「よし」
中学校に上がったばかりの頃、お母さんに必死にせがんで買ってもらった姿見の前。
そこに映っているのは、起きぬけの冴えない姿の私。
寝巻代わりに使っている中学校の指定ジャージに寝ぐせのついた髪。とてもじゃないけど、友達には見せられない姿に苦笑い。
早く、制服に着替えなくちゃ。
まずは、トレーナータイプのかぶり物のジャージを脱ぐ。あの頃は前にファスナーのついた上着っぽいジャージに憧れたっけ。
続けて長袖の子供っぽいキャラクター柄のシャツを脱いでしまえば、上半身には何もつけていない状態。
不意にどこか気恥ずかしくなって鏡から目を離して、ブラジャーを付ける。それでもちゃんと後ろに手をまわして止めることが出来た。もう体が覚えてるってやつなのかも。その上から、水色の綿製のキャミソールを着る。柔らかい質感のそれが気持ちいい。
ハンガーに掛けられた、左胸のところに自由の女神の刺繍がなされたワイシャツを手にとる。たった一枚だけ持っている人気ブランドのシャツ。
糊の効いた真っ白なそれに袖を通す。きちんとアイロンをかけておいたおかげで、ぱりっとしていて、どこかひんやりとした感触に気持ちが引き締まる。小さなボタンを一番上を除いて、上から順番にひとつずつ留めていった。
次に、ジャージのズボンを脱ぎ捨てる。ショーツだけを履いている状態の下半身が3月のまだひんやりとした外気に晒され、ぞくりとする。冬場特有のその感覚は決して心地いいものではない。
冬の朝、布団から出るのがいやなのと同じ。
でも、それも今日が最後だと思うと、なぜかそう悪くはないものに思えた。
冬服で分厚い生地でできた、深い紺色のスカートに足を入れ、ウエストのところまで引き上げる。
呼吸を止めて一秒。
腹筋に力を込める。
慎重に、ゆっくりと左腰のホックを止める。
思っていたよりも楽にすっと引っ掛かったホックに安堵。ファスナーもとっかかることなくすうっと上がってくれた。
少しだけ悩み、ウエストの所を一度だけ折り返して、スカートの丈を短く巻き込む。
よし、行ける。
スカートの下に手を入れて、中にしまったワイシャツを引っ張って形を整える。ついでに巻き込んだせいで少し乱れてしまったプリーツをきれいに見えるよう直していく。
ん?でも、なんかすーすーする。おかしいな。
そこまで考えて、気づく。箪笥の一番上の右側の引き出し。そこから、一分丈のスパッツを取り出す。右側のところにデフォルメされた蛇の刺繍があるお気に入り。
こういうのって、蛙はよくあるけど、蛇はなかなかないのよね。これも見つけて衝動買いした奴だったりして。
それをはいてほっと一息。やっぱりあるとないとじゃ全然違う。ついでに、左側の引き出しから紺のハイソックスも取り出す。
右、左の順番で身につけて、靴下止めののりを塗って固定。誕生日に友達にもらったこれはバニラの香りがしてお気に入り。今日まで、香りが飛んじゃってなくてよかった。
鏡の前に戻って、ベージュのカーディガンを羽織る。
ワイシャツと同じブランドのそれは長いこと着ているのに、型崩れもしてなくて、お気に入り。もう一枚の白い方とどっちを着ようか迷ったけれど、最後だし、より愛着のある方を選んだ。
ブレザーも着てしまおうかと迷ったけれど、その前に髪を梳かそうと思う。
昨日いつもより念入りに乾かしたためか、とっておきのシャンプーとコンディショナーを使ったせいか、櫛を通すとあっさりと寝ぐせは直ってしまった。いつもこうならいいのに。
前よりも少し伸びた髪を、いつも付けている蛇と蛙の髪飾りではなく、オフホワイトのシュシュで左側の下の方で一つに括る。本当は学校にもつけていきたかったんだけど、こういうの苦手な子もいるから我慢。
忘れないうちに、首元にリボンもつけなくちゃ。ないとしまらないし。臙脂色の細いリボンをダサいという子もいたけど、私は結構気に入っていた。
スカートと同じ色のブレザーを羽織れば、支度完了だ。
鏡の中には幻想郷の風祝、東風谷早苗ではなく、どこにでもいる普通の女子高生の東風谷早苗がうつっている。
もう随分長いこと着ていなかったはずなのに、不思議と違和感がなく身体になじむのはなんでなんだろう。
幻想郷に来て以来、一度も袖を通すことのなかったこの制服。
どうせなら、本格的に、と制服だけではなく、当時使っていたスクールバッグや、携帯電話、ペンケースに手帳まで用意した。
