「東方不敗はどこに居る?」
と青年が言った途端、その場の者達は一斉に攻撃を仕掛けてきた。
注文を取りに来た店員は筆に気を込め武器と変え青年に振り降ろし、
背中側の席で談笑していた客たちは刀を振り向きざまに青年へ走らせ、
奥に居た料理人は熱々の汁物が入った鍋を青年へ投げ、
相当に酔っていたはずの二階席の客は槍と床と共に降ってきた。
その動きはどれも手練、並の使い手ならば身動きさえ出来ずその命を散らすものであった。
しかし、筆はあえなく空に弾かれ、刀は店員を斬り、
鍋は一滴もこぼれることなく卓上に止まり、槍は床に半ば以上までめり込んだ。
全ては攻撃対象となった青年の動きによるもの。
椅子に座ったまま、片拳だけで引き寄せた結果。
「東方不敗は、どこに居る?」
直前言った時と同じように、腰を上げず声を荒げず言う青年に周りの敵は、
「知りたけりゃ頭を下げな!」
まだ場に立っているものはそう答え、既に場に倒れたものはそう思った。
頭を下げれば胴と切り離しに来ることは明白な、敵意に満ちた態度である。
青年は、それを聞いてゆるりと立ち上がり、愛刀に手をかけて。
「東方不敗は血を好む魔性の輩。ここを血の香りで満たしてやれば、釣られて出てくるに違いない」
そして場に青年の殺気がほんの僅か流れた時、場の敵は例外なく悪寒に襲われ、
血の噴水を幻視した、その時。
「申し訳ありませんねえ、うちの者たちは血の気が多くって」
曲調の変化とよく似た形で場の空気は様子を変えた。
「幇主!」
と彼の敵たちは声を揃え、店の奥から場に現れた者へ礼をする。
場に現れた者は、
尻尾もなければ翼もない、ごく普通の装いの人間の女性……に一見では見える者だ。
だが、見る者が見ればすぐにわかる。
その服の下にある骨格が男のものであると。
青年は、それが誰であるかを知っていた。
「現れたな、東方不敗」
「『幻想郷の人妖関係を考える会』の方とお見受けしますが、私に何の御用でしょう?」
微笑みを浮かべて言った東方不敗に、青年は鉄のような顔で、
「お前を一刀両断しに来た」
己が刀を空気に曝した。
彼の刀は鋼の刀。妖怪が鍛えた業物である。
その刃にある多くの人間と妖怪の血のにおいを、東方不敗は嗅ぎとった。
「みな、壁まで下がりなさい」
「はいっ!」
東方不敗の言葉に従い、敵は場に立っている者が場に倒れた者を抱えて壁際に退く。
そして東方不敗は、いつの間にかその手にある物を握っていた。
一本の、何の変哲もない縫い針だ。
ふざけているのか。とは青年は思わない。
内功の達人が使えば掌のくぼみに溜まる程度の水でさえ人を空に弾き飛ばす。
見た目や大きさは問題ではないのだ。
「―――」
青年は身を低く構え、ここに来る前から練り続けていた気を刀にと伝え始めた。
この勝負は一手で決まる。
一手で東方不敗を倒せなければ、負けしかない。
「ああ、冷たい気だ……」
対する東方不敗は悲しそうに呟いて、腰の引けた姿勢。
両者ともその立つ位置を変えず、五秒、十秒、二十秒……
そして青年が爆発的な勢いで東方不敗に跳び東方不敗は動かない。
和音がした。
そして、
青年の刀は桜吹雪のように無数に砕け、青年は耳から血を流してその場にどうと倒れこんだ。
星熊勇儀は地上の陽光のもと、人里の通りを歩いている。
その身からは真新しい酒のにおい。彼女は今しがた飲み屋で知人と飲ってきたばかりだった。
しかし飲み足りぬ。と気分が言う。
ので、もう付き合えんと白旗をあげた知人と別れ、勇儀はひとり次に腰を落ち着ける先を探している。
(おや)
それに気付き、勇儀は視線を前方の一点にやる。
通りの、居酒屋兼宿屋らしい建物だ。その内側に彼女の意を引くものがあった。
勇儀はそこに入る事を即決した。
「とりあえず麦酒。つまみはまだいいや」
はい、お待ちどう、よっしゃ。
ぐっと飲ってぐぐぐっと飲ってさっと頼んできゅっと食べて勇儀は時を過ごす。
そこはどこを見ても普通の店だった。戦いの跡も変わった空気も何もない。酒も料理も悪いところはない。
……ほどほどに味わったところで、勇儀は店員を呼んで訊いた。
「入る前から気になっていたんだけどね。この血のにおいはどうした事?」
瞬間店員は勇儀に肘打ちを放った。
顎狙いのそれは綺麗に動いて綺麗に決まり、込められた力は全て勇儀にと伝わった。
「なるほど。こうした事か」
しかし勇儀は微動だにせず、顔に納得の色を浮かべるのみ。
店員は火に触れたかのような勢いで身を引き、その勢いのまま後ろへ跳んで卓の上に乗る。
そこで店員は口を開いた。
「乱暴なお客さんが居ましてね。そのお客さんが血を流して取り押さえられたんです」
勇儀は椅子から立ち上がり、
「ほう。それはいい。その乱暴者は今どこに?」
「今頃お前の会の事務所に腕が届いているだろうよ!」
という言葉が店員ではない口から発せられ、そして勇儀の両腕に黒い縄が巻きついた。
違う卓に居た客が放った言葉、放った縄である。
腕と腕の間を一定よりも開けないように巻かれた縄を、勇儀はどうする事もせず言った。
「待った待った。会? 事務所? 何それ。
私は気になったから訊いたまでで、咎めだてする気なんて毛頭無いよ」
「する気が無いなら訊くな触れるな! 剣風を望んで口を開いたんだろう!」
縄の持ち手が言ったことに、勇儀は
「違うと言えば嘘になるな」
明るい笑いを浮かべて答えた。
そして勝負は、始まらない。
力、というものが違いすぎた。
……縄の持ち手は勇儀の急所をさらけ出させるため縄を持てる全ての技と力で引く。
しかし縄は動かない。
(これは予想以上の化け物だ!)
