このお話は作品集54「吾輩は小石である」の続編です。このお話を読むよりそちらを先に読まれた方が賢明かと思われます。
色々な意味で。
「こいし、そこは自殺手よ」
『え? ……あっ、そっか』
失敗失敗、とこいしはまるで一昔前の少女漫画のキャラさながらに頭をこつんと叩き舌を出す。
いや、実際にそうしているかどうかと言えばしてないけど。
石だし。
『うーん、いまいち分かんないなぁ。囲碁ってルール覚えにくくない?』
「同意できなくもないけど……でも、ちょっとコツを掴めばすぐよ。そこまで複雑なわけじゃないし」
『とか言って本当は分かってない癖に。その説明書貸してよ』
「だめです。お姉ちゃん特権よ」
『むーっ』
むくれるこいし。
見てくれは何の変哲もない小石なのに、どこか愛らしく見えるのはやはり姉バカだからなのかしらね。
似合うかと思って買い与えてみた帽子は、案外そうでもなかったけど。
――そんなわけで、私たちは一緒に囲碁を楽しんでいた。
こいしが家族となって一カ月。地霊殿の皆はわりとフランクに接してくれていたようだけど、やはり外見が小石であることは大きいらしい。何より私以外とは意思疎通もできないのだ。ペットの中には、私が乱心したと密かに考えてる者さえいる。筒抜けだが。
それが元で、こいしはまだまだ皆に馴染めていないらしい。一人であまりにも暇そうにしていたものだったから、こうして私が一緒に遊びましょうと持ち掛ける次第になったわけである。
しかし、囲碁なんてこれまでやったことはなかった。如何せん地霊殿にいるのは動物のみだし、頭の中身もたかが知れている。神経衰弱なんて始めようものなら、一体いつまで掛かるだろうか。そんな理由で、家にはパーティグッズの類がなかったのであった。
それでも必死に探して見つけたのが、この碁盤と碁石。幸い説明書も付いていたため、ルールが分からずただ途方に暮れるということもなかった。そうして私たちは、暗闇の中を手探りで進む感覚で慣れないゲームを始めたのである。
「ええと……一応、今の時点で取っている石は私の方が多いみたいね。私の方が優勢、ということかしら?」
『だから分かんないって。説明書はお姉ちゃんが持ってるんだし』
「あぁ、そう言えばそうだっけ」
言われて慌てて左手に握った紙を開く。つらつらと細かく並べられた字の中を探し、決着にはどうやら「地」というものが関係することが判明した。
うーん……すぐには理解しきれないけれど、つまりはただ相手の石を取っているだけではだめ、ということのようね。盤上まで管理しないといけない。そういう観点で見ると……陣地の作り方はこいしの方が上手みたいね。これはいけないわ。気を抜かないようにしないと。
よし、じゃあここだ、とこいしは私の思考を待たずにぱちんと音を立てて白石を置く。ルールが覚えにくい、と言っている割にはちゃんと筋の通った打ち方のように思える位置だ。自分の陣地を更に磐石に固め、尚且つ私の陣地を崩そうとしている。こんな打ち筋が思いつくのに、どうしてさっきあんな初歩的なミスを犯そうとしたのだろうか。よく分からない。
だが、そんなことにかまけている暇はない。こいしが打ち終わったのなら、次は私の番だ。相手は初心者ながらも、なかなか鋭いセンスを持っている。少しでも気を抜けば、すぐに食らいつかれて呑み込まれてしまうだろう。そんな無様な醜態を晒すわけにはいかない。
だって、私は姉なのだから。負けなど許されないことなのよ。
さぁ考えろ古明地さとり。最善の一手を、今この一瞬に――!
