生命の誕生は無条件で喜ぶべきだ──
どこで聞いたフレーズだったかまるで覚えてないが、はてさてそれは本当に正しいことだろうか?
三週間ぶりに会った友人の手に抱かれた赤ん坊を見て、我が目を疑った私はそんな事を思った。
「……どこで拾ってきたの?」
「はぁ? 何言ってんのよ、アンタは。私達の子に決まってんじゃない。あっ、名前は早織(さおり)ね。早苗に似て可愛いでしょ?」
「霊夢さ~ん。着いたら変わってくれるって言ったじゃないですかぁ?」
「あっ、ごめんごめん。ほら。」
霊夢は、さも当然のように言い放つと、抱いていた赤ん坊を隣にいた早苗に預け、再び私と向かい合った。
「で、なんの話だっけ?」
「だ~か~ら! どうして赤ん坊を抱いているのさ!?」
二週間で戻って来る──そう言って博霊神社の留守を頼まれた私は、実のところ三週間も待たされた。
初めはその事を訴えるつもりだったが、そんな事はもうどうでもよくなった。
今は居る筈のない赤ん坊の実態を暴くのが先だ。
「……何をそんなにむきになってんのよ。」
「だって赤ん坊だよ!? 女同士でできるもんじゃ無いじゃん!」
「あー……何? あんた鬼の癖にそんな細かい事気にしてんの?」
余程後ろめたい事なのか、がしがしと頭を掻きながらどこか歯切れの悪い霊夢。
でも私は追求の手を緩めようとはしない。
「ぜんっぜん、細かくない! ……正直に言いなよ。どこで拾ってきた? 大丈夫。訳さえ話してくれれば私はいつだって霊夢の味方だよ?」
霊夢にだって事情があるのだろう……しかし、鬼でもないのに人を攫ってきて良いはずが無い。
例えばそれがやむなき事情であって、仕方なくその子を拾って来たのだとしても、いずれは成長したその子供にだって真実を話す時は来る……。
それなら理解者は多い方がいい。
──私の勝手な妄想の中では、既に十年後の未来まで話が及んでいた。
そんな私の親身な言葉に感動したのか、霊夢は体を震わせて、顔を俯かせた。
私はそんな罪深き彼女を受け入れてやろうと、肩に手を置いて(身長差は座っていた縁側に立って補っている)うんうんと頷いてやる。
──分かってる。私は分かってるよ、霊夢の気持ち。
そんな思いを込めたのだが、何故か赤ん坊を抱いた早苗がそーっと霊夢から離れたのを見て、私はおや? と思った。
まさかとは思うが霊夢は感動して泣いているのではなく──
「黙って聞いてれば好き勝手言って……!!」
ゴツン!
「あいたっ!?」
強烈な一発をもろにくらい、流石の私もその場にうずくまった。
「……良かったですね。夢想封印じゃなくて。」
「ふんっ……ここが神社じゃなけれゃ問答無用で放ってたわよ。」
同情の眼差しを向けてくる早苗と、蔑むような視線をよこす霊夢。
しかし私はあまりの痛みに涙目になりながらも、負けじと顔を上げて問いただした。
「じゃあどうして赤ん坊がいるのか説明してよ!?」
「説明するのも面倒臭いから却下。まぁ、一言で言うなら“神の力”?」
「……なにそれ、胡散臭い。」
「事実なんだから仕方ないじゃない。それにそんな狭い見識じゃあこの世界やっていけないわよ? 此処は幻想郷よ? 常識なんて疑ってなんぼよ。」
あの霊夢が早苗みたいな事言ってる……これには流石の私も若干引いた。
しかしそう思ったのは私だけじゃなかったみたいで、霊夢の隣で何故か早苗が照れ笑いを浮かべていた。
「霊夢さん、私と同じようなこと言ってますよ?」
指摘されて、霊夢も顔を赤く染めた。
赤ん坊と並んで、一家で真っ赤っ赤だ。
「え? あっと……そうね、ずっと一緒にいたから、感化されたのかしら?」
「そう……ですね。きっと……あははは。」
互いに恥ずかしがりながらも、笑いあう二人。
どうでも良いけど、霊夢? それは感化されたんじゃなくて、毒されたんだと思うよ?