まるで山に縄を結んで動かそうとしているかのような手ごたえだった。
激流に引きずり込まれたような手ごたえだった。
「あっ」
持ち手の体が空に浮く。
勇儀がぐいと縄を引いたからだ。浮いた体は勇儀に向かって飛び、そして勇儀は身を回転させる。
持ち手は勇儀を中心に円を一回二回と描いて描くごとにその線上にある物を倒し壊し砕き、
店内の混乱度合いは急速上昇。
「ぶへっ」
店員が吹き飛ばされ、
「はっはっは!」
勇儀が笑い、
「崩れるぞー!」
店の奥から転がるように出てきたものが叫んで
「うむ?」
勇儀が疑問符を浮かべ、
そして建物が崩れた。
―――そうなるほど勇儀は力を使っていない。それは店のものの仕業だ。
建物地下の秘密通路を埋めるため、隠滅用の仕掛けが始動させられたのだった。
……完全に瓦礫の山となった建物の前に、勇儀は立っている。
その足元には、店内にいた者たち全員が転がっていた。みな一応息はしている。
「あーこりゃ大工儲かるな、いいなぁ」
「どうしたんですかこれ! 怪我した方居ないといいけど……」
「かわいそうに。建物くん」
野次馬たちのそんな声を背に、勇儀は
「よし」
と、楽しそうな顔で言った。
勇儀の後ろで錆びた音を立てて鉄扉が閉まった。
小さな格子窓の向こうからの日差ししか光源のないそこには、息詰まるほどの酒のにおいが満ちている。
「よく来たねぇ。まあまずは一杯いこうか」
「いこう」
と勇儀が言葉を返す相手は、二本のツノをその頭に持つ少女。
勇儀とは古い付き合いの、勇儀と同じ鬼。伊吹萃香であった。
萃香に勧められるまま杯を干した勇儀は、たいして興味もなさそうに言う。
「何をやった?」
「放火」
そう答える萃香に悪びれた様子はない。
二人が居るのは、人里内某所の牢屋である。
勇儀は建物崩壊の廉で、そこに放り込まれた。
「酷い真似を」
「いやあ。全部こいつがいけないんだよ」
と萃香は瓢箪をかかげて見せ、
「えい、こいつめ、こいつめ、こうしてやるうー」
中の酒をあおり始める。そして、酔いに染まった顔で、
「ところで勇儀、ちょっと愉快なことになってるじゃない?」
そして勇儀は翌日の光を牢の外で浴びた。
「もう来るなよー」
「七日以内にまた来ると思う。その時は今回見せなかった芸を見せてあげよう」
「分かったー、神様からお酒貰ってきとくよー」
牢屋番とそんなやりとりをして勇儀は牢を離れ、その足が向かうのは人里の……あちこちだ。
大道芸人のところであったり小間物屋のところであったり煎餅屋のところであったり、
その時間と小銭を使う事使う事。その他者と話す事話す事。
昨日揉め事があってまだ未解決なものとは思えない緩さに彼女は見ているのが嫌になった。
(ううん。一服盛ってやろうかしらん)
「迷子かい、お嬢ちゃん」
「ひゃわっ!」
後ろから声をかけられた彼女は驚いて飛び上がり、振り向いて再び驚き飛び上がった。
そこには煎餅の入った袋を手にした勇儀が居た。
ふわふわとした金髪につぶらな青い瞳、毒を感じさせる色の服、そして独特なにおい。
勇儀が見るのはそんな要素を持つ小さな少女だ。
その少女の名は、メディスン・メランコリー。
自らの意思で動く人形である。
勇儀が声をかけるとメディスンは明らかに驚いた様子を見せたがすぐにそれを取り繕って、澄まし顔で言葉を放つ。
「違うわ。違います。私は人を待っているだけよ」
「あらそうなの。周りに剣呑なお兄さんたちがうろうろして居るからてっきり迷子かと」
勇儀はそこで辺り――人影ない路地裏だ――に顔を向け、
「話をするなら今が好機だよ。ここを逃せば何を言っても聞いてやらない」
「それではお目にかからせて、あ、頂きます」
音もなく、場に男たちが現れた。
数は五人、その見た目はみなどこにでもいそうなもの。そして全員、刀や槍といった武器を持っている。
(えー!)
メディスンは驚いた。このような男たちが潜んでいたとはまったく気付かなかった。
男たちのひとり、リーダー格らしき男が勇儀に抱拳して言った。
「お初。我らは『幻想郷の人妖関係を考える会』のものでございます。
そして我らはあなた様の名を既に存じております。
星熊の勇儀。その名は武林の伝説でございますからして」
「己の手で伝説を砕き、伝説になろうとする者の多い事!
伝説好みの人間よ、お前なら知っているだろう。このお嬢ちゃんにはどんな伝説がある?」
勇儀はメディスンを柔らかく指し示して言う。
「伝説はございません。その娘はまだ若い。
しかしその娘はあの邪なる東方不敗、その野望の重要な一節なのです。
この場にて捕らえねば、この幻想郷にどのような混乱が巻き起こることか」
メディスンはその体の緊張を高めた。
拙い。これは、かなり、拙い。
男たちは自分の敵、勇儀も自分の味方ではない。ここから無事に逃げ出せる道はどれほどあるか。
「野望ね」
勇儀が味わうように言い、メディスンが先制攻撃をするべきとの考えを強め……
「そいつは素敵だ!」
にっこり笑って言う勇儀に考えを止められる。
「! 幻想郷に敵対するおつもりか?」
男たちは勇儀の考えを探ろうと言葉を放つ。
「いちいち幻想郷の看板を出さなくていいよ。
私は野望が好きなだけ、東方不敗に興味があるだけさ。
だから、お前たちがこの娘を捕らえるというのなら。私はそれを阻んでみせよう」
これは幸運とメディスンは喜び、これはいかんと男たちのひとりは叫んだ。
「ならば制限をかけて勝負を願いたい!
星熊が無制限に力を振るえば後に残るは荒野のみ、結果は目に見えている!
それではあなた様は退屈千万かと!」
鬼の心をくすぐって、約束をさせようという腹積もり。
それを勇儀は見抜いているが、たしかに退屈はノーだとも考えた。
「いいだろう。三歩だ」
勇儀は指を三本立てて男たちに見せる。
「私は今から三歩だけ動く。
それでこの状況が変わらなければ、私はどのような命令にも従おう」
「この件で我々に味方することも?」
「ああ」
「その武技の伝授も?」
「力の勇儀の技でよいのなら」
(素晴らしい好条件だ!)
男たちは思った。
三歩、三歩だ。いかに伝説の星熊とて、三歩ならば!
自分たちの腕もそれなりには自信がある、やってやれないものではないだろう。
「それではその条件で、お手合わせを願いましょう!」
「おう。では、行くぞ?」
勇儀は、誰の目にも捉えられる速さで、一歩目を踏んだ。
その行く先はメディスンのそば。そして勇儀はメディスンを片手で抱き寄せる。
……メディスン、そして男たちは、勇儀のその動きがあまりに自然すぎて、反応が出来なかった。
「では二歩目」
「!」
その宣言で男たちはようやく反応開始、それぞれの得物を勇儀に奔らせて、空を切る。
豆粒のようになった男たちを、メディスンは見た。
塔さえ届かないほどの高さに勇儀は、メディスンは居る。
勇儀の二歩目は跳躍であった。
誰も追いつけないほど速く、高い、純粋な脚力による跳躍。
しかし跳躍は跳躍であるからして落下は当然、始まり、大気。が、壁と。
大気の抵抗が実在するのか疑うほどの速度で大地は近づき、
人里の川沿いで絵を描いていた者の前に着地再跳躍して絵描きに閃きを与え、
再落下。人里の外、里がどうにか見える程度の距離にあった草むらにと落ちる。
勇儀はそこに真っ直ぐ立って、
「……もっとやれる筋と思っていたが」
がっかりしながら煎餅の袋を確かめる。鬼が踏んでも割れないよ、とうたって売っているだけあって無事であった。
満足し、次にメディスンをチェック。
目を回していた。
どんな軽功の達人とて及ぶまい、という速度で、勇儀は林の中を走っている。
勇儀を見張っていた理由は?
