Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

すくわれ村紗

2010/03/06 10:51:25
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 それは今からずっとずっと昔の物語。

 ある小さな漁村に、それは仲のいい姉妹がいた。
 妹の名前を、村紗と言ったそうだ。



   ◇  ◇  ◇  ◇



 村紗の姉は、病弱な娘であった。
 冷たい潮風は、彼女にとって蝮の毒と同様に体を蝕む物であった。
 故に、村の仕事の手伝いをすることはできず、家の中で毎日織物を織っていた。

 村紗は姉の分まで働いた。
 1人で海に潜っては貝や魚を獲り、仲間と舟を出しては魚群を一網打尽にした。
 いつしか、村紗は村の若者の中で最も成果をあげる娘になっていた。
 男達が二の足を踏むような嵐の日でも、漁に出て、必ず大きな魚を抱えて帰ってきたものだった。
 時に、誰かが村紗に『無理のし過ぎはよくない』と心配することもあったが、彼女は決まってこう答えた。

「私は、姉さんの分まで働かないといけませんから」

 そうは言うもののその成果は、仮に娘2人が働いたと計算しても十分すぎるものであった。
 そうして、いつしか村紗は誰からも一人前と認められるようになった。



   ◇  ◇  ◇  ◇



 ある冬の日のことであった。
 その冬は、例年よりも冷え込みが酷かった。
 その寒さに中てられ、元より病弱であった村紗の姉がとうとう体調を崩した。
 村紗は一生懸命に看病した。
 彼女は、幼い頃に親を海に奪われて以来、村紗のたった1人の肉親であった。
 どうにかして、彼女を救いたかった。

 そんな時、村紗は魚を買いに村を訪れていた行商人に、薬について尋ねてみた。
 すると行商人は、その漁村から少し離れたところにある海辺の都に病によく効く薬があると教えてくれた。
 彼は買ってきてもいいと言ったが、次に来るのは春だと言う。
 これから冷え込みが厳しくなるというのに、春まで待てるはずがない。
 村紗は自分で薬草を買いに行くことを決心した。
 幸い、普段は物々交換を行うこの行商人に、魚の代金を銭で払ってもらうことができた。
 これで冬の食糧を手に入れる為の元手はなくなってしまったが、村紗には些細な問題であった。
 食べ物は海にある。その他のものも、魚と交換すればいい。
 村の中には、2人の事情をよく知らない者はいない。いざという時は手を貸してくれるだろう。

 すぐさま村紗は手を打った。
 長老の話から、その海辺の都に行くには、山を越えれば何日もかかるが海沿いを舟で行けば時間もかからないことを知った。
 その後、同じ漁師仲間に、自分が不在の間、姉の看病を人に頼むことができた。

 村紗はその翌日の朝に銭を携えて村を出た。



   ◇  ◇  ◇  ◇



 村紗はたった1人で舟を漕ぎ続けた。
 凍てつく吹雪が彼女に容赦なく襲いかかるが、それすら跳ねのけて舟を漕いだ。
 手が痛くなっても、交代する仲間はいない。
 風が強くなっても、引き返すという選択肢はない。
 気を抜けば転覆の恐れもある。この舟に乗せた命は1つではない。
 失敗は許されない。村紗は熟練した手つきで舟を漕ぎ続けた。
 途中何度も危ない思いをしながら、村紗はいくつかの峠を海から越え、日も沈む頃に目的地に辿りつくことができた。

 時間が時間故、市はもう閉まる寸前であった。
 それでも村紗は、売れ残っていた最後の薬草を買うことができた。
 たった1本の薬草であったが、村紗の所持金の全てを払ってようやく購入できるものだった。
 それでも、1本とは言え、薬草を買うことができたのだ。
 これを持ちかえれば、姉は助かる。そう信じて、村紗は村に引き返すことにした。
 だが、冬は日が短い。もう落陽の時間は過ぎてしまい、海は冥府の如く暗い闇を光らせていた。
 いかに村紗と言えど、暗闇の中を舟で進むことはできない。命を海に投げ捨てるようなものだ。
 だから、待つことにした。
 冬の寒い夜を、じっと外で。自分の舟の傍で。朝を、じっと。
 朝日が昇り次第、舟をすぐに出せるように。