『……お姉ちゃーん? ほらほら、早くしたらどう? 今こうして悩んでいる間にも、私には幾つもの手が浮かんでるのよー?』
「くっ……そ、そんなことを言って動揺させようったって無駄よ、こいし。私の心はそんなことでは揺らがない。私にはまだ、“秘策”が残っているのですからね」
『へぇ……“秘策”、かぁ。まぁ、精々期待しておくことにするわ。頑張ってね、お姉ちゃん?』
そう言ってこいしはくすくすと笑う。如何にも余裕ぶった、少し腹の立つ勝ち誇った笑み。勝者だけが持ち得るその微笑に、私は若干の危機感を抱いた。
まぁ、いざとなれば思考を読むだけで済むんだけどね。
とりあえず、さっさとコマを進めるとしましょう。まだ相手を泳がせていてもいい場面だし。そう思った私は自分の碁笥から一つの黒石を掴み、人差し指と中指の間に挟んだ。
その、瞬間であった。
『……やれやれ。これだから素人は困ります。どんな物事にも必ず因果はある。まだ序盤だからと言って一手一手をおろそかにしていては、後々に影響するというのに……』
「…………? ?」
『どうしたの、お姉ちゃん? 急にきょろきょろして……』
「い、いえ……ちょっとこいし、今貴女何か言った?」
『? 何も言ってないけど……やだお姉ちゃん、もしかして私を怖がらせようとしてる? そんなことしても無駄なんだからね』
「そ、そんなことはないわよ! ……何も言ってないのよね? 信じていいのよね?」
『本当だって。それとも何? 本当に……幽霊でも、出たっていうの?』
「いえ……違うわよ。そう、……それなら、いいんだけどね」
こいしは私を猜疑の目で見つめてくる。まぁ、あんな局面で突然あんなことを言い出したりすればそれも当然か。
でも……あの声は……?
……ううん、きっと気のせいよね。第一怨霊すらも日頃から目にしているんだもの。今更幽霊なんて、ちゃんちゃらおかしいわ。
私は気持ちを切り替えて、再度ゲームに集中し始める。ふむ、どこに打とうか……あぁ、よく見ればあそこに打てば石が取れるじゃないか。よし、ここに決まりだ。
と、いざ打たんと腕を後ろに引いたその時。
『人の話を聞いていましたか? 盤面をよく見なさい。そこに打てば石は取れるでしょうが、次の相手の手で貴女の陣地が崩れてしまうじゃないですか。先を見据えて地盤を築く。これこそが、囲碁における勝利への最短の道なのですよ』
「――!?」
また、声がした。
私は驚いてそこから飛び退き、左右に誰かいないか確認する。が、誰もいない。こいしもきょとんとして私の挙動に驚いているようだった。
でも、間違いない。さっきの声も、今の声も、確かに私の耳元でしたのだ。だから当然、そこには誰かいる筈なのだ。
けれど誰もいない。こうして一歩後ろに下がっても、決して何も見えていない。当たり前だ、こいしの様子を見れば分かるじゃないか。あの子の瞳には、おかしな行動を取る私しか見えていないのだから。
だけど私には分かっている。
それでもそこには、誰かがいたと。
そう、それは――
「……平安時代、『神の一手』を極めんとした、稀代の才能を持った天才棋士がいたという。ええ、私には分かるわ……貴方なんでしょう? 藤原佐」
『違いますっ! 勝手なことを言わないで下さいっ!!』
怒られた。
なんだ違うのか。
……はて。それなら一体誰が?
『だからここですって。ほら。ここ、ここ』
「ここ?」
私は声のする方――つまりは私の右手――を注視する。
そこに握られているのは、やはり変わらぬ黒色の碁石。
そして私はようやく感付く。いつぞやと全く同じパターンだということに。
聞こえていたその声は――私の心に直接呼び掛けられていたものだということに。
『やっと気付いて頂けましたか――全く、勘が鈍いにも程があります。……ですがまぁ、贅沢を言うのも失礼ですね。見つけて頂いただけマシ、としておきましょう』
そして碁石は、ぷるりと震えた。
『……違う。そこは打っても後々取られることは自明の理。ならば最初から打たない方がマシです』
「はぁ……でも、今ここを取られるとまずいですし……、それに相手がその手を思いつかないってこともあるんじゃ……」
