紅い悪魔が治める館、その最上階の主の部屋で、十六夜咲夜は頭を垂れていた。
「申し訳ございません、お嬢様。紅魔館のメイド長である私としたことが、紅茶を切らしてしまいました」
「ならばうぬの白い首に牙を突き立てて我が渇きし喉を潤わせてくれるわ!」
「あぁ……バンパイアキッス……!」
可笑しなノリの主――レミリア・スカーレットに、妙な艶のある声を返す咲夜。
そんなフタリをじっと、じぃっと見ているモノがヒトリいた。
レミリアの妹、フランドール・スカーレットだ。
有体に言って、とても冷めた目で凝視している。
「……あの、フラン、何か突っ込みは?」
レミリアが率先して挫けた。
「紅茶を切らせたって言うけど、咲夜、今私が飲んでいるのはなぁに?」
「お嬢様と妹様がご愛飲のB型紅茶ですわ」
「なら、謝る必要はないじゃない」
私は無視!? と喚くレミリアを捨て置き、フランが首を傾げながら続ける。
「それとも、近日中にパーティの予定とかあったっけ?」
「さあ、これからがパァティってヤツだ!」
「ありませんわ」
「O.K.ガールズ、いつでもいいぜ!?」
「だったら、余計に……うん、ちょっと。レミリア、煩い」
びーびー泣くレミリアをあやしつつ、咲夜は眉根を曲げ、応えた。
「あぁ、筆頭様、貴女様の嘆くお姿に、咲夜の魂は震えてしまいます」
「誰よ筆頭。と言うか、咲夜、私に応えなさい」
「はぁ、ですが、紅茶がないのですよ」
「これ以外の時、私は果実酒で、そいつは豆乳よ?」
「独特の味ですのによくお続けですわ。因みに、含まれる成分は女性ホルモン様の働きを致します」
『だからどうした』。
発されたフランの問いは、けれど、かき消された。
指示語扱いにより一層凹んでいたレミリアが、大きく咳払いしたためだ。
咲夜とフランの視線を集め、大仰に頷き、言った。
「おっぱいがね。
……あぁいや、違う。
要は、ねぇ咲夜、貴女が自分で飲む分を切らしてしまったんでしょう?」
――つまりはそう言うことなのであった。
咲夜は紅茶をよく飲む。
主人たちに合わせたという訳ではない。
単に、他の飲料よりも好みに合っているだけだった。
茶葉の種類も多く、故に味も多様、加えてカフェインの比較的緩やかな覚醒作用は常日頃激務をこなす咲夜に有り難かった。
同様にカフェインを多量に含有する緑茶やコーヒーは、飲めない訳ではないのだが、ほら、基本的に苦いし。
ともかく、以上を理由の一つにして、紅茶を嗜むのは咲夜の日常のささやかな楽しみであった。
レミリアにお駄賃をもらった咲夜は、けれどすぐさま里へとは出向かなかった。
台所にないのはわかっている。
主に申し開きする前に探していたし、そも紅茶を飲むのは咲夜だけなのだ。
他のメイド――妖精たちは、主に牛乳、時々コーヒー牛乳、稀にフルーツ牛乳を愛飲している。
紅魔館が乳魔館と呼ばれる日も、そう遠くはないのかもしれない。いやないか。だってないし。
閑話休題。
幾つかの階段を降り、咲夜が辿りついたのは、地下。
今は主の部屋で戯れている妹様の部屋がある場所。
そして、もう一室。
紅魔館内でも数少ない咲夜の管轄外の部屋――大図書館へとやってきた。
ここならばと言う咲夜の期待は、的外れなものではない。
事実として図書館の責任者である魔女、パチュリー・ノーレッジはよく茶会を催している。
出席者が段々と増えてきているのは、彼女にとって微笑ましくあり、彼女にとって煩わしく感じながらも受け入れるべき時間となりつつあった。
「こないだなんて魔理沙さんや早苗さんのお誘いで命蓮寺の方も来られたんですよ。
おフタリでいらっしゃって……えーとなんかこう、しっぽり、という感じの。
あぁ、一輪さんと村紗さ、ちょっとパチュリー様、痛いです!」
無防備な背中に弾幕を浴びつつもきっちり来訪者を伝えたのは、大図書館の痴女もとい司書、小悪魔だ。
「誰が痴女ですか!?」
「私は何も言っていないわ」
「もっと! もっと言って! 罵ってくださいまし!」
突き出された手に集められた魔力が轟音を奏で、漸く、小悪魔を黙らせた。
「素の魔力はひどいですよ、パチュリー様」
どうということもなく蘇った。
「……割と本気だったのだけれど」
「紅魔館のサンボルとお呼びください。ヤマタノオロチでも可」
「何時の間に貴女の頭は八つになったのよ」
「いえいえ、二つほどです。頭ではなくしょく、や、尻尾ですが」
「土水符‘ノエキアンデリュージュ‘」
なんてことはなく流されていった。
「……月符よりも効果があるのは解せないのだけれど」