   ◇  ◇  ◇  ◇



 東の空が徐々に明るくなり、その光で村紗は目を覚ました。
 しまった。村紗は飛び起きた。
 空が少しでも明るくなったら舟を出すはずが、いつのまにか眠ってしまっていた。
 村紗は、昨日からの疲れが溜まって眠ってしまっていたのだ。
 一刻も早く帰るはずが、無駄な時間を過ごしてしまったのだ。
 すぐに村紗は舟を出し、全力で漕いだ。
 空は十分に明るかったが、どうにも風が強い。
 いつもなら流石の村紗も出船を見合わせるほどだが、今日に限ってはそうも言っていられない。
 村紗は全力で舟を漕いだ。
 少しでも早く、この薬草を大切な姉に届けるために。

 切り立った崖の横を1つ抜け、2つ抜け、次を抜ければ故郷である。
 朝に出たというのに、日はいつの間にか天頂まで昇り、徐々に傾きつつあった。
 雪は風に乗って吹雪と化し、村紗を徹底的に痛めつけた。
 それでも彼女は強く舟を漕ぎ続けた。
 そして、最後の崖の隣までようやく到達した。
 ここまでくれば、あとわずかの距離である。
 不意に一瞬、あたかも目的地に着いたような安堵感を覚えた。

 ここで、ついに魔物が村紗を襲ったのだ。
 海の魔物ではない。どの生物にも等しく振りかかる、最も凶悪で身近な災い。
 油断である。

 突如、舟を横波が襲った。
 崩れたバランスを取り戻すのが、一瞬遅れた。
 それが荒れた海では命取り。舟は波に呑まれ、岩肌に激突、いとも無残に砕け散った。
 村紗は海に投げ出された。
 身も心も凍る、冬の海である。おまけに、えぐるように鋭い海流だ。
 大自然が本気で牙をむいたとき、いかに鍛えた人間であろうとも、それはちっぽけな存在なのだ。
 素潜りが得意であった村紗も、すぐに海流に呑みこまれた。
 どちらが上でどちらが下かも分からないまま、手に握った薬草だけは離さぬように。
 海は彼女に微笑まなかった。
 無駄なあがきをする村紗をあざ笑うかのような仕草すら見せた。
 とうとう、激流の中で村紗は薬草を離してしまった。
 そして、その力の抜けた手が再び何かを掴むことは、なかった。



   ◇  ◇  ◇  ◇



 村紗が村を出てから十日が過ぎ、二十日が過ぎ、されど彼女は戻ってこなかった。
 三十日目に1人の漁師が、村紗の舟の破片の一部が浜に打ち上げられていたのを見つけた。
 それを聞いて、漁師達の疑いは確信へと変わった。
 村紗は死んだ。海に呑まれ、暗く冷たい海の底に沈んでいったのだ。
 彼女が薬草を買えたのかどうかは定かではないが、死んでしまったことに違いはない。
 漁師達はこのことを、村紗の姉には隠すことにした。
 だが人の口に戸は立てられぬ、どこからともなく話は村中に広まり、彼女の知るところとなった。
 彼女は嘆いた。自分が妹を殺したようなものだ、と。
 その様子と言ったら、一時は海に身を投げることすら考えていた程だった。
 だが、村紗の仲間の漁師達がそれを何とか思いとどまらせた。



   ◇  ◇  ◇  ◇



 春が来た。
 村紗の墓は、村の外れにある崖の上に作られた。
 海から帰ってきた霊が自分の拠り所がすぐに見つけられるように墓をたてる、それが村の習わしであった。
 暖かい春の訪れで、徐々に体調を回復させた姉は、それ以降3日に1度、村紗の墓に通うようになった。

 一方、海の方でも異変が起こり始める。
 年貢を運ぶ役人の船が、原因不明の転覆事故で沈んだ。
 それも1件や2件ではない。この海域を通る船の殆どが海に呑まれ、姿を消した。
 稀に、舟の破片にしがみついて九死に一生を得た水夫が流れ着くこともあったが、皆異口同音に言うには