―――誰に命令されたわけではなく、メディスン自らの意思でしたこと。
そのきっかけは?
―――「幇」の窓口のひとつ、あの居酒屋兼宿屋が破壊された原因が勇儀であるから。
幇?
―――いまメディスンが深く関わっている集団、東方不敗を中核とする秘密結社。
どこに行けば東方不敗と話せる?
―――アジトに行けば。そして、アジトの位置を知っているのは……
次はあちらに向かって、との指示を聞いて勇儀は走る方向を変える。
勇儀の背中には溌剌としたメディスンの姿がある。
……この林の中にこそ東方不敗のアジトがあるとメディスンから訊き、ゆえに勇儀は走っている。
東方不敗はどのような酒を飲ませてくれるのか?
その答えを求めてだ。
メディスンにはその考えがいまいち判らない。
勇儀は嘘を抱いているのではないか、自分を窮地に追い込むのではないかと不安に苦しめられている。
だからアジトにご案内だ。
アジトには味方が居る。仕掛けがある。一対一でかなわずとも、場を整えれば勝ち目はある。
そのような考えのもと勇儀たちは林に仕掛けられた術を抜ける。
抜ければそこは小さな池だ。
「よいしょ」
勇儀の背中から降りたメディスンは、池のそばにある小さめの岩を動かす。
岩の下には通路があった。
「術くさいな」
「私と一緒に居れば問題ないわ」
ふたりは通路に姿を消す。それからややあって岩がひとりでに動き、通路を隠した。
天井の高い、人間の里が入ってもまだ余るほどの空洞にどっしりと砦があった。
新しく、傷もない、戦闘に充分耐えうるだろう大きさの砦だ。
「私が何をもってこの力を得たか、お気になりますか?」
砦の中の一室、大きな卓のある部屋で、武技の一部を披露した東方不敗が言った。
その身に受けるという形で披露された勇儀は、卓に沿う椅子にすっと座り、一言。
「葵花宝典」
「さすがは長命のお方だ!」
笑顔を見せ手を打ち合わせる東方不敗、だが勇儀は冷ややかとさえ言える顔で、
「東方不敗と名乗り、そんなにおいを漂わせる人間を見れば、誰だってその名を思い浮かべるさ」
葵花宝典とは、失う事によって力を得る方法が書かれたものである。
何かを失った分だけ得るものが無くてはという人間の心の……
「重要なのは、力で何をするかだ。
あんたはその力で何をする? どんな野望を形にする?」
「私の野望は……」
「しかしそれはまだ答えてもらっちゃあ困る」
「何故です?」
「まだ、酒肴が来ていないからさ」
「ふむ。いま来ますよ」
そして、部屋の扉を開けてメディスンが料理と共に入ってきた。
毒の力に精神の力で対抗できるものなら、この世の苦しみの総量は確実に減るだろう。
しかし現実はそうではない。だから戦場で日常で紙上で毒は暴れる。
毒の力へ真に対抗できるのは、肉体の力のみだ。
そして人間の肉体の力は、毒へ対するにはあまりに非力である。
「ヘッド」
とメディスンが言うと、青年は頭狙いの技を七手繰り出した。
必殺の勢いを持つそれらの技は全て空を切る。それは仮定の敵に振るわれたものである。
毒で見せた、青年の大切な相手という敵に。
命令の聞き具合にメディスンは満足した。
青年の眼は、ただの人形のように虚ろである。
……その青年は、東方不敗を斬るため動き、そして敗れた青年だ。
「メディスン。人が嫌いかい」
メディスンの操る顔を見て、勇儀が言った。
「どうしてそう思うのよ?」
「人を操って笑うものは、大体が人嫌いさ」
「……そうよ。好きじゃないわ」
毒をもって人を操る。その技に目を付け、東方不敗は幇にメディスンを引きこんだ。
毒を使えば人間を支配するのはそう難しいことではなく、
人間を支配すればメディスンの野望……人形解放は自動的に成る。
ただ、ひとりでやっては組織には勝てないから、メディスンも組織の力を利用するべきだ。
と東方不敗に言われ、それもそうかもとメディスンは幇に近づくことにした。
「勇儀はどうなのよ。人は好き? 嫌い?」
「大好きだ」
即答だった。
「ひとりで飲むのも悪くはないが、誰かと共に飲むのはそれに勝る。
人の芸は、どんな憂鬱だって払ってくれる」
そして勇儀は東方不敗からもらった酒をあおり、
「それにこうしてただ酒もくれる」
「それ、人じゃなくて酒が好きなだけじゃないの?」
「おや、人と酒は違うものだったのか?」
雲たちこめる空の下での、やりとりだった。
月が雲から出て、その輝きで大地を照らす。
大地に立つのは、勇儀、メディスンと青年、そして人間と妖怪の入り混じった数十名の男たち。
その数十名は『幻想郷の人妖関係を考える会』のものたちだ。
「我ら義により、東方不敗とその手先を討つ!」
「クックックック、うむ! いい腕だ!」
勇儀メディスン青年の幇側と数十名の考える会側の、戦いである。
……既に戦いは始まっている。
大地には倒れているものが数十ある、幇の構成員たち、力及ばず考える会に打ち倒されたものたちだ。
勇儀はその倒された様を見て笑い、親指を立てて敵の腕前を褒める。
勇儀のそばにはまだ無傷のメディスンと青年、それを取り囲む考える会のもの。
「皆がこんなにあっさりやられるなんて……!」
これは時まで自分は耐えしのげないかもと竦むメディスン。勇儀は、
「お返しをしてやらないといかんな」
言って大地を静かに踏む。すると、その場に転がっていた石が、石だけがいくつも勇儀の胸の高さまで跳ね上がり、
「!」
勇儀の気合いによって吹き飛ばされ囲みへと飛ぶ。
血煙が舞い、囲みが狭まり勇儀たちに剣が迅りメディスンは青年を操り勇儀は悠然たる足運びを―――
「む? 少し待った」
勇儀が片手を上げて言う。
勇儀の前で、必死に息を調え気を溜めていた敵は、何事かと思いながらも待つことにする。時があれば体力を戻せる。
その場で立っているのはそのふたりだけだ。
考える会のものはいま立つひとりを除いて全員勇儀に倒され青年に斬られ、
青年は戦闘不能の傷を負って倒れ、メディスンは疲労困憊で地面に座り込んでいる。
その状況で勇儀が待ったと言ったのは、既に終わりの見えてしまった戦いよりも意を引くものがあったから。
(なんだ? 吹けば飛びそうなほど弱いのに、底知れない気配の力だ……)
場の空気が変わったのだ。
