世界の全てが白だった。
わずかに見える黒線だけが、彼女とそれ以外を分けていた。
(どこだろう、ここ)
上を見れば天井。横を向けば胸、うつ伏せになると枕。頭を動かす度、目に入る情報が変化する。
どうも、ここは布団の上らしかった。
(胸?)
ふと、違和感に気付いた。
誰かの胸が、すぐ隣で上下している。
ここで鈴仙はようやく、自分が女性と添い寝しているのだと理解した。
「師匠?」
一番にこの名前が出てくるあたり、普段の行いがよく分かる。
「師匠、ですよね」
見れば、いつもの永琳と違った。
どうも、妖艶過ぎる。
まつ毛は濃く、胸は不自然に膨らみ、足はすらりと長い。過剰なまでに、女らしさを強調しているように感じる。
(なんだろう。私がいい子にしてたから、ご褒美なのかな)
鈴仙は前向きに考える事にした。
例え世界中がモノトーンだとしても、師匠さえいればやっていける。ましてやいつも以上にセクシーな師匠だ、何を恐れるというのか。
大好きな永琳。愛しい永琳。彼女が欲しい。
欲しい?
(私、変だ)
鈴仙の中に、激しい衝動が芽生え始めた。
永琳を支配したい。屈服させたい。彼女の中に、己の欲望を叩きつけたい。
確かに永琳を慕ってはいたが、こんな形では無かった筈だ。
(いけない)
寝ている女性を襲うなど、紳士にあるまじき行いである。
「でも、女の子だから紳士的じゃなくていいよね。獣でいいよね」
鈴仙は奇妙な理屈で自分を正当化した。
「師匠。頂きます」
鈴仙が永琳に覆いかぶさろうとした瞬間、
「女の子なら淑女を目指したら?」
艶っぽい声に、制止された。
「うどんげは積極的ね」
「こ、これはその」
「分かってる。貴方は悪くないのよね」
そう言うなり、永琳は鈴仙を抱き寄せた。
女の匂いがした。
(おかしい)
不自然だ。同性の体臭に、ここまで興奮するなんて。まさか自分は、そういう趣味が有ったのか。
変態さんなのか。
鈴仙は悲しくなってきた。自分も、急に色っぽくなった永琳も、白黒の世界も、何もかも変だ。
「うっ。えぐっ。違うんです師匠、自分を抑えきれないんです。まるで本当の私じゃないみたいなんです」
「分かるわよ。だってその通りだもの」
やっぱり師匠は優しい。そう思うと、涙が止まらなくなった。
うわずる声で。上目使いで。許しを請い、腕を回す。その仕草は、我ながらとても愛らしく、
(なんだか――)
媚びているようだった。
庇護欲を誘い、男を惑わす。そんな女性の振る舞いに酷似していると、鈴仙は自己嫌悪した。
「なんだか私、男の人を誘ってるみたい」
「その通りじゃない。貴方は男を惑わすのが仕事なんだから」
「な……! 師匠、私をそんな風に思ってたんですか!?」
永琳の冷たい指摘に、言葉が詰まる。
反論を試みようとしたが、言葉にならない嗚咽ばかりが出た。
「う、ひっく、どうして、私、こんな」
「それはね。弱くて愛らしい貴方が、望まれているからよ」
「望む? う。えぐ。誰に、ですか?」
「もちろん」
永琳はぽつりと言った。
「作者よ」
さくしゃ。鈴仙は可憐な声で復唱する。愛されるためだけに、調整された声で。
「作者……? それはどういう」
「私は、貴方より先に描かれたから。この世界に詳しいの」
「描かれた?」
永琳は、色っぽい仕草で頷いた。
「ここは、同人誌の世界」
「はい?」
「それも、描きかけのね」
鈴仙は周囲に目を向けた。
なるほど、純白の空間に黒い主線が引かれた世界は、漫画のそれと酷似している。
「同人誌……個人が自主的に製作した、漫画の事ですよね」
「そうよ」
「つまり私達は、漫画の中の登場人物なのでしょうか」
「ものわかりがよくて助かるわ」
柔らかく微笑んだ永琳は、途方も無く美しい。
(直視できないじゃないですか)
鈴仙は未だ、あのふしだらな衝動と戦っている最中なのだ。
「私、さっきから変なんです。これも、作者さんの意思なんでしょうか」
「そうね。生真面目で、弄られやすくて、愛らしくて、泣き虫で、私の事が大好き。そんなうどんげを望んでいるのでしょうね」
急に、この世界を無価値に感じた。
「なんだか悲しいです。この、師匠を慕う気持ちも、作り物なんでしょうか」
「あら。貴方は現実世界でも、私に懐いてくれてたじゃない」
「そ、それはそうですけど」
敬意ならともかく。恋心まで偽物だとしたら、辛い。
「あまり悲観的にならない事ね。現実の貴方も、もしかしたら私に恋してるかもしれないじゃない?」
「そうなんでしょうか」
現実の貴方。その言い回しで、新たな疑問が浮かんだ。
「私達は偽者なんでしょうか」
「偽者というより、第二の鈴仙と永琳とでも言いましょうか」
永琳は言う。
推測に過ぎないが――
「付喪神に近いんじゃないかしら」
「はあ」
「唐傘にだって心は宿るんだし。絵に自我が芽生えても、おかしくないわ」
「という事は、私達はコピーみたいなものでしょうか」
「コピー? ……ふふっ。貴方、きっと現実のうどんげより可愛いわよ。これじゃあ、精巧なコピーとは言えないわ」
鈴仙はここで初めて、自分の容姿に関心を抱いた。
いそいそと、鏡へ向かう。