「きっと<操縦>のレベルが低いのでしょう。テクは高いと思いますが」
「何の話よ。……あと、そーゆー指の形、やめなさい」
口に手を当てわざとらしい笑みを返す咲夜に、最早何をか言わんと半眼を叩きつけるパチュリーであった。
仕切りなおして、本題を話し出す咲夜。
できれば雑用諸々をこなす小悪魔に問いたかったが、生憎まだ戻ってきていなかった。
或いは生じた水溜りに足を取られているのかもしれないが、それは与り知らぬところである。
「――と言う訳で、紅茶を切らしてしまいまして。こちらにありませんでしょうか」
「紅茶の事なら早苗に聞きなさい。何故って、『こぉちや』。ぷぷ」
「二十四点。無理やりすぎますわ。……パチュリー様?」
来訪の旨を伝えきった咲夜は期待のこもった視線をパチュリーへと向けたが、雲行が怪しそうだと悟る。
日頃から魔女の言葉は明確さに欠けることが多いのだが、切に頼んでいる時には相応に返してくれていた。
尤も、その相応でさえはぐらかしたような言い方をするのだが――少なくとも、下らない冗談で流す彼女ではない。
まさか、従者に合わせた訳でもあるまいに。
「誰が滑ったというの!?」
「私は何も申しておりません」
「滑ってないわ。滑ってないもん……!」
拳を握り上目づかいで睨んでくるパチュリーに、咲夜は思う。
ここは紅魔館改め乳魔館もとい桃魔館。
いやいや。
それはともかく。
「返答だけど。日本式と欧米式、どちらがいいかしら」
「ここは幻想郷ですわ」
「まず、私が貧血気味なのは知っているわね?」
「ですが、我が主はバンパイア」
「結論から話すと、今はないわ。試験的に飲料は水にされているの。硬水ね」
茶会のエピソードはなんだったと言うのか。しっぽり。
軟水は鉄分の吸収を阻害すると言われるタンニンを抽出しやすい。
加えて、比較的軟水よりも硬水の方が人体に有益なミネラルを含んでいることが多いのだ。
妖怪にその手の成分が必要かどうかは判断の難しいところではあるが、少なくとも鉄分が不足しているパチュリーにとっては意味のある選択であろう。
腕を組み言葉を返さぬ咲夜を少しは気遣ったのだろう、パチュリーが小さく咳払いして、続ける。
「ここにはないけど、そうね、美鈴にも聞いてみたら? 彼女の管理する花畑にならあるかもしれないわよ」
「え? あ、はい、そうですね。ところでパチュリー様、『されているの』ということは」
「……それを考えていた、と。土水符‘ノエキアンデリュージュ‘!」
宣言は力となり、咲夜は物理的に図書館から閉め出された。
くるりと振り向かされ、背中をぐいぐい押されたのだ。
手を下したのは、無論、頬を薄らと染める魔女。
もう桃魔館でもいいや――腕を組んだまま、深く頷く咲夜であった。
「ありませんよ?」
単純明快な解答を明朗闊達な態度で伝えられ、どうにか咲夜が返せたのは「ですよねー」と言う言葉だけだった。
図書館を追い出されてから十数分後、咲夜は門前へと至り、こうして門番――紅美鈴と向き合っている。
即座に同意したのは元より花畑のことを知っていたからで、時間のラグもそれゆえだった。
さした手間をかけた訳ではないが、咲夜は自身に化粧を施してきている。
ファンデーションを薄く塗り、目頭にライナーを、頬にはチーク。
人里へ出向く前の習慣だ。
「なるほど、今まで紅茶を探していた、と。
ですから今日は遅かったんですね。
因みに、今私の手にあるのは緑茶です」
水筒を持ち上げながら変わらぬ表情で朗らかに告げる美鈴。
知ってるわよあにその笑顔、と咲夜が抱いた思いは確実に八つ当たりだった。
故に瞳に力が入り、睨むような視線を送ってしまっている。
かしましい妖精メイドを一瞥のもとに黙らせる眼力。
尤も、美鈴の方が身長は高いのだから、彼女にしてみれば――と、浮かんだ当て推量に、咲夜はぶんぶか頭を振る。
自意識過剰も甚だしい、そう思った。
「ふふ……そんな顔をされては、思いついた妙案も伝えられません」
言いつつも、より一層愉快気に笑む美鈴に、咲夜は吠えようとした。
が。
かぽ、と間の抜けた音。
同時に、気色ばんでいた咲夜の気も抜ける。
立ち上る湯気を見て、咲夜は美鈴に肩をすくめて見せた。
「貴女が淹れたお茶だから紅茶、なんて面白くもないわ」
「そんなことは考えていませんが」
「ぱ、パチュリー様が!?」
濡れ衣だ。
くすくすくす。
たまらない、と言うように、美鈴が口に手を当てる。
面白くてと言う訳では、無論、ないだろう。だとしたら。
だとしたら――?
