妹のことになると、さとりは長くなる。
というのも、彼女の妹のこいしは、もう結構な昔から自分の能力を忌み嫌って、自分からそれを封じ込めてしまっている、珍しい妖怪だった。
こいしもさとりも、その正体は“覚”という妖怪であることは、よく知られていることだ。
覚は、人の心の声を聞く“第三の目”という器官を持っており、物心つくような前から生き物の心を読み聞きすることができる。
覚にとっては、それが生まれ持った能力である。
覚はその力を使って、人を襲い、これを喰らう。
そうすることで、渇きを癒し、妖怪の本分である、食欲というのを満たすのである。
それは切っても切れない、生きるために欠かせない、必要不可欠な力である。
目や耳、手足と同じようなものだった。
当然の摂理として、自然に馴染むことはあっても、否定したり、忌み嫌ったりすることなど、ありえないし、普通に生きていれば、考えもつかない。
よほどのことだったとは思う。
想像を絶する痛苦があったのだろう。
それがどの程度のことか、同じような立場にいたさとりにはよく分かり、また、ある程度なら推し量ることも出来た。
能力を封じた代償に、妹が得たものは、人の無意識を操るという妙ちきりんな能力と、一切の心や、考え・思考を捨てて、ただ無意識に生きつづける身体だった。
夕餉。
地霊殿の食堂である。
こいしが入ってきた。
さとりは、ちら、とそちらを見た。
そして、思わずぎょっとした。
妹の顔に、べっとりと血の痕がこびりついている。
「あー、お腹空いたー」
妹が言う。
そのまま、気にすることなく、食卓につこうとしている。
さとりは言った。
「ちょっと、こいし。食べる前に顔を洗ってきなさい」
「顔? 私の顔がどうかしたの?」
妹は、こちらを見て言う。
さとりは、自分の顔を差して言った。
「血がついてるわよ。ここらへんに」
こいしは、自分の顔に手をやった。
ぺた、ぬるり、と鼻の下を、指で触る。
血のついた指を、目の前に持ってくる。
「うわ。なにこれ」
こいしは席を立った。
あわてて、とたとたと食堂を出ていく。
入れ違いで、燐がやってきた。
手に料理の盛られた皿を持っている。
こいしが出ていくのを見て、聞いてくる。
「あれ? どうかしたんですか?」
「ああ、ちょっとね。気にしないでいいわ」
さとりは、軽く言った。
燐は気にせず、はあと言った。
料理の皿を並べ始める。
こいしは、すぐに戻ってきた。
よいしょ、と席に着く。
「どうしたの?」
さとりは聞いた。
「え? ああ、うん」
こいしは言った。
「鼻血よ、鼻血。ちょっと、さっき庭で新しい技の練習してたんだけど。『こいし風リボルテッドスラスト ~殺戮の遊戯、冬・それは終焉と別れの季節』っていうんだけど」
「全く想像はつかないけどなんだか凄そうな技ね」
「うん、ある回転にまったく逆の回転をくわえることによって間に挟まれた物がねじ切れ飛ぶという殺戮的に美しい技なんだけどね。重力的に難があったわ。失敗して顔から落ちて。で、落ちた拍子に鼻ぶつけて、鼻血が出たんだけど、それから夕食の時間だって事を思いだしたのよ。それでそのままね」
「解説されてもよくわからないけど」
「完成したらお姉ちゃんにも見せてあげるわ。素晴らしい血しぶきでその華奢な肢体を真っ赤に染めてあげる。想像するだけでぞくぞくするわね!」
「私にかける気なのね」
とりあえず、そこで会話を打ち切って、さとりは食事を進めることにした。
ちょうど運ばれてきた器が、目の前で湯気を立てている。
今日のメインはクリームシチューである。
燐は、猫のくせに、こういう温かい料理が得意だった。
匙ですくって口に入れる。
ふわ、と舌にとろけるような甘みが広がる。
相まった薫りも、湿気を帯びていて、実にかぐわしい。
「んー。美味しい! あいかわらずお燐の料理は美味しいわねー!」