『甘い! あらゆる場面を想定し、そのいずれものパターンを含めた上で最小の被害に留めることのできる手こそが最善の手なのです。勿論勝負に出ることも時には必要ですが、貴女のような初心者には全く不要な決断。飽くまで守りに徹し、堅実な勝利を手にすることが最重要だと知りなさいっ!』
「…………」
これは……。
ちょっと、何と言うか……うざい。
言っていることは尤もなのかもしれないけれど……そんな真面目な一局じゃないし。これ、ただのスキンシップだし。楽しくやれればそれでいいじゃない。
なんてそんなことを言ったらまた怒られそうだから言わないけど。
「と言うか……そもそも、あなたはなんなんですか? 碁石の癖にいきなり喋り出したりして……それは非常識過ぎじゃないですか」
『何? お姉ちゃん、私に何か言いたいわけ?』
「ああいえ、違うわよこいし……貴女のことじゃなくて」
ちなみに、こいしにはこの碁石の声は届いていないようだ。ペットたちにこいしの声が聞こえないように、基本的に無機物の声は私以外に聞こえないものらしい。
……面倒ね。
とにもかくにも、この意味の分からない存在をどうにかしなければ……実害はなさそうだけど、なんか呪われてそうだし。
『非常識、ですか。そんなことはないと思いますよ? 貴女の妹さんと同じです。既に実例が目の前にいるというのに、一体おかしいことなど何があるというのですか?』
「いや……そりゃあ家族にしたのは私だけれど、おかしいと思ってないわけでもないんですけど……」
『ふむ。まぁ、それはそれでいいでしょう。いずれにしろ私のやるべきことに変わりはないのですから』
「やるべきこと?」
『この対局に……白黒はっきり付けるっ!』
びしぃっ、と。
指を突き付けるが如くの勢いで、黒石は強く言い放った。
碁石だけに白黒ってか。ははっ。
思わず吹き出してしまう。
『失敬な。これでも私は誇り高き碁石です。勝敗を分けるためには必要不可欠な道具であり、また結果は決して裏返ったりはしません。確かな決着をつけることのできる私は、あらゆる事象を白黒はっきりつけることができると言っても過言ではないでしょう』
「はぁ……それは良かったですね」
流石に全ての物事にまで範囲は及ばないと思うのだが。
よくそこまで言えるものだ。
『むむ、その口振り……どうやら信じていないようですね。分かりました、なら今この場で不動の証拠を見せてあげましょう。そうですね……じゃあ、ちょっと裏返してみて下さい』
「裏返し?」
碁石だから、裏返しても色は変わらない。それを勝敗が変わらないことに例えてみたのか。
やけに回りくどい誇張表現だけど……まぁ、下手に何か突っ込めばまたうるさいだろうし。ここは大人しく従っておくか。
言われた通り、碁石を裏に返してみる。
それまであった黒面とは違って、目に飛び込んできたのは輝かしいほどの純白。
ってこれオセロじゃねーか!
『おや……? はて、これは少し予定外ですね。まさか裏面の色が違うとは……』
「私もびっくりですよ! オセロ? オセロなんですかあなた!?」
『いえいえ、碁石ですよ……ん、いや……ゴセロ?』
「ゴセロ!?」
何それ!?
混ざってるし!
『ゴセロ……聞いたことがあるわ。そう、それは確か五色の石を用いたオセロ……!』
「こいし! お願いだから貴女は入ってこないで!」
『そうそう、知ってますか? オセロって実はツクダオリジナルの商品名で実際のところはリバーシの方が世界的には正しいみたいですよ』
「何そのどうでもいい情報!? あんたやっぱりオセロじゃないの!」
『お姉ちゃん……さっきから何を一人で言ってるの……? ……ま、まさか幽霊に憑りつかれたんじゃ……!』
「ちーがーうー! 私の話を聞いて……あんもう!」
◆
先程のてんやわんやは私が何とかして収拾を付けましたとさ。
閑話休題。
結局ゲームはうやむやに。あんな騒動になったのだから、まともに続けられるわけがない。当然の帰結だった。
