「おねーぇちゃん♪」
そう言って後ろから抱き付くと、腕がお姉ちゃんの体にめり込んだ。
ぶにょんと。
「なにこれ」
「あぁ、帰ってきていたのですか。外は楽しかったかしら?」
振り返ったお姉ちゃんの表情はとてもにこやかで、思わず私まで釣られてしまいそうになる。
って、そうじゃなくて。
体、体。
ゼリーみたいになってるんだけど。
「どういうことなの……」
「……どうしたの、こいし? ぼーっとして……熱でもあるの?」
「いや、それはお姉ちゃんの方なんじゃないかな」
あつ過ぎてたんぱく質までどろどろになってたりして。
あれ? 熱いと逆に硬くなるんだっけか。どっちだっけ。
いやうんまぁ、いくら熱いからってこんなぶよぶよはしないと思うけど。
それまでぎゅっと抱き付いていた体を離し、一歩後ろに下がって様子を見てみる。お姉ちゃんの体は私の型をそっくりそのまま取っていて、なかなか元に戻らない。ゆっくりと時間を掛け、歩くような速さで少しずつ窪みをなだらかにさせていき、最後にはぼん! と音が鳴りそうな勢いで凹みは素早くいつものお姉ちゃんの形へと戻った。
最早人体の神秘ね。
「とりあえず……その体はどういうこと? 説明して貰えるかしら」
「ああ、このこと。……と言っても、私も実のところはよく分かっていないのだけれど……どう説明したらいいものかしらね」
お姉ちゃんは首を傾げて、顎に手を当てて視線を宙へと投げ掛けている。何やら複雑な事情でもあったのだろうか。私はどんな事情があったとしても、こんな異常な現状には決してなり得ないと思うのだけれど。
やがてお姉ちゃんはうん、と一度軽く頷き、体の端々をぷるぷる震わせながら両手の指先を重ね合わせた。
「そうね……少し長くなるけど、初めから説明した方が分かりやすいでしょう。それでいいかしら?」
「もーまんたい。何でも構わないわ。ささ、早く早く」
私がそう言うとお姉ちゃんはまた一度こくりと頷き、ゆっくりと語り始めた。
◆
おくうレンジ(仮)です、と言ってお姉ちゃんが見せた物は、妙な箱に繋がれたままじっとしているおくうだった。
目を閉じている辺り、じっとしているというか寝てるだけっぽい。
胸の目玉みたいな飾りから伸びたコードが、そのまま白い箱と繋がっている。細長くつるのような、さながら私たちのサードアイから伸びる線のようなそれは、時折脈打ちそれに合わせておくうも体をびくんと跳ねさせていた。
勿論体もぶるんぶるん震えていた。
お姉ちゃんと同じく、ゼリー状になっているみたいだ。
「これが……何?」
「おくうレンジ(仮)です」
「それはもう聞いた! っていうか(仮)ってなに? なんでわざわざ口で『かっこかり』って言ってんの!?」
「ネーミングがあまりにも安直過ぎるかな、と思って……まぁ、応急処置みたいなものね」
意味が分からない……。
まぁお姉ちゃんの言ってることがわけ分かんないのはいつものことだけど。
「じゃあ……この箱は? なんかメカメカしいけど」
「それは『電子レンジ』というそうよ。河童の作ったもので、なんとボタン一つで何でも温められるとか」
「何それ。胡散臭い」
「私もそう思うわ。何せ天狗に売りつけられたのだから」
うわっ!
胡散臭っ!
全然関係ないところに出てくるあたり胡散臭っ!