何かの術、あるいは能力。そんなものが、場に働き掛けたらしい。
「これがやつの術か……?」
敵から視線を外し、考え込む勇儀。
「げはっ!」
そんな音がした。発生場所は、先まで息を調えることに注力していた敵。
目を向ければ、敵の体に砂、のような何かがまとわりついていた。
それを取ろうとする敵の手は見る見るうちに乾涸びていき、連じて手の動きは弱まり……
ついには動きを止める。
「なんなのよー!?」
メディスンが悲鳴をあげる。
あたりに転がるものたち全て、幇と考える会の区別なく全てに、砂に似たものが襲いかかり乾涸びさせていた。
場でその砂にまとわりつかれていないのは、勇儀とメディスンだけだ。
そして場の外では。
……それを聞きつけた勇儀は、呟いた。
「妖精の悲鳴がした」
「えっ」
それが何かおかしなことだろうか? 妖精はわりといつも悲鳴を上げさせられている。巫女とかに。
おかしなことだ。今回は違うのだ。勇儀は苛立たしげに首を振り、
「悲鳴を上げさせたのは、この砂だ!」
「その通り」
東方不敗の声がした。
声はしても姿は見えない。東方不敗は、そこではない場所から声のみを送っていた。
「これはお前の仕業?」
「ええ、その砂は私が仕掛けた術です。
それは……限定自己判断型高速大規模環境征服妖術、『岳纏足(がくてんそく)』!」
「なんと……。環境征服など、そんな真似をすれば天は必ずやお前を」
「はい、私は地獄に落とされるでしょう。―――天がそのようなものだから、私はこの術を使うのですよ」
地獄から響いてくるかのような、声だった。
「人間の苦しみが、解りますか?」
―――人間は弱い生き物だ。
少しばかり飲まず食わずでいるだけで死に、少しばかり臓器に傷を受けただけで死に、
少しばかり気温が高くとも低くとも死に、少しばかり呼吸をしないでいるだけで死ぬ。
病で死に、寿命で死ぬ。老いで苦しみ、人との関係に苦しみ、苦しんだ挙句に死ぬ。
「人間は天に、神仏にすがりつかずにはいられない。
すがりつけば天は食事と衣服と住まいをくださる」
神は奇跡を起こし人を救う。神を信じるものだけを。
信じない者は地獄へ落とす。
「どうして地獄というものはあるのでしょう?」
人の生は苦痛に満ちているが、人の死もまた苦痛に満ちている。
死ねば生きていた時の罪を数え上げられ、地獄に落とされる。
その罪の基準は、人間が回避できない線に位置している。
「……親より先に死ぬことの何が罪だ? 神が助けてくれれば死ななかった命なのに」
神は強い力を持つ。人が及ばぬ力を持つ。
天国のように、衣食住の心配が無い場所を作り上げることが出来る力を。
なのにどうして地上は人間の苦しみに満ちているのか?
どうして神は、人間を腹を空かせず風雨に震えず、欲望に負けないでいられる生き物にと修正しないのか?
「それは全て信仰という自分たちの食事を得るため。
この幻想郷は妖怪による人間養殖場だ。
しかし幻想郷を含めたこの世界は、神による人間養殖場だ」
言ってしまったな、と勇儀は思った。
「人間の苦しみが解るか?
雪をただ愛でていられる妖怪に、雪の恐ろしさが理解出来るか?
食事に困らず好きなことだけをしていられる神に、食事を得るため命を削る人間の苦しみが解るのか? 解るまい。
だから私は岳纏足で自然を変える。
人間が飢えず、苦しまず、争うことのない楽園に。
神も仏も偽君子だ。
人の苦しみを放置しながら人の苦しみを罪として数えるものこそ地獄に落ちるがいい」
……この東方不敗の言葉には、一片の嘘も無いと勇儀は思った。
鬼は嘘を吐かれるのに慣れている。人が言っている事が嘘かどうか、簡単に判った。
「……貴方が目的を果たすよりも速く、貴方に天罰が下るぞ? ほら、もうそろそろ」
「下らないよ。私は悪魔の中の悪魔と契約した。
その守護がある限り、神々は私に手出しできない」
神の力に対抗するには、その敵対者の力を得るのが一番だ。
そして東方不敗に守護があるように、岳纏足にも同じ守護がある。
今の岳纏足は、正式には『デビル岳纏足』と言うべきものであった。
「このまま身を隠し続ければ、岳纏足が環境を変えつくして、貴方の勝利になるわけね」
「そうだ」
そうして勝利した後に、メディスンと勇儀を味方につけるつもりだったから今岳纏足を差し向けていない。
一時勝利しても、神や悪魔との戦いは残っているのだ。
「う~ん、それまで待つのは面白くないねぇ。こうしよう!」
「な!?」
瞬間、東方不敗の姿が場に現れる。
そして、伊吹萃香の姿もまた。
「何!?」
目をむく東方不敗に萃香は無邪気な笑みを向け、
「そんなに驚くことでもないでしょ? 人攫いは鬼の大の得意技なんだから」
遠くに居た東方不敗は、萃香の力によりこの場に萃められたのだ。
「あの、どちら様?」
「あー、今は気にしなくていいよ。今はね」
萃香を気にするメディスンに、萃香はつれない調子で返した。
「……萃香。手は出すなよ」
「分かってるってー」
勇儀に萃香登場への驚きは無い。勇儀らを見物していて、ちょっと状況を整えたくなっただけだろう。
「コンとかロンとかー」
萃香は場に倒れているものたちをその力で迅速にどかし、東方不敗と勇儀の戦う場を作りあげた。
「これでよし。存分にファイトしてくれい。さあ、特等席で見てようか」
「ちょっ、引っ張らないで―――」
萃香はメディスンの手を引いて勇儀たちから離れる。
勇儀は、おもむろに言葉を放った。
「東方不敗。貴方の野望は、私が叩き潰させてもらうよ」
「それが出来なかったら、星熊勇儀。私の駒になってもらおう」
「いいとも」
そして勇儀は右に拳を作った。東方不敗は、針を構えた。
それぞれの力が、拳に、針に、込められていく―――
月と影だけが動く時が経つ。
先に動いたのは東方不敗だった。
その影が付いていけないほどの速さで針を突き出す。
勇儀はそれを
酒杯をかかげるような形で右拳を東方不敗に当て、東方不敗の全てを空の彼方に吹き飛ばした。
東方不敗は光を超える速さで空を越え、天を抜け、神々の手の届く圏を離れ―――
億光年の向こうへ消えた。
メディスンは空を茫然と見る。
萃香は、けらけらと笑いながら言った。
「ああ、人間は馬鹿だねぇ。付ける薬がないねぇ」
