「どうぞ……お入り下さい。」
文に会わせて。
そう椛に頼んだのはつい先刻の事。
そうして通された寝室で私が見たものは包帯で体全身をグルグル巻きにされた文の姿だった。
足と手を片方ずつ吊っているのがとても痛々しい。
「……一体誰の怒りを買ったんだい?」
文の職業柄、そしてその気質故に、彼女が誰かの怒りを買うなど日常茶飯事だ。
しかし彼女は天狗の中でも、いや幻想郷の中でも最速と謳われる程の手練れ。おいそれと誰かに遅れを取る等とは考え難い。
要は相当の強者にそれ相応の怒りを買ったと言う事だろう。
「霊夢さんです。」
まるで今日の日直当番を答えるかのような、そんなさらっとした口調の文。
いや、今の例えはどうなんだろう? とか思いつつも、ボロボロになりながらも朗らかな様子の文にちょっと安心した。
見た目よりよっぽど元気そうだ。
「霊夢に? 私、今日会ったばっかりだよ?」
今朝方、霊夢達に博麗神社を追い出されたのはまだ記憶に新しい。
私は文と世間話をしながら、寝室に入った。続いて入ってきた椛に椅子を勧められ、腰を下ろす。
椛もまた、同じように椅子に腰掛けリンゴを剥き始めた。看病の為か、文の直ぐ近くに陣取っている。
「ええ、ええ。聞き及んでますよ。ちょうどすれ違いだったみたいで、あっ椛。リンゴは普通で良いですよ? ウサギさん仕様とか、可哀想でとても食べられませんから。
そう、私が霊夢さんたちを訪ねたのは、まさに萃香さんが神社を後にされた直後だったそうなんですよ!」
私と会話しながらも、ふと椛に注文を出す文。その良く回る舌に、本当に器用だなぁと思う。
椛も薄く笑って見せると、静かに頷いて再びリンゴを剥き始めた。
「ふ~ん……それで? 何用で神社に?」
「もちろん霊夢さんのお子さんを見に!」
「ああ……知ってて会いに行ったんだ。」
何だか話が見えてきた気がする。苦笑いを浮かべる私に気付いてない様子で、文は吊ってない方の手を椛に向かって伸ばすと、彼女から手帳を受け取り、これまた器用に片手でページを開く。
流石記者だけあって、口だけでなく手も達者なようだ。
「ありがとうございます、椛。それでですね、萃香さん。私の調べだと名前は早織(さおり)ちゃん。生後僅か一週間! 母子ともに出産後の容体は順調だそうです!」
「いやまぁ、直接会ったし紹介も受けたから私もそれぐらいは知ってるけど……。」
「あっ、それもそうですね!」
楽しそうに話す文は全く堪えた様子も無く笑顔がとても明るかった。
記者って仕事が心底好きなんだろうねぇ。……でも、それを見守る椛がちょっぴり可哀想だ。
そう思って椛を覗き見るが、予想に反して彼女の文を見つめる視線は温かく、とても幸せそうに顔を綻ばせていた。
きっと椛の目には誰よりも輝いて見えるのだろ……確かにこういう時の文は誰よりも輝いて見えるけど。
文は幸せ者だね。良いパートナーに巡り逢えてさ──そんな考え得る最高の賛辞を心の中で送る私。
二人を見てると私もいよいよ嫁が欲しくなるよ。
「それで、一体何を言ったんだい?」
そう言えば、まだ重要な事を聞き出していない。
霊夢は短気なようで、割と寛大な方なのだ。動けなくなる程怪我を負わせるなんて余程の事だろう。
そんな私の予感が的中したのか、先程まであんなに生き生きとしていた二人の顔がさっと青くなる。
「……椛。あれを。」
「……はい。」
指示を出す文の手が震えているのは怪我のせいではあるまい。
一方で、指示を受けた椛も、先程までのテキパキとした動きを忘れてしまったように、動きに迷いが見えた。
やがて取り出されたのは手のひらサイズの機械。
確か会話とかを記憶しておく物だったはず。
「えっと……それに?」
何だか空気に呑まれ、私まで声のトーンを落としてしまった。
