「なあ、にとり。おまえなんか小さくなってないか?」
巨岩の上に寝そべった魔理沙は首を傾げる。
隣に腰を下ろし、きゅうりをかじっていたにとりは、きょとんとして、魔理沙と同じように首を傾げた。妖怪の山、川縁に並ぶ二人は仲のいい友人同士である。
「そんなわけないじゃん。なんで?」
「いや、さっき相撲をとった時にさ、なんか小さいなあと」
ここのところ、ふたりの間では将棋が流行っており、ここ数カ月は相撲そっちのけで将棋に興じていた。勝率は五分五分といったところか。まさに実力は伯仲していて、飽きることはない。
しかし相撲だって嫌いになったわけではない。どちらからともなく言い出して、久方ぶりに相撲で勝負をしようということになったのである。
結果は、魔理沙の敗北。三戦三敗という無残な結果だった。
間を開けすぎて、勘が鈍ったのだろうか。かつては相撲も五分五分の実力であったはずなのに。
いや違う、と魔理沙は思う。
考えていたよりもずっと低い所ににとりの頭があって、思っていたよりもずっとリーチが短く感じられた。かつての感覚のままに相撲をとろうとすると、距離感が狂ってしまい、うまく技をかけることができなかったのである。
そうして、感じたのはにとりの体躯の小ささだった。
「流石に河童といえども大きくなることはあっても小さくなることはないよ」
「だよな。でも、さ、ほらお前この間まで私と同じくらいだったじゃないか」
魔理沙は立ち上がり、にとりにも立ち上がるように促す。不思議そうに従うにとりの頭と自らの頭とそれぞれの高さに合わせて、まっすぐ指を揃えて伸ばした右手を上下させる。簡単な背比べ。
ほら、こんなに差が、と呟く魔理沙の姿をじっと見つめていたにとりは、不意に納得したように笑う。
「なんだよ」
「いや、だってさ」
けらけら、とおかしそうに声を立てて笑うにとりはさも当たり前のように言う。
「魔理沙が大きくなっただけじゃん」
「魔理沙さーん……」
石階段を徒歩で登って守谷神社を訪ねると、いつもてきぱきと仕事をこなしている早苗が境内に座り込んでいる。僅かに青ざめた顔で下腹部を撫でさするように手をあてている。
最近、その挙動の意味を十分に理解できるようになった魔理沙はその有様をみて苦笑した。
「二日目か?」
「はい、もう辛くって。分かります?」
「おう。私も結構重い方だしな」
「ですよねぇ」
「しかも、今日初日」
顔をしかめて、早苗とおなじように腹に手を触れる。今はまだそんなにつらくはない。
疼くような、内側から何かがこそげ落ちていく感覚。それはやがて、重く鈍い痛みへと変化する。これが翌日になれば強さを増し、特有の倦怠感と共に腰まで疼きが広がっていくことを魔理沙はもう知っている。
これが終わるまでは、箒で空を飛ぶことも出来やしない。
私と魔理沙さんって周期近いですよね、と力なく笑う早苗はさらに言葉を重ねる。
「大人になった証とはいえ、もうちょっとなんとかなればいいのに」
「大人?」
続けて、温めるのが一番効くんですよ、と力説しようとしていた早苗の言葉を遮って、魔理沙は問い返す。その問いに早苗は不思議そうに首を傾げる。
「もう赤ちゃんが生めるんです。大人じゃないですか」
「ちょっと、魔理沙!」
フランドールと弾幕ごっこをして、そろそろ帰ろうとする魔理沙を咲夜が呼び止める。
いつになく強い口調に、なにか不味いものでも壊しただろうか、でも私のせいじゃないぜ、と思いつつ振り返ると、なにか服のようなものを差し出してくる。
「なんだよ?本なら借りるだけだぜ」
「ボロボロじゃない、着替えて帰りなさいよ」
言われてみれば、なるほどスカートは破けているし、白いブラウスの袖は片方とれてしまっている。また、ほこりっぽい場所での戦いだったせいか、全体的に茶色く煤けてしまっていた。
「ありがと、助かる。でもなんだよ、いきなり」
好意はありがたい。だが、魔理沙はいぶかしむ。
これまでも今と同じようにぼろぼろになったことも、今以上にひどい状態だったこともある。しかし、一度も今日のように服を貸そうとしたことなどなかったではないか。