「船幽霊に襲われた」

 と。
 漁師達は、この船幽霊が村紗ではないのか、と思い始めた。
 何せ、村紗の死と船幽霊の出没時期が偶然とは思えないほど近すぎる。
 おそらくは、薬を買って来れなかった村紗の怨念が、彼女を怨霊に、船幽霊に変えてしまったのだろう、と。
 それはいつしか、村の外の水夫の間にも話が広まっていった。

「なんでもあの海には、死ぬに死にきれない未練を持った悪霊が留まっているらしい」
「それで、通った船をことごとく転覆させ、積荷や水夫を次々に水底に沈めるそうだ」
「海賊なら討てば何とかなるが、一度目をつけられたら護衛も何も役にたたない」
「船幽霊ムラサは誠に恐ろしい霊だ」

 と。



   ◇  ◇  ◇  ◇



 その噂の根本である村紗は、噂通り船幽霊になっていた。
 最初は、海の底で失くした薬草を探し、ただ放浪するだけのおとなしい霊であった。
 死してなお、姉の身のことを心配していた。できることなら、あの薬だけでも届けたいと思っていた。
 ただその一心で、海の何処に消えたとも分からぬ薬を探し、彷徨っていた。
 その執着心のせいで、村紗は本来死霊の取るべき道から外れ、成仏も転生も地獄に落ちることもなくなっていた。
 暗く冷たい海底を泳ぎまわり、時に海面を通る船の底を羨ましそうに眺める程度であった。
 それでも海面を眺めては、例え薬草が手に戻ってこなくても村に帰りたいと思うようになっていた。
 しかし、船幽霊という身分がそれを許さず、村紗は陸に近付くことはできなかった。

 そんな村紗に転機が訪れる。
 ある日、1隻の船がその付近を通った。
 村紗はすぐに、その船が商船であることに気づいたが、どうにも様子がおかしい。
 というのも、どう見ても船が海面に深く浸っているのである。
 おそらくは、積載量が船の運搬能力を越えているのだろう。
 このままでは転覆するかもしれない。そう思いながら、村紗は揺れる船を海中から眺めていた。
 すると予想どおり、船が波にあおられたのか、グラッと傾いた。
 とっさに村紗はその船底を、傾いた方から押した。もとに戻してあげようとしたのだ。
 それはささやかな親切心であったが、船は大勢を建てなおしたかと思うと今度は逆方向に傾いた。
 そして海の上に横倒しになり、多くの水夫や商人、積荷が海に投げ出された。
 鋭い海流が彼らを呑みこみ、あっというまに海上には誰もいなくなってしまった。

 村紗は悔やんだ。自らが手を貸したことにより、船は沈んでしまった。
 もし自分が手を出さなければ、船は元に自力で戻ったのかもしれない、と。
 だが、それとは別に村紗はあることに気づいた。
 力だ。あの船を沈めてから、彼女の中に力が、人知を超える力が渦巻き始めたのだ。
 この力を以てすれば、いずれ海から陸に、故郷に帰れるのではないか、そう思い始めたのだ。

 次にやってきた商船を、村紗はわざと沈めた。
 申し訳ないという気持ちはあったが、故郷の恋しさには敵わなかった。
 また多くの水夫が海に呑まれ、積荷も水底に沈んだ。
 そして、その次にやってきた船も。
 また次の船も。
 船を沈める度に、水夫が波の合間に消える度に、村紗の力は確実に強くなっていった。
 それでも、船を沈める際は顔を背けた。彼らの死の瞬間だけは見ることができなかった。
 だが、慣れとは恐ろしい。
 いつしか村紗は、船を沈めることが当たり前のようになってきた。
 最初は大きな船だけを狙っていたが、次第に襲撃は無差別化していった。
 誰が乗っていてもかまわない。例え帝が乗っていても、自分はその船を遠慮なく沈めるだろう。
 それを繰り返すうちに徐々に自分の力が上がっていることが分かると、村紗の行動はますます拍車がかかった。
 そうして、いずれこの海を離れ故郷に帰る日を、ただずっと待ち遠しく思っていた。