それでもこいしは楽しそうで、私に事情を聞いてからはしきりに先程の“碁石”と喋りたいと私にせがんでくる。同じ石だから何か繋がるところでもあるのだろうか。かと言って、石同士お互いには会話はできない辺りよく分からないのだが。
しかし一方黒石は、不機嫌そうに閉じこもっていた。
『全く……しっかりと決着を付けずに対局を終わらせるとは……白黒はっきり雌雄を決するべきでしょう、常識的に考えて……』
「まぁまぁ……そうだ、今度はオセロでもしましょうよ。それなら囲碁よりはまだ楽しめると思いますし……」
『私はオセロじゃない!』
激昂する黒石。
いや、オセロでしょ。
正直何だっていいけど。
『とにかく。一度始めたゲームを途中で放棄し、他のゲームを始めるのは道理に適いません。どうしてもこのまま他のゲームをやるというのであれば、私はこのゲームの審判を降ります』
「あなたが審判をやろうがやらまいがどちらでもいいですけど……随分と極端ね。0か1かしかないのですか?」
『それが私の、白黒付けた結論ですから』
道理。
そりゃ0か1しかないわけだ。
分かりやすいが、それはそれで扱い辛い。ある程度柔軟な頭を持った相手の方が、まだ駆け引きはしやすいのだ。頑固な頭だったら、考えを変えることもないわけだし。
できることなら、皆仲良く後腐れのないようにしたいものだけれど……どうしたものかしらね。
『ねぇ碁石さん。あなた、どうしてそんなに色々はっきりさせることにこだわるの? もうちょっとゆるい方が、疲れないと思うんだけど』
不意にこいしが尋ねた。
素朴な疑問だが、勿論喋る術などない。仕方なしに私が通訳してやる羽目になってしまった。
『……私はこの通り、囲碁をやる時ぐらいしか役に立ちませんから。ならそのたった一つ、自分が唯一出来ることをとことん突き詰めてやろうと思ったまでです。当然のことながら、生来の性分もありますが』
『そんな……一つにこだわることないじゃない。きっとあなたなら何だって出来るはずよ。そんな素敵な決断力を持っているのなら、尚更――』
『本当に出来ると思いますか? ここ地霊殿に移り住んで五年、使用回数は、これまでにただの一度もない。本日こうしてようやく、初めて外の世界を拝めたというのに』
自嘲気味に言い捨てる黒石。私はその言葉に、途轍もない衝撃を受けていた。
五年前の三箇日、ほんの気まぐれで買った福袋。その中に入っていた、売れ残りと思われる囲碁セット。しかし地霊殿には私以外動物しかおらず、幾らか人化出来る者はいてもこういった複雑なゲームに興じるのはまず無理な話だった。脳のキャパシティが決定的に足りないのである。
そんな経緯から、長年押し入れにしまわれていたわけだが――しかし、黒石からしてみればどうだろう。周りには物言わぬ黒光りする石しかいない。自分はと言えば反対側は真っ白で、どうしようもなく違う見た目に苦しんだ日も多いだろう。慰めてくれる者なんかいない。だって、意識を持っているのは自分だけなのだから。
そのコンプレックスをバネにし、自分にしかできないこと、物事を白黒付けることに専念した。押し潰されそうな重圧感にも耐え、あらゆる選択を決定づける強靭な精神力を備えた。そうしてようやく迎えた晴れ舞台は、思惑から外れて中断されてしまったのである。
ゲームを終えれば、きっと再び暗闇の毎日に戻ってしまう。囲碁なんてそう毎日興じる遊びでもない。一過性のブームの後には、またそれまでの生活が待ち構えているのだ。それはどれ程の恐怖だろうか。
本当は、毎日誰かに使われたい。得意分野の中で活躍して、自分という存在を知って貰いたい。でも、不器用だから――そのために出来るのは、物事をはっきりと区別すること、しかないのだ。
こいしも同じ結論に辿り着いたようで、言葉を失ってしまっていた。予想もしていなかった真実だ。そうなってしまうのも無理はない。
けれど、私たちにできることなんて何もない。囲碁はやる気ないし、オセロは嫌だと本人が拒む。どちらも折れない、八方塞がりの状況だった。
うーん……そうねぇ。せめて、何か他に使い道があればいいんだろうけど……どうしましょうか。
