最近、永琳が冷たい。
いや、冷たいというのは語弊があるかもしれない。今まで通り、私のことを一番に考えてくれているし、何より優しい。誰に聞いてもなんにも変らないいつも通りの永琳でしょ、と言われるに違いない。
だけど、何かが違う。どこが違うと言われても答えられないけど。
「じゃあ、ちょっと行ってくるわね」
そう言って、いつでも永琳は出かけていく。
薬箱をひっさげて、出かけていく先はさまざまだ。
例えば、人里。例えば、大図書館。例えば、神社。例えば、妖怪の山。例えば、地底。
私の行ったことのない場所へ、どんどん足を伸ばしていく。
別に長い間出かけているわけじゃない。行先にもよるけれど、たいていの場合三時間もしないうちに帰ってくる。そうして、私に出かけた先でどんなことがあったのか、だとか噂話だとか、色々な話をしてくれる。ずっと昔、永琳が家庭教師だった頃みたいに。
でも、不意に見せる表情は私の見たことがないもので、そこから想像される永琳の生き生きとした姿は、きっと私が奪ってしまったもので。
永琳の世界は、この永遠亭を起点として果てしなく広がりつつある。
素直にいいことだと思う。
蓬莱の薬を私が飲んでしまったせいで、ずっと永琳は罪の意識を感じているらしい。私が飲んだのが悪いのに。だからなのか、必要以上に、私に対して過保護なところがある。らしくもなく、まわりが見えなくなるくらいに。
だから、永琳の世界が広がるのはいいことだと思う。
もういいよって。終わらない人生、私ばっかり見てちゃだめだよって。
いつかそう言ってあげなくちゃいけない。まだ、勇気が出ないけど。
だけど、それとは反対に私の世界はまるで広がっていかない。
月にいた頃も、おじいさんとおばあさんに育てられていた頃も、もちろんこの竹林に隠れ住んでいた頃も、私には外出するという習慣がなかった。
ずっとお屋敷の中。たまに外に出るのはせいぜい庭先まで。今とは違って、私が育った頃はそれが常識だった。
それを言い訳にするのはなんとも情けない気持ちになるけれど、そのせいで私は今でも外に出かけていくのはよっぽどの用事がある時だけという感覚から抜けきれない。何とはなしにおでかけということができない。
たまに永琳やイナバについて外出をするのはすごく楽しい。
よその人とおしゃべりしたり、知らない景色を眺めるだけで幸せ。
だけど、一人では外を歩けない。
永琳に止められているというのもあるけれど、それ以上になんとなく気が進まないのだ。
永夜は明けたけれど、私の世界は閉ざされたまま。
変わったことと言えば、訪ねてきてくれるお客さんが増えたことぐらいだろうか。
財宝に興味津々の霧雨魔理沙に、かつて同じような文化に身を委ねていた西行寺幽々子、昔の話に興味があるという稗田阿求、ひな人形の件で親しくなったアリス・マーガトロイド。他にも、無邪気におとぎ話を楽しみにくる妖精や幼い妖怪たち。
彼女たちと話したり、もてなしたりするのは楽しい。だけど、私には来てくれるのを待っていることしかできなくて。
いつか、私の方から訪ねていくことができたらいいのに。
その時、私の世界は永琳のそれと同じように広がっていくに違いない。
まだその目処は立たないけれど。
きっと永琳が冷たい、と感じてしまうのは、おいてけぼりにされたような気がしているから。
あんなにいつでもそばにいた永琳が今では遠くに行ってしまったような気がするから。
そんなこと、あるわけないのに。
なのに、私はそれを否定しきれない。
最近、輝夜が楽しそうだ。
いや、それが悪いことだ、というわけではない。ただ、少しばかり違和感を感じる。
生まれついての自由奔放な性格、社交的な気質に見合わない閉じこもりきりの生活のせいか、楽しそうにしていてもどこか退屈そうな表情ばかりを見せていた輝夜。
それが最近では輝かんばかりの笑顔で微笑むようになった。
「永琳、今日はミスティアが来てくれたんだけどね」
そんな風に頬を上気させながら、輝夜は語る。
語られるのは、私がいない時間、仕事をしている時間に訪れた客人のこと。
最近、輝夜を訪ねてくる客は多い。