メディスンがそれを聞いて抱いた感情は、怒りだった。
何かを言おうとしたメディスンは、しかし勇儀の言葉に出鼻をくじかれる。
「萃香! 蕭!」
「ん? おうよ」
萃香はその力で蕭を手にし、勇儀へさっと投げ渡す。
勇儀が蕭を手にした時、萃香は既に琴を手にしていた。
そして始まるのは、合奏だ。
「―――」
それを聞いたメディスンは、怒りを忘れた。悲しみから離れた。
それほどの力ある、演奏であった。
……その曲の名は『笑傲江湖』。
その曲に込められたものこそ、いま勇儀が抱く思いにもっとも近い。
(不器用だ―――私たちは)
メディスンには、勇儀がいま、泣いているように見えた。
と青年が言った途端、その場の者達は一斉に攻撃を仕掛けてきた。
注文を取りに来た店員は筆に気を込め武器と変え青年に振り降ろし、
背中側の席で談笑していた客たちは刀を振り向きざまに青年へ走らせ、
奥に居た料理人は熱々の汁物が入った鍋を青年へ投げ、
相当に酔っていたはずの二階席の客は槍と床と共に降ってきた。
その動きはどれも手練、並の使い手ならば身動きさえ出来ずその命を散らすものであった。
しかし、筆はあえなく空に弾かれ、刀は店員を斬り、
鍋は一滴もこぼれることなく卓上に止まり、槍は床に半ば以上までめり込んだ。
全ては攻撃対象となった青年の動きによるもの。
椅子に座ったまま、片拳だけで引き寄せた結果。
「東方不敗は、どこに居る?」
直前言った時と同じように、腰を上げず声を荒げず言う青年に周りの敵は、
「知りたけりゃ頭を下げな!」
まだ場に立っているものはそう答え、既に場に倒れたものはそう思った。
頭を下げれば胴と切り離しに来ることは明白な、敵意に満ちた態度である。
青年は、それを聞いてゆるりと立ち上がり、愛刀に手をかけて。
「東方不敗は血を好む魔性の輩。ここを血の香りで満たしてやれば、釣られて出てくるに違いない」
そして場に青年の殺気がほんの僅か流れた時、場の敵は例外なく悪寒に襲われ、
血の噴水を幻視した、その時。
「申し訳ありませんねえ、うちの者たちは血の気が多くって」
曲調の変化とよく似た形で場の空気は様子を変えた。
「幇主!」
と彼の敵たちは声を揃え、店の奥から場に現れた者へ礼をする。
場に現れた者は、
尻尾もなければ翼もない、ごく普通の装いの人間の女性……に一見では見える者だ。
だが、見る者が見ればすぐにわかる。
その服の下にある骨格が男のものであると。
青年は、それが誰であるかを知っていた。
「現れたな、東方不敗」
「『幻想郷の人妖関係を考える会』の方とお見受けしますが、私に何の御用でしょう?」
微笑みを浮かべて言った東方不敗に、青年は鉄のような顔で、
「お前を一刀両断しに来た」
己が刀を空気に曝した。
彼の刀は鋼の刀。妖怪が鍛えた業物である。
その刃にある多くの人間と妖怪の血のにおいを、東方不敗は嗅ぎとった。
「みな、壁まで下がりなさい」
「はいっ!」
東方不敗の言葉に従い、敵は場に立っている者が場に倒れた者を抱えて壁際に退く。
そして東方不敗は、いつの間にかその手にある物を握っていた。
一本の、何の変哲もない縫い針だ。
ふざけているのか。とは青年は思わない。
内功の達人が使えば掌のくぼみに溜まる程度の水でさえ人を空に弾き飛ばす。
見た目や大きさは問題ではないのだ。
「―――」
青年は身を低く構え、ここに来る前から練り続けていた気を刀にと伝え始めた。
この勝負は一手で決まる。
一手で東方不敗を倒せなければ、負けしかない。
「ああ、冷たい気だ……」
対する東方不敗は悲しそうに呟いて、腰の引けた姿勢。
両者ともその立つ位置を変えず、五秒、十秒、二十秒……
そして青年が爆発的な勢いで東方不敗に跳び東方不敗は動かない。
和音がした。
そして、
青年の刀は桜吹雪のように無数に砕け、青年は耳から血を流してその場にどうと倒れこんだ。
星熊勇儀は地上の陽光のもと、人里の通りを歩いている。
その身からは真新しい酒のにおい。彼女は今しがた飲み屋で知人と飲ってきたばかりだった。
しかし飲み足りぬ。と気分が言う。
ので、もう付き合えんと白旗をあげた知人と別れ、勇儀はひとり次に腰を落ち着ける先を探している。
(おや)
それに気付き、勇儀は視線を前方の一点にやる。
通りの、居酒屋兼宿屋らしい建物だ。その内側に彼女の意を引くものがあった。
勇儀はそこに入る事を即決した。
「とりあえず麦酒。つまみはまだいいや」
はい、お待ちどう、よっしゃ。
ぐっと飲ってぐぐぐっと飲ってさっと頼んできゅっと食べて勇儀は時を過ごす。
そこはどこを見ても普通の店だった。戦いの跡も変わった空気も何もない。酒も料理も悪いところはない。
……ほどほどに味わったところで、勇儀は店員を呼んで訊いた。
「入る前から気になっていたんだけどね。この血のにおいはどうした事?」
瞬間店員は勇儀に肘打ちを放った。
顎狙いのそれは綺麗に動いて綺麗に決まり、込められた力は全て勇儀にと伝わった。
「なるほど。こうした事か」
しかし勇儀は微動だにせず、顔に納得の色を浮かべるのみ。
店員は火に触れたかのような勢いで身を引き、その勢いのまま後ろへ跳んで卓の上に乗る。
そこで店員は口を開いた。
「乱暴なお客さんが居ましてね。そのお客さんが血を流して取り押さえられたんです」
勇儀は椅子から立ち上がり、
「ほう。それはいい。その乱暴者は今どこに?」
「今頃お前の会の事務所に腕が届いているだろうよ!」
という言葉が店員ではない口から発せられ、そして勇儀の両腕に黒い縄が巻きついた。
違う卓に居た客が放った言葉、放った縄である。
腕と腕の間を一定よりも開けないように巻かれた縄を、勇儀はどうする事もせず言った。
「待った待った。会? 事務所? 何それ。
私は気になったから訊いたまでで、咎めだてする気なんて毛頭無いよ」
「する気が無いなら訊くな触れるな! 剣風を望んで口を開いたんだろう!」
縄の持ち手が言ったことに、勇儀は
「違うと言えば嘘になるな」
明るい笑いを浮かべて答えた。
そして勝負は、始まらない。
力、というものが違いすぎた。
……縄の持ち手は勇儀の急所をさらけ出させるため縄を持てる全ての技と力で引く。
しかし縄は動かない。
(これは予想以上の化け物だ!)
