湖の畔にある、血のように赤い洋館。
朝日に良く映える紅魔館には、日光が苦手な吸血鬼が棲んでいた。
「全く、今日も良い天気ね」
「ええ。絶好の洗濯日和ですわ」
窓から漏れる太陽光が煩わしいと、室内でも日傘を差す吸血鬼少女の傍らには、一人のメイドがかしづかえていた。
にこにこと微笑むメイドに目を遣り、少女は溜息をつく。
「そういえば咲夜。良い天気な所為か、今日は頭が春な人間達が二人程やって来た気がするんだけど、気のせいかしら」
「ええ、やって来ましたわ。例によって門番は何の役にも立ちませんでしたが」
「一人は紅白巫女。もう一人は……誰だっけ。あの緑色の髪の子」
「東風谷早苗、と名乗ってましたわ。博麗霊夢と同じ巫女のようなモノ、とお考え下さい」
相変わらず笑顔を浮かべたまま、十六夜咲夜は問いかけに応えた。
主人であるレミリア・スカーレットをもってしても、その笑顔の裏にどのような真意を隠しているのかは判別できない。
もっとも、だからこそ二人は今まで問題無くやって来られたのだが。
「ふぅん。で、その巫女コンビがウチに何の用があるっての?
招待した覚えなんか無いんだけど」
「ええ。お二人ともゲストとして来られた訳ではないんです。
何でも、メイドとして働きたい、ということで」
「……は?」
とうとう賽銭だけではやっていけなくなったのか?
レミリアが咲夜の顔を見ると、メイド長はやっぱり笑顔のままで頷きを返して来た。
「あくまで建前上は信仰を集めるため、らしいですけどね。
私にはどうしてメイドで信仰が集まるのか、理解できませんわ」
「ふむ。貧乏巫女には貧乏巫女なりの事情があるってことか。
それで? 二人はメイドとしてやっていけそうなの?」
「東風谷早苗はともかく、博麗霊夢は──」
メイド長は笑っていたが、その目に宿る光に紅いモノが混じっていることにレミリアは気づいた。
近い内に、紅魔館に血の雨が降ることになるかも知れない。
そんな予感を抱きつつ、吸血鬼は「巫女の血はどんな味がするのかしら?」などとぼんやりと考えていた。
◇◆◇◆◇
遡ること数刻。
博麗神社の社には、いつもの巫女と、彼女によく似た服装の少女の姿が在った。
「──信仰が、足りないと思うんですよ」
本人が自覚していることを改めて口にされると辛いものである。
東風谷早苗の放った一言は博麗霊夢の自尊心を著しく傷つけたが──飲み込んだお茶と共に、彼女はそれを水に流した。
(ていうか、あんたにだけは言われたくないわね)
「確かに妖怪の皆さんの信仰は集めました。しかしですね、妖怪の数は人間に比べると随分少ないんです。神様の力を維持するのに、とても十分とは思えません。
やっぱり里の人達の心を掴む必要があると思うんですよ。私も、あなたも」
「今更そう言われてもねぇ。失われた信仰を取り戻す難しさは、あんたが一番良く分かってるでしょ?」
博麗神社に参拝する物好きな人間など、年に数人居るかどうかだ。
お賽銭の金額がそのことを物語っている。
(だから妖怪退治をしなきゃいけないってのに)
お茶をずずずと啜りながら、霊夢は嘆息する。
最近立て続けに起きた異変のおかげで当面は何とかやっていけそうだが、今後の生活の保証は何も無い。
かと言って、特に良い手が思いつかないのだから仕様が無い。そう思って、今まで諦めていたのだが──。
「そうです。信仰を集めるには、今までにない思い切ったことをしなければなりません。
そこで私は考えました! メイドさんになるんです!」
「……は?」
お茶を吹きそうになった。
意味が分からず、霊夢が聞き返すと。
何か確信でもあるのか、早苗は力強く頷いてみせた。
「実はですね。私がここ幻想郷に来る前──外の世界に居た頃、メイドさんが一杯居るお店でバイトしたことがあるんですよ」
メイド喫茶、と早苗は言った。
彼女の話によると、その店で働き出してから程なくして、守矢神社の信仰心が十倍以上にも膨れ上がったという。
正に奇跡を起こす程度の能力。
潰れかけていた神社は何とか息を吹き返し、神様達も消滅を免れた、というのだ。
(信じられない。何でメイドで信仰心が?