   ◇  ◇  ◇  ◇



 それから何年、何十年もの月日が流れた。
 ある寺に、若くして並はずれた力を持った僧侶が現れた、という話が各地でされるようになった。
 その僧侶こそ、白蓮であった。
 その白蓮のところに、ある日1通の手紙が届く。
 見れば、ある漁民からの手紙であった。
 差出人の名前は『みつ』。娘のようである。
 文字は近くの寺の僧が代筆したとあるが、そこには船幽霊ムラサを退治してほしいと書いてあった。
 さらに、手紙にはムラサの前身、村紗の死とその詳細についても書かれていた。
 手紙を読み終えると、白蓮は供を連れてすぐに寺を発った。
 白蓮は手紙を読んですぐに気づいた。
 この船幽霊は、大きな思い違いを起こしている。
 船を沈めることで力を得られると思っているようだが、それでは永遠に救われない、と白蓮は既に分かっていた。
 だから、このムラサを助けるために一時も早く、その漁村へと向かった。

 山を越えること丸2日。漁村に着いた一向は、そこで村の荒れ具合に驚くことになった。
 人気のない家が立ち並び、壊れた船が放置され、海には流木や船の破片が数多に打ち上げられている。
 何より、誰もいないのだ。これはもう村というよりは、村だった所、としか言いようがない。
 その一向を迎える者がいた。どこぞの寺の僧に代筆を頼んだという、依頼主であった。
 依頼主と言っても、未だ二十歳になったかなるまいか、と若い娘であった。

「貴方が、私に手紙をくれた人ね?」

 そう尋ねると、娘は頷いて言った。

「村紗を、助けていただけませんか?」

 その言葉に、白蓮は少々驚いた。
 今まで彼女に妖怪退治を頼んできたものは何人もいたが、妖怪を助けてほしいと頼んだのは彼女が初めてである。
 無論、白蓮も元よりそのつもりだったのだが。
 時に『生け捕りにしてほしい、処理はこちらがやる』という話は過去にあった。
 もしかしたら今回もそういうケースかもしれない、と白蓮は思った。
 いざという時、人間は何をするか分からない生き物だからである。対象が妖怪なら尚更だ。

「助けたら、貴方はどうするの?」
「会って……会って話をしたいんです」

 まんざら嘘とも思えない。
 それに、大勢の人間が頼んでいるならともかく、この寂れた村にはどうも彼女しかいない様子である。
 それならば乱暴なことはするまい、と白蓮はそれを承諾した。



   ◇  ◇  ◇  ◇



 供が船を漕ぎ、依頼主の娘が見守る中、白蓮らを乗せた小舟が浜を出た。
 やがて沖合に出ると、ムラサはすぐさまやってきた。
 強大な僧が自分を退治に来るという話は、既に彼女にも届いていた。
 普通の人間を襲ってもらちが明かないと思っていた村紗は、この機会を逃すはずがなかった。
 この僧を倒し、その力を自分の者にし、そして村に帰るのだ、と意気込んでいた。

 すぐに村紗は船を襲った。
 ありったけの力で船を揺すり、横波を叩きつけ、暴風雨を引き起こした。
 するとどうだろう。船はあっというまに転覆してしまった。
 それほど強大な力を持つ僧が乗っていたのに、普通の船よりも呆気なく沈んでしまったのだ。
 正直、村紗は幻滅した。
 所詮ははったり。陸ではちやほやされていたようだが、見てみれば何のことはない。ただの人間、海に関しては素人だ。
 やりがいのなさを嘆きながら海底に帰ろうとして、村紗はあることに気づく。
 船は転覆し海底に沈んだが、乗り組み員が誰一人沈んでいないのだ。
 そこで再び海面を見る。すると、どうしたことだろう。
 船が浮かんでいる。一艘の小舟だ。
 紛れもなくそれは、はるか昔に自分が乗った、そして自分と共に命を落としたはずの、あの小舟であった。

「貴方はこの舟を探していたのでしょう? だから違う舟は全て転覆させてきた」

 白蓮は海中の村紗に、そっと手を差し伸べた。
 その舟を見て、村紗の中にかつての人間の心が戻ってきた。
 船を何隻も転覆させ無差別非道の大虐殺をおこなってきた非情なムラサの心は、人間の心の復活に打ち砕かれた。
 もう村紗には、無抵抗の舟ですら沈める力も残っていなかった。
 それは代わりに、この海の呪縛から解き放たれたことを意味していた。
 恐る恐る、村紗がその手をつかむ。白蓮がその手を握り返す。
 そうして、村紗は引き上げられた。呪われた海から、舟の上に。絶望の海から希望の海上に。