と、その時、はっと閃く。
そうだ、その手があったじゃないか。
「あの……ちょっと、いいですか?」
『何でしょうか。説得なら聞きませんが』
「いえ……その、ちょうどあなたの力が必要な人がいたことを思い出しまして」
『……!』
食い付いた。
「私の知り合いなのですが、ちょっと面倒な職に就いていまして。ある程度の能力を必要としているのですが、それ故に人手不足なのだそうです。彼自身も内部で二、三役兼任しており、年のせいか仕事が辛いので後任がほしいそうで……」
『…………』
「曰く、魂を裁くのだと。どうでしょう、碁石さん。あなたも一つ――白黒、付けてみては?」
そう言って、私はにっこりと笑った。
色々な意味で。
「こいし、そこは自殺手よ」
『え? ……あっ、そっか』
失敗失敗、とこいしはまるで一昔前の少女漫画のキャラさながらに頭をこつんと叩き舌を出す。
いや、実際にそうしているかどうかと言えばしてないけど。
石だし。
『うーん、いまいち分かんないなぁ。囲碁ってルール覚えにくくない?』
「同意できなくもないけど……でも、ちょっとコツを掴めばすぐよ。そこまで複雑なわけじゃないし」
『とか言って本当は分かってない癖に。その説明書貸してよ』
「だめです。お姉ちゃん特権よ」
『むーっ』
むくれるこいし。
見てくれは何の変哲もない小石なのに、どこか愛らしく見えるのはやはり姉バカだからなのかしらね。
似合うかと思って買い与えてみた帽子は、案外そうでもなかったけど。
――そんなわけで、私たちは一緒に囲碁を楽しんでいた。
こいしが家族となって一カ月。地霊殿の皆はわりとフランクに接してくれていたようだけど、やはり外見が小石であることは大きいらしい。何より私以外とは意思疎通もできないのだ。ペットの中には、私が乱心したと密かに考えてる者さえいる。筒抜けだが。
それが元で、こいしはまだまだ皆に馴染めていないらしい。一人であまりにも暇そうにしていたものだったから、こうして私が一緒に遊びましょうと持ち掛ける次第になったわけである。
しかし、囲碁なんてこれまでやったことはなかった。如何せん地霊殿にいるのは動物のみだし、頭の中身もたかが知れている。神経衰弱なんて始めようものなら、一体いつまで掛かるだろうか。そんな理由で、家にはパーティグッズの類がなかったのであった。
それでも必死に探して見つけたのが、この碁盤と碁石。幸い説明書も付いていたため、ルールが分からずただ途方に暮れるということもなかった。そうして私たちは、暗闇の中を手探りで進む感覚で慣れないゲームを始めたのである。
「ええと……一応、今の時点で取っている石は私の方が多いみたいね。私の方が優勢、ということかしら?」
『だから分かんないって。説明書はお姉ちゃんが持ってるんだし』
「あぁ、そう言えばそうだっけ」
言われて慌てて左手に握った紙を開く。つらつらと細かく並べられた字の中を探し、決着にはどうやら「地」というものが関係することが判明した。
うーん……すぐには理解しきれないけれど、つまりはただ相手の石を取っているだけではだめ、ということのようね。盤上まで管理しないといけない。そういう観点で見ると……陣地の作り方はこいしの方が上手みたいね。これはいけないわ。気を抜かないようにしないと。
よし、じゃあここだ、とこいしは私の思考を待たずにぱちんと音を立てて白石を置く。ルールが覚えにくい、と言っている割にはちゃんと筋の通った打ち方のように思える位置だ。自分の陣地を更に磐石に固め、尚且つ私の陣地を崩そうとしている。こんな打ち筋が思いつくのに、どうしてさっきあんな初歩的なミスを犯そうとしたのだろうか。よく分からない。
だが、そんなことにかまけている暇はない。こいしが打ち終わったのなら、次は私の番だ。相手は初心者ながらも、なかなか鋭いセンスを持っている。少しでも気を抜けば、すぐに食らいつかれて呑み込まれてしまうだろう。そんな無様な醜態を晒すわけにはいかない。
だって、私は姉なのだから。負けなど許されないことなのよ。
さぁ考えろ古明地さとり。最善の一手を、今この一瞬に――!