何とはなしに、それを眺めていると、最近では思い出すことすらなかった学校のことが胸によみがえる。
いったいどんな材質でできているのかオレンジと茶色の混じったような色の廊下や、昔配布物を貼っていたテープの跡の残る壁。ぼこぼこにへこんで常に半開きの掃除用具入れや、黄ばんでいる元は白かっただろうカーテン。
消すのが下手なのか、消しても消しても白っぽいままの黒板や、その横に張り出された数々の掲示物。
木と鉄でできた机と椅子、へこんでいたり消えない落書きがされていたりするそれの匂いまでしっかり思い出せる。
休み時間にはみんなで集まってくだらないおしゃべりをした。
大したことじゃなくて、内容も覚えていないくらいどうでもいいことだったけど、楽しくて涙が出るほど笑っていた。
お昼休みの後の授業は退屈で、うとうとしていたらノートが大変なことになった。
体育の時間には体操着をズボンの中にしまいなさいと言われて、みんなでブーイングした。
体育祭や球技大会で声を張り上げて応援した。合唱コンクールで放課後まで残って練習して、クラスで一致団結して最優秀賞をとった。
たまにお小遣いに余裕がある時に食べに行くドーナッツは美味しかった。
通学路の近道も、定期テストの憂鬱も、席替えのわくわく感も、みんなみんな覚えている。
「懐かしいなあ。みんな、どうしてるかな」
親しかった友達の顔が浮かぶ。特に親しくなかったクラスメートの顔も浮かぶ。
あの先生は今日もつまらないギャグを言っているのか。
そんなことを考えたら、なんだかやわらかい気持ちになった。
「早苗ー、支度できたー?」
ドアの向こうから諏訪子様が呼んでいる声がする。
いけない、ちょっと思い出に浸りすぎちゃった。
「今、行きます!」
鞄を右肩にかけて、私は部屋を飛び出した。
「うわー、懐かしいねー」
「相変わらず、よく似合ってるよ」
茶の間に向かうと、神奈子様と諏訪子様がにやにやしながらそう言ってくださった。初めて制服を着て見せたときとまったく同じ反応です。
「えへへ、ありがとうございます」
くるりと回ってみせると、お二方は手を叩いて喜んでくださいます。
それだけで制服を着てよかったと思ってしまうのは、私が単純だからなのかな。
もっとも今日、わざわざクローゼットの奥深くにしまった制服を出してきたのにはちゃんとした理由がある。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
「はい!」
「あーうー、カメラの準備もばっちりだよー」
立ちあがった神奈子様について、庭へ向かう。諏訪子様も楽しそうにカメラを首から下げてついてくる。
もちろん、玄関先にはローファーが用意してある。歩き方に癖があるのか、内側の一か所だけ擦り減っているそれが懐かしい。ここでは飛ぶことの方が多くって、そういう傷は残らないから。
諏訪子様が差し出してくださった靴ベラを使ってそれを履いた。
「今日、晴れてよかったねー」
「はい、きっとこの感じなら向こうもいい天気ですよ」
「だよね!あったかいし、いい感じ」
「向こうではもう桜も咲いているんでしょうか」
「どうだろ?沖縄とかは咲いてるかもしれないけど」
どんどん歩いていく神奈子様の後を、たわいもない会話をしながら諏訪子様と追いかける。外はもう暖かくて、桃の花の甘い香りのような春の匂いがする。
天気は晴天。本当の春よりは少し色の淡い青空には雲ひとつない。朝方特有の柔らかい日差しがたまらなく嬉しかった。
「さて、ここでいいかい?」
ほどなくして、鳥居の前の石階段に辿りつく。
振り向いた神奈子様が優しく笑っている。隣を歩いていた諏訪子様も笑っている。
「はい。……あの、神奈子様、諏訪子様」
お二方のあたたかい眼差しに、少しだけ申し訳ない気持ちになって私は言う。
だってこれは、外の世界のことを忘れられない私の感傷、わがままだから。
「ごめんなさい、こんなことに付き合わせてしまって」
「何言ってんのさ、早苗。私はすごくいいことだと思うよ?」
「そうだよ、こういうことをきちんとするのは大切なことだろう」
「ほらほら、そんな顔しないでよ、おめでたい日なんだから!」