魔理沙のそんな表情を見て、咲夜は呆れたように腕を組み、ためいきをつく。
「もう子供じゃないんだから、そんな恰好で歩きまわったらはしたないわよ」
「へ?」
「分かるでしょ?ほら、さっさと着替えて帰りなさい」
メイドたちが使用しているという更衣室に魔理沙を押しこみ、咲夜は再び仕事に戻っていく。
言われことをうまく咀嚼できないまま、ぼんやりとその後ろ姿を見守る魔理沙は気づく。
咲夜のメイド服のスカートの丈はかつてよりも長く、上品なデザインのものへと変わっている。
「なんだっていうんだよ……」
咲夜の私服だと思われる、フリルの少ない地味なワンピースに着替えながら、魔理沙は呟く。
ふわふわに膨らませたペチコートを脱いだせいか、妙に落ち着かない気分になった。
地下大図書館。パチュリーとアリスが会話を楽しんでいる。
「ねえ、パチュリー」
「アリス?」
「なんだか最近、魔理沙変わったと思わない?」
「そうかしら。相変わらずうるさいわ、本は盗んでいくわ、変わらないと思うけど」
「中身はね。そうじゃなくて、外見よ」
「外見?あまり、気にしたことはないけど、言われてみればそうかもね」
「そうよ。ずいぶん背も伸びたし、身体つきも女らしくなったし。それに顔立ちだって大人っぽくなってきたわよね」
「よく見てるのね。流石人形師」
「職業病よ、観察眼が必要なの」
「そうね」
「つい、この間まで見上げられてたのに、今じゃ同じ高さに視線があるのよ?」
「見上げなきゃならなくなったわよ、私は」
「あーんなに子供っぽかったのに、今では女性って感じになっちゃって。なんていうか……」
「……なんていうか?」
「…………ねえ、パチュリーはいくつの頃に捨虫の術を使ったの?」
「唐突ね」
「いいじゃない」
「……私はこの外見の通りよ。十を少し過ぎたころだったかしらね」
「早いわね。もう少し身体が育ってから、とは考えなかったの?……子どものままじゃ、その、色々不便じゃない?」
「そうね。確かにあと五、六年分成長した方が肉体として最適な状態だったかもね」
「じゃあ、どうして?社会的にもそれくらい大人な方がやりやすいでしょうに」
「肉体なんかにとらわれないで、早く読書に集中したかったんだもの。魔女のさがよ。私の場合、喘息もあったしね」
「あー……なるほど」
「そういうアリスだって、私よりは成長しているけど、あと二、三年待ったってよかったでしょう?」
「……そうね、パチュリーと同じだわ」
「でしょう。それが魔の道を究めようとするものとして当然の態度だわ」
「……うん」
「で?」
「え?」
「さっきまでの魔理沙の話とのつながりは?」
「……魔理沙はこれからどんどん私たちを置いて大人になっちゃうんだな、と思って」
「私たちだって子どもではないでしょう」
「だけど、今の姿より先の姿は私たちの知らない世界よ」
「……人間だもの。大人にならないわけにはいかないわ」
「そう、なのよねえ」
「捨虫の術を使う気になれば別だけどね」
「使うかしら。実力的にはあり得ない話じゃないけど」
「さあ。でも」
「パチュリー?」
「こちら側に来てくれれば、と思うことはあるわね」
「私も」
少女のまま時を止めた魔女と人形遣いは小さく笑いあう。
図書館の大扉ごし、深く帽子を被りなおした魔理沙は入るに入れず、ただ息をひそめて、その会話に耳をすましている。丸めた紙を飲み込んだかのように、喉が苦しかった。
「いらっしゃい、魔理沙」
かねてからの約束通り、魔理沙が夕食を共にするために命蓮寺を訪ねると、白蓮は満面の笑みを浮かべて、それを迎えた。
夕食時まではまだ時間があったため、白蓮の自室に通され菓子を勧められる。子供向けの金平糖やあられは、ささくれ立った魔理沙の気持ちを少しだけ浮き立たせてくれた。
「最近、なにか面白いことはあった?」
なにから食べようか迷っている魔理沙を眺めながら、白蓮は問いかける。