「……はい。椛、お願いします。」
カチッ
椛が機械のボタンを押す。
すると、ざざぁーという耳障りな音ともに聞き覚えのある声が。
『すごい! 本当にお子さんが産まれたんですね!』
まず聞こえてきたのは、文の声だった。いつになく興奮しているようだ。
『ふふん。まあ、ね。結構苦労したけど、産まれた時の感動は一際強かったわ。ね、早苗?』
続いて聞こえた霊夢の声。まだ怒っている様子は無く、むしろ満更でも無い様子で、文の取材を受けているようだ。
「椛、もうちょっと飛ばしましょう。私もこの時は大分興奮しておりまして……。あ、そろそろですか? まあ聞いて頂いた方が早いんですが。」
椛の手によって再び動き出す機械。
私たちは固唾を飲んで機械から声が聞こえてくるのを待った。
『それで、霊夢さん。どうやって早苗さんを孕ませたんですか?』
『…………。』
「…………。」
機械と重なるように、重い沈黙が寝室を包んだ。
反応は三者三様で、当人である文はわざとらしく顔を背け、椛に至っては、事情を既に知っているにも関わらず顔を真っ赤にして俯いていた。
私と言えば、ただただ顔を引き攣らせていた。
それっきり機械も、私達三人もしゃべらなくなってしまったが、しかしこのままで良い筈が無い。
私は思い切って、文を問いただす事に。
「あ、文……あんた──」
『文……ちょっと面貸しなさい。』
偶然にも私が声を発するのと、機械から霊夢の声が聞こえてくるのとが、タイミングよく一致したことにちょっと驚いて、文に向きかけていた私の顔が、また機械へと向いた。
それをどうやら誤認したようで、椛が慌てて機械のスイッチを切る。
止めてくれなんて言うつもりは無かったんだけど……まあいいか。この続きは聞かなくても大体想像が付くし。
「……何か言い分は?」
「その……私、どうしても知りたくて……。」
それにしたって流石にあれは不味いだろう。
一応、反省はしているのか、すっかり恐縮している文に、私は聞こえるように溜め息をついた。
「そりゃ文の気持ちも分かるよ? でも聞き方ってもんがあるだろう?」
「はい……。」
「怪我が治ったら謝りに行くんだね。霊夢は根に持つような奴じゃないけど……そん時は私もついて行ってやるからさ。」
「はい……。」
意気消沈としている文を見て、私は仕方ないかと思った。
無論、自業自得だからと言うのもあるが、文の知りたがりは、今更直りもしないだろうと諦めの意味もこもっている。
「こんなことなら、最初から守矢神社に行くべきでした……。」
この通り、全然懲りてないのだから。
「ん? 山の神様に何かあったのかい?」
「あれ? 萃香さんご存知ありませんでした? 八坂様と洩矢様の間にも、お子さんが産まれたんですよ?」
初耳だった。神社に三週間も籠もっていたから、外の情報が全く入ってこなかったのだ。
「成る程……するとやっぱり霊夢達に子供が産まれたのも──」
「十中八九、二神のお力でしょう。」
文の瞳に光が戻ってきた。余程今回のことは力を入れてるらしい。
「やっぱりじっとなんてしていられません! 全治なんて待たなくても、明日には必ず──」
「駄目です! 文様は一週間は絶対安静なんですから!」
明日どころか今すぐにでも飛び出して行きそうな勢いの文だったが、突然大声を上げた椛の横槍に若干気押されてしまう。
それでも譲るまいと、文も負けじと声を張り上げる。
「何故ですか!? こうしている間にも同僚達によって美味しいところを持っていかれてるかも知れないのに! それに椛だってどうして女同士で子を授かれたのか気になっていたでは無いですか!」
成る程ね。文が必死になっている本当の理由はそれか。
一人納得する私を余所に、痴話喧嘩はこれからもっと繰り広げられるのかと思いきや、そうでも無かった。