そういって私の背中を押して、諏訪子様はいたずらっぽくウインク。神奈子様はひとつ頷いて、私の目をまっすぐ見つめて微笑んでいて、胸に熱いものがこみ上げてくる。
「早苗」
「卒業、おめでとう」
今日は、私の通っていた学校の卒業式の日です。
もし幻想郷に来ていなかったら、今日私は、あの学校で卒業式に参加していたはずでした。
幻想郷に来たことを後悔したことはありません。
面白くて不思議な友達と宴会をしたり、弾幕ごっこをしたり、異変を解決したり、毎日がにぎやかで、充実していて、楽しくてしかたないんです。
普段ほとんどあちらでのことを思い返すことも少なくて。今回、卒業式のことを思い出したのも、たまたまでした。
それだけ、こちらでの生活の密度が濃くて、幸せだということなんでしょう。
だけど、だからこそ、向こうでのことを忘れてはいけない、と思うんです。
私にとっては、すべてあたたかい大切な思い出なんですから。
そうして、思いついたのが今日の“卒業式”でした。
卒業式といっても、こうしてあの頃の制服を着て、向こうで入学や卒業のたびにしてきたように鳥居の前で写真を撮るぐらいです。
あの学校に最後まで通ったわけではない私が卒業式に参加する、なんておかしいかもしれませんけどね。
卒業証書もない。校歌の合唱もない。校長先生の退屈な話もない。
そんな一人きりの卒業式。自己満足かも。
でも今日ぐらいは、遠く離れているとしても、あの時、あの場所で一緒に過ごしたみんなと、同じ空の下で同じことをしていたかったんです。
「はい、じゃあ撮るよー」
「はーい!」
「ほら、諏訪子急ぎな」
オンバシラの上にセットしたカメラのセルフタイマーを押した諏訪子様が走ってきて、私の右隣でピースをしていて。神奈子様は私の左肩に手を置いて、笑っています。
私は今、卒業しました。
中学校に上がったばかりの頃、お母さんに必死にせがんで買ってもらった姿見の前。
そこに映っているのは、起きぬけの冴えない姿の私。
寝巻代わりに使っている中学校の指定ジャージに寝ぐせのついた髪。とてもじゃないけど、友達には見せられない姿に苦笑い。
早く、制服に着替えなくちゃ。
まずは、トレーナータイプのかぶり物のジャージを脱ぐ。あの頃は前にファスナーのついた上着っぽいジャージに憧れたっけ。
続けて長袖の子供っぽいキャラクター柄のシャツを脱いでしまえば、上半身には何もつけていない状態。
不意にどこか気恥ずかしくなって鏡から目を離して、ブラジャーを付ける。それでもちゃんと後ろに手をまわして止めることが出来た。もう体が覚えてるってやつなのかも。その上から、水色の綿製のキャミソールを着る。柔らかい質感のそれが気持ちいい。
ハンガーに掛けられた、左胸のところに自由の女神の刺繍がなされたワイシャツを手にとる。たった一枚だけ持っている人気ブランドのシャツ。
糊の効いた真っ白なそれに袖を通す。きちんとアイロンをかけておいたおかげで、ぱりっとしていて、どこかひんやりとした感触に気持ちが引き締まる。小さなボタンを一番上を除いて、上から順番にひとつずつ留めていった。
次に、ジャージのズボンを脱ぎ捨てる。ショーツだけを履いている状態の下半身が3月のまだひんやりとした外気に晒され、ぞくりとする。冬場特有のその感覚は決して心地いいものではない。
冬の朝、布団から出るのがいやなのと同じ。
でも、それも今日が最後だと思うと、なぜかそう悪くはないものに思えた。
冬服で分厚い生地でできた、深い紺色のスカートに足を入れ、ウエストのところまで引き上げる。
呼吸を止めて一秒。
腹筋に力を込める。
慎重に、ゆっくりと左腰のホックを止める。
思っていたよりも楽にすっと引っ掛かったホックに安堵。ファスナーもとっかかることなくすうっと上がってくれた。
少しだけ悩み、ウエストの所を一度だけ折り返して、スカートの丈を短く巻き込む。
よし、行ける。
スカートの下に手を入れて、中にしまったワイシャツを引っ張って形を整える。ついでに巻き込んだせいで少し乱れてしまったプリーツをきれいに見えるよう直していく。
ん?でも、なんかすーすーする。おかしいな。
そこまで考えて、気づく。箪笥の一番上の右側の引き出し。そこから、一分丈のスパッツを取り出す。右側のところにデフォルメされた蛇の刺繍があるお気に入り。
こういうのって、蛙はよくあるけど、蛇はなかなかないのよね。これも見つけて衝動買いした奴だったりして。