けど……もし事実なら。試してみる価値は、あるのかも)
十倍の魅力に、霊夢は惹かれた。
彼女は気づいていなかったのだ。零に幾ら掛けても変わらないことに。
メイドと聞いて、彼女がまず一番に思い出したのが紅魔館だった。
あそこはそこら中メイドだらけだ。しかもメイド長はあの十六夜咲夜。
さぞかし信仰に溢れているに違いないと、霊夢は早苗を連れて紅魔館に向かうことにしたのだった。
◇◆◇◆◇
「──てな訳で、意気揚々とやって来たはいいんだけどさー。
はぁ。いくら何でも、これは無いんじゃないの?」
眼前に延々と広がる廊下を見つめ、霊夢は溜息を一つついた。
どうやらここの主は広い空間が好きらしい。誰の仕業かは明白だが、実際よりも遥かに水増しされた赤絨毯敷きの廊下はどこまでも果てしなく続いており、目にしただけで掃除する気力を萎えさせる。
「大体、こんなことしてて本当に信仰が増えるのかしら」
「大丈夫、私を信じて下さい! 信じる者は救われるのです!」
霊夢が思わず漏らした呟きに応えたのは、彼女が今現在ここにこうして居る原因を作った少女だった。
いつもの巫女服の代わりに紅魔館支給のメイド服を纏った彼女は、満面の笑顔で銅像を拭いている。館の主人を象った銅像を。
「どうでもいいけど。随分楽しそうね、あんた」
「そりゃあそうですよ! 晴れて憧れのメイドさんになれたんですから! どうですこの服、似合ってますかー?」
そう言って作業を止め、スカートの裾を持ってくるりと一回転してみせる早苗。
彼女はどうやら、衣装についての意見を聞きたいらしい。その気持ちは分からなくもないが、霊夢にはそれに付き合ってやる気力が無かった。冷たく切り捨てる。
「いや、正直なところどうでもいい。どうでもいいし、着心地もあんまり良くない。ぴっちりし過ぎてて手とか動かしにくいわー。何で腋が空いてないのかしら?」
「……腋の空いたメイド服ってのもどうかと思いますけどね。あ、でもほら、裾にフリルが付いてるんですよ? ひらひらしてて可愛いと思いませんかっ?」
「心底どーでもいい」
「ひーん」
(んなことより、今あんたが一生懸命磨いてた銅像の方が気になるわね。レミリアの奴、相変わらず趣味が悪いんだから)
紅魔館の主人、レミリア・スカーレットの銅像は、だだっ広い廊下の左右に点々と置かれていた。大体十メートル置きくらいだろうか。なにぶん空間が広いのでその総数は確認できないが、恐らく百は下らないだろう。はっきり言って資源の無駄だと霊夢は思った。
早苗に与えられた仕事は、その全レミリア像の手入れだった。悪魔の像を、神に仕えるべき巫女が磨く。ある意味、それは酷く背徳的な光景に思えたが。
「可愛いのになー。残念です、霊夢さんにメイド服の良さが分かってもらえなくて」
(そこらへんは全然気にしてなさそうね……全く、神様連中の教育はどうなってんのかしら?)
ひょっとしたら。妖怪の信仰を掻き集めている内に、魔的なモノに対する抵抗意識が薄れていったのかも知れない。自分の所の神社が徐々に妖怪達に占拠されつつある事実を棚に上げ、霊夢は独り、守矢神社の行く末を案じるのであった。
しかし、それにしても──この、嫌がらせとしか思えない空間拡張は何なのだろう。以前乗り込んだ時よりも更に巨大になっている気がする。もしかして廊下だけ広げてるんじゃないか? だとしたらそれは、明確な悪意の顕れだ。しかも、自分達二人に対してのみの。
「はは。まさか、ね」
「あら? そのまさかですわよ」
「うわぁっ!?」
いきなり背後に気配が生まれた。
霊夢が慌てて飛び退くと、遅れて床に数本のナイフが生える。刺さった角度からして、避けなければ間違い無く脳天を貫かれていたことだろう。霊夢の頬を、冷たい汗が一筋流れた。
「あら残念。もう少しで生ゴミを一匹お掃除できるところでしたのに」
「──ってぇ、咲夜! あんた一体どういうつもりよっ!?」
現れた人物は、涼しい顔で床に刺さったナイフを拾い上げた。霊夢の抗議の叫びなど意にも介さず、殺意を隠そうともしない。完璧で瀟洒で。そして主人の為なら誰よりも非情になれる、紅魔館のメイド長。それが十六夜咲夜だった。
「どういうつもりも何も。聞きたいのはこちらの方ですわ。
……薄汚い神の駄犬が二人して、何故メイドの真似事などしているのか、と」
「む。だからそれは、信仰を集めるためだって」
「はい確かにそう聞きました。けど、それで納得できると思いますか?