『……お姉ちゃーん? ほらほら、早くしたらどう? 今こうして悩んでいる間にも、私には幾つもの手が浮かんでるのよー?』
「くっ……そ、そんなことを言って動揺させようったって無駄よ、こいし。私の心はそんなことでは揺らがない。私にはまだ、“秘策”が残っているのですからね」
『へぇ……“秘策”、かぁ。まぁ、精々期待しておくことにするわ。頑張ってね、お姉ちゃん?』
そう言ってこいしはくすくすと笑う。如何にも余裕ぶった、少し腹の立つ勝ち誇った笑み。勝者だけが持ち得るその微笑に、私は若干の危機感を抱いた。
まぁ、いざとなれば思考を読むだけで済むんだけどね。
とりあえず、さっさとコマを進めるとしましょう。まだ相手を泳がせていてもいい場面だし。そう思った私は自分の碁笥から一つの黒石を掴み、人差し指と中指の間に挟んだ。
その、瞬間であった。
『……やれやれ。これだから素人は困ります。どんな物事にも必ず因果はある。まだ序盤だからと言って一手一手をおろそかにしていては、後々に影響するというのに……』
「…………? ?」
『どうしたの、お姉ちゃん? 急にきょろきょろして……』
「い、いえ……ちょっとこいし、今貴女何か言った?」
『? 何も言ってないけど……やだお姉ちゃん、もしかして私を怖がらせようとしてる? そんなことしても無駄なんだからね』
「そ、そんなことはないわよ! ……何も言ってないのよね? 信じていいのよね?」
『本当だって。それとも何? 本当に……幽霊でも、出たっていうの?』
「いえ……違うわよ。そう、……それなら、いいんだけどね」
こいしは私を猜疑の目で見つめてくる。まぁ、あんな局面で突然あんなことを言い出したりすればそれも当然か。
でも……あの声は……?
……ううん、きっと気のせいよね。第一怨霊すらも日頃から目にしているんだもの。今更幽霊なんて、ちゃんちゃらおかしいわ。
私は気持ちを切り替えて、再度ゲームに集中し始める。ふむ、どこに打とうか……あぁ、よく見ればあそこに打てば石が取れるじゃないか。よし、ここに決まりだ。
と、いざ打たんと腕を後ろに引いたその時。
『人の話を聞いていましたか? 盤面をよく見なさい。そこに打てば石は取れるでしょうが、次の相手の手で貴女の陣地が崩れてしまうじゃないですか。先を見据えて地盤を築く。これこそが、囲碁における勝利への最短の道なのですよ』
「――!?」
また、声がした。
私は驚いてそこから飛び退き、左右に誰かいないか確認する。が、誰もいない。こいしもきょとんとして私の挙動に驚いているようだった。
でも、間違いない。さっきの声も、今の声も、確かに私の耳元でしたのだ。だから当然、そこには誰かいる筈なのだ。
けれど誰もいない。こうして一歩後ろに下がっても、決して何も見えていない。当たり前だ、こいしの様子を見れば分かるじゃないか。あの子の瞳には、おかしな行動を取る私しか見えていないのだから。
だけど私には分かっている。
それでもそこには、誰かがいたと。
そう、それは――
「……平安時代、『神の一手』を極めんとした、稀代の才能を持った天才棋士がいたという。ええ、私には分かるわ……貴方なんでしょう? 藤原佐」
『違いますっ! 勝手なことを言わないで下さいっ!!』
怒られた。
なんだ違うのか。
……はて。それなら一体誰が?
『だからここですって。ほら。ここ、ここ』
「ここ?」
私は声のする方――つまりは私の右手――を注視する。
そこに握られているのは、やはり変わらぬ黒色の碁石。
そして私はようやく感付く。いつぞやと全く同じパターンだということに。
聞こえていたその声は――私の心に直接呼び掛けられていたものだということに。
『やっと気付いて頂けましたか――全く、勘が鈍いにも程があります。……ですがまぁ、贅沢を言うのも失礼ですね。見つけて頂いただけマシ、としておきましょう』
そして碁石は、ぷるりと震えた。
『……違う。そこは打っても後々取られることは自明の理。ならば最初から打たない方がマシです』
「はぁ……でも、今ここを取られるとまずいですし……、それに相手がその手を思いつかないってこともあるんじゃ……」
『甘い! あらゆる場面を想定し、そのいずれものパターンを含めた上で最小の被害に留めることのできる手こそが最善の手なのです。勿論勝負に出ることも時には必要ですが、貴女のような初心者には全く不要な決断。飽くまで守りに徹し、堅実な勝利を手にすることが最重要だと知りなさいっ!』