そのこと自体に不思議なことはなにもない。
引きこもりがちだとはいえ、長く生きたものに特有の癖の少ない穏やかで素直な性格、少しばかり突拍子もないことを言い出すこともあるけれど、そう悪いものではない。
昔話や些細なことを話すその語り口は軽やかで、実際よりも何倍も面白いと思わせる話術は聞いていて心地がいいだろう。
むしろ、これで嫌われるほうが難しいと思う。
輝夜の世界が周囲の力で、だんだんと開かれていく。
それはきっと、終わらない生を生きる上では重要なことで、望ましいことだ。
だけど、それを素直に嬉しいと思えない私がいる。
月からの使者を振り切って、竹林に永いこと隠れ住んでいたあの頃。
愛しい輝夜と二人きり。輝夜は私だけを見つめていて、私は輝夜だけを見つめていた。
寝ても覚めても、お互いの存在が一番重要だった。
広い屋敷の中、離れて過ごそうと思えばいつだってそう出来たにもかかわらず、私たちはすべての時間共にあった。起きている時間は勿論、寝床も湯浴みもすべてが共通。
ともすれば、二人で溶けあって混ざり合って一つの存在となってしまいそうなほどに。
あの時、私は輝夜で、私は輝夜だった。
輝夜を見つめ続けることが必ずしも幸せだったわけではない。
それは私の罪そのものを見つめることであったから。時々、胸の端がちりちりと焦げ付いていくような痛みを覚えた。
それでも、それすらも愛おしいと思えるほどに、私は輝夜に耽溺していた。
二人きりの閉じた世界。
輝夜はいつも退屈そうに微笑んでいた。
てゐが現れて、鈴仙がやってきて、それでも変わらなかった私たちの関係は、あの異変以来、少しづつ綻んでいく。
外に興味を持つ輝夜が多くの客を迎えるようになって、これまでとは違う活発な表情で笑うようになった。
ねえ、私はその表情知らないんだけど。
あんなに近くにいたのにも関わらず、知らない表情があったことに驚いて、私といるときよりも輝いて見えるその姿に寂寥を感じて。
どうにも見ていられなくなった私は、置き薬のシステムに加えて往診まで行うようになった。さまざまな人との触れ合いは充実したものであったけれど、ぽかり、と胸にあいた穴は塞がらないまま。
広がっていく輝夜の世界とは反対に、私はいまだ二人きりの世界に囚われている。
そんなことはないとは分かっているけど、輝夜を失ってしまったような心持。
もう、戻れない。
「ねえ、てゐ」
庭の掃き掃除の最中。私は、足をぶらぶらさせながら、縁側に腰掛けるてゐに話しかける。
ニンジンを齧っていたてゐはめんどくさそうに顔をあげた。
「何?手伝いならしないよ?」
「してよ。……て、そうじゃなくて」
さらりと、手伝いを拒否するてゐ。はじめから、手伝わないだろうってことは分かってたから、いいけどあんまり堂々と断られるとちょっと困る。
別に、今はその件で話しかけたわけじゃないからいいんだけどね。
や、よくないけど。そんなこと言ってると師匠に言いつけるぞ、このちびうさぎ。
「ん?」
「最近、師匠と姫様、なんだかおかしくない?」
なんだか、ぎくしゃくしてる、というか。あれだけいつでもうざったいぐらいにいちゃいちゃしていたのが嘘みたいに、一緒にいる時間が短くなってる。
たまに師匠が避けてるのかなって思うことだってあるし、姫様のほうでもなんだか、距離を置いているように見える。
喧嘩でもしたのかな、信じられないけど。
でも、そのわりに、師匠は姫様がいない時には、姫様の話をやたらと振ってくる。例えば、最近訪ねてくるお客さんたちと姫様がどんなふうに過ごしているのか、とか、お客さん自体の素性とか。
興味がありそうなのに、絶対お客さんが来ている時に師匠は姫様の部屋に近づかない。その代わりにお茶を出しに行く時などは私が行かされるから。師匠の考えていることはよく分からない。
それから、姫様も。
往診に行った時のこととか、薬の調合をしている時のこととか、色々聞かれる。姫様みたいにうまくはないけど、師匠がどんなに人里の人たちに親切にしているかとか、パチュリーと本について語り合っている様子とかについて話すと、それはもう幸せそうに微笑む。