その理由は、椛がさっきまでの勢いとは対称的に、モジモジとした、どこか恥ずかしさに耐えるような、そんな仕草を見せたからに他ならない。
具体的には、椅子に座ったままの体勢で身体を萎縮させ、恥ずかしさに耐えるように膝の上で握り拳を作り、それでいて頬を赤く染めた控えめな上目使いで文の顔を窺っていたりする。
「なっ、なんですか?」
手のひらを返したかのように大人しくなった椛に、拍子抜けしたのか……それとも単に小動物を思わせる椛の仕草に当てられてか。
文も先程までの勢いを無くしてしまっていた。
それでも文は、流されまいと、意思を貫こうとしているらしい。
「だって……私の有休……無駄になっちゃいますから。」
「え……? ……休み、とったんですか……?」
「はい……だから文様には一週間、私の看病を受けて貰いますから……///」
「…………そ、それじゃあ…………仕方、ない……ですね。」
しかし愛情たっぷりの椛の言動に、全くと言って良いほど健闘も見せず、あっさり丸め込まれる文。
すっかり毒気を抜かれたようで、起こしかけていた体を再びベッドに鎮めると、「よ、よろしくお願いします///」と気恥ずかしそうにしながらもそう椛に伝えたのだった。
「……ごちそうさま。」
とてもこれ以上は見てられない。
私はお熱い二人にそれだけ言うと、そろそろお暇させて貰う事にした。
「あれ? 萃香様? リンゴ、食べられました?」
そう言って椛にお皿の上に盛り付けられたリンゴを差し出されたが、丁重にお断りをする事にした。
そもそもそういった意味で言ったんじゃないし。 首を傾げる椛と文に手を振って私は寝室を後にした。
文たちとの会話をきっかけに、やっぱり気になった私は、山の頂にある神社に来ていた。
来るのが初めてという訳でもないのだが、ここの二神とはそんな仲の良い関係と言うわけでもない。
だから訪ねた所で、どんな態度で臨めば良いのかイマイチ分からないし、相手の出方もさっぱり読めない。
一人で来るのは失敗だったかな……。
早速後悔の念に流され始めた私だったのだが──それはどうやら杞憂であったようだ。
「娘の皐月(さつき)だ! どうだ! 可愛いだろう!?」
なんて言ったかな……そうだ、思い出した。
噂通り、山の神はとってもフランクだった。
赤ん坊を抱いた八坂神は開口一番に、満面の笑みで娘自慢をしてきた。
「……なんだ、ただの親バカか……。」
何となく、ちょっとがっかりだ。そんな思いから、つい口から零れた本音を八坂神は聞き逃さなかった。
「誤解して貰っては困る!」
力強く胸を張るその姿は、女性の身ながら逞しさを感じさせ、正に神の名に相応しい──
「嫁も自慢だ!」
──姿など微塵も感じさせてくれる事は無く、最早ただの家族を溺愛するお父さんだった。
中佐、それ……死亡フラグです。
「もう! 神奈子ったら! またそうやって誰それ構わず自慢して……ホントっ恥ずかしいんだから!」
「ああ、諏訪子。丁度良い所に。お客さん、私の妻です。」
「あら、どうも。妻の諏訪子です。って誤魔化されないよ?」
「はっはっはっ。すまんすまん。つい、な?」
そう言ってぺこりと頭を下げたのは、この神社のもう一人の神、洩矢神だ。
彼女は挨拶もそこそこ、すぐに夫の惚気に対して突っ込みを入れる。だけどやっぱり悪い気はしていないのだろう、どこか嬉しそうだ。
それが分っているからこそ、八坂神も冗談が言えるようだ。
何というか、これまで幾つものカップルを見てきたけど、ここまで落ち着いた雰囲気を出しているカップルに会うのは初めてな気がする。
「それはそうと、神様の子って言っても人間の子と全然変わんないね。」
やっぱり気になるのは赤ん坊のこと。
しかし神奈子に抱かれる赤ん坊の顔を覗き込んで見ても、霊夢のところでみた赤ん坊と大差ないように思える。
