守矢神社――。
「なんっで早苗は帰ってこないのよ!?」
時計の針が午後八時を指すと同時、縁側にて、神奈子は絶叫を迸らせた。
自身に仕える風祝が門限を越えたからだ。
しかも、時間的に外泊がほぼ確定。
天は荒れ、地も唸り、蛙が呆れた――もとい、傍らで座る諏訪子が呆れた声を返す。
「や、一度夕方頃戻って言ってたじゃん。
博麗神社で鍋やるって。
忘れたの?」
ぶんぶか首を横に振る神奈子。
愛する早苗の言葉だ。
忘れる訳がない。
「でも、泊るなんて言ってなかった……!」
「かなり材料持ってったし、食べた後、動けないでしょ」
「やだー! 早苗にお休みのチューするまで私も寝ないーっ!」
『やだ』ときた。
しかも、そんな習慣はない。
少なくとも諏訪子が知り限りではなかった。
――と言うことは、イコール、あり得ない。
「じゃあ今夜は神奈子をいただくとしようかな?」
「うぅ、ぐす、それはともかくさぁ」
「ともかく!?」
あっさりと流され沈みつつ、それでもあやしてくる諏訪子に、神奈子は呟く。
「なんで誰も、あの子が博麗神社の晩御飯を決めたことを疑問に思わないの」
いやほんとマジで。なんで。
「……うんまぁ、それは置いといて」
「置くなー!?」
「だってさぁ」
だってなぁ。
言いつつ、諏訪子は立ち上がった。
神奈子の目尻に溜められた涙を、そっと指ですくう。
その指を、伸ばした舌で舐め取った――ちろり、ちろり。
「先にはぐらかしたのは、あんただよ」
唾液をたっぷりとつけ舌を離し、神奈子の唇を這うように沿わせる。
小さな湿った音が、数度、した。
聞く者はいない。
「ん……」
少しの後、神奈子が、応える。
「じゃあ……普段着? エプロン? それとも、か・っ・ぽ・う・ぎ?」
夕食を作るための服装であり、他意はない。
「割烹着! そういうのもあるのか!」
「うふふ、着替えてくるわ」
「ちょい待ち!」
他意はない。
声をかける諏訪子。
私室に戻ろうとしていた神奈子が振り返る。
反動で首に下げられている鏡が揺れたが、すぐに治まった。
伸ばされた諏訪子の手により、繋ぐしめ縄が解かれたのだ。
「着替え、手伝うよ」
「もぅ……諏訪子ったら、気が早いんだから」
「っしゃ、今晩は神奈子がフルコース! あ、いや、神奈子のフルコース!!」
あんまり変わってないんじゃ……もういいや。
博麗神社――。
「そこまでです!?」
「……ち。いいじゃん、ちょっとくらい。減るもんじゃなし」
「今の私のお腹に触れようものなら、五穀豊穣ミラクルフルーツの刑で、うぷっ」
「そっちもか。減るけど流石に勘弁ね。けぷ」
「霊夢さん、申し訳ありませんが、今晩――」
「申し訳ないも何も、さっき言ったでしょ。泊ってけって」
「はぁ。一応は帰るつもりだったんですよ」
「危ないから止めときなさい。誰かとならともかく……」
「皆さん、行っちゃいましたもんね」
「保護者と暮らしている妖夢やうどんげは、まぁわかるけどさぁ」
「あ、魔理沙さんとアリスさんは帰ったんじゃないですよ」
「……へ? 私が紫を見送っているちょっとの間に、なんかあったの?」
「小悪魔さんからお手紙が。どうやら、急ぎの用だったみたいです」
「んー、じゃあどうしようっか。そだ、お風呂、先にする? 後?」
「そんな、気を使われなくても。一緒に入りましょう」
「即答ね。いいけどさ」
「――では、ここまでです。うふ」
永遠亭――。
輝夜は、頭を下げ続ける妖夢が見えなくなるまで、玄関口で見送った。
愛するペット――鈴仙が世話になったのだ。
家まで届けたいというのが本心だった。
そうしなかったのは、当の鈴仙の容体が気がかりだったから。
そして、もう一つ。
「――様、もう、妖夢は帰りましたか」
「永琳。ええ。……鈴仙は?」
「てゐが傍に」
なら大丈夫ね――思いつつ、何時の間にか後ろに控えていた永琳に、問う。
「薬は?」
「ビオヂアスターゼとリパーゼ、プロザイムを少々」
「それだけ? ファモチジン……それと、シメチジンなんかは?」
返答は一瞬遅れ、微苦笑と共に返される。
「どちらかならともかく、鈴仙の胃を壊すつもりですか?」
「あ……しまった。両方とも、ヒスタミン受容体拮抗薬ね」
「はい。市場ではH2ブロッカーと呼ばれているものです」
なによ市場って――睨みつける視線には、輝夜にしては珍しく、羞恥の色が浮かんでいた。
寄せられていた眉根を更に寄せ、恍惚とした表情を浮かべ永琳が続ける。
「あぁ、今日はなんて素晴らしい日。鈴仙だけでなく、まさか姫様のそのようなお顔を拝めるとは」
「煩い喧しい。……鈴仙も? 永琳、どんな感じだったのかしら?」
