サテ、これは幻想郷に何時からか流布した、ちょッとした奇譚、怪談の類である。話のタネになッたのは、何処ぞの某の見た悪夢だとも、実際あッた話を面白オカシク改変して、婉曲にしたオハナシだとも云はれてゐる。どちらにしてもその真偽に意味はなく、ちょッとした、幻想郷の夜伽のお話となッてゐる、とお思ひ頂ければ結構至極である。前置きはこのくらゐにして、その御話と云ふのが、かうである。
白黒の魔法使ひがゐた。彼女は幻想郷を駆け巡ッては窃盗を働くこと甚だしく、つひにはその罪状の高々と積み重なること、閻魔の堪忍袋をも切らむばかりとなッた。これはもはや彼女の友人たち、人間の守護者、寺の上人、博麗の巫女でさへも弁護の余地無く、処刑判決が下るに至ッた。刑の執行方法は斬首に決定せられた。青天の許に、刑は厳かに執り行はれた。大上段からマサキリが振り下ろされ、首がポンと飛び、スッテンコロコロと転がッた。これによッてさすがの魔法使ひも反省したと見え、その首はヨイショと起き上がると、人目をはばかるやうにソソクサとその場を後にしたと云ふ。
サテ、翌朝である。博麗の巫女が平生のやうに、朝の掃除をせむとて母屋を出たところ、神社の縁側に例の魔法使ひがゐた。首だけの形となッてゐた彼女は、しかし、かへッてせいせいしたやうな表情をして、座布団のうへにその身体を預けてをり、巫女の出てきたのに気付くと、ヤア、と挨拶した。あまつさへ、茶はどうした、と催促までしたのである。
「随分な形をして、結構なことね」
と巫女。魔法使ひはハゝゝと笑ッて、座布団の上でユラゝゝと身を揺らした。
「なァに、余ッ程のことがない限り、裸一貫でさへ、人間は幾らでも生きていかれるさ」
「不便じゃないの」
「寧ろ、文字通り身が軽くなッた故、気分がフハゝゝして実に愉快だ」
「さうなの」
博麗の巫女、これを見て、アア、こやつの反省も三日坊主にさへ満たなかッたか、仕様の無い、阿呆は死んでも治らぬ、と呆れつつ、不図、カラゝゝと笑ふ魔法使ひの横顔に、妙に見惚れてゐる自分を発見した。彼女の顔に、一種、悟りを開けし聖人のごとき、爽やかな輝きを見出したのである。巫女は狼狽へた。我が心を、かの生首を羨望の眼差し以て眺めてゐる心を、信じられぬやうな気持がしたのである。知らず、巫女は固唾を呑んだ。
「それ程に、気分が好ひのか知らん」
「ウム、茶を呉れないのか」
「淹れるわ。首だけと云ふのは、気分の好ひものなのか知らん」
「さうだな。身体のあッた時は諸々のことに如何に煩はされてゐたか、この身になッて漸く気付かされたやうな格好だ。人間の暮らしは兎角、忙しくてかなはぬ。それが見ろ、今となッては重荷を下ろして軽がると、ゆッくり時間を過ごすだけだ。人生に余裕を見出さむと云ふならば、身体などは余計の筆頭なのだ。ものを見る目があり、ものを云ふ口があり、ものを考へる脳髄がある。このうへ、何をか望むべき。それよりも、茶だ。一番茶の好いのを熱々で、宜しく頼む」
巫女はつひに、手に持ッてゐた箒を取り落とした。全身をブルリと震はせ、一種感極まッたやうな、恍惚の表情を浮かべてゐた。魔法使ひが訝りつつ眺めてゐると、突然、巫女の首が、風も吹かぬのにポロリともげた。かと思ふと、胴からサーッと落ち、スッテンコロコロカラカラカラと金属性の音を鳴らしつつ、境内を転がッたのである。さうして、雀の子がふたつ、みッつと鳴く間を置いて、巫女の首はムクリと起き上がッたのである。巫女は、フウ、とひとつ息を吐き、笑ッた。その表情には、世捨人、はたまた大僧正のごとき、則天去私の爽やかさを湛へた輝きが宿ッてゐた。魔法使ひはアハゝと笑ッた。
「どうだ、気分が好からう」
「アア、あなたの云ふ通りだわ」
「さうだらう、さうだらう」
「人生の煩事はかやうに捨てて、ゆッくり過ごすべきだわ」
「さうとも。ゆッくりこそ人生だぜ」
かうして、二人の生首は縁側で寄り添うようにして時を過ごし、無為自然、時の流れに身を任せてゆッくりと人生を楽しんだと云ふ。なほ、巫女の余ッた胴体であるが、アア勿体無い、とスキマから現れた妖怪がペロリと平らげた。以上が、幻想郷に「ゆッくり」なるものの流行せらるることの始まりを云ッた顛末である。それ以降、この話のやうな生首を見かけたときには「ゆッくりしていッてね」と云ふことが礼儀だとか、はたまた、生首が通行人に「ゆッくりしていッてね」と云ふとか、定説のあるではないが、俗説の流布に至るやうである。
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-''":::::::::::::`''> ゆッくりしていッてね!!! <
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※ 一部、深沢七郎「風流夢譚」より着想を得ました。
つくし
http://www.tcn.zaq.ne.jp/tsukushi/
得も言われぬまったり感とシュールさが組み合わさっていてなんというか
ごちさうさま!
ゆっくりの誕生にこんな解釈があったとは
何が10回って?きまってゐるじゃあないですか、あとがき含めて作品中にてゐって出てきた回数ですよ。
しっかしおかしいですねぇ、これだけ名前が出てきてゐるのに彼女の姿が何処にも見られない。
ねぇ旦那、彼女が何処にいるのかご存じありません?
不思議な味わいを堪能させていただきました。
歴史的仮名遣いでもさっくり読めたあたり、お話としてのレベルの高さがうかがえる気がします。
ごちそうさまでした。
ほうゆっくりにこんな秘話が…と思うより何より、読んでいて気持ちがよかった。
字を追うことが楽しい、なんて稀有な経験だと思うのです。ありがとう。
あぁ、ゆっくりもちもち霊夢が食べ……うん
おもしろかったです。