「……ありがとう、ございます」

 まだ信じられなかった。
 自分は救われたのだ。何十年も繋がれてきた、この海から解放されたのだ。

「貴方に会いたがっている人がいるの。お礼はその人に言ってあげなさい」

 白蓮はそう返した。
 誰のことだか、村紗には見当もつかなかった。
 その時、村紗は舟の隅であるものを見つけた。
 薬草である。あの、自分が失くしたあの薬草が、舟と一緒に返ってきたのだ。
 それがついに、最後の未練の鎖を断ち切った。
 
 村紗は舟を漕いだ。
 何十年ぶりの感覚だったが、手は、腕は、体はまだ覚えていた。あの日のように。
 違うのは、今日は乗客がいる。それだけだ。
 天候も波も穏やかだった。
 やがて、舟は陸に着いた。
 依頼主の娘はずっと浜辺で待っていた。
 そこで、初めて村紗と依頼主の娘は顔を合わせた。

 村紗は愕然とした。
 その娘の顔つきは、出船の日以来見ていない、姉の顔だったのだから。



   ◇  ◇  ◇  ◇



「2人きりで話をさせてほしい」

 娘は白蓮達にそう言った。
 村紗の方も、この娘と何かを話したがっているようだったので、白蓮も快くそれを承諾した。
 そして、娘は村紗をあの崖の上に連れて行った。
 村紗の墓がそびえ立つ、あの崖の上に。
 その間、2人は一言も言葉を交わさなかったが、崖の上に着いたとき、村紗が初めて口を開いた。

「……姉さん?」

 それを聞くと、娘はじっと海の方を見て答えた。

「やはり村紗さん、貴方は私の祖母の妹だったのですね」

 村紗はその言葉に戸惑った。
 何せ、もう彼女の中に流れている時間は人間のものではない。
 人間の数十年が、もはや何年かくらいにしか感じないのである。
 だから、陸でこんなにも時間が過ぎ去っているとは思いもしなかった。
 童話の浦島太郎の如く、ようやく帰ってきてみれば村も人も、何もかも変っていたのだ。
 その衝撃に言葉がでない村紗に、娘は続けて言った。

「この墓は、貴方の墓です。そして、祖母の墓でもあります」

 村紗の姉は、もうこの世にいなかった。
 それが村紗に追撃を与えた。それでもなお、娘は続ける。

「祖母はよくこの墓に、貴方に会いに来ていました。私も幼い頃は祖母に連れられ、来たものでした。
 だから、願わくはこうして1度、貴方と会ってみたいと思っていました」
「……姉さんは、あなたのお婆さんはいつ頃亡くなったの?」
「もう十年も昔のことですよ。病で、亡くなりました」

 村紗の心境は複雑であった。
 薬草がなくても体調を回復させたことを知って安堵もしたが、もう少し早く帰ってこられなかったのだろうか、と自責の念も抱いた。
 そして、もう1度娘の顔をよく見てみた。
 あの頃の姉の歳と、今のこの娘の歳が、おおよそ近いからでもあるだろうが、
 なるほど、孫と言うだけあって村紗の姉の面影が強く残っている。

「祖母はよく、貴方のことを優しくて、思いやりがあって、働き者の娘だったと言っていました。
 色々な思い出話を、私に聞かせてくれたものでした。きっと、祖母の誇りでもあったのでしょう。
 だから、私は貴方に会って、どうしても聞きたいことがあったんです」

 娘はようやく海の方から村紗の方へと向き直り、そして口を開いた。



   ◇  ◇  ◇  ◇



「どうして、私の母が乗った舟を沈めたのですか?」



   ◇  ◇  ◇  ◇



 時間が止まった。
 風も、波の音も、何もかもが止まった。
 娘の目は、村紗を突き刺すように見つめていた。
 思わず、目をそらす。見ていられなかった。海も、彼女のことも。
 ただ、今の言葉だけが延々と村紗の中で反射し続けた。