「ああ。それはそう見せてるだけさ。信仰が集まっていないから、まだ力も十分ではないしね。」
「神って言うのは信仰無しでは存在できないからね。だから私たちで守って上げられるように、こうやって赤ん坊の姿をしてるんだよ。」
「ふ~ん……。」
二神の説明を受けるも、なんだか分ったような分らないような……ただ守ってやるだけなら何も赤ん坊でなくてもいい気がするけど。
「皐月もいつかは立派な神様になるんだもんねぇ~? それまでは私達がずぅ~っと傍にいるからねぇ~。」
八坂神から赤ん坊を受け取った洩矢神。
あやしながらも、赤ん坊に優しく語り掛けるその姿は、まさしく母親だった。
隣に立つ八坂神も、笑顔で愛娘の顔を覗き込む。
そんな幸せなそうな家族の姿をみてるだけで、私にも幸せがお裾分けされた気分になれた。
「うんうん♪ なんだかとっても良い感じ♪」
思わず信仰したくなる程だ。
ひょっとしたらこういう狙いもあるのかもね。
「この様子なら、霊夢ともうまくやってるのかな?」
前は八坂神と霊夢の間で、いざこざがあったらしい。
でも互いに子供も産まれ、今はきっと落ち着いているのだろうと、それだけを理由に私は思った。
──だが、どうやらそれは、浅はかだったらしい。
「…………う、うおぉぉぉぉぉお~~~!! 早苗~~~!!!」
「う、うわぁ!!!?」
突然その場に泣き崩れる八坂神。
悔しさの余りか強く拳を叩き付けている為、境内の参道が見る見るうちに抉られていく……。
神様が取り乱す姿なんて初めて見るもんだから、私は驚いてしまったのだが、妻である洩矢神が全く動揺していないところを見ると、これは日常茶飯事なんだろうか?
「早苗の事になるとすぐこれなんだから……ごめんさないね、折角来てもらったのに見っとも無いところを……ほら、神奈子! しっかりして! お客さんの前でしょう!?」
八坂神を立ち直らせるつもりなのか、彼女は目線を合わせるように地面に膝を折った。
とりあえず私は固唾を飲んで成り行きを見守る事に……。
「皐月も見てるよ? ほら。お父さんはどうして泣いているのかなぁ~って。格好悪いよねぇ?」
成る程……娘を使ってきたか。
っていうかやっぱりお父さんなんだ。
「……見ている? 皐月が? 私を……?」
どうやら効果は覿面のようだ。
八坂神は泣くのを止め、わなわなと震えだしたかと思うと、突然有り得ないほどの神々しさを迸りながら宙に浮き上がった。
「我を呼ぶのは何処の人ぞ……。」
「いや、それ言うの遅いから……。」
そもそも人じゃねえし。
しかし私の事なんて関係ないようで、直ぐに後ろにいる家族に振り返る八坂神。
「どう? 諏訪子? 決まってた? 今の私格好よかった?」
「ばっちりだよ! 流石私の旦那様! 皐月も安心したよねぇ~?」
つ、付き合いきれん……。
結局ここも他のバカップルと大差なかったか……。
いつまでも木霊する二人の笑い声を耳にしながら、妙な悔しさを滲ませて、私は境内を後にした。
──ちくしょう! 私の感動を返せ!
ホント、つまらない寄り道をしてしまった──と、結局最後には後悔する私だった。
頑張るのはせめて治ってからにしてあげて! 有給はあと2週間取らなきゃ駄目だ! え? 違うの?!
諏訪子様よくできた奥さんだ……でも、どうやって赤ちゃん作ったか方法聞いたら頬に両手を当ててクネクネしながら延々とノロケ話しそうだから、早々に立ち去ったのは正解だ。
この先どんな結末になるのか本当に楽しみにしています。萃香、別に嫁に拘らなくてもいいんじゃないのか? 婿でも……
さておき、バカッポゥ話おいしいです。
次はどこか凄い気になります
萃香さんはお相手を見つけられるのでしょうか。はてさて。
…気のせいじゃ…ないよなぁww