でも、ちょっとだけ、ううん、なんだろう、影がある感じ。
二人して、お互いの話を聞いて嬉しそうにしている以上、喧嘩って言うのとはまた違う気がする。
そうして、微妙に板挟みちっくな立場にいる私は、悩んだ挙句、こうしててゐに相談しているわけなんだけど。
「倦怠期ってやつじゃないの?」
二本目のニンジンをがりがりやりながら、てゐはおかしくてたまらないって感じでにやにやしながら言う。
その笑顔は私をからかう時のそれによく似ていて、ちょっと腹が立つ。
倦怠期だったら、あんな風に嬉しそうにはしないと思うんだけどな。
「ほっときなよ。そのうち元に戻るって」
「でも……」
「二人ともちょっとばかり拗ねてるだけなんだからさ。鈴仙が気にすることじゃないよ」
「拗ねてる……?」
「そ。何千年生きてんだって感じだけど。月人ってやつは案外ガキっぽいんだね」
そう言って、てゐは私に横に座るように促して、ニンジンを差し出してくる。
これ、晩ごはんに使おうと思って収穫してきたやつなんだけど。ま、いっか。
ありがたくそれを受け取って、齧る。おいしい。
「経験ない?親しい人に新しい友達ができて、寂しくなること」
別に何でもいいけどさ、と何でもいいことのように言われて少し考える。
確かに覚えがある。月にいたころ、豊姫様と依姫様が私の次に新しい兎を連れてきた時のこと。それまで一番親しかった子がその子と仲良くなって、私も一緒に仲良くなったけど、耳の先っぽをかじられているみたいな変な気持ちになった。
焼きもちとはちょっと違う。でも、なんだか物足りないような気持ち。
あ。
「分かった?」
「うん……」
「どうしても気になるようだったらさ、丸一日二人っきりでどっかに閉じ込めときゃいいんじゃない?」
「なるほど」
確かにそのとおりなんだけど。
こんな変な感じが続くのはいやだ。いつまでも、すれ違ったまんまなのは寂しい。
それに私が疲れるしね。うん。
でも、師匠と姫様をどこかに閉じ込めるなんて私にできるわけがない。特に師匠なんか、私のすることなんていつでもお見通しなんだから。
でも、このままにしておくわけには……。
頭を抱える私を見たてゐが、にやり、と不敵に微笑んで言う。
「協力してあげよっか?」
「へ……?」
「どうしたのさ、変な顔して」
「いや、だって」
らしくない。というか、なにか企んでいる予感がしてならない。
てゐが私に無償で協力してくれるわけがない。でも、確かに詐欺師としては超一流のてゐなら、二人をどこかに閉じ込めるなんて朝飯前だろう。
「私だって、いつまでもこんなんは面倒だしね」
考えてみりゃ、あの二人じゃ何百年単位で続けかねないし、と笑うてゐ。
きっと、てゐは私がどんな選択をするかなんて、お見通しなんだと思う。
ハイリスク、ハイリターン。
それで二人が仲直りしてくれるなら、てゐの無理難題なんて安いもんだ。どうせ、トイレ掃除一か月代わって、とかそういうんだろうし。
うん。
「ありがとう、てゐ」
「まっかしといて」
ぱんっ、と右手でハイタッチ。
「で?」
「ん?」
「ただで協力してくれるわけじゃないんでしょ?トイレ掃除?廊下掃除?朝ごはんの支度?どれを変わればいいの?」
「ああ。今回はいーや、そういうの」
ひらひらと手を振るてゐ。本気でこだわっていないみたいで、下心的なものは感じられない。まあ、詐欺兎をどこまで信じていいのか分からないけど。
よっぽど、間抜けな顔になっていたのか、笑いながらてゐは立ちあがる。
「うそ?」
「そのかわりさ、たまには私と遊んでよ」
「え?」
私が返事をするより前に、ぴょんっと縁側を飛び降りて、庭へとかけていく。
「ちょ、ちょっと、てゐ?」
その背中に慌てて声をかければ、ゆっくりとてゐは立ち止まる。
そして、くるり、と振り返っていたずらっぽく笑うのだ。
「最近、鈴仙ってば、妖夢とばっかり遊んでたじゃん」
「てゐ……?」
「私だって、寂しかったんだよ、ばーか」
いや、冷たいというのは語弊があるかもしれない。今まで通り、私のことを一番に考えてくれているし、何より優しい。誰に聞いてもなんにも変らないいつも通りの永琳でしょ、と言われるに違いない。