「はは。嫌ですよ、もう。ありがとうございます」
妹もご満悦のようだ。
「この革靴をはきっぱなしにした足首をとろけるまで煮込んだような味わいがたまらないわ! ああかぐわしい」
「え? あ。はあ」
燐は、曖昧に言った。よく分からなかったらしい。
さとりは、気にせずにもそもそと匙を進めた。
「いいなー。私も今度こういうの作りたいな。私、料理苦手だもんねー」
こいしが言う。
「え? こいし様は、料理得意じゃないですか」
「え? そうだっけ?」
こいしが逆に聞きかえす。
燐は言った。
「ええ。このあいだ作ってもらったあれなんか美味しかったですよ。ほら、あの、なんて言ったかな。なにか色々つっこんで適当に煮たような」
(それはたぶん、本当になにか色々つっこんで適当に煮ただけじゃないかしらね)
さとりは心の中で思った。
燐は続けて言う。
「なんとも言えないごってりとした風味が出ててよかったんですけどね。ノラネコの時のこと思いだして懐かしかったですよ」
(ほう)
さとりは心の中で思った。
こいしが言う。
「ふうん。ごってり味。そういうのもあるのか。じゃあまた作ってみようかしら。今度はお姉ちゃんも食べてくれるって言うし」
さとりは、ひそかに匙を滑らせた。
こいしのほうを見る。
「私は何も言ってないわよ?」
さとりは言った。
「え? だって、この世には無言の肯定って言うのがあるらしいわよ。横で話を聞いていて何も言わないでいると、勝手に了解したことになるらしいわ。仕方ないね」
こいしが言う。
さとりは、返して言った。
「聞いたことがないわ」
「……」
こいしは、じっと見つめてきた。
さとりは、何かを感じてそれを見返した。
妹は何も言わない。
ただじっと見つめてくる。
口は、もむもむと動かし続けている。
「……」
「……」
さとりは、無言で匙の先を、シチューにいれた。
「……」
「……」
妹はこちらを見ている。
さとりは、次第に耐えられなくなってきた。
じりじりとした妹の視線を、額に感じる。
仕方なく、言う。
「分かったわよ。食べてあげるわよ」
「本当!? やったわ。じゃあがんばってごってり煮にしなくちゃ。まずは鶏肉ね。さっそく材料の肉を捕まえてこないと。明日はカラス鍋ね!」
こいしは、いかにも嬉しそうに言った。
しかもカラスかよ。
なんでカラス?
「……」
さとりは苦々しく黙った。
もそもそと匙を動かす。
と、そこで、盆を抱えた燐が、こっちにやってきた。
通りかかる振りをして、こそっと言う。
(大丈夫ですよ。あたいが横で口出ししますから)
さとりは、燐の目をちらりと見上げた。
燐がきどって、片目をつむってくる。
さとりは、ぼそぼそと口のなかで言った。
(すまないわね……というか、あなたの言が原因でああなってる気がしなくもないんだけど)
燐は、心の声で答えてきた。
(いや、ま。ま。それはいいっこなしって事で。それに、どっちみち、こいし様は、ああしたかったんじゃないかと思いますけどね。ここは好きにさせてあげたらいいんじゃないですか?)
(味によるわよ。なにかさっきのあなたの表現を聞くようだと、不吉なものとしか覚えないんだけど)
さとりはぼそぼそと言った。
口を結んだ燐から、心の声が返ってくる。
(まあ、さとり様はこいし様のお姉さんなんだから、少しくらい我慢してください。まったく大人げないなあ)
「てことは、やっぱり不味かったのね?」
(nyan。ですから不味いか美味いかはどうでもいいことですよ。せっかくああ言ってるんですから、乗ってあげて下さいと言ってるんですよ。わっかんないかなあ)
(あの子の言うことに、いちいち付き合っていてどうするのよ。どうせ、なんの意味のないことしかしないのに。あんなのはただの思いつきで、本人はなんにも思ってやしないのよ?)