まさかバカップル相手にそんなツッコミをする筈もないけど……しかし私はまだ諦めていなかった。
霊夢が駄目なら、早苗に聞けばいい。
「早苗! お前さんなら教えてくれるよね?」
早苗は面倒臭いなんて言わないで教えてくれるはず……。
そんな私の期待に応えるように、早苗は厳かに頷いてくれた。
「もちろんです。その答えは──」
「答えは?」
「奇跡、です。」
──期待した私が馬鹿だった。
だいたい分かっていた筈じゃないか、早苗がこういう娘だって。
しかも本人はどこまでも真剣だから性質が悪い……。
とりあえず分った事といえば、霊夢の言うところの“神”とは最近山に住むようになった、あの神の事だろうということ。
要は早苗の保護者が何かしらの力で梃入れした……そんなところか。
こうなってはそいつらにでも直接聞くしか無いのだろうけど、果たして素直に答えてくれるものか……。
「はぁ……わかったよ。その赤ん坊は二人の子ね。」
「分かりゃ良いのよ、分かれば。それと長い間悪かったわね、留守番。」
そうだ、その問題を忘れていた。
留守番の必要が無くなると、私が此処にいる理由がなくなってしまう。
それでは困るのだ。
「あっいやでも、子育てって大変だろう? 神社の事もあるし、良かったら私も──」
「大丈夫よ。別に。」
とりつく島もなくあしらわれてしまった私は、もう引き下がるしか無かった。
「そ、そう……。」
「そうよ。それじゃあね。ほら、早織も萃香おばちゃんにバイバイって。」
「…………。」
「バイバ~イってねぇ……萃香さん、本当に長い間ありがとうございました!」
早苗が赤ん坊の手をとって無理やり私に向かって手を振らせる。
そんなことをされても私の心は憂うばかりだが。
それにしてもおばちゃんか……まだお婆ちゃんの方が良いかなぁ……。
『萃香お婆ちゃん』……うん! 良いじゃん!
「…………行こう。」
そんな妄想も虚しいだけ……。
幸せそうな三人の間に割って入ろうなどとは野暮な事だったのだ。
(さて、これからどうしようか……)
神社の境内を後にしながら、今後の事に想いを馳せる……。
そして私は肝心な事を思い出すのだった。
──そうだ。私は嫁を探すんだった……!
ついぞ忘れかけていた情熱が折角蘇るも、しかし当てなんてなくて……。
こうして私はそんな当てのない旅へと旅立つのだった。
私がまず向かったのはマヨヒガだった。
理由などはなく、ただ単に足が自然とそっちに向かっただけの話。
やはり頼るなら古くからの友人だろうと、無意識にそう思ったのかもしれない。
ここじゃ嫁は見つかんないだろうとは思うのだが……とりあえず一晩泊めてくれるぐらいなら期待できるだろう。
しかし、今の時期だと紫は冬眠している筈だなんて、玄関先に辿り着くまで考えすら及ばなかった。
「おっ邪魔しま~す。」
それでも式神たちに挨拶するくらい悪くないし、せっかく来たのだからと玄関の外から声を掛けてみる。
シーン
あれ?
普段なら藍が気付いて出て来てくれるのに……留守だろうか?
不思議に思いながらも、私はゆっくりと玄関から中に入ってみる。
無断で入ることに少しは躊躇したものの、そこは勝手知った友人の家だ。謝れば許してくれるだろうと遠慮なく上がることに。
そして廊下を進み、居間へと顔を覗かせるとやっと誰かの背中を見つける事ができた。
「あっ! やっぱり居るんじゃん……って紫!?」
ホッとしたのも束の間。誰かと思えば、それは紫だった。
直ぐに気付かなかったのは、起きている筈がないという先入観と、格好が普段と違ったからだ。
「え~っと、紫? 何でそんな格好を?」
その格好とは、私にとっては割と馴染みのある博霊神社の巫女服だった。
──随分とグラマラス仕様になっていたが。
声を掛けられ、漸く私に気がついたのか、紫は「あら、居たの?」と言いながらこっちに振り返った。
するとどうだろう。
紫の顔からは酷く疲労が窺えた。目の下に大きな隈を作っているところを見るに、どうやら寝不足のようだ。
しかし当の紫は無駄に溌剌とした声で私の質問に答えてくれた。
「何でですって? そんなの決まっていますわ! 霊夢の手伝いに行くのよ!」
「て、手伝い?」
なるほど、私がそれを着るときも神社の手伝いをするときだから、その通りっちゃあその通りだろう。
しかし今の紫を見るにとてもそんな事を言っている場合じゃあ無さそうだ。
飢えた獣の様に眼光だけはやけに鋭いが、身体の方が追いついていないようで、立っているのがやっとです、と言うのが嫌でも伝わってくる。
もちろんそんな友人を放って置ける筈も無く。
とりあえず私は、紫を引き止めることにした。
「行っても無駄だよ? 私だってさっき必要ないって追い払われたところなんだから。」
鬼だけに。
もうちょっと遅かったら豆投げられてたかも。
しかし紫は、私の苦言なんて物ともせず、威勢良く胸を張った。
同時に紫の馬鹿でかい乳が揺れるのはご愛嬌か──この妖怪乳デカ婆ぁが。
「八頭身の私と精々五頭身くらいの貴女とでは比べるまでも無く私の方が役に立ちますわ!」
私の気遣いなんて歯牙にも掛けず、むしろなんかケンカ売られた気がするが……痛々しい紫を見ていると怒る気も失せた。
「強がりはよしなって……本当は眠くて仕方ないんだろう?」
「霊夢の子供なら私にとっては孫も同然! 私が助けてやらなくて誰が助けてやれると言うの!?」
頑として譲らない紫と思わぬ形で睨み合う事になった私。
今私は、お婆さんの介護をする人の気持ちが何となく理解できた気がする。
そんな事を思いながら、説得には長期戦も覚悟した私だったのが、均衡は思わぬ形で破られた。
「ゆ、ゆかりさま!」
突然、私たちの間を割って入るように幼げな声が響いた。
橙かな?