だけど、何かが違う。どこが違うと言われても答えられないけど。
「じゃあ、ちょっと行ってくるわね」
そう言って、いつでも永琳は出かけていく。
薬箱をひっさげて、出かけていく先はさまざまだ。
例えば、人里。例えば、大図書館。例えば、神社。例えば、妖怪の山。例えば、地底。
私の行ったことのない場所へ、どんどん足を伸ばしていく。
別に長い間出かけているわけじゃない。行先にもよるけれど、たいていの場合三時間もしないうちに帰ってくる。そうして、私に出かけた先でどんなことがあったのか、だとか噂話だとか、色々な話をしてくれる。ずっと昔、永琳が家庭教師だった頃みたいに。
でも、不意に見せる表情は私の見たことがないもので、そこから想像される永琳の生き生きとした姿は、きっと私が奪ってしまったもので。
永琳の世界は、この永遠亭を起点として果てしなく広がりつつある。
素直にいいことだと思う。
蓬莱の薬を私が飲んでしまったせいで、ずっと永琳は罪の意識を感じているらしい。私が飲んだのが悪いのに。だからなのか、必要以上に、私に対して過保護なところがある。らしくもなく、まわりが見えなくなるくらいに。
だから、永琳の世界が広がるのはいいことだと思う。
もういいよって。終わらない人生、私ばっかり見てちゃだめだよって。
いつかそう言ってあげなくちゃいけない。まだ、勇気が出ないけど。
だけど、それとは反対に私の世界はまるで広がっていかない。
月にいた頃も、おじいさんとおばあさんに育てられていた頃も、もちろんこの竹林に隠れ住んでいた頃も、私には外出するという習慣がなかった。
ずっとお屋敷の中。たまに外に出るのはせいぜい庭先まで。今とは違って、私が育った頃はそれが常識だった。
それを言い訳にするのはなんとも情けない気持ちになるけれど、そのせいで私は今でも外に出かけていくのはよっぽどの用事がある時だけという感覚から抜けきれない。何とはなしにおでかけということができない。
たまに永琳やイナバについて外出をするのはすごく楽しい。
よその人とおしゃべりしたり、知らない景色を眺めるだけで幸せ。
だけど、一人では外を歩けない。
永琳に止められているというのもあるけれど、それ以上になんとなく気が進まないのだ。
永夜は明けたけれど、私の世界は閉ざされたまま。
変わったことと言えば、訪ねてきてくれるお客さんが増えたことぐらいだろうか。
財宝に興味津々の霧雨魔理沙に、かつて同じような文化に身を委ねていた西行寺幽々子、昔の話に興味があるという稗田阿求、ひな人形の件で親しくなったアリス・マーガトロイド。他にも、無邪気におとぎ話を楽しみにくる妖精や幼い妖怪たち。
彼女たちと話したり、もてなしたりするのは楽しい。だけど、私には来てくれるのを待っていることしかできなくて。
いつか、私の方から訪ねていくことができたらいいのに。
その時、私の世界は永琳のそれと同じように広がっていくに違いない。
まだその目処は立たないけれど。
きっと永琳が冷たい、と感じてしまうのは、おいてけぼりにされたような気がしているから。
あんなにいつでもそばにいた永琳が今では遠くに行ってしまったような気がするから。
そんなこと、あるわけないのに。
なのに、私はそれを否定しきれない。
最近、輝夜が楽しそうだ。
いや、それが悪いことだ、というわけではない。ただ、少しばかり違和感を感じる。
生まれついての自由奔放な性格、社交的な気質に見合わない閉じこもりきりの生活のせいか、楽しそうにしていてもどこか退屈そうな表情ばかりを見せていた輝夜。
それが最近では輝かんばかりの笑顔で微笑むようになった。
「永琳、今日はミスティアが来てくれたんだけどね」
そんな風に頬を上気させながら、輝夜は語る。
語られるのは、私がいない時間、仕事をしている時間に訪れた客人のこと。
最近、輝夜を訪ねてくる客は多い。
そのこと自体に不思議なことはなにもない。
引きこもりがちだとはいえ、長く生きたものに特有の癖の少ない穏やかで素直な性格、少しばかり突拍子もないことを言い出すこともあるけれど、そう悪いものではない。
