ることはできないように、私ももうあの戦場に戻る事はできない。
この永遠亭という檻はそれほどまでに心地よい場所なのだから。
だから甘えるつもりで姫の膝を抱え込むように寝返りを打つ。
「あらあら、いつもは嫌がるのに今日は随分と甘えてくれるのね」
返事代わりに姫の柔らかい太ももに頭を押し付ける。
姫は優しく頭を撫でてくれた
だから私はあいつに鈴蘭畑で勝負を申し込んだ。
不思議そうな顔をしながらあいつは勝負を受けた。
あいつの無垢な顔はもう私が手に入れられないもの。一度ついた染みは二度と消せない。
だから、あいつに勝って過去の私と決別しよう。もう戦士でなくていい。兵隊でなくていい。
辺りを紫の毒霧が包み込む。むせ返りそうになる肺を無理矢理押さえつける。
毒が体を侵食し切る前に倒す。心に決め、マインドエクスプロージョンを連射し霧を吹き飛ばす。
霧に紛れるあいつを視界に捕らえると同時に連射。手応えはない。
右手と左手で辺り一面に連射し牽制する。せっかくの狂気の瞳も眼を合わせられないのであれば意味がない。
上空から襲い掛かってきた弾幕を横っ飛びにかわす。
毒が回りきる前に早く、早く倒さないと……!
いつもの様に相手の波を読み取る戦法も忘れ、勝負を焦りスペルを発動しようとしたのが間違いだった。
後方から渦を巻いて襲い来る弾幕に気付かなかった。
背中をしたたかに撃たれ屑折れる。逃げ出した時の光景がフラッシュバック。恥も外聞もなくこの場から逃げ出したくなる。
ああ……また逃げてしまうのか。自分が決めたことなのに。こんなにも簡単に。
……もう逃げたくない。ここで逃げたらもう私に行く場所は無くなる。師匠や、てゐや、姫のいるあの場所を私は亡くしたくない!!
瞬間、月に置いてきた仲間達が見えた。その先には無防備で突っ立っているあいつ。右腕が、身体に染み込んだ戦闘技術のまま、動く。
あいつに向かって一発だけ発射される弾丸。
そのまま視界が下がり鈴蘭で埋まる。弾があいつに当たったかどうかもわからない。勝ったか負けたかも。
でも、何故か心はすっきりしていた。
最後の一発は月の仲間が撃ってくれたのかもしれないと考えるのは感傷的すぎるだろうか。
眼から水がこぼれると同時に私は意識を失った。
次に気がついたときは永遠亭の自分の部屋で寝ていた。
師匠が枕元で心配そうに覗き込んでいる。
謝る前に殴られた。でもそれがなんだか無性に嬉しくて泣きながら笑っていたら、様子を見てきたてゐに変な顔をされた。姫は何時もどおり何も言わずに頭を撫でてくれた。。
ああ、こんな檻にいつまでもいられるというのなら私は鈴仙でなくてもいい。
私は永遠亭のペットのうどんげでいい。