「…………」
これは……。
ちょっと、何と言うか……うざい。
言っていることは尤もなのかもしれないけれど……そんな真面目な一局じゃないし。これ、ただのスキンシップだし。楽しくやれればそれでいいじゃない。
なんてそんなことを言ったらまた怒られそうだから言わないけど。
「と言うか……そもそも、あなたはなんなんですか? 碁石の癖にいきなり喋り出したりして……それは非常識過ぎじゃないですか」
『何? お姉ちゃん、私に何か言いたいわけ?』
「ああいえ、違うわよこいし……貴女のことじゃなくて」
ちなみに、こいしにはこの碁石の声は届いていないようだ。ペットたちにこいしの声が聞こえないように、基本的に無機物の声は私以外に聞こえないものらしい。
……面倒ね。
とにもかくにも、この意味の分からない存在をどうにかしなければ……実害はなさそうだけど、なんか呪われてそうだし。
『非常識、ですか。そんなことはないと思いますよ? 貴女の妹さんと同じです。既に実例が目の前にいるというのに、一体おかしいことなど何があるというのですか?』
「いや……そりゃあ家族にしたのは私だけれど、おかしいと思ってないわけでもないんですけど……」
『ふむ。まぁ、それはそれでいいでしょう。いずれにしろ私のやるべきことに変わりはないのですから』
「やるべきこと?」
『この対局に……白黒はっきり付けるっ!』
びしぃっ、と。
指を突き付けるが如くの勢いで、黒石は強く言い放った。
碁石だけに白黒ってか。ははっ。
思わず吹き出してしまう。
『失敬な。これでも私は誇り高き碁石です。勝敗を分けるためには必要不可欠な道具であり、また結果は決して裏返ったりはしません。確かな決着をつけることのできる私は、あらゆる事象を白黒はっきりつけることができると言っても過言ではないでしょう』
「はぁ……それは良かったですね」
流石に全ての物事にまで範囲は及ばないと思うのだが。
よくそこまで言えるものだ。
『むむ、その口振り……どうやら信じていないようですね。分かりました、なら今この場で不動の証拠を見せてあげましょう。そうですね……じゃあ、ちょっと裏返してみて下さい』
「裏返し?」
碁石だから、裏返しても色は変わらない。それを勝敗が変わらないことに例えてみたのか。
やけに回りくどい誇張表現だけど……まぁ、下手に何か突っ込めばまたうるさいだろうし。ここは大人しく従っておくか。
言われた通り、碁石を裏に返してみる。
それまであった黒面とは違って、目に飛び込んできたのは輝かしいほどの純白。
ってこれオセロじゃねーか!
『おや……? はて、これは少し予定外ですね。まさか裏面の色が違うとは……』
「私もびっくりですよ! オセロ? オセロなんですかあなた!?」
『いえいえ、碁石ですよ……ん、いや……ゴセロ?』
「ゴセロ!?」
何それ!?
混ざってるし!
『ゴセロ……聞いたことがあるわ。そう、それは確か五色の石を用いたオセロ……!』
「こいし! お願いだから貴女は入ってこないで!」
『そうそう、知ってますか? オセロって実はツクダオリジナルの商品名で実際のところはリバーシの方が世界的には正しいみたいですよ』
「何そのどうでもいい情報!? あんたやっぱりオセロじゃないの!」
『お姉ちゃん……さっきから何を一人で言ってるの……? ……ま、まさか幽霊に憑りつかれたんじゃ……!』
「ちーがーうー! 私の話を聞いて……あんもう!」
◆
先程のてんやわんやは私が何とかして収拾を付けましたとさ。
閑話休題。
結局ゲームはうやむやに。あんな騒動になったのだから、まともに続けられるわけがない。当然の帰結だった。
それでもこいしは楽しそうで、私に事情を聞いてからはしきりに先程の“碁石”と喋りたいと私にせがんでくる。同じ石だから何か繋がるところでもあるのだろうか。かと言って、石同士お互いには会話はできない辺りよく分からないのだが。
しかし一方黒石は、不機嫌そうに閉じこもっていた。
『全く……しっかりと決着を付けずに対局を終わらせるとは……白黒はっきり雌雄を決するべきでしょう、常識的に考えて……』
「まぁまぁ……そうだ、今度はオセロでもしましょうよ。それなら囲碁よりはまだ楽しめると思いますし……」
『私はオセロじゃない!』
激昂する黒石。
いや、オセロでしょ。
正直何だっていいけど。
『とにかく。一度始めたゲームを途中で放棄し、他のゲームを始めるのは道理に適いません。どうしてもこのまま他のゲームをやるというのであれば、私はこのゲームの審判を降ります』