昔話や些細なことを話すその語り口は軽やかで、実際よりも何倍も面白いと思わせる話術は聞いていて心地がいいだろう。
むしろ、これで嫌われるほうが難しいと思う。
輝夜の世界が周囲の力で、だんだんと開かれていく。
それはきっと、終わらない生を生きる上では重要なことで、望ましいことだ。
だけど、それを素直に嬉しいと思えない私がいる。
月からの使者を振り切って、竹林に永いこと隠れ住んでいたあの頃。
愛しい輝夜と二人きり。輝夜は私だけを見つめていて、私は輝夜だけを見つめていた。
寝ても覚めても、お互いの存在が一番重要だった。
広い屋敷の中、離れて過ごそうと思えばいつだってそう出来たにもかかわらず、私たちはすべての時間共にあった。起きている時間は勿論、寝床も湯浴みもすべてが共通。
ともすれば、二人で溶けあって混ざり合って一つの存在となってしまいそうなほどに。
あの時、私は輝夜で、私は輝夜だった。
輝夜を見つめ続けることが必ずしも幸せだったわけではない。
それは私の罪そのものを見つめることであったから。時々、胸の端がちりちりと焦げ付いていくような痛みを覚えた。
それでも、それすらも愛おしいと思えるほどに、私は輝夜に耽溺していた。
二人きりの閉じた世界。
輝夜はいつも退屈そうに微笑んでいた。
てゐが現れて、鈴仙がやってきて、それでも変わらなかった私たちの関係は、あの異変以来、少しづつ綻んでいく。
外に興味を持つ輝夜が多くの客を迎えるようになって、これまでとは違う活発な表情で笑うようになった。
ねえ、私はその表情知らないんだけど。
あんなに近くにいたのにも関わらず、知らない表情があったことに驚いて、私といるときよりも輝いて見えるその姿に寂寥を感じて。
どうにも見ていられなくなった私は、置き薬のシステムに加えて往診まで行うようになった。さまざまな人との触れ合いは充実したものであったけれど、ぽかり、と胸にあいた穴は塞がらないまま。
広がっていく輝夜の世界とは反対に、私はいまだ二人きりの世界に囚われている。
そんなことはないとは分かっているけど、輝夜を失ってしまったような心持。
もう、戻れない。
「ねえ、てゐ」
庭の掃き掃除の最中。私は、足をぶらぶらさせながら、縁側に腰掛けるてゐに話しかける。
ニンジンを齧っていたてゐはめんどくさそうに顔をあげた。
「何?手伝いならしないよ?」
「してよ。……て、そうじゃなくて」
さらりと、手伝いを拒否するてゐ。はじめから、手伝わないだろうってことは分かってたから、いいけどあんまり堂々と断られるとちょっと困る。
別に、今はその件で話しかけたわけじゃないからいいんだけどね。
や、よくないけど。そんなこと言ってると師匠に言いつけるぞ、このちびうさぎ。
「ん?」
「最近、師匠と姫様、なんだかおかしくない?」
なんだか、ぎくしゃくしてる、というか。あれだけいつでもうざったいぐらいにいちゃいちゃしていたのが嘘みたいに、一緒にいる時間が短くなってる。
たまに師匠が避けてるのかなって思うことだってあるし、姫様のほうでもなんだか、距離を置いているように見える。
喧嘩でもしたのかな、信じられないけど。
でも、そのわりに、師匠は姫様がいない時には、姫様の話をやたらと振ってくる。例えば、最近訪ねてくるお客さんたちと姫様がどんなふうに過ごしているのか、とか、お客さん自体の素性とか。
興味がありそうなのに、絶対お客さんが来ている時に師匠は姫様の部屋に近づかない。その代わりにお茶を出しに行く時などは私が行かされるから。師匠の考えていることはよく分からない。
それから、姫様も。
往診に行った時のこととか、薬の調合をしている時のこととか、色々聞かれる。姫様みたいにうまくはないけど、師匠がどんなに人里の人たちに親切にしているかとか、パチュリーと本について語り合っている様子とかについて話すと、それはもう幸せそうに微笑む。
でも、ちょっとだけ、ううん、なんだろう、影がある感じ。
二人して、お互いの話を聞いて嬉しそうにしている以上、喧嘩って言うのとはまた違う気がする。