まるで山に縄を結んで動かそうとしているかのような手ごたえだった。
激流に引きずり込まれたような手ごたえだった。
「あっ」
持ち手の体が空に浮く。
勇儀がぐいと縄を引いたからだ。浮いた体は勇儀に向かって飛び、そして勇儀は身を回転させる。
持ち手は勇儀を中心に円を一回二回と描いて描くごとにその線上にある物を倒し壊し砕き、
店内の混乱度合いは急速上昇。
「ぶへっ」
店員が吹き飛ばされ、
「はっはっは!」
勇儀が笑い、
「崩れるぞー!」
店の奥から転がるように出てきたものが叫んで
「うむ?」
勇儀が疑問符を浮かべ、
そして建物が崩れた。
―――そうなるほど勇儀は力を使っていない。それは店のものの仕業だ。
建物地下の秘密通路を埋めるため、隠滅用の仕掛けが始動させられたのだった。
……完全に瓦礫の山となった建物の前に、勇儀は立っている。
その足元には、店内にいた者たち全員が転がっていた。みな一応息はしている。
「あーこりゃ大工儲かるな、いいなぁ」
「どうしたんですかこれ! 怪我した方居ないといいけど……」
「かわいそうに。建物くん」
野次馬たちのそんな声を背に、勇儀は
「よし」
と、楽しそうな顔で言った。
勇儀の後ろで錆びた音を立てて鉄扉が閉まった。
小さな格子窓の向こうからの日差ししか光源のないそこには、息詰まるほどの酒のにおいが満ちている。
「よく来たねぇ。まあまずは一杯いこうか」
「いこう」
と勇儀が言葉を返す相手は、二本のツノをその頭に持つ少女。
勇儀とは古い付き合いの、勇儀と同じ鬼。伊吹萃香であった。
萃香に勧められるまま杯を干した勇儀は、たいして興味もなさそうに言う。
「何をやった?」
「放火」
そう答える萃香に悪びれた様子はない。
二人が居るのは、人里内某所の牢屋である。
勇儀は建物崩壊の廉で、そこに放り込まれた。
「酷い真似を」
「いやあ。全部こいつがいけないんだよ」
と萃香は瓢箪をかかげて見せ、
「えい、こいつめ、こいつめ、こうしてやるうー」
中の酒をあおり始める。そして、酔いに染まった顔で、
「ところで勇儀、ちょっと愉快なことになってるじゃない?」
そして勇儀は翌日の光を牢の外で浴びた。
「もう来るなよー」
「七日以内にまた来ると思う。その時は今回見せなかった芸を見せてあげよう」
「分かったー、神様からお酒貰ってきとくよー」
牢屋番とそんなやりとりをして勇儀は牢を離れ、その足が向かうのは人里の……あちこちだ。
大道芸人のところであったり小間物屋のところであったり煎餅屋のところであったり、
その時間と小銭を使う事使う事。その他者と話す事話す事。
昨日揉め事があってまだ未解決なものとは思えない緩さに彼女は見ているのが嫌になった。
(ううん。一服盛ってやろうかしらん)
「迷子かい、お嬢ちゃん」
「ひゃわっ!」
後ろから声をかけられた彼女は驚いて飛び上がり、振り向いて再び驚き飛び上がった。
そこには煎餅の入った袋を手にした勇儀が居た。
ふわふわとした金髪につぶらな青い瞳、毒を感じさせる色の服、そして独特なにおい。
勇儀が見るのはそんな要素を持つ小さな少女だ。
その少女の名は、メディスン・メランコリー。
自らの意思で動く人形である。
勇儀が声をかけるとメディスンは明らかに驚いた様子を見せたがすぐにそれを取り繕って、澄まし顔で言葉を放つ。
「違うわ。違います。私は人を待っているだけよ」
「あらそうなの。周りに剣呑なお兄さんたちがうろうろして居るからてっきり迷子かと」
勇儀はそこで辺り――人影ない路地裏だ――に顔を向け、
「話をするなら今が好機だよ。ここを逃せば何を言っても聞いてやらない」
「それではお目にかからせて、あ、頂きます」
音もなく、場に男たちが現れた。
数は五人、その見た目はみなどこにでもいそうなもの。そして全員、刀や槍といった武器を持っている。
(えー!)
メディスンは驚いた。このような男たちが潜んでいたとはまったく気付かなかった。
男たちのひとり、リーダー格らしき男が勇儀に抱拳して言った。
「お初。我らは『幻想郷の人妖関係を考える会』のものでございます。
そして我らはあなた様の名を既に存じております。
星熊の勇儀。その名は武林の伝説でございますからして」
「己の手で伝説を砕き、伝説になろうとする者の多い事!
伝説好みの人間よ、お前なら知っているだろう。このお嬢ちゃんにはどんな伝説がある?」
勇儀はメディスンを柔らかく指し示して言う。
「伝説はございません。その娘はまだ若い。
しかしその娘はあの邪なる東方不敗、その野望の重要な一節なのです。
この場にて捕らえねば、この幻想郷にどのような混乱が巻き起こることか」
メディスンはその体の緊張を高めた。
拙い。これは、かなり、拙い。
男たちは自分の敵、勇儀も自分の味方ではない。ここから無事に逃げ出せる道はどれほどあるか。
「野望ね」
勇儀が味わうように言い、メディスンが先制攻撃をするべきとの考えを強め……
「そいつは素敵だ!」
にっこり笑って言う勇儀に考えを止められる。
「! 幻想郷に敵対するおつもりか?」
男たちは勇儀の考えを探ろうと言葉を放つ。
「いちいち幻想郷の看板を出さなくていいよ。
私は野望が好きなだけ、東方不敗に興味があるだけさ。
だから、お前たちがこの娘を捕らえるというのなら。私はそれを阻んでみせよう」
これは幸運とメディスンは喜び、これはいかんと男たちのひとりは叫んだ。
「ならば制限をかけて勝負を願いたい!
星熊が無制限に力を振るえば後に残るは荒野のみ、結果は目に見えている!
それではあなた様は退屈千万かと!」
鬼の心をくすぐって、約束をさせようという腹積もり。
それを勇儀は見抜いているが、たしかに退屈はノーだとも考えた。
「いいだろう。三歩だ」
勇儀は指を三本立てて男たちに見せる。
「私は今から三歩だけ動く。
それでこの状況が変わらなければ、私はどのような命令にも従おう」
「この件で我々に味方することも?」
「ああ」
「その武技の伝授も?」
「力の勇儀の技でよいのなら」
(素晴らしい好条件だ!)
男たちは思った。
三歩、三歩だ。いかに伝説の星熊とて、三歩ならば!
自分たちの腕もそれなりには自信がある、やってやれないものではないだろう。
「それではその条件で、お手合わせを願いましょう!」
「おう。では、行くぞ?」
勇儀は、誰の目にも捉えられる速さで、一歩目を踏んだ。
その行く先はメディスンのそば。そして勇儀はメディスンを片手で抱き寄せる。
……メディスン、そして男たちは、勇儀のその動きがあまりに自然すぎて、反応が出来なかった。
「では二歩目」
「!」
その宣言で男たちはようやく反応開始、それぞれの得物を勇儀に奔らせて、空を切る。
豆粒のようになった男たちを、メディスンは見た。
塔さえ届かないほどの高さに勇儀は、メディスンは居る。
勇儀の二歩目は跳躍であった。
誰も追いつけないほど速く、高い、純粋な脚力による跳躍。
しかし跳躍は跳躍であるからして落下は当然、始まり、大気。が、壁と。
大気の抵抗が実在するのか疑うほどの速度で大地は近づき、
人里の川沿いで絵を描いていた者の前に着地再跳躍して絵描きに閃きを与え、
再落下。人里の外、里がどうにか見える程度の距離にあった草むらにと落ちる。
勇儀はそこに真っ直ぐ立って、
「……もっとやれる筋と思っていたが」
がっかりしながら煎餅の袋を確かめる。鬼が踏んでも割れないよ、とうたって売っているだけあって無事であった。
満足し、次にメディスンをチェック。
目を回していた。
どんな軽功の達人とて及ぶまい、という速度で、勇儀は林の中を走っている。
勇儀を見張っていた理由は?
―――誰に命令されたわけではなく、メディスン自らの意思でしたこと。
そのきっかけは?