「『ポンポン痛い?』って聞いたら『ポンポン痛いです』と」
消え入りそうな声で囁き返されたらしい。
なんて問い方をしているんだろう。
ともあれ、永琳歓喜。
「そ」
のみならず。
輝夜の唇も三日月を描く。
笑みを、否、艶みを浮かべている。
「……姫様?」
幼妖兎に見せたことはない。
鈴仙やてゐに向けるものとも類が違う。
それは、愛しい藤原の娘と対峙する時、そして、永い月の夜に結界の使い手たちに浮かべた、艶み。
「何か思いつかれましたか」
勿論、解らぬ永琳ではなかった。
「察しが良いわね。私がするつもりだったけど、貴女に任せるわ。……難題よ、永琳」
「この八意永琳、蓬莱山輝夜様の命であれば、いかようなことでも」
「一週間後に鍋をするわ。参加者全員を満足させなさい」
尤も、当然のことだが、命じられる内容までは予想していなかっただろう。
目を数度、瞬かせる永琳。
常人であれば、輝夜の命は難題と呼べる。
なにせ参加者の中には、腹いっぱい食べて呻いていた鈴仙も入っているのだろうから。
加えて、今はともかく、かつては輝夜自身も相当の美食家であり、満足させるには骨が折れる。
「そんなことですか。
ふふ、どうということもありませんわ。
皆に『ぽんぽん痛い』と言わせてみせましょう」
けれど、‘月の頭脳‘からすれば役不足。
ぐふぐふと笑みを返す永琳。
余裕さえ見せた。
「そ」
無論、知らぬ輝夜ではなかった。
「楽しみにしておくわ」
――故に、艶みを浮かべている。
「私たちや妖夢はともかく、幽々子がそう言う姿を、ね」
は?
発音したまま、固まる永琳。
「口の開けっ放しはだらしないわよ?
妖夢と幽々子をね、今日のお礼代わりに招待したの。
あの子ったら、こちらからの申し出なのに何度も頭を下げていたわ」
心底楽しそうに、輝夜は続ける。
「だから、期待には応えないとって思って、すぐに準備を始めるつもりで残ったのよ」
そう、輝夜が妖夢を送らなかったのは、鈴仙の容体が気になっていたのと、もう一つ――このためだったのだ。
動かない永琳に、輝夜はそっと近寄った。
フタリの身長差はおよそ頭半分ほど。
故に、見上げながら、囁く。
「恥をかかせないでね? ぐーやからのお願いよ、え・い・り・ん」
うふ、と柔らかい笑い声が、永琳の耳朶を打つ。
ざーとらしいのにかわいいなこんちくしょう。
思った時には、駆け出していた。
見送り――ぺろ、と小さく舌を出す輝夜は、けれど、誰の目から見ても美しい少女であった。
余談。
永琳はきっかり一週間後、戻ってきた。
背に負う食材の量は半端でなく、また、種類も豊富。
つい最近、色々あって弟子が幻想郷を文字通り縦横無尽に駆け抜けたのだ――師である彼女にできぬ訳がない。
因みに、荷物を括っているのはただ一本の組紐だ。え、フェムトファイバー?
「うふふ、聞こえるわ……鈴の音が……!」
どこまで行きましたか師匠。
白玉楼――。
「――と言う訳で、幽々子様。輝夜さんから招待されました。うぷ」
「ひのふのみ……八つの鍋を楽しんだのね。ずるいわ、妖夢」
「呼気からそこまで判断されますか。流石です」
「まぁ、そのお陰で素敵な挑戦状を頂けたみたいだし、不問としましょう」
「と言うか、元より鍋をすると言って出ましたし……挑戦状?」
「ええ。だって、輝夜は、言ったんでしょう?」
「『お腹をすかせて来て頂戴』」
「あちらはあちらで流石です。幽々子様相手に、なんてことを。正気の沙汰じゃない」
「狂気の兎を飼っている姫様がまともとでも? ふふ、楽しみだわ」
「正気の沙汰じゃない……って、どちらへ?」
「貴女、動けないでしょう? だから、自分で夜食を作ろうかと」
「それくらいなら致します。ですが、食されるんですね。幽々子様のことですから……」
「一週間後まで絶食するかと思っていた?」
「はぁ……だって、食に対する姿勢は人一倍どうかと思う誇りをお持ちではないですか」
「それとこれとは話が別よ。空腹でなんでも美味しいって、そんなの失礼でしょう?」
「それはまぁ、確かに」
「でもね、妖夢――貴女たちと同様、私も、限界を超えてみせるわ」
紅魔館――。
魔理沙とアリスに届いた手紙。
差出人は小悪魔で、届けたのも彼女だ。
正確には、小悪魔が創りだした紫色の弾幕に包まれ、届けられた。
内容は、以下。
『パチュリー様が引き籠られました。助けて』
以上。
パチュリー・ノーレッジは、日頃から‘動かない大図書館‘と呼ばれている。
加えて、従者である小悪魔がそのことを知らぬ訳がない。
にも拘らず、『引き籠る』という表現。