そうして、微妙に板挟みちっくな立場にいる私は、悩んだ挙句、こうしててゐに相談しているわけなんだけど。
「倦怠期ってやつじゃないの?」
二本目のニンジンをがりがりやりながら、てゐはおかしくてたまらないって感じでにやにやしながら言う。
その笑顔は私をからかう時のそれによく似ていて、ちょっと腹が立つ。
倦怠期だったら、あんな風に嬉しそうにはしないと思うんだけどな。
「ほっときなよ。そのうち元に戻るって」
「でも……」
「二人ともちょっとばかり拗ねてるだけなんだからさ。鈴仙が気にすることじゃないよ」
「拗ねてる……?」
「そ。何千年生きてんだって感じだけど。月人ってやつは案外ガキっぽいんだね」
そう言って、てゐは私に横に座るように促して、ニンジンを差し出してくる。
これ、晩ごはんに使おうと思って収穫してきたやつなんだけど。ま、いっか。
ありがたくそれを受け取って、齧る。おいしい。
「経験ない?親しい人に新しい友達ができて、寂しくなること」
別に何でもいいけどさ、と何でもいいことのように言われて少し考える。
確かに覚えがある。月にいたころ、豊姫様と依姫様が私の次に新しい兎を連れてきた時のこと。それまで一番親しかった子がその子と仲良くなって、私も一緒に仲良くなったけど、耳の先っぽをかじられているみたいな変な気持ちになった。
焼きもちとはちょっと違う。でも、なんだか物足りないような気持ち。
あ。
「分かった?」
「うん……」
「どうしても気になるようだったらさ、丸一日二人っきりでどっかに閉じ込めときゃいいんじゃない?」
「なるほど」
確かにそのとおりなんだけど。
こんな変な感じが続くのはいやだ。いつまでも、すれ違ったまんまなのは寂しい。
それに私が疲れるしね。うん。
でも、師匠と姫様をどこかに閉じ込めるなんて私にできるわけがない。特に師匠なんか、私のすることなんていつでもお見通しなんだから。
でも、このままにしておくわけには……。
頭を抱える私を見たてゐが、にやり、と不敵に微笑んで言う。
「協力してあげよっか?」
「へ……?」
「どうしたのさ、変な顔して」
「いや、だって」
らしくない。というか、なにか企んでいる予感がしてならない。
てゐが私に無償で協力してくれるわけがない。でも、確かに詐欺師としては超一流のてゐなら、二人をどこかに閉じ込めるなんて朝飯前だろう。
「私だって、いつまでもこんなんは面倒だしね」
考えてみりゃ、あの二人じゃ何百年単位で続けかねないし、と笑うてゐ。
きっと、てゐは私がどんな選択をするかなんて、お見通しなんだと思う。
ハイリスク、ハイリターン。
それで二人が仲直りしてくれるなら、てゐの無理難題なんて安いもんだ。どうせ、トイレ掃除一か月代わって、とかそういうんだろうし。
うん。
「ありがとう、てゐ」
「まっかしといて」
ぱんっ、と右手でハイタッチ。
「で?」
「ん?」
「ただで協力してくれるわけじゃないんでしょ?トイレ掃除?廊下掃除?朝ごはんの支度?どれを変わればいいの?」
「ああ。今回はいーや、そういうの」
ひらひらと手を振るてゐ。本気でこだわっていないみたいで、下心的なものは感じられない。まあ、詐欺兎をどこまで信じていいのか分からないけど。
よっぽど、間抜けな顔になっていたのか、笑いながらてゐは立ちあがる。
「うそ?」
「そのかわりさ、たまには私と遊んでよ」
「え?」
私が返事をするより前に、ぴょんっと縁側を飛び降りて、庭へとかけていく。
「ちょ、ちょっと、てゐ?」
その背中に慌てて声をかければ、ゆっくりとてゐは立ち止まる。
そして、くるり、と振り返っていたずらっぽく笑うのだ。
「最近、鈴仙ってば、妖夢とばっかり遊んでたじゃん」
「てゐ……?」
「私だって、寂しかったんだよ、ばーか」
ほんの小さなすれ違いを永遠に繰り返して、永琳と輝夜の絆はどんどん深くなっていくんですよぅ!
ところでさりげなく続いてるんですね。
てゐの評価があがった
てゐちゃん、お兄さんが遊んであげやう
凄い和みました。
てゐが可愛いねぇ
はじーめてみるよこーがおに
てな感じかも