「それはともかく、この電子レンジには何かしらのエネルギーが必要らしいの。動力、というわけね。そこでおくうを起用したと」
「あぁ、そう言えばおくう、パワーが有り余ってるみたいなこと言ってたもんね。成程、それでおくうレンジ……」
「(仮)」
「そここだわるんだ」
よく分からないなぁ、その感覚。
別にいいけど。
「それで……どうしてこんな……えぇっと……」
「私たちの体のこと?」
「そうそう。そんなことになっちゃったわけ?」
口ではとても形容し辛いから、どう言おうか困ってしまう。今回は幸い、お姉ちゃんが意を汲んでくれたから助かったけど。
何も動じていない様子のまま受け答えできるその精神力、どこから来てるのかしらね。
「えっと……それで接続した後、試しに使ってみたのよ。その時ちょっと肌寒かったから、家の中を暖めてみようって」
「……そんなことできるの?」
「物を温める、と聞いていましたが」
「…………」
うーん……できるのかなぁ、それ。
私よりちっちゃいような箱なのに。
でもそれを言ったらストーブもそうか。
凄いなぁ、ストーブ。
「で、それで? 部屋を暖めようとしたら?」
「気付いたらこの状態に」
「…………」
えーと。
色々すっ飛ばしてませんかさとりさん。
「私も不思議なのだけれど……本当に、一瞬のことだったから。何が起きたのか、実際のことはよく分からないの」
「そう……なら仕方がないわねって納得できるかぁっ!!」
びしぃっ、と素早く突っ込みを入れる。
振り下ろされた手刀はぐにょんとお姉ちゃんの胸部に食い込み、優しく受け止められてしまった。
うへー……嫌な感触……。
「だからね、天狗に連絡して製作者の河童を連れてきて貰ったのよ。こんなことがあったんですけど、原因は分かりますかって」
「へー。アフターケアもばっちりなのね」
「でも分からないって」
分からなかったなら言わなくてもいいんだけど。
何? 漫才でもやりたいわけ?
「その代わり、私たちの体がどうなってるのかだけは教えてくれたわ」
「なんだ、結局教えて貰ってるんじゃん。それを先に言ってよ」
「とは言ってもねぇ……私も詳しくはないから、どういう意味なのかは分からないのよ。それでもいいなら言うけど」
私はこくりと頷く。
理解できなくても別に構わない。もうここまできたら野次馬根性だ。勿論それ以上に、身内がおかしなことになっている原因を知りたいということもあるのだけれど。
でもやっぱり、ただ単純に気にはなる。
私はわくわくとしながら次のお姉ちゃんの言葉を待つ。呆れた様子で眉をひそめたお姉ちゃんが深く溜め息を吐き、すぅっと息を吸ったところで、突然私の背後からがちゃりと扉の開く音がした。
はて、誰だこんな時に。思いっきり不機嫌な表情を作って振り向くと、目に入ったのは我らがペット、お燐がそこに立ち尽くしていた。
「あれ? さとり様に……こいし様じゃないですか。どうしてこんなところに?」
「どうしてって言われても……ここ私の家じゃない」
「それもそうですね。失礼しました」
はは、と笑ってぺこりと頭を下げるお燐。いつものお下げは解かれて、軽くウェーブの掛かったセミロングと化している。よく見れば髪の毛全体がしっとりと濡れている辺り、お風呂にでも入っていたらしい。
ついでに言うと全裸だ。
まぁ、猫だし。
美乳の部類に入るであろう、やや慎ましげな、白磁器のような胸も僅かに揺れる。軽い嫉妬を覚えつつも、私は敢えてそれには触れずにおくことにした。触れたら負けな気がするからだ。
「うにゃ? おくう、そんなとこで何やってんのさ。おーい」
「燐。今はそっとしておいてちょうだい。使わない時に電源を入れるのも、あんまり気が進まないし」
「そですね。そういや今は電子レンジになってたんでしたっけ。なら仕方ないか」
笑いながらこちらに歩み寄ってくるお燐。その歩調に合わせて上下に揺れる胸が、今の私にはとても眩しかった。
ってあれ?
「今の口ぶりだと、お燐は事情をよく知らないみたいだけど……なんで? 同じ場所にいなかったの?」
「あぁ、燐はその時神社にいたのよ。だから運良く被害を免れたってわけ。貴女と同じね」
「ふーん……そうだったの」
じゃあさっき揺れたのは天然か。
もぎとるぞ。
「にしても電子レンジ、ねぇ……あ、そうださとり様。これで髪の毛って乾かせますかね? 温めるんだから同じことなんじゃないかと思うんですけど」
「ふむ……それもそうね。じゃあ、ちょっと試しにやって」
「いやいやいやいや。ちょっとお待ちよお二人さん。それはいくらなんでもないでしょう」