私はそう思ったが、それは見当違いだとすぐに思い知らされることに。
「その声は……藍!?」
そう言って振り返る紫に、私はまさかと思ったが、紫が愛する式の声を間違える筈もなく──そこには確かに藍のような少女が居た。
いや、幼女である。
その藍は、私や橙よりも頭二つ分くらい小さい姿だったのだ。
……果たしてこの子は本当に藍なのか? 私は疑問に思わずにはいられなかった。
「お前さん……本当に藍なのかい?」
「はい。すいかさま。」
答えは間髪入れず返ってきたのだが、やはりと言うか、見た目通り舌っ足らずだった。
(ほら、らんしゃま! 紫様が見てます。もう一息ですよ!)
気付けば藍の後ろには、戸の裏に身を隠した橙が、顔だけを覗かせていて何やら藍に声を掛けていた。
それに言葉も無く頷いた幼女藍は、何かを決意した強い瞳で、今一度紫を見上げた。
紫も、瞬きも忘れて幼い姿の藍を凝視している。
「ゆかりさま! ら、らんを……らんを抱っこしてください!」
両手を広げ、抱っこを要求する藍──え? 何? どういうこと?
余りの急展開に着いていけずにいる私が事態を飲み込むより早く、気付けば紫が藍を抱きしめて頬ずりしていた。
すりすりすりすりすりすりすりすりすりすりすりすり。
「らーーーん! らんらんらんらんらんらぁーーーん!!!」
狂ったように叫ぶ紫の声に圧倒されたのか、藍は紫の頬ずりを黙って受けていた。
しかし満更でもないのか、幼い藍もまた口元を緩ませていた。
何だか危険な光景な気がするのだが……それこそ黙って見ている訳にもいかず。
だから、そんな二人を傍観するもう一人の人物に私は手招きをした。
きっと彼女なら、事態をよく理解しているだろうと思い、説明をお願いすることにしたのだ。
すると橙もこっちに気付いてくれたようで、抱き合う二人の脇を通って、居間に入ってきた。
「説明、してくれるかい?」
「もちろんです!」
どこか自慢気に胸を張って、橙は語り始めた。
それは、私がマヨヒガを訪れる、ちょっと前の事だという……。
『紫様にも困ったものだ……。』
『どうかされたんですか、らんしゃま?』
『ああ、橙……。いや、なに……紫様の事なんだが……何時もならとっくに眠られている筈なのに、今年はまだ起きていられるだろう?』
『そう言えば……でも、眠くないだけじゃないんですか?』
『そうじゃないんだ……橙。紫様には眠りが必要なんだ。眠たくない筈が無い……それなのに霊夢なんかに執着して──』
『えっーと……わたしにはよく分かりませんが、らんしゃまは寂しいんですか?』
『わ、私が? そ、そんな事はないさ。でも、そうだな……紫様は、ひょっとしたらそうなのかも知れないな。』
『紫様がですか?』
『あ、ああそうだとも! 私も独り立ちして長い……きっと手を焼く相手がいなくて寂しいんじゃないんだろうか……だから霊夢を甘やかそうとするんだ! そうだ! きっとそうに違いない!』
『それなら、らんしゃまが甘えて差しあげたら紫様も喜ばれるんじゃないでしょうか?』
『…………それが……でき……私だって……』
『? らんしゃま?』
『はっ……! いやな、橙? 私はもう甘えるような歳じゃあないんだよ。橙も大人になれば分かる。』
『大人じゃ駄目なんですか……? ……分かりました! じゃあらんしゃまが子供になれば良いんですね!?』
『…………はい?』
「てな具合です!」
橙の回想を聞いて、私は思わず苦笑いを浮かべた。
説明にはなっていないが、概ね理解できたし。
藍がああなったのは妖術の類いだろうか?