―――「幇」の窓口のひとつ、あの居酒屋兼宿屋が破壊された原因が勇儀であるから。
幇?
―――いまメディスンが深く関わっている集団、東方不敗を中核とする秘密結社。
どこに行けば東方不敗と話せる?
―――アジトに行けば。そして、アジトの位置を知っているのは……
次はあちらに向かって、との指示を聞いて勇儀は走る方向を変える。
勇儀の背中には溌剌としたメディスンの姿がある。
……この林の中にこそ東方不敗のアジトがあるとメディスンから訊き、ゆえに勇儀は走っている。
東方不敗はどのような酒を飲ませてくれるのか?
その答えを求めてだ。
メディスンにはその考えがいまいち判らない。
勇儀は嘘を抱いているのではないか、自分を窮地に追い込むのではないかと不安に苦しめられている。
だからアジトにご案内だ。
アジトには味方が居る。仕掛けがある。一対一でかなわずとも、場を整えれば勝ち目はある。
そのような考えのもと勇儀たちは林に仕掛けられた術を抜ける。
抜ければそこは小さな池だ。
「よいしょ」
勇儀の背中から降りたメディスンは、池のそばにある小さめの岩を動かす。
岩の下には通路があった。
「術くさいな」
「私と一緒に居れば問題ないわ」
ふたりは通路に姿を消す。それからややあって岩がひとりでに動き、通路を隠した。
天井の高い、人間の里が入ってもまだ余るほどの空洞にどっしりと砦があった。
新しく、傷もない、戦闘に充分耐えうるだろう大きさの砦だ。
「私が何をもってこの力を得たか、お気になりますか?」
砦の中の一室、大きな卓のある部屋で、武技の一部を披露した東方不敗が言った。
その身に受けるという形で披露された勇儀は、卓に沿う椅子にすっと座り、一言。
「葵花宝典」
「さすがは長命のお方だ!」
笑顔を見せ手を打ち合わせる東方不敗、だが勇儀は冷ややかとさえ言える顔で、
「東方不敗と名乗り、そんなにおいを漂わせる人間を見れば、誰だってその名を思い浮かべるさ」
葵花宝典とは、失う事によって力を得る方法が書かれたものである。
何かを失った分だけ得るものが無くてはという人間の心の……
「重要なのは、力で何をするかだ。
あんたはその力で何をする? どんな野望を形にする?」
「私の野望は……」
「しかしそれはまだ答えてもらっちゃあ困る」
「何故です?」
「まだ、酒肴が来ていないからさ」
「ふむ。いま来ますよ」
そして、部屋の扉を開けてメディスンが料理と共に入ってきた。
毒の力に精神の力で対抗できるものなら、この世の苦しみの総量は確実に減るだろう。
しかし現実はそうではない。だから戦場で日常で紙上で毒は暴れる。
毒の力へ真に対抗できるのは、肉体の力のみだ。
そして人間の肉体の力は、毒へ対するにはあまりに非力である。
「ヘッド」
とメディスンが言うと、青年は頭狙いの技を七手繰り出した。
必殺の勢いを持つそれらの技は全て空を切る。それは仮定の敵に振るわれたものである。
毒で見せた、青年の大切な相手という敵に。
命令の聞き具合にメディスンは満足した。
青年の眼は、ただの人形のように虚ろである。
……その青年は、東方不敗を斬るため動き、そして敗れた青年だ。
「メディスン。人が嫌いかい」
メディスンの操る顔を見て、勇儀が言った。
「どうしてそう思うのよ?」
「人を操って笑うものは、大体が人嫌いさ」
「……そうよ。好きじゃないわ」
毒をもって人を操る。その技に目を付け、東方不敗は幇にメディスンを引きこんだ。
毒を使えば人間を支配するのはそう難しいことではなく、
人間を支配すればメディスンの野望……人形解放は自動的に成る。
ただ、ひとりでやっては組織には勝てないから、メディスンも組織の力を利用するべきだ。
と東方不敗に言われ、それもそうかもとメディスンは幇に近づくことにした。
「勇儀はどうなのよ。人は好き? 嫌い?」
「大好きだ」
即答だった。
「ひとりで飲むのも悪くはないが、誰かと共に飲むのはそれに勝る。
人の芸は、どんな憂鬱だって払ってくれる」
そして勇儀は東方不敗からもらった酒をあおり、
「それにこうしてただ酒もくれる」
「それ、人じゃなくて酒が好きなだけじゃないの?」
「おや、人と酒は違うものだったのか?」
雲たちこめる空の下での、やりとりだった。
月が雲から出て、その輝きで大地を照らす。
大地に立つのは、勇儀、メディスンと青年、そして人間と妖怪の入り混じった数十名の男たち。
その数十名は『幻想郷の人妖関係を考える会』のものたちだ。
「我ら義により、東方不敗とその手先を討つ!」
「クックックック、うむ! いい腕だ!」
勇儀メディスン青年の幇側と数十名の考える会側の、戦いである。
……既に戦いは始まっている。
大地には倒れているものが数十ある、幇の構成員たち、力及ばず考える会に打ち倒されたものたちだ。
勇儀はその倒された様を見て笑い、親指を立てて敵の腕前を褒める。
勇儀のそばにはまだ無傷のメディスンと青年、それを取り囲む考える会のもの。
「皆がこんなにあっさりやられるなんて……!」
これは時まで自分は耐えしのげないかもと竦むメディスン。勇儀は、
「お返しをしてやらないといかんな」
言って大地を静かに踏む。すると、その場に転がっていた石が、石だけがいくつも勇儀の胸の高さまで跳ね上がり、
「!」
勇儀の気合いによって吹き飛ばされ囲みへと飛ぶ。
血煙が舞い、囲みが狭まり勇儀たちに剣が迅りメディスンは青年を操り勇儀は悠然たる足運びを―――
「む? 少し待った」
勇儀が片手を上げて言う。
勇儀の前で、必死に息を調え気を溜めていた敵は、何事かと思いながらも待つことにする。時があれば体力を戻せる。
その場で立っているのはそのふたりだけだ。
考える会のものはいま立つひとりを除いて全員勇儀に倒され青年に斬られ、
青年は戦闘不能の傷を負って倒れ、メディスンは疲労困憊で地面に座り込んでいる。
その状況で勇儀が待ったと言ったのは、既に終わりの見えてしまった戦いよりも意を引くものがあったから。
(なんだ? 吹けば飛びそうなほど弱いのに、底知れない気配の力だ……)
場の空気が変わったのだ。
何かの術、あるいは能力。そんなものが、場に働き掛けたらしい。
「これがやつの術か……?」
敵から視線を外し、考え込む勇儀。
「げはっ!」
そんな音がした。発生場所は、先まで息を調えることに注力していた敵。
目を向ければ、敵の体に砂、のような何かがまとわりついていた。
それを取ろうとする敵の手は見る見るうちに乾涸びていき、連じて手の動きは弱まり……
ついには動きを止める。
「なんなのよー!?」
メディスンが悲鳴をあげる。
あたりに転がるものたち全て、幇と考える会の区別なく全てに、砂に似たものが襲いかかり乾涸びさせていた。