私の突っ込みに、二人は不思議そうな顔で返す。
いや、こっちが不思議に思いたいくらいよ。
「こんな話を聞いたことがあるわ……猫を電子レンジに入れて加熱すると、爆発すると。お燐、そんな目に遭ってもいいの?」
「……それは……嫌ですねぇ」
おっかなびっくり、肩をすくませてお燐は答える。やや震えているように見えるのは気のせいではないだろう。私がいなければ同じ末路を辿っていたに違いないのだから。
しかしお姉ちゃんは至って平然として驚きもせず、ひょうひょうとした表情を保っている。そしてやや首を傾げて、不思議そうな面持ちになって言った。
「おかしいわね……私が聞いた話だと、それはデマだということだけれど……さて、真実はどちらなのかしらね」
「どっちでも良くない? どっちにしたってお燐死んじゃいそうだし」
「それもそうね」
ひう、とか細い悲鳴を上げるお燐。苦々しげな顔をして両腕を抱きかかえている。見た目は立派なお姉さんなのに、仕草がまるで子供らしい。
あぁもうかわいいなぁ。
まぁ虐めるのはこれくらいにして、と。
本題。
「お燐が来たから中断しちゃったけど……それで? 河童の話した原因っていうのは、一体何なの?」
「えぇ、それがね……私たちの体の構造が、どうやらフラクタル化しているらしい、と」
「……? フラクタル化? 何それ?」
「だから言ったでしょう? 私にもよくは分からないって……まぁ、簡単に言えば中の分子が形作る図形が、全て相似になっているってことらしいけど」
「はぁ? どういう意味?」
「中身がすかすか」
「オーケー分かった」
中身が詰まってない分柔らかくなってしまったわけね。ゴムボールみたいなものかしら。
それでゼリーみたいになるのは、如何とも理解し難いけれど。
ふぅむ……流石にそういった専門的な話になると、どうにも手が出せなさそうね。
さて、どうしたものやら。そんな風に私が首を捻っていると、でも、とお姉ちゃんが更に続ける形で付け加えた。
「多分、どうして私たちの体がフラクタル化したのか、についてはある程度説明がつくと思う。私の予想が正しければ、の話だけれど」
「……さっすがお姉ちゃん。よくそんなことが分かるわね」
「だから正しければ、なんだけどね」
自信なさげに呟くお姉ちゃん。
でも、私は知っている。そんな態度を取っている時こそ、お姉ちゃんは自分の考えに自信を持っているということを。
八の字に曲がった眉の下、眠そうに半分だけ閉じられた瞼が、僅かに歪んだ気がした。
◆
「――電子レンジは、分子を揺らす」
唐突に、お姉ちゃんはそんなことを言った。
「はぁ?」
「そうやって物を温めるのよ。以前本で読んだことがあるわ」
何のことはない、とでも言うかのようにお姉ちゃんは言い放つ。余程自信があるみたいだから、それは恐らく真実なのだろう。
でも。
「それが何なの? あんまり関係ない話のように聞こえるけれど」
「思い出してご覧なさい。私たちの分子は以前と構造を変化させている――この二つの繋がり、無理やり繋げてみるとすると?」
「……電子レンジは分子を揺らして、結果、お姉ちゃんはゲルゲルしいことになってしまった……何かが間違って」
「そう。その温めるという工程において、何か手違いが発生してこんな事態になってしまったということよ」
自信満々に語るお姉ちゃん。
まぁ、おかしいところは特に見つからないけれど。
「それで? その手違いって言うのは?」
「そこよね……私たち素人じゃ、結局そこまでが限界みたい」
だめじゃん。
だめじゃんそれ。
何の意味もないじゃん。
勿体ぶる必要なかったじゃん。
私はお姉ちゃんの両肩に手を置き、すっと息を吸う。そして目をつぶり精神を統一し、深く息を吐いて、
思いっきり揺さぶった。
「だぁーかぁーらぁ! それでどうすれば元に戻れるかが分かんなきゃ意味ないんでしょうがぁぁぁぁっ!!」
「ああああぁぁぁぁ……こいしいいいぃぃぃぃ……激しく揺さぶると崩れる、崩れるからあああぁぁぁぁ……」
言われて慌てて手を止める。
あー。
ちょっと変形してるや。
「ごめんなさい……ちょっと我を見失ってたわ。あともう少しで、私は取り返しのつかないことを……」
「いいのよ……分かってくれたのなら、それで充分だわ」
焦燥した表情で、ぜーはーぜーはーと息も荒くお姉ちゃんはぐったりとそこに横たわった。力なく呟く様はとても痛々しく、私ですら思わず目を背けてしまうような状態だ。勢いに任せてやったとはいえ、少しやり過ぎてしまったかもしれない。
むぅ。
悪いことしたなぁ。
反省。