「どうして、貴方の姉の娘が乗った舟を沈めたのですか?」

 だが娘は追撃をやめなかった。
 
「これは貴方の墓でもあり、祖母の墓でもあり、母の墓でもあります。
 母は、私がまだ幼い頃に、祖母よりも早く、海に呑まれて亡くなりました。
 奇跡的に助かった水夫が村の皆に言いましたよ、『若い娘の船幽霊に襲われた』って」

 間違いなく自分のことだ。
 だが、村紗には覚えがない。
 今まで沈めてきた舟の数など、覚えていない。

「それからでした。祖母は心労から病に伏し、そして亡くなりました。
 無理もないでしょう。妹に娘を殺されたのですから」

 穏やかな口調で淡々と娘は話し続ける。
 村紗は目を閉じたかった。耳を塞ぎたかった。だが、それは許されぬことだった。
 もう体が言うことを聞かない。金縛りにあったように、ただ娘の言葉を浴び続けるしかできなかった。

「ある時、祖母は私にこんなことを言ったことがあります。
『自分が妹を殺したようなものだ』、と。たった1回でしたが、確かにそう言っていました。
 だから、私は貴方にずっと言いたかった。そのために、祖母が死んでから貴方をこの村でずっと待ってきた」

 風がドッと吹き荒れた。
 ただ、それだけの沈黙がしばらく続いた。
 どれだけの沈黙が流れただろう。
 そして、精神的に揺らぐ村紗に、とうとう娘は言い放った。

「貴方は、自分の姉を殺したんです」

 娘はそれを言うと、唇を真一文字に結んだ。
 その言葉もそうだが、それを言う娘の顔がどうしても村紗の姉の顔と重なる。
 それが一層、村紗を罪の意識の中に叩き落とした。
 申し訳ない気持ちが積み重なる。どうにかして、謝りたい。
 だが、自分の中にある安易な言葉では足りないほど、その罪が重いことを村紗は思い知らされていた。
 そうして沈黙が続いた。

「……村紗さん」

 はじめて娘が村紗から目をそらし、地面を見た。

「私が言いたかったことは、これで全部です。ただ、最後にもう1つだけつきあっていただけませんか」

 そして、娘は村紗の方を向き直った。

「これが私が貴方にできる、たった1つの復讐です」

 瞬間、村紗にはこれから何が起こるか、すぐに分かった。
 娘が墓石にかけた手に力を加える。
 墓石がグラッと傾く。元より不安定な台、誰かが強く押せば倒れるほどのものだった。
 そして、墓石と同じく娘も後ろに傾く。
 彼らの背後は崖である。その向こうは、海だ。
 高さもある。何メートルでは効かない。
 村紗はすぐ、その手をつかもうとした。

 届かなかった。
 最後に見た姉の顔は、どこか寂しそうな顔をしていた。

「さようなら、村紗」

 どうしてだろう、そんな言葉が聞こえた気がした。
 ずっと会いたかったはずの、姉の声で。



   ◇  ◇  ◇  ◇



 鈍い水音が海から鳴った。
 崖の上に1人残された村紗は、下をのぞいた。
 海には波紋が広がっていたが、もう娘も墓石もどこにもなかった。
 村紗はすぐさま、海に向かって飛び下りた。
 船幽霊の身ならば、もう死ぬことはなかった。
 すぐに村紗は海中を探した。この辺りは漁場ということもあり、海流は穏やかである。
 それなのに、見つからない。娘も墓石も、どこにもないのだ。
 村紗は必死になって探した。
 白蓮達に事の経緯を話し、協力してもらうことができた。

 墓石はなんとか見つけることができた。
 それでも、娘は見つからなかった。

 捜索は3日間も行われたが、とうとう娘は見つからなかった。
 一方、引き上げられた墓石を見て、村紗達はあることに気づく。
 刻まれた名前は3つでない、4つ目の名前がそこにあった。『みつ』と、いう名前だった。
 しかも、掘られてから時間が相当経った後がある。少なくとも5年はあると考えていい程だった。

 とうとう真相が明らかになった。
 1度村紗を救い、そしてその村紗に真実の鉄槌を振りおろし、最後に自害する。
 この娘は最初から死ぬつもりだったのだ。
 それが、この娘が考え出した復讐劇であった。
 悲しくもそれは、成功に幕を下ろしたのだった。