さとりは言った。
自然と、吐き捨てるのを押さえるような口調になる。
燐の言うことに、腹が立ったわけではないが。
「さあ、それはどうですかね」
燐は、なにか含んだ言い方で言った。
さとりは、眉をひそめた。
(……? なによ)
(したいことがあるってんなら、回りくどいことなんかしなさそうですけど。心がないっても、やっぱりああいう姿していらっしゃいますからね)
燐が言う。
「?」
さとりは、よくわからずに聞きかえそうとしたが、燐はふい、と尻尾をひるがえして出ていった。
さとりは、しばし考えた。
もそもそとシチューをはみながら、ちょっとうわの空になる。
(……)
やがて、さとりは考えるのをやめた。
燐が戻ってきたら、第三の目を使ってやろうかとも思ったが、やはりやめることにした。食堂の入り口から、空が入ってきた。
「あー。お腹空いたわー」
妹が、そちらを見て、ぼそっと言った。
「……あ。肉だ」
「うにゅ?」
空が首をかしげた。
さとりは、こっそりと笑った。
眉をひそめたまま、口の端をゆるめて。
というのも、彼女の妹のこいしは、もう結構な昔から自分の能力を忌み嫌って、自分からそれを封じ込めてしまっている、珍しい妖怪だった。
こいしもさとりも、その正体は“覚”という妖怪であることは、よく知られていることだ。
覚は、人の心の声を聞く“第三の目”という器官を持っており、物心つくような前から生き物の心を読み聞きすることができる。
覚にとっては、それが生まれ持った能力である。
覚はその力を使って、人を襲い、これを喰らう。
そうすることで、渇きを癒し、妖怪の本分である、食欲というのを満たすのである。
それは切っても切れない、生きるために欠かせない、必要不可欠な力である。
目や耳、手足と同じようなものだった。
当然の摂理として、自然に馴染むことはあっても、否定したり、忌み嫌ったりすることなど、ありえないし、普通に生きていれば、考えもつかない。
よほどのことだったとは思う。
想像を絶する痛苦があったのだろう。
それがどの程度のことか、同じような立場にいたさとりにはよく分かり、また、ある程度なら推し量ることも出来た。
能力を封じた代償に、妹が得たものは、人の無意識を操るという妙ちきりんな能力と、一切の心や、考え・思考を捨てて、ただ無意識に生きつづける身体だった。
夕餉。
地霊殿の食堂である。
こいしが入ってきた。
さとりは、ちら、とそちらを見た。
そして、思わずぎょっとした。
妹の顔に、べっとりと血の痕がこびりついている。
「あー、お腹空いたー」
妹が言う。
そのまま、気にすることなく、食卓につこうとしている。
さとりは言った。
「ちょっと、こいし。食べる前に顔を洗ってきなさい」
「顔? 私の顔がどうかしたの?」
妹は、こちらを見て言う。
さとりは、自分の顔を差して言った。
「血がついてるわよ。ここらへんに」
こいしは、自分の顔に手をやった。
ぺた、ぬるり、と鼻の下を、指で触る。
血のついた指を、目の前に持ってくる。
「うわ。なにこれ」
こいしは席を立った。
あわてて、とたとたと食堂を出ていく。
入れ違いで、燐がやってきた。
手に料理の盛られた皿を持っている。
こいしが出ていくのを見て、聞いてくる。
「あれ? どうかしたんですか?」
「ああ、ちょっとね。気にしないでいいわ」
さとりは、軽く言った。
燐は気にせず、はあと言った。
料理の皿を並べ始める。
こいしは、すぐに戻ってきた。
よいしょ、と席に着く。
「どうしたの?」
さとりは聞いた。
「え? ああ、うん」
こいしは言った。
「鼻血よ、鼻血。ちょっと、さっき庭で新しい技の練習してたんだけど。『こいし風リボルテッドスラスト ~殺戮の遊戯、冬・それは終焉と別れの季節』っていうんだけど」
「全く想像はつかないけどなんだか凄そうな技ね」
「うん、ある回転にまったく逆の回転をくわえることによって間に挟まれた物がねじ切れ飛ぶという殺戮的に美しい技なんだけどね。重力的に難があったわ。失敗して顔から落ちて。で、落ちた拍子に鼻ぶつけて、鼻血が出たんだけど、それから夕食の時間だって事を思いだしたのよ。それでそのままね」
「解説されてもよくわからないけど」
「完成したらお姉ちゃんにも見せてあげるわ。素晴らしい血しぶきでその華奢な肢体を真っ赤に染めてあげる。想像するだけでぞくぞくするわね!」
「私にかける気なのね」
とりあえず、そこで会話を打ち切って、さとりは食事を進めることにした。
ちょうど運ばれてきた器が、目の前で湯気を立てている。
今日のメインはクリームシチューである。
燐は、猫のくせに、こういう温かい料理が得意だった。
匙ですくって口に入れる。
ふわ、と舌にとろけるような甘みが広がる。
相まった薫りも、湿気を帯びていて、実にかぐわしい。
「んー。美味しい! あいかわらずお燐の料理は美味しいわねー!」
「はは。嫌ですよ、もう。ありがとうございます」
妹もご満悦のようだ。
「この革靴をはきっぱなしにした足首をとろけるまで煮込んだような味わいがたまらないわ! ああかぐわしい」