「まぁ、こいしの焦る気持ちも分かるんだけどね……でも、もう少し落ち着いてくれてもいいんじゃないかなぁ、って、お姉ちゃん思うな」
「うん……本当にごめんなさい。かくなる上は、代わりにお燐をゼリー化させるから……」
「へ!? なんで私!?」
お燐が尻尾をぴんと立てて、慌てた様子でこちらを見る。
いい加減服着てもいいと思うんだけど。
家の中って言っても限度があると思うんだ。
「こいし……燐をからかうのも程々になさい。ほら見なさい、怯えているじゃない」
お姉ちゃんの言う通り、お燐はすっかりびくびくとして縮こまっている。私が一瞥を投げ掛けると、部屋の中を大きく旋回してお姉ちゃんの背中の方に回ってしまった。
虐め過ぎて少し嫌われたのかもしれない。やり過ぎね。反省。
そんなお燐もかわいいんだけど。
「それに、一つ言っておくと……私はただ、ボケるためにさっきの考えを披露したわけではないわ。まだもう一つ、私たちが元に戻ることのできそうな考えがある」
「……なんですって?」
お姉ちゃんはゆっくりと起き上がり、体全体が歪んでいないかどうかを確認してから立ち上がる。そして一拍置いてから、殊更勿体ぶった口調で本題を切り出し始めた。
「いい? 私たちは温められた結果、半分溶けたと言って良い状態に変質してしまった。なら、それを元に戻すにはどうすればいいと思う?」
「……その、反対のことをする?」
「そう。つまりね、こいし。私が言いたいのは――」
冷やせばいいのよ。
単純なことだけどね、と最後に付け加えて。
◆
「そんな簡単にいくのかなぁ……」
「やるかやらないか、で言えばやらないわけにはいかないわ。私としては別にこのままでも構わないけれど……それじゃあ、貴女が嫌なんでしょう?」
私はこくりと頷く。
こんなの、お姉ちゃんの形をしたゼリーでしかない。
決して、お姉ちゃんなどではないのだ。
「じゃあ、やってみないと。やるだけの価値はあると思うしね」
「でも……本当に出来るの? おくうレンジ(仮)を使って冷凍する、なんて芸当」
「温めることができるのなら、その逆ができない筈がない――エネルギーは等価に交換される。一度温めることができたのなら、その逆に熱を奪うこと、すなわち分子を固定させることも可能なはずよ」
「でも、それなら冷蔵庫の中とかに入ってればいいだけの話なんじゃない? なにもわざわざ、危険な方を選ばなくたって……」
「それだと意味がないのよ。分子の構造を変える機能を持ったのはおくうレンジ(仮)のみ。普通の冷蔵庫なんか使ったら、それこそ私は入った時の格好のままかちんこちんに固まってしまうでしょうよ」
「……できる、のかなぁ。本当に」
「それも空次第。エネルギーを司っているのはあの子だもの。その分融通が利くから、こんな曲芸もできるんだけどね」
お姉ちゃんは力なく笑う。
一番怖いのは、お姉ちゃん自身だろうに。
だというのに、私たちへの気遣いばかりしているのだ。
もうちょっと、自分本位でも、いいんじゃないのかなぁ。
「さて、と……燐、そっちの準備はできた?」
「あいあいさー。おくうはしっかり起きてますよっと」
お燐の返事とともに、うにゅ、と眠そうな声。
おくうが目覚めたのだ。
お燐はこれまでの経緯をおくうに話し、これからやるべきことを詳細に伝えている。その間私たちはペットたちをなるべく別の部屋に避難させ、余計な影響を与えないように留意した。
やがて最後の一匹を移し終えて部屋に戻ると、どうやらお燐の方も説明が終わっていたらしい。おくうはすっかり目覚めた様子で、髪の毛をしきりに指で触っていた。
「……空。話は聞いたわね? 大変なことかもしれないけれど……貴女だけが頼りなの。やってくれるかしら?」
「うにゅ! 分かりました、やってみます!」
任せろ、といった具合にどんと胸を叩くおくう。ぶるんぶるん揺れる大きな双丘が恨めしい。それでも頼もしいことには変わりない。
私とお燐は安全のため壁際に立ち、そこから様子をうかがう。お姉ちゃんだけがおくうレンジ(仮)の前にいた。おくうはしばらくその場にうずくまっていたが、やがておもむろに立ち上がると左手の親指と人差し指でL字を作り高々と掲げながら高らかに宣言した。
「エネルギー100%、充填完了! フルエネルギー解放スタンバイ! 発動! 爆符『ペタフレア』!!」
ちょ、それ違
チャント読むんだ
おくうレンジ(仮)からは電磁波の代わりにαβγ中性子線が激しく放出されている事が分かりました。
人間ならでろんと融けて終わりな所が、妖怪なのでゲルゲルしくなっている模様です。
薬屋によるとお肉を食べれば固くなるとのことでした。
河城にとり
ナイス爆発。