大層な状態なのだろう――思い、フタリは、未だ消化しきれていない鍋の具材を腹に抱えつつ、紅魔館の大図書館へと至った。
さにあらん。
図書館の奥、パチュリーの私室の前に、小悪魔がいる。
半裸に帯を巻きつけている不可思議な格好は、恐らく彼女なりの努力の証だろう。
「おフタリとも、よく、来てくださいました。天岩戸作戦も失敗し、もうどうすればいいのか」
フタリは、肩を上下させる小悪魔に迎えられた。
「……後は任せて頂戴。パチェは、私たちでなんとかするわ」
「アリスさん……! 申し訳、ございません」
「貴女の尽力、無駄にはしない」
揺れる肩を柔らかく押さえ、アリスは小悪魔を魔理沙へと預ける。
そして、魔女が中にいるであろう扉へと向き合う。
一目見て、感じた――固く閉ざされている。
「パチェ……!」
「アリス?」
「ええ」
五色の石が、扉の前に浮かんでいた。
「どうして、こんなことを……」
「気付いただけよ」
「……え?」
揺れるアリスの声。
一方、返される言葉はそっけなかった。
落ち着いて、淡々と、無機質に――そうであるように作られた、響き。
そのままの声で、言葉が続けられる。
「私は魔女。
貴女は、そして、魔理沙も、魔法使い。
どれだけ近しい存在と言われようが、本質は……違う」
けれど、最後には、震えていた。
「そんなこと……だからどうだって言うの!?」
「煩い! 帰ってよ!」
「パチェ……」
浴びせられる拒絶の叫び。
受け入れられない言葉。
一つの扉が、開けない。
「何故、何故、そんなことを言うのよ……」
アリスの力ない呟きが、空しく館内に響いた――。
「や、何故って。なぁ小悪魔」
「はぁ、なんでしょう魔理沙さん」
「要するに、パチュリーの奴はさぁ」
半眼を扉の方に向ける魔理沙に、小悪魔も微苦笑しながら同意した。
「ええ、まぁ……パチュリー様、お鍋パーティに参加できず、拗ねちゃったんですよ」
だから引き籠っているらしい。
「パァァァチェェェェェ!」
「ちょ、アリス、賢者の石が!?」
「うわぉう、蹴りで砕いていらっしゃるっ!」
七色が今、五色を超えた。
砕かれた扉の先、そこに、パチュリーは確かにいた。
両の腕がぎゅぅとクッションを抱きしめている。
しかも体育座りだ。
そして、視線を上げ、叫ぶ。
「……寂しかった!」
「パチェ、あぁ、パチェ!」
「寂しかった、寂しかったわ!」
繰り返される嗚咽混じりの駄々を、けれど、暖かく柔らかく感じるアリスであった――。
「いや、おい。いいのか、それでいいのか大凡百歳魔女」
「割とガチでお嬢様が凹んでいらっしゃいました」
「そりゃまぁ‘親友‘があの調子じゃあな……」
そちらは、小悪魔に要請されたフランドールがなんとかしているらしい。適材適所な人材派遣だ。
抱擁を続けるフタリに暫く呆れた視線を向けていた魔理沙。
だったが、彼女もまた、促される。
仕向けたのは、無論、小悪魔。
「因みに、我が主が抱えていたお座布には、人形と、もう一つのマークが入っています」
「見えてるけどさ。パチュリーじゃないけど、お前も、ほんとに悪魔か?」
「ですから、こうして後押しをしているじゃないですか」
「私に対してじゃなくて」
「小悪魔ですから」
笑う小悪魔を横目で見つつ、やはり魔理沙も、アリスと同じく、パチュリーへと向かうのであった。
隙間――。
「じゃあ藍、お鍋にしましょうか」
「今さっき食べてきたんでしょうに」
「全然食べられなかったのよぅ」
「なんでまた」
「ずっと、茹でたり割ったりほじくったりしていたから」
「我が主になんてことをさせるのか」
「まぁまぁ」
「いいぞもっとやれ」
「……藍?」
「で、どういうお鍋にします?」
「貴女たちに任せるわ」
「‘たち‘?」
「ちぇ」
「んも呼んできなさいって、話は最後まで聞きなさいよ!?」
「ったく」
「……見知った仲でわいわいやるのもいいのだけれど」
「――やっぱり、家でのんびりまったりするのが、鍋よねぇ」
<了>
三魔女好きとしてはときめかざるをえない。永遠亭と白玉楼が仲良しなのもたまらない
いいSSをありがとう
ここで大爆笑wwwwww
お鍋が無性に食べたくなりました。
それはともかく、和むいいお話でした
五穀豊穣ミラクルフルーツは被弾したら間違いなく自動的に喰らいボム発動するなwwww
全部最高だけど、感想書ききれないから特に「すわかなちゅっちゅ」とだけ言っとこう。
こんなかっこいい言い回しをギャグで使えるのが凄いww
小悪魔はホントにいい娘だなぁ
>私は魔女。
貴女は人形遣い、そして、魔理沙は魔法使い。
?
アリスは確かに人形遣いですが、そもそも魔法使いですが?