復活して以来、大のお気に入りである魔理沙と過ごす時間は白蓮にとって、至福の時だ。幻想郷の妖怪たちの姿はかつて白蓮が求めた理想に似ていて、それでいて、まったく異なっている。しかし、それは悪いものではない。
実際に幻想郷を歩きまわってそれを肌で感じるのも素晴らしい。しかし、この幻想郷で生まれ育った魔理沙の視点から語られる幻想郷の姿は、よりきらきらと輝いていて、どんな甘露よりも甘く感じられた。
妖怪とも人間とも分け隔てなく、なんの衒いもなく付き合っている魔理沙の視点そのものが、白蓮にとっては愛おしかった。
しかし、その魔理沙の輝きが今日は鈍っているように感じられる。
チルノと大妖精が光の三妖精にいたずらをしかけた話。
妖夢と鈴仙が互いの主人の命で幻想郷中を駆け回った話。
空と燐が酔っ払って地霊殿に帰る道を間違えた話。
語られる話はいつものように、何気ない、しかしどこか温かさを感じさせる出来事ばかりだった。しかし、その語り口にはいつものような元気はなく、たまに遠くを見つめる瞳は不安げに揺らいでいる。
なにより、いつもなら真っ先に名前のあがるアリスやパチュリー、人間達の名前が不自然なほど出てこない。特に魔理沙が親しく過ごしている彼女らとなにかあったのだろうか。
こんなとき、どうするべきか。
白蓮は考える。悩みがあるというのならば、聞いてやるのが先達としての義務である。しかし、あえて語らない以上、踏み込んで聞くのはかえって彼女を傷つけることになりはしないだろうか。
「なあ、白蓮」
考え込んでいた白蓮の名を不意に魔理沙が呼ぶ。
その声は先ほどまでの語りとはまるで正反対の小さなもので、白蓮はどきり、とする。
「私は、どうしたらいいと思う?」
そう言って、普段の快活な様子からは考えられないほど、ぼそぼそとした暗い調子で魔理沙は語り始める。俯き加減のその姿は見ていて苦しいほどだった。
魔理沙は語る。
ここ数年どんどん背が伸び、自身が成長していること。
だけど、周りの仲間達は変わらずそこにあり続けていること。
それを最近、にとりや早苗、咲夜との付き合いの中で実感させられたこと。
しかし、それをどうも受け入れられないこと。
「分かんないんだよ。どうして、今まで通りじゃだめなのか」
そうして、悩んでいる最中に聞いてしまった同じ道の先を歩んでいるパチュリーとアリスの会話。
人として生きつづけること。
魔法使いとして生きること。
このまま、大人になってしまったら、魔法使いではいられない気がする。
体の成長が、どちらか早く選べと急かしている気がする。
どうしたらいいのか、分からない。
時に泣きそうに震える声で語られる魔理沙の思いは、白蓮に深い衝撃を与えた。
子どもだ、子どもだ、可愛らしいと思っていた魔理沙は知らぬ間にずいぶん成長していた。気づかぬ間に少女から、女性へと変化していく。
それは喜ばしくもあり、ある種の寂しさも感じさせた。
言ってしまえば、魔理沙の悩みは大人になることへの戸惑いであって、その年頃になれば程度の差はあれど、誰もが経験するものだ。しかし、そこに複雑に絡まった人間か妖怪かという選択が問題をややこしくさせている。
今までなにも気にすることのなかった種族の違いが魔理沙を苦しめている。
人間と妖怪は共に過ごすことができる。しかし、ともに歩み続けることはできない。
そんな当たり前の話。逆に言えば、今までそれが問題として顕在化してこなかったことの方が不思議なほどだった。
「私は、ずっと人間のままでいいと思ってたんだけど」
「ええ」
「種族・魔法使いになって、魔法を極めたいし、今まで通り楽しくあいつらと過ごしたい気もする」
「そう」
「だけどさ、霊夢とか早苗とか、咲夜と一緒に年を重ねていくのも悪くないし、人間として生きていたい気もするんだよ」
「……」
「どうしたら、いいんだろうなあ」
それは魔理沙にとって相反する望みであるかのように思われた。
人をとるか、妖怪をとるか。
いつかはどちらかを選択しなければならないのは間違いない。
しかし、白蓮はそうではない、と思う。
「ね、魔理沙」