「まぁ、発想に違いはないんですけどね。
私とパチュリー様は気が合うようで。
あっはっは」
わざとらしい笑い声に、たまらず咲夜は距離を詰める。
「――のっ! 何かあるんだったら、さっさとしなさいよ!」
激昂に含まれる怒り以外の感情は恐らくあちらも先刻承知。
何故なら彼女は‘気を使う程度の能力‘の持ち主だからだ。
否、仮にそうでなかったとしても読まれていただろう。
施した薄桃色のチークが、今は意味をなしていないのだから。
「では、失礼をば――」
髪が触れ合う程度の距離。
何時の間にか漂っていた爽やかな渋みを鼻が捉える。
加えて、開かれた口の端からは湿り気のある音が、鳴らされた。
‘くちゅ……‘
「――私が、ではなく、私に、と考えていました。
効能は、そう、覚醒作用と興奮作用。
カフェイン様ですね」
言葉が、咲夜の耳を通り過ぎていく。
「……熱かったですか?
咲夜さんは猫舌ですものね。
それとも、あぁ、やはり苦かった?」
けれど、どうにか首を振る。
ふる、ふる。
「……良かった。
では、二杯目はいかがです?
貴女は何時も、ここにきて、それくらいは飲むでしょう?――咲夜」
首を振って、首を振った。
こくこく、こくこく。
――ふるふる。
「おかわりは、ちょうだい。
でも、それくらいなんて、曖昧にじゃないわ。
私は何時も、きっちり、350ml。いれてちょうだい――めいり……」
囁かれる言葉に呟いた声は、もろとも、フタリに飲みこまれていくのだった――。
さて、その後。
嗜み終えた咲夜は主の前に戻り、傅いていた。
「お嬢様、お預かりした紅茶の代金、お返しいたしますわ」
「いい子ね咲夜。お釣りは取っておいてもいいのよ?」
「いえ、使っていませんので。……それと――」
駄賃を差し出しながら、続ける。
「――紅茶が入用な時は数時間前にお申し付けください」
受け取られたレミリアからの言葉はなく、代わりに傍らのフランドールが身を乗り出す。
「なになに咲夜、結局買いに行かなかったの?」
「……えぇ。妹様もご同様に、お願いいたしますわ」
「わかったわ。あ、それじゃあ咲夜、何も飲んでないの? 果実酒飲む?」
申し出を有り難いと思いつつ、咲夜は頭を横に振る。
休憩時間はもう終えた。
勤務中にアルコールは宜しくない。
果実酒程度で酔う咲夜ではなかったが、油断は禁物だ。
何より、咲夜は、飲んでいない訳ではなかったし、既に、そう、既に――。
「ふぅむ、ならばそれは私が頂こう。フランのお酒。フラン酒!」
「わ、いきなりくっつくな! きゅっとしてドカーン!!」
「ぅおう容赦なし!?」
爆散するレミリア。
正に腐乱臭の元。
いやいや。
臍を曲げたフランの首筋に身体全体でかぶりつきつつ、再生し始めた手を振り、レミリアが口を開く。
「咲夜は酒よりも茶の方がいいんでしょう。
緑茶でも烏龍茶でもなく紅茶がね。それも……。
まぁいいわ、下がって、通常業務に戻りなさいな」
一礼する咲夜。
振り向き去ろうとしたその時、耳に入る。
どこか楽しそうな指示が、レミリアより下された。
「これからは、休憩の後、私の所に来る前に、酔いと、その化粧を落としてきなさいね」
――短い了承の意を返し扉を閉めた咲夜は、紅く塗られた唇に、そっと指を這わせるのだった。
<了>
どんな間違いしてるんですかwwwww
ちゅっちゅ最高。
>こぉちや
で吹いてしまったのが凄く悔しいですorz
なんという破壊力!!!
後、まさかのバトルテックネタにPPC噴いた
雲行き じゃない?
読み間違えてびっくりした。……いえ、なんでもないです。