   ◇  ◇  ◇  ◇



 それから、村紗は誰もいなくなった故郷を後にした。
 白蓮達一向に加わり、せめて自分ができる善いことを行うことにした。
 やがて、人間が白蓮達の素性に気づき、彼女を捕らえた。村紗も、船ごと地底に封印された。
 千年の時を越え、村紗は再び出港、法界から白蓮を連れ戻し、そして今に至る。

 命蓮寺の庭の一角に、小さな薬草畑がある。
 結局誰にも使われることになかった薬草を、村紗が育てたのがきっかけだった。
 地底でも場所を見つけては育ててきたし、地上に寺を構えてからもそれは続けた。
 簡単な怪我や病気なら効果があるので、必要としている人にはあげるようにしている。

 いつの頃かは忘れたが、名前を『村紗』から『村紗 水蜜』に変えた。
 一緒に生きたかった。その悔いから、ささやかながら彼女の名前を自分に付けてみた。
 自分への戒めとする為でもあったが、こうすれば短い人生に終わった彼女を救えるのではないか、という村紗の考えであった。
 あの日言われたことは彼女の心を打ち砕いたが、もし我侭が許されるなら一緒に生きたかったのである。

 この千年もの間、あの娘の話は一度も聞かない。
 地獄に近いところに封印されていたことがあるにも関わらず、誰も知らぬ存ぜぬであった。
 どこかの浜に生きて打ち上げられたという話も、
 亡骸が打ち上げられたという話も、
 死霊は今も海中を彷徨っているという話も、
 その海域に再び船幽霊が現れたという話も、
 灼熱地獄に落とされたという話も、
 情状酌量で冥界に送られたという話も、
 どんな話もなかった。
 だから、あの後、娘がどうなったかは誰にもわからない。

 ただ、今もあの娘の影が、あの言葉が、村紗の心のどこかに巣くっている。
 それだけは間違いのないことであった。
見つからない物ほど、実は近くにあったりするのかもしれない。
地球人撲滅組合
コメント



1.ずわいがに削除
ハートフルボッコorz
村紗はどうすれば良かったんでしょうね。何もしないではいられなかったというのに。
すくわれたのに救われないとは。

>どうして、私の母を乗った舟を沈めたのですか?
「母を乗せた」もしくは「母が乗った」かと。
2.ぺ・四潤削除
↑そうか。タイトルがひらがななのはそういう意味があったのか。
悪いのは一体誰なのだろう。誰が悪いわけでも無いのだろうか。
村紗が悪いと言って責めるのは酷だ。しかし罪があったことはきちんと伝えなければならない。
これからは人を幸せにしながらも村紗自身も幸せになる。それが村紗の償いになるのだろうか。
3.奇声を発する程度の能力 in 携帯削除
うーん。考えさせるお話でした。
いつか本当の意味で救われることを祈ってます。
4.sirokuma削除
最後のどんでん返しで鳥肌が立ちました。
5.名前が無い程度の能力削除
辛い話だけれど嫌いじゃないです
6.名前が無い程度の能力削除
>「どうして、私の母が乗った舟を沈めたのですか?」
この一言がすっごい重かったです。ここを読んで、マジか。そう思ってそれまでのところを一回全部読み返しました。それくらい、力のある言葉でした。

ムラサ、幸せになってもいいのよ。
忘れろとは言わないけれど、ムラサ船長には幸せになって欲しいのよ。
7.地球人撲滅組合削除
コメントありがとうございました。
レス返しです。

>01
 報告ありがとうございました。
 最も力を入れたはずの台詞を間違えるとは……

>02
 世の中、全部を善と悪に分類できるとは限らない、という話はよく耳にします。
 どちらにも正当性もあれば、落ち目もあるのかもしれません。

>03
 私もそう思います。

>04
 ありがとうございます。
 たぶん、力をこめた部分かもしれません。

>05
 ありがとうございます。

>06
 問題は、彼女にとって幸せとは何かを見つけること。
 そんな気がします。難しいかもしれませんね。
8.名前が無い程度の能力削除
私がムラサが船幽霊になった理由を妄想してたときの
内容によく似てる・・・もうちょっと聖とムラサが激しく
ぶつかり合ったほうが面白かったかな(^^;でも最後の盛り上がりは
すごかったです!投稿ありがとうございます