それをはいてほっと一息。やっぱりあるとないとじゃ全然違う。ついでに、左側の引き出しから紺のハイソックスも取り出す。
右、左の順番で身につけて、靴下止めののりを塗って固定。誕生日に友達にもらったこれはバニラの香りがしてお気に入り。今日まで、香りが飛んじゃってなくてよかった。
鏡の前に戻って、ベージュのカーディガンを羽織る。
ワイシャツと同じブランドのそれは長いこと着ているのに、型崩れもしてなくて、お気に入り。もう一枚の白い方とどっちを着ようか迷ったけれど、最後だし、より愛着のある方を選んだ。
ブレザーも着てしまおうかと迷ったけれど、その前に髪を梳かそうと思う。
昨日いつもより念入りに乾かしたためか、とっておきのシャンプーとコンディショナーを使ったせいか、櫛を通すとあっさりと寝ぐせは直ってしまった。いつもこうならいいのに。
前よりも少し伸びた髪を、いつも付けている蛇と蛙の髪飾りではなく、オフホワイトのシュシュで左側の下の方で一つに括る。本当は学校にもつけていきたかったんだけど、こういうの苦手な子もいるから我慢。
忘れないうちに、首元にリボンもつけなくちゃ。ないとしまらないし。臙脂色の細いリボンをダサいという子もいたけど、私は結構気に入っていた。
スカートと同じ色のブレザーを羽織れば、支度完了だ。
鏡の中には幻想郷の風祝、東風谷早苗ではなく、どこにでもいる普通の女子高生の東風谷早苗がうつっている。
もう随分長いこと着ていなかったはずなのに、不思議と違和感がなく身体になじむのはなんでなんだろう。
幻想郷に来て以来、一度も袖を通すことのなかったこの制服。
どうせなら、本格的に、と制服だけではなく、当時使っていたスクールバッグや、携帯電話、ペンケースに手帳まで用意した。
何とはなしに、それを眺めていると、最近では思い出すことすらなかった学校のことが胸によみがえる。
いったいどんな材質でできているのかオレンジと茶色の混じったような色の廊下や、昔配布物を貼っていたテープの跡の残る壁。ぼこぼこにへこんで常に半開きの掃除用具入れや、黄ばんでいる元は白かっただろうカーテン。
消すのが下手なのか、消しても消しても白っぽいままの黒板や、その横に張り出された数々の掲示物。
木と鉄でできた机と椅子、へこんでいたり消えない落書きがされていたりするそれの匂いまでしっかり思い出せる。
休み時間にはみんなで集まってくだらないおしゃべりをした。
大したことじゃなくて、内容も覚えていないくらいどうでもいいことだったけど、楽しくて涙が出るほど笑っていた。
お昼休みの後の授業は退屈で、うとうとしていたらノートが大変なことになった。
体育の時間には体操着をズボンの中にしまいなさいと言われて、みんなでブーイングした。
体育祭や球技大会で声を張り上げて応援した。合唱コンクールで放課後まで残って練習して、クラスで一致団結して最優秀賞をとった。
たまにお小遣いに余裕がある時に食べに行くドーナッツは美味しかった。
通学路の近道も、定期テストの憂鬱も、席替えのわくわく感も、みんなみんな覚えている。
「懐かしいなあ。みんな、どうしてるかな」
親しかった友達の顔が浮かぶ。特に親しくなかったクラスメートの顔も浮かぶ。
あの先生は今日もつまらないギャグを言っているのか。
そんなことを考えたら、なんだかやわらかい気持ちになった。
「早苗ー、支度できたー?」
ドアの向こうから諏訪子様が呼んでいる声がする。
いけない、ちょっと思い出に浸りすぎちゃった。
「今、行きます!」
鞄を右肩にかけて、私は部屋を飛び出した。
「うわー、懐かしいねー」
「相変わらず、よく似合ってるよ」
茶の間に向かうと、神奈子様と諏訪子様がにやにやしながらそう言ってくださった。初めて制服を着て見せたときとまったく同じ反応です。
「えへへ、ありがとうございます」
くるりと回ってみせると、お二方は手を叩いて喜んでくださいます。
それだけで制服を着てよかったと思ってしまうのは、私が単純だからなのかな。
もっとも今日、わざわざクローゼットの奥深くにしまった制服を出してきたのにはちゃんとした理由がある。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