「あなたが審判をやろうがやらまいがどちらでもいいですけど……随分と極端ね。0か1かしかないのですか?」
『それが私の、白黒付けた結論ですから』
道理。
そりゃ0か1しかないわけだ。
分かりやすいが、それはそれで扱い辛い。ある程度柔軟な頭を持った相手の方が、まだ駆け引きはしやすいのだ。頑固な頭だったら、考えを変えることもないわけだし。
できることなら、皆仲良く後腐れのないようにしたいものだけれど……どうしたものかしらね。
『ねぇ碁石さん。あなた、どうしてそんなに色々はっきりさせることにこだわるの? もうちょっとゆるい方が、疲れないと思うんだけど』
不意にこいしが尋ねた。
素朴な疑問だが、勿論喋る術などない。仕方なしに私が通訳してやる羽目になってしまった。
『……私はこの通り、囲碁をやる時ぐらいしか役に立ちませんから。ならそのたった一つ、自分が唯一出来ることをとことん突き詰めてやろうと思ったまでです。当然のことながら、生来の性分もありますが』
『そんな……一つにこだわることないじゃない。きっとあなたなら何だって出来るはずよ。そんな素敵な決断力を持っているのなら、尚更――』
『本当に出来ると思いますか? ここ地霊殿に移り住んで五年、使用回数は、これまでにただの一度もない。本日こうしてようやく、初めて外の世界を拝めたというのに』
自嘲気味に言い捨てる黒石。私はその言葉に、途轍もない衝撃を受けていた。
五年前の三箇日、ほんの気まぐれで買った福袋。その中に入っていた、売れ残りと思われる囲碁セット。しかし地霊殿には私以外動物しかおらず、幾らか人化出来る者はいてもこういった複雑なゲームに興じるのはまず無理な話だった。脳のキャパシティが決定的に足りないのである。
そんな経緯から、長年押し入れにしまわれていたわけだが――しかし、黒石からしてみればどうだろう。周りには物言わぬ黒光りする石しかいない。自分はと言えば反対側は真っ白で、どうしようもなく違う見た目に苦しんだ日も多いだろう。慰めてくれる者なんかいない。だって、意識を持っているのは自分だけなのだから。
そのコンプレックスをバネにし、自分にしかできないこと、物事を白黒付けることに専念した。押し潰されそうな重圧感にも耐え、あらゆる選択を決定づける強靭な精神力を備えた。そうしてようやく迎えた晴れ舞台は、思惑から外れて中断されてしまったのである。
ゲームを終えれば、きっと再び暗闇の毎日に戻ってしまう。囲碁なんてそう毎日興じる遊びでもない。一過性のブームの後には、またそれまでの生活が待ち構えているのだ。それはどれ程の恐怖だろうか。
本当は、毎日誰かに使われたい。得意分野の中で活躍して、自分という存在を知って貰いたい。でも、不器用だから――そのために出来るのは、物事をはっきりと区別すること、しかないのだ。
こいしも同じ結論に辿り着いたようで、言葉を失ってしまっていた。予想もしていなかった真実だ。そうなってしまうのも無理はない。
けれど、私たちにできることなんて何もない。囲碁はやる気ないし、オセロは嫌だと本人が拒む。どちらも折れない、八方塞がりの状況だった。
うーん……そうねぇ。せめて、何か他に使い道があればいいんだろうけど……どうしましょうか。
と、その時、はっと閃く。
そうだ、その手があったじゃないか。
「あの……ちょっと、いいですか?」
『何でしょうか。説得なら聞きませんが』
「いえ……その、ちょうどあなたの力が必要な人がいたことを思い出しまして」
『……!』
食い付いた。
「私の知り合いなのですが、ちょっと面倒な職に就いていまして。ある程度の能力を必要としているのですが、それ故に人手不足なのだそうです。彼自身も内部で二、三役兼任しており、年のせいか仕事が辛いので後任がほしいそうで……」
『…………』
「曰く、魂を裁くのだと。どうでしょう、碁石さん。あなたも一つ――白黒、付けてみては?」
そう言って、私はにっこりと笑った。
○閻魔=碁石
まさにコペルニクス的転回wwwwwwwwwwww
またやってくれたかあなたはwwwwww
○ゴマザナドゥ
なんでしょうか、わかりません。
映姫の前身でしたかwww
タイトルでオチが読めた、でも吹いたwww
ていうか常識のかけらもねーっておかしいでしょいくら幻想郷でもwww
そしてあの発言パロw<実はやったことないんですよね