「え? あ。はあ」
燐は、曖昧に言った。よく分からなかったらしい。
さとりは、気にせずにもそもそと匙を進めた。
「いいなー。私も今度こういうの作りたいな。私、料理苦手だもんねー」
こいしが言う。
「え? こいし様は、料理得意じゃないですか」
「え? そうだっけ?」
こいしが逆に聞きかえす。
燐は言った。
「ええ。このあいだ作ってもらったあれなんか美味しかったですよ。ほら、あの、なんて言ったかな。なにか色々つっこんで適当に煮たような」
(それはたぶん、本当になにか色々つっこんで適当に煮ただけじゃないかしらね)
さとりは心の中で思った。
燐は続けて言う。
「なんとも言えないごってりとした風味が出ててよかったんですけどね。ノラネコの時のこと思いだして懐かしかったですよ」
(ほう)
さとりは心の中で思った。
こいしが言う。
「ふうん。ごってり味。そういうのもあるのか。じゃあまた作ってみようかしら。今度はお姉ちゃんも食べてくれるって言うし」
さとりは、ひそかに匙を滑らせた。
こいしのほうを見る。
「私は何も言ってないわよ?」
さとりは言った。
「え? だって、この世には無言の肯定って言うのがあるらしいわよ。横で話を聞いていて何も言わないでいると、勝手に了解したことになるらしいわ。仕方ないね」
こいしが言う。
さとりは、返して言った。
「聞いたことがないわ」
「……」
こいしは、じっと見つめてきた。
さとりは、何かを感じてそれを見返した。
妹は何も言わない。
ただじっと見つめてくる。
口は、もむもむと動かし続けている。
「……」
「……」
さとりは、無言で匙の先を、シチューにいれた。
「……」
「……」
妹はこちらを見ている。
さとりは、次第に耐えられなくなってきた。
じりじりとした妹の視線を、額に感じる。
仕方なく、言う。
「分かったわよ。食べてあげるわよ」
「本当!? やったわ。じゃあがんばってごってり煮にしなくちゃ。まずは鶏肉ね。さっそく材料の肉を捕まえてこないと。明日はカラス鍋ね!」
こいしは、いかにも嬉しそうに言った。
しかもカラスかよ。
なんでカラス?
「……」
さとりは苦々しく黙った。
もそもそと匙を動かす。
と、そこで、盆を抱えた燐が、こっちにやってきた。
通りかかる振りをして、こそっと言う。
(大丈夫ですよ。あたいが横で口出ししますから)
さとりは、燐の目をちらりと見上げた。
燐がきどって、片目をつむってくる。
さとりは、ぼそぼそと口のなかで言った。
(すまないわね……というか、あなたの言が原因でああなってる気がしなくもないんだけど)
燐は、心の声で答えてきた。
(いや、ま。ま。それはいいっこなしって事で。それに、どっちみち、こいし様は、ああしたかったんじゃないかと思いますけどね。ここは好きにさせてあげたらいいんじゃないですか?)
(味によるわよ。なにかさっきのあなたの表現を聞くようだと、不吉なものとしか覚えないんだけど)
さとりはぼそぼそと言った。
口を結んだ燐から、心の声が返ってくる。
(まあ、さとり様はこいし様のお姉さんなんだから、少しくらい我慢してください。まったく大人げないなあ)
「てことは、やっぱり不味かったのね?」
(nyan。ですから不味いか美味いかはどうでもいいことですよ。せっかくああ言ってるんですから、乗ってあげて下さいと言ってるんですよ。わっかんないかなあ)
(あの子の言うことに、いちいち付き合っていてどうするのよ。どうせ、なんの意味のないことしかしないのに。あんなのはただの思いつきで、本人はなんにも思ってやしないのよ?)
さとりは言った。
自然と、吐き捨てるのを押さえるような口調になる。
燐の言うことに、腹が立ったわけではないが。
「さあ、それはどうですかね」
燐は、なにか含んだ言い方で言った。
さとりは、眉をひそめた。
(……? なによ)
(したいことがあるってんなら、回りくどいことなんかしなさそうですけど。心がないっても、やっぱりああいう姿していらっしゃいますからね)
燐が言う。
「?」
さとりは、よくわからずに聞きかえそうとしたが、燐はふい、と尻尾をひるがえして出ていった。
さとりは、しばし考えた。
もそもそとシチューをはみながら、ちょっとうわの空になる。
(……)
やがて、さとりは考えるのをやめた。
燐が戻ってきたら、第三の目を使ってやろうかとも思ったが、やはりやめることにした。食堂の入り口から、空が入ってきた。
「あー。お腹空いたわー」
妹が、そちらを見て、ぼそっと言った。
「……あ。肉だ」
「うにゅ?」
空が首をかしげた。
さとりは、こっそりと笑った。
眉をひそめたまま、口の端をゆるめて。
クリームシチューだし、なかなかお空が出てこなかったりでマジ不安になってきた。
お空無事でよかったけど、安心していいのかこれ……
この短い中でほのぼのだったり笑いだったり恐怖だったり何回感情変化させるんだ……
>>「私にかける気なのね」
こいしたんひどいwwwwwwww
マジビビった