「はい!」
「あーうー、カメラの準備もばっちりだよー」
立ちあがった神奈子様について、庭へ向かう。諏訪子様も楽しそうにカメラを首から下げてついてくる。
もちろん、玄関先にはローファーが用意してある。歩き方に癖があるのか、内側の一か所だけ擦り減っているそれが懐かしい。ここでは飛ぶことの方が多くって、そういう傷は残らないから。
諏訪子様が差し出してくださった靴ベラを使ってそれを履いた。
「今日、晴れてよかったねー」
「はい、きっとこの感じなら向こうもいい天気ですよ」
「だよね!あったかいし、いい感じ」
「向こうではもう桜も咲いているんでしょうか」
「どうだろ?沖縄とかは咲いてるかもしれないけど」
どんどん歩いていく神奈子様の後を、たわいもない会話をしながら諏訪子様と追いかける。外はもう暖かくて、桃の花の甘い香りのような春の匂いがする。
天気は晴天。本当の春よりは少し色の淡い青空には雲ひとつない。朝方特有の柔らかい日差しがたまらなく嬉しかった。
「さて、ここでいいかい?」
ほどなくして、鳥居の前の石階段に辿りつく。
振り向いた神奈子様が優しく笑っている。隣を歩いていた諏訪子様も笑っている。
「はい。……あの、神奈子様、諏訪子様」
お二方のあたたかい眼差しに、少しだけ申し訳ない気持ちになって私は言う。
だってこれは、外の世界のことを忘れられない私の感傷、わがままだから。
「ごめんなさい、こんなことに付き合わせてしまって」
「何言ってんのさ、早苗。私はすごくいいことだと思うよ?」
「そうだよ、こういうことをきちんとするのは大切なことだろう」
「ほらほら、そんな顔しないでよ、おめでたい日なんだから!」
そういって私の背中を押して、諏訪子様はいたずらっぽくウインク。神奈子様はひとつ頷いて、私の目をまっすぐ見つめて微笑んでいて、胸に熱いものがこみ上げてくる。
「早苗」
「卒業、おめでとう」
今日は、私の通っていた学校の卒業式の日です。
もし幻想郷に来ていなかったら、今日私は、あの学校で卒業式に参加していたはずでした。
幻想郷に来たことを後悔したことはありません。
面白くて不思議な友達と宴会をしたり、弾幕ごっこをしたり、異変を解決したり、毎日がにぎやかで、充実していて、楽しくてしかたないんです。
普段ほとんどあちらでのことを思い返すことも少なくて。今回、卒業式のことを思い出したのも、たまたまでした。
それだけ、こちらでの生活の密度が濃くて、幸せだということなんでしょう。
だけど、だからこそ、向こうでのことを忘れてはいけない、と思うんです。
私にとっては、すべてあたたかい大切な思い出なんですから。
そうして、思いついたのが今日の“卒業式”でした。
卒業式といっても、こうしてあの頃の制服を着て、向こうで入学や卒業のたびにしてきたように鳥居の前で写真を撮るぐらいです。
あの学校に最後まで通ったわけではない私が卒業式に参加する、なんておかしいかもしれませんけどね。
卒業証書もない。校歌の合唱もない。校長先生の退屈な話もない。
そんな一人きりの卒業式。自己満足かも。
でも今日ぐらいは、遠く離れているとしても、あの時、あの場所で一緒に過ごしたみんなと、同じ空の下で同じことをしていたかったんです。
「はい、じゃあ撮るよー」
「はーい!」
「ほら、諏訪子急ぎな」
オンバシラの上にセットしたカメラのセルフタイマーを押した諏訪子様が走ってきて、私の右隣でピースをしていて。神奈子様は私の左肩に手を置いて、笑っています。
私は今、卒業しました。
もう卒業式の季節かあ…。
物凄くジ~ンときました!
当時は切ないとかなかったけどこうやって読んで思い出すとな・・・。
元の世界と決別するために最後にきちんと制服まで着て卒業式を挙げたかったのでしょうか。
そう考えたら一段と胸の奥が熱くなってきました。
同じ年齢の俺には、惜別の情やら時の流れに感じる侘びしさ以外に、思うところが多すぎたようだ。
なんにせよ、心に染み入る良いSSでした。
暖かいなぁ…
いい話だと素直に思う
しかし、切なくも感じてしまう
いいSSでした
涙が止まらない
俺も丁度卒業してきたところだw
卒業して数年たつけどこの頃が一番楽しかったな
出ようかな、と思うことができた。ありがとう。
ほのぼのでさわやかで切ない、良い話でした。