柔らかい金髪をそっと慰めるように撫でる。俯いた魔理沙はされるがままに、すん、と鼻を鳴らした。
「本当の魔法使いになるのに、遅すぎるなんてことはありませんよ」
「え?」
ばっと、顔をあげる魔理沙。俯いていたために長い髪は乱れ、真っ赤になった瞳は潤んでいる。それでも、広い砂漠で水音に気づいた遭難者のように、敏感に希望の気配を感じ取った表情は暗いだけのものではない。
そんな魔理沙と視線を合わせて、ゆっくり教え諭すような声音で白蓮は語る。
同じ道の先を歩んできた先達としての務め。
「アリスやパチュリーのように、魔法使いへとそのまま進むのももちろん、いいでしょう」
「うん……」
「だけどね、魔理沙」
「私のように一度おばあちゃんになってから魔法使いになったっていいではありませんか」
「あ……」
ぽかんと口をあけた魔理沙の表情はまさに目から鱗が落ちたといった様子である。
魔理沙とて、そのことに気づいていないわけではなかったはずはない。ただ、成長への恐れや戸惑いが目隠しとなり、見えるはずのものが見えなくなってしまっただけだと白蓮は思う。
「あなたは、まだたったの二十年も生きていないんですから、今すぐそれを決めなきゃいけないなんてことありません」
「人として大人になって、色々な経験を積んで、それから決めたっていいじゃないですか」
ねえ、と同意を求めるように、軽く首を傾げて瞳を覗きこむように微笑みかける白蓮。
涙に濡れていた瞳をぐいっと左腕の袖でこすり、魔理沙は、ぱんっ、と両手で自らの頬を叩く。
「そっか。そう、だよな」
「無理に急に大人ぶる必要だってないでしょう?」
「え?」
「あなたはあなたのやりたいようにすればそれでいいんです」
「私のやりたいように」
先ほどまでの弱弱しさはどこへ行ったのか、その瞳は爛々と輝き、獰猛さすら感じさせる不敵な笑みを浮かべる魔理沙。
その姿はいつものようにきらきらとした輝きをまとっている。
白蓮は眩しさに目を細めるようにして、微笑む。
「そうだよ、こんなうじうじしてるのは私らしくないよな」
「ええ」
「っしゃあ、燃えてきた!」
「その意気です!南無三!」
いったい、何をやるつもりなのか。元気を取り戻してぴょんぴょん跳ねまわる魔理沙はまだまだ少女そのものだ。
急ぐことはない、少しずつ大人になっていけばいい。
困っているようなら、手を貸して、それをそばで見守ることができるなら、それ以上に素晴らしいことなどない。
心にわだかまっていたものが取り払われたせいか、先ほどまでとはうって変わって楽しげに菓子を頬張る魔理沙を眺めながら、白蓮は思うのだ。
「白蓮」
不意に名前を呼ばれて顔をあげれば、魔理沙がまっすぐに白蓮を見つめている。
その表情は幼さを感じさせない、大人のもので。
「ありがとう」
子どもの成長とは早いものだなあ、と白蓮は思った。
幼児→少女は短いですが少女→女性からはもっと短いですね。
早苗はこれから神として生きるのか人間として生きるのか…
それがPekoさんの作品で読んでみたい気もします。
あとうどんげと妖夢の主人の命で幻想郷を走り回った話も読んでみたいです。
それに比べると、こういう魔理沙自身が自分の成長に戸惑う、というパターンは少ないですよね。
それにしても白蓮というキャラが出たことで、「若返ることも可能」というのがハッキリしたのはでかいですよねぇ。
魔理沙がこれからどういう選択をするのか、この後を妄想してみると楽しいですね!
無限の選択肢が有るって良いなぁ…。
幻想郷住民は素敵すぎて憬れます。
でもこちらの世界の「大人」はあまり言わないね、この台詞。
ただ、在りのままで許される。優しいよね。
魔法使いってのは美味しい種族だなあ
俺も不老長寿ならなりたい
先人のように、ひじりママと言ってもいいですね。
…本当に、良いところだな。
しかし、貫禄のある大魔法使い魔理沙ってのも結構見てみたいかもしれないw
この作品とはあまり関係ないけど
あなたの書く、ほんの少し大人な早苗さんが好きです。