何にせよ、今の紫は霊夢の事などきれいさっぱり忘れて、藍に夢中のようだ。
「でもこのままじゃあ紫は寝ないだろうねぇ。藍に添い寝でもさせるのかい?」
そう。問題は解決していない。逆に火に油を注いでしまった感すらある。
そんなことを思いながら紫達に向けていた視線を、今度はまた橙に戻す。
すると橙は私の気づかぬ間に見慣れぬ物を掲げていた。
「えっ……と。橙? それは?」
「はい? これは見ての通り杵ですよ?」
「いや。それは見てわかるんだけど……それをどこで?」
どうするつもりか? 等とは怖くてとても聞けなかった。
私が顔を引き釣らせているのに、気付いていないのか、単に気にしていないのか……とても大きな杵を笑顔で素振りする橙。
「お友達のてゐちゃんにお借りしました! これならきっと、紫様も安らかに眠られることでしょう!」
安らかにって、それは意味を履き違えてないかい?
私が突っ込むより早く、いや、止める間も無く、その物々しい鈍器は紫の頭上へと振り下ろされた。
「紫様っ──天誅!」
ゴツン!
藍に気を取られていた紫は、これをかわすことかなわず、脳天からまともにくらうことに。
「はうっ……! ……ら……ん……。」
がく。
「ゆ、ゆかりさまぁ!?」
きっと知らされて無かったのだろう。藍は悲鳴にも似た甲高い叫び声をあげた。
しかし紫は気絶しても尚、執念で藍を離そうとはしなかった。その根性は立派と言うべきか、流石と言うべきか……。
そしてそのすぐ脇で、一人やりきった感を滲ませ、かいてもいない額の汗を拭う橙。
……大変シュールな光景です。
「ってなに、今の掛け声!? めっちゃ殺る気満々じゃん!?」
「あっ、すいません。やっぱり流行りに合わせて“南無三!” の方が良かったでしょうか?」
どこかずれた答えを返す橙に、私は唖然とする他無かった。
そんな私をよそに、藍にしがみついて離れない紫を片手で掴み、あっさりと引き剥がすとそのまま床に放る橙。
それはあたかも朝、生ゴミを捨てる主婦のような振る舞いだった。
「さぁ、らんしゃま。紫様は無事眠った事ですし、例年通り橙と二人っきりで遊びましょう!」
「えっ? あっでも……。」
「わたしもちっちゃくなったらんしゃまと遊びたいです! ね? 良いですよね、らんしゃま?」
「あ、ああ……。」
橙に押し切られる形で了承する藍……まさかこの猫、全て計算尽くかっ!?
しかし、これでは私の目的は果たされない。なんとかして今晩の宿だけでも手に入れなくては……!
私は出て行こうとしている二人に思い切って、声を掛けた。
「あ、あのさっ──」
「なんですか、すいかさま?」
橙は笑顔で応えてくれた──でも……その笑顔が怖かった。
引っ込めてた筈の特大杵が、再び顔を覗かせていたのだ。
先程紫を沈めたばかりのその鈍器は、次はお前か? と静かに語りかけてくるようだった。
「──なんでもないです。」
「そうですか。それじゃあ、わたしとらんしゃまはこれで。」
「ちぇ、橙!? 手をつながなくても自分でとべる!」
「どうしたんですか、らんしゃま? いつもこうして手をつないでくださるじゃないですか?」
「しかし今の私たちではどうみたって……」
「ふふふ。変ならんしゃま♪」
橙は恥ずかしがる藍を強引に引っ張って、居間を飛び出して行った。
既に私などは眼中にないようだ。
「……ふっ。この私を黙らせるなんて、やるじゃないか。」
ちょっと気取ってみたけど、虚しいだけだった。
……帰る前に、紫に布団を引いてあげよう。
こうして私は、マヨヒガを諦めて次を目指す事にした。
そうだな……妖怪の山にでも行ってみるかな。
めげてもいられない。
私の旅はまだ、始まったばかりなのだから……。
それにしてもこの猫、凶兆である。
「いつもらんしゃまがお医者さんですけど今日はらんしゃまが患者さんですよー。」
「てゐちゃんがえーりんさんとうどんげさんが時々『さんふじんか』っていうお医者さんをしてるって教えてくれたんです。」
「はーいそれじゃ、そこに寝てくださいねー」
今か今かと待ち望んでおりました。
霊夢達留守番お願いしておいて用が済んだら追い出すとはひでぇww
まあ、子供ができても二人でねちゃねちゃしたいですもんねー。
杵でどつかれたら鼻血噴出しそうですが、橙に「なむしゃん!」と可愛い掛け声でピコピコハンマーで叩かれたら違う意味で鼻血噴出しそうです。
そういえばそろそろ節分……行く先々で「ちょうどいい所に来た!」とばかりに豆を投げられる萃香を想像したら画面が歪んできた……
貴女様の行く末に幸あれ。
「ゆからんキタ―――!」と喜んだ矢先に黒橙とは。
HAHAHA!やられた、完敗だわww