場でその砂にまとわりつかれていないのは、勇儀とメディスンだけだ。
そして場の外では。
……それを聞きつけた勇儀は、呟いた。
「妖精の悲鳴がした」
「えっ」
それが何かおかしなことだろうか? 妖精はわりといつも悲鳴を上げさせられている。巫女とかに。
おかしなことだ。今回は違うのだ。勇儀は苛立たしげに首を振り、
「悲鳴を上げさせたのは、この砂だ!」
「その通り」
東方不敗の声がした。
声はしても姿は見えない。東方不敗は、そこではない場所から声のみを送っていた。
「これはお前の仕業?」
「ええ、その砂は私が仕掛けた術です。
それは……限定自己判断型高速大規模環境征服妖術、『岳纏足(がくてんそく)』!」
「なんと……。環境征服など、そんな真似をすれば天は必ずやお前を」
「はい、私は地獄に落とされるでしょう。―――天がそのようなものだから、私はこの術を使うのですよ」
地獄から響いてくるかのような、声だった。
「人間の苦しみが、解りますか?」
―――人間は弱い生き物だ。
少しばかり飲まず食わずでいるだけで死に、少しばかり臓器に傷を受けただけで死に、
少しばかり気温が高くとも低くとも死に、少しばかり呼吸をしないでいるだけで死ぬ。
病で死に、寿命で死ぬ。老いで苦しみ、人との関係に苦しみ、苦しんだ挙句に死ぬ。
「人間は天に、神仏にすがりつかずにはいられない。
すがりつけば天は食事と衣服と住まいをくださる」
神は奇跡を起こし人を救う。神を信じるものだけを。
信じない者は地獄へ落とす。
「どうして地獄というものはあるのでしょう?」
人の生は苦痛に満ちているが、人の死もまた苦痛に満ちている。
死ねば生きていた時の罪を数え上げられ、地獄に落とされる。
その罪の基準は、人間が回避できない線に位置している。
「……親より先に死ぬことの何が罪だ? 神が助けてくれれば死ななかった命なのに」
神は強い力を持つ。人が及ばぬ力を持つ。
天国のように、衣食住の心配が無い場所を作り上げることが出来る力を。
なのにどうして地上は人間の苦しみに満ちているのか?
どうして神は、人間を腹を空かせず風雨に震えず、欲望に負けないでいられる生き物にと修正しないのか?
「それは全て信仰という自分たちの食事を得るため。
この幻想郷は妖怪による人間養殖場だ。
しかし幻想郷を含めたこの世界は、神による人間養殖場だ」
言ってしまったな、と勇儀は思った。
「人間の苦しみが解るか?
雪をただ愛でていられる妖怪に、雪の恐ろしさが理解出来るか?
食事に困らず好きなことだけをしていられる神に、食事を得るため命を削る人間の苦しみが解るのか? 解るまい。
だから私は岳纏足で自然を変える。
人間が飢えず、苦しまず、争うことのない楽園に。
神も仏も偽君子だ。
人の苦しみを放置しながら人の苦しみを罪として数えるものこそ地獄に落ちるがいい」
……この東方不敗の言葉には、一片の嘘も無いと勇儀は思った。
鬼は嘘を吐かれるのに慣れている。人が言っている事が嘘かどうか、簡単に判った。
「……貴方が目的を果たすよりも速く、貴方に天罰が下るぞ? ほら、もうそろそろ」
「下らないよ。私は悪魔の中の悪魔と契約した。
その守護がある限り、神々は私に手出しできない」
神の力に対抗するには、その敵対者の力を得るのが一番だ。
そして東方不敗に守護があるように、岳纏足にも同じ守護がある。
今の岳纏足は、正式には『デビル岳纏足』と言うべきものであった。
「このまま身を隠し続ければ、岳纏足が環境を変えつくして、貴方の勝利になるわけね」
「そうだ」
そうして勝利した後に、メディスンと勇儀を味方につけるつもりだったから今岳纏足を差し向けていない。
一時勝利しても、神や悪魔との戦いは残っているのだ。
「う~ん、それまで待つのは面白くないねぇ。こうしよう!」
「な!?」
瞬間、東方不敗の姿が場に現れる。
そして、伊吹萃香の姿もまた。
「何!?」
目をむく東方不敗に萃香は無邪気な笑みを向け、
「そんなに驚くことでもないでしょ? 人攫いは鬼の大の得意技なんだから」
遠くに居た東方不敗は、萃香の力によりこの場に萃められたのだ。
「あの、どちら様?」
「あー、今は気にしなくていいよ。今はね」
萃香を気にするメディスンに、萃香はつれない調子で返した。
「……萃香。手は出すなよ」
「分かってるってー」
勇儀に萃香登場への驚きは無い。勇儀らを見物していて、ちょっと状況を整えたくなっただけだろう。
「コンとかロンとかー」
萃香は場に倒れているものたちをその力で迅速にどかし、東方不敗と勇儀の戦う場を作りあげた。
「これでよし。存分にファイトしてくれい。さあ、特等席で見てようか」
「ちょっ、引っ張らないで―――」
萃香はメディスンの手を引いて勇儀たちから離れる。
勇儀は、おもむろに言葉を放った。
「東方不敗。貴方の野望は、私が叩き潰させてもらうよ」
「それが出来なかったら、星熊勇儀。私の駒になってもらおう」
「いいとも」
そして勇儀は右に拳を作った。東方不敗は、針を構えた。
それぞれの力が、拳に、針に、込められていく―――
月と影だけが動く時が経つ。
先に動いたのは東方不敗だった。
その影が付いていけないほどの速さで針を突き出す。
勇儀はそれを
酒杯をかかげるような形で右拳を東方不敗に当て、東方不敗の全てを空の彼方に吹き飛ばした。
東方不敗は光を超える速さで空を越え、天を抜け、神々の手の届く圏を離れ―――
億光年の向こうへ消えた。
メディスンは空を茫然と見る。
萃香は、けらけらと笑いながら言った。
「ああ、人間は馬鹿だねぇ。付ける薬がないねぇ」
メディスンがそれを聞いて抱いた感情は、怒りだった。
何かを言おうとしたメディスンは、しかし勇儀の言葉に出鼻をくじかれる。
「萃香! 蕭!」
「ん? おうよ」
萃香はその力で蕭を手にし、勇儀へさっと投げ渡す。
勇儀が蕭を手にした時、萃香は既に琴を手にしていた。
そして始まるのは、合奏だ。
「―――」
それを聞いたメディスンは、怒りを忘れた。悲しみから離れた。
それほどの力ある、演奏であった。
……その曲の名は『笑傲江湖』。
その曲に込められたものこそ、いま勇儀が抱く思いにもっとも近い。
(不器用だ―――私たちは)
メディスンには、勇儀がいま、泣いているように見えた。
これはまた何か別の元ネタでもあるんでしょうか?東方キャラを俳優にした活劇、という印象でしたが。
とりあえず限定自己判断型高速大規模環境征服妖術吹いたww
鬼はホントになんというかかんというか……うん、不器用だね。
それにしても「人間養殖場」とは、確かに俺も考えたことあります。
とりあえず最後に一言、メディ可愛い。