博麗霊夢。私が貴女のことを快く思っていないことは知っているでしょう。その貴女が私の職場で、私と同じ服を着て、私と同じ仕事をしているという現実。生半可な理由では、到底納得できそうにないですわ」
「そ、そう言われても」
口調はいつもと変わらないが、咲夜が怒っていることは霊夢にも分かった。
いつかの異変を思い出す。初めて咲夜と遭った時、彼女にとって自分は侵入者以外の何者でもなかった。紅魔館を護るため、彼女は本気で向かって来たのだ。
しかしその時ですら、咲夜は最低限スペルカードルールに則った戦い方をしていた。時間を永遠に止められるなら、霊夢が反応する暇すら与えず瞬殺することもできただろうに。彼女はそうはしなかった。
思えばあの時、咲夜は冷静だったのだろう。冷静に、極めて理知的に。彼女は誇り高き紅魔館のメイド長として、愚かな侵入者と対峙していたのだ。
──それが、あの時と今との違い。
今の彼女はいささか冷静さを欠いているように、霊夢には思えた。
だからこそ。致命的となりうる一撃を、何の躊躇も無く不意打ちで放って来たのだ。
そこに、紅魔館の名誉などが入り込む余地は無い。遵守すべきルールも存在しない。
まるで理性の鎖から解き放たれた野獣のようだと、霊夢は胸中で吐き捨てた。
「いや、正直なところ、私にも良く分かってないんだけどさ。
早苗が、メイドになれば信仰が集まるって言うもんだからさぁ」
「理解しがたいですわね。博麗の巫女ともあろうモノが、そのような与太話を信じるとは。
もし仮にそれが事実だったとして、紅魔館が信仰に溢れたらどうしますか? レミリアお嬢様を懐柔して、館の主に成り上がるつもりですか?」
「ちょ。何でそこまで話が飛躍するのよ!? 私はただ、メイドがどんなもんか知りたくなっただけ! 他意は無いわ!」
「さて。どうでしょうね?」
(あーもう、面倒臭い奴! 嫌なんだったら最初から雇わなければ良かったのに!)
変に頭の回る人間はこれだから困る。
館の主みたいな単純パワー馬鹿の猪突猛進タイプだったらどうとでもいなせるが、咲夜にその手は通用しない。
恐らくは自分達二人を雇ってみたのも、何を企んでいるか腹の内をじっくり探るためだったのだろうが……その結果がこれでは、あまりにもお粗末というものだ。
霊夢は苦笑し、どうすればこの状況を打破できるか考える。とりあえず打つべき手は、更なる弁明か、それとも──。
がしゃん、と。
その時、全くの別方向から音が響いて来た。
何か硬い物を、地面に落とした時の音が。
「「──ッッ!?」」
張り詰めていた緊張の糸が、ぷつんと切れた。
霊夢と咲夜は、ほぼ同時に音の方へと目を移す。
二人の視線の先には、引き攣った笑みを浮かべた早苗の姿が在った。
「あ、あのうー。え、えへへ、壊れちゃいましたぁ。
ど、どうしましょう、コレェ?」
恐る恐る問いかけて来る彼女の隣には、帽子の取れたレミリア像が立っていた。どうして銅像の、よりにもよってそんな箇所だけが取れたのかは分からない。強いて理由を挙げるなら、それこそ奇跡でも起きたのだろう。
それよりも問題なのは、銅像の製作者が、帽子が無くなった後のことまでは想定していなかった、ということだ。当然ながら、あるべき場所には何も備わってはおらず。
つるつるになった頭頂部が、照明を浴びてテカテカと光り輝いていた。
「…………」
「うあー。これは何とも」
「…………」
「何て言うか、そのー……髪が無くてもカリスマに溢れてるわね! よっ、さすがはレミリア! 我らがご主人様というだけのことはあるわ!」
「……殺す」
今度こそ、咲夜の堪忍袋の緒がぶち切れたようだった。
霊夢はおろか早苗までをも標的とし追い回す咲夜の形相は、正に鬼神の如きド迫力だったという。その様は、紅魔館で働く妖精メイド達の間で永く語り伝えられることとなった。障らぬメイド長に祟り無し、くわばら、くわばら、と。
ちなみに霊夢に与えられていた仕事は床の清掃作業だったが、余計に汚してしまったために減給を食らうこととなった。
早苗については、言うまでもないだろう。
「ねぇ早苗。こんなコトしてて本ッッ当に信仰心が集まるのかなぁ」
「メイドの道は一日にして成らず、ですよ! 明日も頑張りましょう霊夢さん!」
「本当かなぁ。……てゆか、明日もやるのね……」
こうして巫女みこコンビの、メイド生活第一日目が終わったのだった。
二日目に続く
個人的には早苗さんは「和服のメイドさん」が似合うような気がします。
期待してますよ。
霊夢も和服メイドは似合うと思います!
そして、続きに期待大です!!
銅像って普通全部一体化してんだろwwどういう奇跡がありゃ帽子部分だけ取れるんだよww
とりあえず忠告しとくが、信仰心集めたいなら紅魔館じゃなくて人里の茶店でメイドしたほうがいいと思うぞ。
続き期待してます。