「わ」
鏡の中には、完璧な美少女が有った。
目が顔の半分程ある。幼さを残しつつ、首から下はどこまでもはしたない。
「凄い。これが私?」
「私も自分の容姿を確認した時は、驚いたわ」
相当に美化、いや理想化された容姿なのだ。
「私達、無駄に……色っぽく描かれてますね」
「きっと、そっち系の同人誌なのよ」
そっち系。
先程から止まらない、永琳への劣情。
つまりそういう事だった。
「これから、どうなるんでしょう」
「分からない」
巨大な鉛筆が、二人の周囲をゴリゴリとなぞる。その度、世界が更新されていく。畳、布団、擬音、様々な背景が書き込まれていった。
「こんな横暴が許されるんですか」
鈴仙は思う。本物の自分達は、遠いどこかで平穏に暮らしていて。自分達、同人誌の住人には、何の関心も無い。
「私達は、心も体も作者のいいように改変されて、弄ばれているというのに」
「考えるとキリが無いわ。よしなさい」
「でも!」
師匠は平気なんですか。鈴仙は叫んだ。
「私、本当はこんな、いやらしい子じゃないのに。媚びた声なんか出さないのに。師匠に、そ、そういう感情を抱いたりしないのに」
鈴仙が妙な連想をしたのと同時に、頬に斜線が引かれていく。ここは紙の上なのだ。紅潮はこのように表現される。
「そう望まれたんだもの。仕方がないわ」
「……作者さんは、何とも思ってないんでしょうか」
「どうなんでしょうね」
永琳は、少し考え込んてから言った。
「そもそも私達が憎いなら、描こうとも思わないでしょうし」
「ですが」
「作りものの私達は、汚されるのが仕事。きっとこの本は大量に印刷されるでしょう」
「名前も知らない誰かを喜ばせるために、私達の情事が描かれるんですね」
悔しい。鈴仙はそう呟いた。
「私、思うの。この同人誌をきっかけにして、本物の私達を好きになってくれればと」
「作者さんは、そこまで考えれくれているでしょうか。お小遣い稼ぎとしか思ってなかったら、嫌です」
「そうね。どこかに罪悪感……いいえ、本物の私達への愛情や敬意が有る事を、望むわ」
世界が構築されていく。
二人の表情は、より鮮明なものとなる。
「もうすぐ完成しますね、この同人誌」
「そうね」
いつのまにか、鈴仙と永琳は手をつないでいた。これが作者の望んだ構図なのか、それとも真の愛情なのか、分からなかった。
「少し、割り切る事が出来ました。本物の私に被害が及ぶ訳ではないですし」
「ええ。あまり思いつめない方がいいわ」
見詰め合う。二人の白い頬に、黒い斜線が何本も増えていく。
「師匠」
「うどんげ」
二人の影が重なった瞬間、
「え」
世界が消失した。
「なに、これ」
白い塊が、畳をえぐる。布団を抹消する。
「消しゴムよ……!」
白黒から、純白へと回帰する世界。
ここは同人誌。作者の裁量一つで、無に帰すのだ。
「失敗作だったのね」
「複雑な気分です。私達の体を色んな人に見られなくて済むのは、有りがたいですけど」
鈴仙も、永琳も、もはや白い部分が大半を占めていた。
「私達、もうすぐ消されるんだわ。……どうやらここでお別れのようね」
「師匠」
「会えて良かった。作り物の世界に、作り物の体、おまけに心まで作り物だけど」
こうして作られる事が無ければ、怒るのも嘆くのも不可能だったのよ。永琳は消え行く体で、囁いた。
「無よりはまだ、負の感情の方がいいと思うわ。何も無いなんて、虚しすぎるもの」
そう言って、永琳は純白になった。
(師匠)
やがて自分も消えるのだろう。
そう思うと、鈴仙は不思議と晴れやかな気分になった。
「作者さん。私は貴方を許しません」
私達を好き勝手弄んだ末に、気に入らないと一方的に消すなんて。鈴仙は、穏やかに言う。
「今度は、本物に近い私達を作ってくれたら、嬉しいです。そして、師匠への好意も、自然なものにして欲しいな。あ。いや、やっぱり――」
――師匠への気持ちは、このままの設定でいいです。
それを最期の言葉に、鈴仙は消失した。
こうして一冊の同人誌が、終焉を迎えた。
作者の思い出、それだけを残して。
二次創作で生み出された幻想郷を描く、ある種の三次創作です、よね……
えーてる派の俺は
「輝夜が嫉妬して永琳への当てつけみたいな気持ちでこの作品を描いた」
と、勝手に解釈
ぼくのうどんげは片目が不自然に大きいよ。
ぼくのうどんげは肩幅が妙に広いよ。
ぼくのうどんげは腕がヘンな方向に曲がってるよ。
そんなぼくのうどんげは、誰にも見せてあげない。
…他人に作品を見られるって妙に恥ずかしいから馴れないと困りますよねw
ほんとにそんな画風で書かれた東方キャラがあったら俺はその同人誌を買う
えーりんの冷静な考察と自我に固執するれいせんの構図が面白かった
完全に現実世界のものだと思ってたら騙されたww
ロリコンさん最近は通院で済んでらっしゃるのでしょうか?
治療のせいかだんだん描かれる対象の年齢が上がってきているようですのでロリコンは治ってきてるようですね。残念です。
もう俺一回描いた絵消せねぇ…
素晴らしいSSありがとうございました。
すみません
それはホラーだろw